レッスン12 たかがメイクとあなどるなかれ
ジャネットはこの日、アマンディーヌの指導の下でシルティ王女とお化粧のレッスンを受けていた。シルティ王女はもちろん、侯爵令嬢であるジャネットも、基本的にお化粧は侍女にしてもらう。しかし、アマンディーヌによると、自分を美しく見せる化粧の仕方を知っておくというのはとても大切なことだという。
「シルティ王女殿下は目がクリっとしていて顔のラインも緩やかな玉子型を描いているでしょう? だから、その良さをいかすために可愛らしいお化粧が似合うの」
アマンディーヌはシルティ王女の顔の左右でトーンの違う化粧を施した。右側は目のくりくり感を活かした可愛らしいイメージ、左側は寒色系を中心としたクールな印象の化粧を施した。
「もしクールにしたいのなら、全部をクールにまとめるのではなくて、さりげなくアイライナーで上がり目にしたり、アイシャドーに茶系を混ぜたりするのがいいわ。無理に大人っぽくすると、シルティ王女殿下の魅力がかえって削がれてしまうから。今、左側は所謂クールビューティーと呼ばれるタイプの化粧の仕方よ」
アマンディーヌは鏡に向かって、シルティ王女の顔の左右を交互に指し示した。シルティ王女も何度か右半分と左半分を交互に鏡に映し、食い入るように鏡に見入っている。
「なんだか、左側は無理して大人っぽく見せているように見えるわ」
シルティ王女が鏡を見つめながら眉をよせる。左側も化粧は綺麗にされているが、右側と見比べてしまうと、シルティ王女の少女らしい雰囲気にあまり似合っているとは言いがたかった。アマンディーヌはそれを分かりやすく示すために左右で違う化粧をしたのだろう。
「そうでしょう? では、次は全体を可愛いらしくまとめるわ」
アマンディーヌは一度シルティ王女の左側の化粧を綺麗に落とすと、今度は全体を可愛らしく化粧しなおした。
「これが通常の可愛い系メイク。ここでシルティ王女をすこし大人っぽく見せたいと思ったら、例えばアイシャドウの色に落ち着いたマットカラーを取り入れるわ」
アマンディーヌはそう言いながら、焦げ茶色のカラーを目の際のあたりにのせて馴染ませた。それだけでも、随分と印象が変わったように見える。
「さらに大人っぽく見せたいなら、チークの色を変えるか、アイライナーの入れ方を変えるか。でも、やり過ぎると先ほどのように無理した感じが出てしまうから気をつけて」
そう言うとアマンディーヌはシルティ王女の両肩にぽんと軽く手を置いた。おしまいの合図だ。
「じゃあ、次はジャネット嬢。座って」
アマンディーヌに促されて、ジャネットは椅子に座った。アマンディーヌはジャネットのドレスが汚れないように白いタオルを首回りにかけた。アマンディーヌの香水のフローラルな香りと、太陽の香りが混じり合ってほのかにかおる。
「ジャネット嬢は一つ一つのパーツは綺麗だし、左右対称の顔をしているでしょう? 顔が左右対称の人って、なかなかいないのよ」
アマンディーヌがジャネットの右側半分と左側半分を交互に隠した。ジャネットには右も左も同じ地味な顔にみえるが、アマンディーヌが言うには大抵の人は左右で別人のように顔が違うという。
「ジャネット嬢の顔で勿体ない点は、顔の凹凸が少しだけ少ないことね。今日はこれをカバーする方法を教えます」
アマンディーヌはまず、シルティ王女と同じように下地までを塗り込むと、三色のファンデーションを用意した。
「いい? 凹凸と陰影を見せるために、高く見せたい場所は明るい色、低く見せたい場所は暗い色を使うの」
アマンディーヌは三色をそれぞれ顔に塗ると、境目が目立たないように少しずつ馴染ませてゆく。パウダーをはたかれて目を開けると、いつもよりはっきりした顔立ちの自分がいてジャネットは驚いた。
アマンディーヌはその後も影にしたいところは暗い色、明るくしたい場所は明るい色を徹底し、最後は特に高く見せたい場所にハイライトをのせるように言った。
「まあ、ジャネット様。とってもお綺麗ですわ!」
横で見ていたシルティ王女がはしゃいだような声を上げて両手を握った。ジャネットは鏡を覗きこんだ。元々が元々なのでさすがに彫りが深いとまでは言えないが、今のジャネットを見て凹凸の少ない平坦な顔という人はほとんどいないだろう。そこには、贔屓目でなく、今までの人生で見たなかで一番綺麗な自分がいた。
「まあ、すごいわ」
「だから言ったでしょう? 女の子は誰だって可愛くなれるのよ」
アマンディーヌが得意気に笑う。ジャネットはもう一度鏡を覗いた。何回も練習した口角を上げる微笑みを浮かべると、鏡の中の美女も美しい微笑みを浮かべた。
「やっぱり、好きな人のために頑張ると成果が出やすいわよね。恋は何よりも美しくなることに効果的だわ」
「好きな人?」
ジャネットは首を傾げる。アマンディーヌはそんなジャネットを見つめ、きょとんとした顔をした。
「ダグラス殿がお好きなのでしょう? だから、こんなに頑張ってきたんじゃない」
「……ああ、そうでした」
「ちょっと? ぼーっとしてるんじゃないわよ。アホ面になるわ」
アマンディーヌはちょっと呆れたような顔をしてから、意地悪く片眉をあげた。
「なっ! ぼーっとなどしておりません!」
「そう?」
ジャネットはすぐさま言い返した。アマンディーヌにずいっと顔を寄せるとキッと睨みつける。真っ直ぐに見つめ合う新緑の瞳が、面白いものでも見るように細められた。
それを端から眺めていたシルティ王女がちょっと拗ねたように口をとがらせた。
「アマンディーヌ様とジャネット様は、いつもじゃれあってて仲がよろしいですわね。わたくし、嫉妬してしまいますわ」
「じゃ、じゃれあって!?」
それを聞いたジャネットは即座にアマンディーヌから体を離し、頬を赤くした。
「あら、当然よ」
アマンディーヌが口の端を持ち上げる。
「だって、わたしとジャネット嬢はダグラス殿をギャフンと言わせるという崇高なる使命を果たすための同志なんだから。ねえ、ジャネット嬢?」
「……あ、はい」
その言葉はなんの偽りもない真実なのに、なぜか心がチクリと痛んだ。アマンディーヌが訝しむように目を細めて頬に手をあてる。
「やっぱりボーッとしてるわ」
「してませんってば!」
即座に言い返したジャネットを見て、アマンディーヌはクスクスと楽しげに笑った。