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第六話 学のミス

 セキセイインコのモモを飼い始めたのはまだ香奈と付き合いがあった頃のことだ。

 青い色の小さな一羽で、しょっちゅうケージから出しては香奈と一緒に遊んでやったものだった。

 言葉を覚えさせるのには苦労した。人懐こいがあまり頭のいいインコではなかった。

 二人で一生懸命教えて、ようやくごちょごちょとつぶやくようになった。


 「おはよう」と「こんにちは」、それから――


 モモはその日の朝、学が目を離した隙に窓から逃げ出した。

 今までどれだけ自由にさせていてもそんなことはなかったので油断していたのだ。

 運よく、かどうかはわからないがその日は日曜日で、学はモモを探しに家を出た。


 住宅地をくまなく歩き、周りを隅々まで確かめて。

 モモの好物の菜っ葉も持ってきていたが、どうにも楽観的な気分にはなれなかった。

 インコは逃げ出したくて逃げ出したのだから、もう彼は戻ってきたくないということだろう。


 どことなく因縁めいたものもまた感じる。

 あれは二人のインコだったのだから。

 香奈がさらに遠のいたように思った。


 夕方まで外にいたが、ほとんどの時間は公園の隅のベンチで過ごした。

 小さい子たちが遊ぶ声を聞きながら見上げる空は、昔よりもう少しだけ高い場所にある気がした。


 結局ろくに探しもしないまま帰ると、玄関前に人が待っていた。


「や」


 呆気にとられる学の前で香奈は片手を上げて見せる。

 もう片方の手に提げられたケージから、モモが元気な鳴き声を上げた。


「この子がね、庭の木にとまってたから」

「あ……うん」


 ようやくそれだけ答えて差し出されたケージを受け取る。 


「その、どうも。ケージはすぐ返すから」

「いいよ。もらっといて。うちでは使わないし」


 そっか、とだけ学は答えて香奈の目を見返した。

 香奈は何かを言おうとしたようだったが、結局小さく笑っただけで踵を返した。


「あそぼ」


 声がしたのはその時だ。

 学が見下ろすと、モモはケージの側面にしがみついてもう一度言った。


「あそぼっ」


 彼は必死に香奈を見つめているようだった。

 モモはさらに二、三度、「あそぼ」と叫んだ。

 香奈はインコを見下ろしていた目を学に持ち上げて、少し迷ったようだ。

 ええと、と一拍おいて彼女は言った。


「少しお邪魔していってもいいかな?」


 フローリングに胡坐をかいてケージを開けると、モモは迷わず香奈の方へ寄っていった。


「モモちゃんあれから他に言葉覚えた?」

「ううん」


 学が首を振ると、香奈は疑わしげにこちらを見た。


「きちんと教えたの?」

「あまり覚えが良くなくて」

「またモモちゃんのせいにする」


 眉間にしわを寄せる香奈を見ながら思わず苦笑いが口の端に滲む。

 モモに関する同じような会話は前にも幾度となく交わしたものだった。

 少し懐かしくて、少し胸が痛かった。


「じゃあもしかしてまだおはようとこんにちはとあそぼしかしゃべれないわけ?」

「うん」


 信じらんない、とつぶやいて香奈はモモを指に乗せて視線の高さを合わせた。


「ご注文どうぞ。ご注文どうぞ」


 さらに三回ほどモモに吹き込んだところで学の視線に気づいたらしい。


「何? 文句?」

「いや、文句ってほどじゃない、かな……」


 どういう意図で教え込んでいるのか疑問ではあったが。

 立ち上がって新しい菜っ葉を持ってくると、モモは近寄ってついばみ始めた。

 その一生懸命な様子がおかしかったのか、香奈はちらりと笑顔を見せた。


「そういえばそろそろ定期テストだけど、まーくんは大丈夫?」


 学が絶句して何も言えないでいると、香奈はどうしたの、と怪訝そうな顔をした。


「あ、いや」


 学は首を振る。


「まあぼちぼちだよ、うん」


 まーくんか、と胸中でつぶやいた。

 そう呼ばれていたのはずいぶん昔のことだ。

 また胸の奥が痛んだ。


「でも今回範囲広いじゃない? おまけに杉本先生が結構張り切ってるらしいよ、見た目からじゃわからないけど」


 杉本先生はあまり気分の変化が大きい人間ではない。

 それでも声の微妙なトーンから機嫌の良し悪しは大体わかる。

 最近はずっと上がり調子のようで、多分家の猫が子供を産んだからだろうけれど、これがテストの難度に影響することは間違いない。


 過去のパターンから察するに、平均点がおよそ四点ほど下がる。

 以上を香奈から聞いて、学は感心した。


「和泉さんて観察力すごいねえ」


 言ってしまってからはっとした。

 ミスをした。


 香奈がじっとこちらを見ている。

 その視線の意味は分かる。

 だが、何も言うことはできなかった。

 目をそらしてごまかした。


「……何か飲む?」

「ううん。いい」


 昔、香奈と喧嘩した時のことを思い出した。

 確か何かの約束を破った破らないという食い違いだったように記憶している。

 言い合いではなくて黙り合いというべきか、重い沈黙の中で見つめ合っていた。

 あのきまりの悪さが今とよく似ているように思った。

 ただあの時と違うのは、これが喧嘩ではないということだろう。


 香奈がモモを指に乗せて「こんにちは」と語り掛けた。

 モモは首を傾げて何も答えなかった。

 それをもう二度繰り返して、やはり答えないモモを下ろし、彼女は立ち上がった。


「帰るね」


 何か言うべきだったかもしれない。

 だが結局何も言えず、玄関のドアが閉まる音を遠くに聞いた。

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