レッスン6 笑顔は女性の最大の武器
白くもっちりとした柔肌に丁寧に塗り込まれる化粧品。大きな山羊毛のブラシでパタパタとおしろいをはたくと、そこには白磁のごとく美しい肌が完成した。
眉は少しだけ弓を描いて優しい印象に。ドレスの色に合わせたピンク色のアイシャドウは端に黄色を混ぜて遊び心を出して。
頬にのせるチークは淡いピンク色。これはポニーの毛で出来た先ほどより一回り小さなブラシでほんのりと高い部分にのせる。
最後に、眉の上と鼻筋に『T』の形を描くようにハイライトを重ねた。
「まあ、凄いですわ。アマンディーヌ様」
横でアマンディーヌがシルティ王女に化粧をする様子を静かに眺めていたジャネットは、ほぉっと感嘆のため息をもらした。
シルティ王女はいつも可愛らしく化粧をしているが、今日は一際可愛らしい。まるで花の妖精が抜け出たかのような可憐な雰囲気をかもしだしていた。
「お化粧って凄いのよ。今はシルティ王女殿下の希望に合わせて可愛らしく仕上げたけど、やり方一つでだいぶイメージを変えることが出来るの。例えば、目尻に厚めのアイライナーを入れて吊り目を演出すれば、気が強そうに見せることが出来る」
アマンディーヌはシルティ王女の目尻を指さしながら、ジャネットに説明した。今日のシルティ王女の目尻はどちらかと言えば垂れ目がちになっていた。
「今日は舞踏会だからきちんとしないと。さっ、ジャネット嬢もやるわよ」
アマンディーヌに鏡の前に座るように促され、ジャネットは目をパチクリとさせた。
「わたくしもですか?」
ジャネットが驚いたのには理由がある。今日はシルティ王女は舞踏会に来賓客としてエリック王子と参加するが、ジャネットは参加しない。気合いを入れて化粧する意味がないのだ。
「シルティ王女殿下のお付きとして参加するのよ。ジャネット嬢はわたしの助手よ」
「あら、そうでしたわね」
ジャネットは納得して椅子に腰を下ろした。アマンディーヌはジャネットの前に立ち、真剣な表情で化粧を施してきた。ジャネットはその顔を見つめながら、アマンディーヌはとても綺麗な緑色の瞳をしているのだなと思った。婚約者のダグラスの深い緑色に似た、新緑のような鮮やかな緑だ。
「よし。出来たわ」
アマンディーヌがジャネットを見ながら満足気に微笑む。ジャネットはどんな仕上がりになったのか、早く見たくてたまらなかった。
「鏡を見ても?」
「もちろん」
わくわくしながら鏡を覗きこんだジャネットは、なんとも曖昧な表情を浮かべた。
「なんか……地味ですわね」
「テーマは真面目なメイド風よ。それっぽく見えるでしょう?」
真面目なメイド風。確かにそんな雰囲気が漂っている。化粧はしっかりされているのにまるでしていないように見えるスーパーナチュラルメイクとでも言おうか。
もともと凹凸の少ない顔の凹凸が更に無いように見える。口紅はヌードベージュ、チークはやや茶色ががったオレンジをほんの気持ち程度にのせただけだ。アイシャドウも肌に近い色しか使っておらず、ぱっと見はすっぴんだと思われそうなほど。
王宮の外れで床を雑巾がけしてそうなイメージである。
「なんか不満そうね?」
アマンディーヌはジャネットを見て眉をひそめた。ジャネットはじとっとした目でアマンディーヌを見返した。
はっきり言って不満である。ジャネットだって乙女の端くれ。シルティ王女程とは行かなくとも、化粧で少しは可愛くして欲しかった。それなのに、いつも以上に地味にされるなんて。
「今日のわたし達は裏方だから、地味な方がいいのよ」
アマンディーヌはジャネットの気持ちを察したのか、言い聞かせるようにそう言った。しかし、ジャネットは納得いかず、口を尖らせた。
「でもアマンディーヌ様はとても華やかですわ」
「わたしはこんな調子だから、やるなら徹底的にやらないと。中途半端に女装だなんて、おかしいでしょう? かえって目立つわ」
「──確かにそうですわね」
ジャネットは中途半端に紳士用の礼服を着たアマンディーヌを想像してみた。何ともちぐはぐで相当浮きそうだ。もしくは髪を男性のようにして化粧を落としたアマンディーヌがドレスを着ていたら? これも想像がつかないが、相当おかしな感じになること間違いないだろう。もしかしたら不審者だと思われて会場から摘まみ出されるかもしれない。
そんなことを想像していたら、ジャネットはなんだかとてもおかしくなって、クスクスと笑い出した。
「……アンタ、なんか変なことを想像しているわね?」
「いえ、オホホ。別に何も?」
眉を寄せるアマンディーヌを見ていたら、ますますおかしくなった。ジャネットは、肩を揺らして笑いをこらえる。アマンディーヌは呆気にとられたようにジャネットを見つめていたが、しばらくすると釣られたようにフッと微笑んだ。
「ごめんなさい、わたくしったら。急に止まらなくなって」
「いえ、いいわ。笑顔が出るようになったみたいだから、よかったわ。ここ数日、いつも沈んだ表情をしていたもの」
アマンディーヌにそう言われ、ジャネットはハッとした。確かに父親に再会したあの日以降、ダグラスとの関係に悩んで沈んでいたかもしれない。
「女性の笑顔はね、最大の武器なのよ。ムッツリした美人より、いつも笑顔の平凡な娘の方が多くの人にとって魅力的に見えるものよ」
アマンディーヌはジャネットを見つめ、優しく微笑んだ。
「アマンディーヌ様……」
自分の僅かな変化に気付いて心配してくれたオネエに、ジャネットは胸が熱くなるのを感じた。
「だから、いつもジャネット嬢が笑顔でいられるように、わたしが秘密兵器を用意したわ」
「秘密兵器?」
にんまりと口の端を持ち上げたアマンディーヌを見て、ジャネットは即座に嫌な予感を感じとった。この表情は危険フラグだ。
「まあ、何かしら?」
訝しげな声を出したジャネットに対し、シルティ王女は興味津々に体を乗り出した。がさごそと鞄を漁り、アマンディーヌは何かを探し始めた。
「これよ!」
アマンディーヌが取り出して声高々に叫び、天に捧げるように高く持ち上げたのは、十センチメートルほどのただの平たい棒だった。シルティ王女とジャネットは顔を見合わせる。
「これはなんですの?」
「これをこうやって咥えると、表情筋が鍛えられて笑顔が魅力的になるわ!」
アマンディーヌはそう言うと、口に棒を咥えた。確かに口角は上がっているが、相当間抜けな姿だ。口の両端から棒が覗いており、骨を咥えた犬のように見える。或いは口から歯が飛び出した猪か……
「……わたくし、今夜の準備があるからそろそろ戻らないと」
ジャネットはオホホと愛想笑いをしながら、席を立った。座っていた椅子を戻そうと伸ばしたその手をガシッとアマンディーヌが掴まえる。
「大丈夫よ。準備ならもう終わってるから安心なさい」
「え゛?」
口に咥えた棒を片方の手で外したアマンディーヌはにこやかに微笑んだ。
「口紅も後で塗り直してあげる。さあ、思う存分咥えるのよ」
「いえ、あの……。これ、自室でやったほうがよくありませんこと?」
「まあ、じゃあ早速」
表情をひきつらせたジャネットの制止もむなしく、隣のシルティ王女が早速咥えた。ジャネットは心の内で、『咥えるんかい!』とシルティ王女にツッコミをいれる。もちろん、口に出しては言えないが。
やっぱり犬みたいで、相当間抜けに見える。しかし、シルティ王女が咥えたのに行儀見習いのジャネットが咥えない訳にはいかない。ジャネットは覚悟を決めて棒を咥えた。
「……」
「……」
「……」
部屋に沈黙が流れる。三人とも棒を咥えたせいで、誰も喋れないのだ。着飾った王女と地味なメイドと派手なオネエが無言でテーブルを囲む。棒を咥えて微笑みを浮かべた無言の三人組は端から見れば完全に危ない集団にしか見えないだろう。
ちょうどその時、紅茶のお湯の追加を持ってきた侍女が入室してきた。
「きゃあっ!」
ギョッとした様子で小さく悲鳴を上げて部屋を飛び出していった侍女を、三人は無言のまま見送った。
「……」
「……」
「……」
棒を咥えたままの三人の視線が絡まり合う。
「ぅうん、ごっほん。この訓練は各自、自室でやることにしましょう」
棒を外したアマンディーヌが小さく咳払いしてから呟いた。
「──もう、だから言いましたのにー! 絶対におかしな三人組だと思われましたわ!!」
両ほほを手で押さえるジャネットを見て、アマンディーヌは少しだけ視線を泳がせてから、ポンとジャネットの肩に手をおいた。
「大丈夫。わたしとシルティ王女殿下も巻き添えよ」
「そういう問題じゃありません! しかも、巻き添えを喰ったのはわたくしとシルティ王女殿下です! もーー! もぉおおおー!!」
ジャネットの嘆き声が部屋に響き渡った。