レッスン7 高嶺の花は一日にしてならず
ライラック侯爵家で舞踏会が開催されたこの日、ジャネットは見事な壁の花に徹していた。と言っても、いつものように招待された参加者なのにも関わらず自ら壁の花を徹したのではなく、シルティ王女のお付きの者として分をわきまえて壁の花に徹したのである。
隣に佇むアマンディーヌは背が高く体格もよい上にあの格好。流石に目立つが、来賓者から話かけられても適当にかわし、ジャネットの側にいた。
侯爵家主宰で王室も招待されるほどの舞踏会だ。さすがに参加者達は皆、美しく着飾っていた。
「ジャネット嬢。綺麗になりたかったら、美しい人を見習うことも大事よ。例えば、あそこにいるマチルエンダ子爵夫人を見て」
アマンディーヌは扇で口許を隠しながらジャネットに顔を寄せ、会場の左端に佇む女性を視線で指し示した。ジャネットはアマンディーヌの視線の先にいるその女性──マチルエンダ子爵夫人に目を向けた。会場のダンススペースからやや壁に寄った辺りで何人かの人物と談笑していた彼女は、深紅のドレスを身に纏い、髪にも深紅のバラを飾っていた。ジャネットが着たらそれこそ洋服に負けてしまいそうなこの豪華なドレスを、見事に着こなしている。白い肌に映える赤い生地がとても魅惑的に見え、やはり真紅の紅が塗られた口元は弧を描くように微笑みを浮かべていた。
「さすがは『赤バラの貴婦人』とうたわれるだけありますわ。お美しいですわね」
ジャネットはマチルエンダ子爵夫人を眺めながら、ほぅっと息を吐いた。
マチルエンダ子爵夫人は元伯爵令嬢であり、ジャネットがデビュタントのときには既に可愛らしいと有名な方だった。歳はジャネットの二つ上の二十歳で、夫はマチルエンダ侯爵家の嫡男だ。今はまだ爵位を継いでいないため子爵を名乗っているが、ゆくゆくは侯爵になる。とても仲睦まじい夫婦としても有名だ。
「ええ。確かに美しいわ」
アマンディーヌもそちらを眺めながら頷いた。
「でも、彼女がなんの努力もせずにその賞賛を手に入れていると思って?」
「マチルエンダ子爵夫人は元々お綺麗な方ですわ」
ジャネットはアマンディーヌを見て、首を傾げる。
「ジャネット嬢の言うとおり、マチルエンダ子爵夫人は元々お綺麗な方よ。でも、それ以上に綺麗になろうとする努力をされている」
「努力?」
ジャネットは訝し気に聞き返した。
元々綺麗な人は努力などしなくても綺麗ではないか。ジャネットはそう思ったのだ。
「そうよ。例えばあのドレス。一見するとただの赤いドレスに見えるけれど、裾にレース飾りをあしらっているし、胸元も最近多く出回り始めた浅い作りで、さりげなく流行を取り入れているわ。髪形もそうよ。一部に三つ編みを作っているでしょう? 化粧もしっかりされていて、自分を綺麗に見せることに一切の手を抜いていないわ。それに極めつけがあの体形。とても半年前に子供を産んだ人には見えないわ。きっと、体形を戻すために相当努力したはずよ」
アマンディーヌの説明を聞きながら、ジャネットはマチルエンダ子爵夫人を眺めた。
確かに、一見するとただの真紅のドレスに見えるけれども随所に流行のポイントが取り入れられている。髪形も耳の上の一部が三つ編みにされており、結び目には赤いバラが飾られてうまく隠れていた。そして体つきは、まるで独身女性のようにほっそりとしていながら出るべきところはしっかりと出ていた。
隣に立つ夫に寄り添い、唇は弧を描きにっこりと微笑んでいる。女性であるジャネットから見ても、とても美しい人だ。
「ドレスの色も自分に似合う色をよく研究しているわ。常に顎を引いて口角を上げるように心掛けているし、彼女の美貌は彼女の努力あってこそね」
アマンディーヌはマチルエンダ子爵夫人から視線をジャネットに移した。
「いいこと? 綺麗になるためには努力を惜しんではダメよ。綺麗になりたいという気持ちと、それを実現させるための努力が必要なの。諦めている人は、そこでお終いなんだから。決してそれ以上は綺麗になれないわ」
──諦めている人は、そこでお終い。決してそれ以上は綺麗になれない。
ジャネットは、その言葉が自分のことを言われているような気がした。
ふとダンスホールの中央に視線を移すと、シルティ王女がエリック王子と優雅にダンスを踊っていた。ピンクのドレスの裾がステップに合わせて軽やかに揺れる。クルリと回った瞬間、シルティ王女から笑みがこぼれる。その姿はとても輝いて見えた。
シルティ王女はいつだってアマンディーヌの課す訓練を一生懸命に取り組む。のらりくらりと理由を作って逃げようとする自分とはまるで違う。その結果がこの地味なメイド姿と可愛らしい王女殿下としての姿の差になったような気がした。
自分は何をしただろうか? 初恋の人だと一方的に思いを寄せて、父に頼んで名指ししたダグラスと婚約者になれたことに浮かれていた。その後、彼に見向きもされないことで落ち込んで、どうせ自分は地味なのだからと卑屈になっていた。
めそめそ陰で泣くだけで、自分では何もしていないのだ。ジャネットがしたことと言えば、ダグラスを婚約者にしたいと親にお願いしたことと、ダグラスが改心することを星に願ったことぐらいだ。
自分でも驚くほどの甘ったれ具合だと思った。
「わたくしは綺麗になれるかしら? ──ダグラス様をギャフンと言わせられるぐらい綺麗に……」
小さく呟いた言葉に、アマンディーヌがチラリとジャネットを見下ろす。
「わたしに付いて来れば、間違いないわ。アンタ、パーツと配置は悪くないのよ。侯爵令嬢だけあって教養もあるし。ダンスは壊滅的だけど、なんとかなるわ」
「まぁ……、ずいぶんと頼りがいのある。男前なお言葉ですこと」
「わたし、一応性別は男だから。頼っていいわよ」
「でも、心は乙女でいらっしゃるでしょう?」
「アマンディーヌのときはね」
アマンディーヌは口の端を持ち上げた。「え?」とジャネットが聞き返したが、アマンディーヌはそれには答えずに話を続けた。
「前に言ったでしょう? 何をやってもブスで貧相でどうしようもない女なんて、この世に存在しないのよ」
「……アマンディーヌ様、結構根に持ちますわね?」
「当り前よ。わたしの腕の見せ所でしょう? 劇的ビフォーアフターを目指してるんだから」
器用に片眉をあげたアマンディーヌを見て、ジャネットは思わずふふっと噴き出した。
「では、わたくしは必ずやダグラス様をギャフンと言わせて見せますわ」
「その意気よ。あと四ヶ月あるのだから、わたしと頑張りましょう」
「はい。アマンディーヌ様、よろしくお願いしますわ」
優雅な舞踏会会場の片隅で、一人の派手なオネエと地味なメイド姿の侯爵令嬢という異色のコンビが固い女の友情の握手を交わした。
「じゃあ、手始めに食べるわよ。ジャネット嬢はだいぶふっくらしてきたけど、まだ足りないわ」
「え゛!? さっきあれだけ食べたのにまたですか?」
「美しさとは戦いなのよ」
「うっ、頑張ります……」
アマンディーヌは満足げに頷くと有無を言わせずにジャネットの手をひき、料理の前に向かう。そして、器用にプレートに料理を盛り付けた。ジャネットはアマンディーヌの盛り付けたメガ盛プレートを見て、顔をひきつらせる。
「もうお腹いっぱい……」
「まだ平均的な女性の一食分よ」
「うぅ……、これ、本当に効果はあるのですわよね?」
「わたしのことを信じなさい! 笑顔消さない!! 後ろ向きなことも言わない!」
「はいぃっ」
ジャネットが早くも後悔の嵐に襲われていたのは言うまでもない。