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宿に戻ると、辺りはすっかり暗くなっていた。コフィーが出迎えて、食堂にカーラがいると教えてくれた。
僕がカーラの席に着くと、彼女は食事の手を止めて笑った。
「今日、どうしたの? 組合を探したけどいなかったし」
「少々約束がありまして。何か用事が?」
「ううん、別にそういう訳じゃないんだけど。ほら、田舎者が困ってないかなって」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「いいの、お礼なんて。私とリンの仲じゃない」
机に並んだ料理を見る。どうやら川魚と木の実らしい。相変わらず見たこともない種類だが、味に問題はない。
「これも、大森林で採れたものなのですか」
「そうそう。ありがたく思いなさいよ。一介の冒険者風情がこんな豊富な食事にありつけるなんて、普通首都にでも行かないと無理なんだから」
「首都? そこは、食べ物が多い場所なのでしょうか」
そう言うと、カーラは驚いた顔をした。
「え? 貴方、首都も知らないの?」
「すみません」
「いくら田舎者といっても限度があるでしょ……」
「はあ……。それで、首都というのは?」
「ううん、まあ簡単に言うと、王様がいる所、かしらね」
「王様、とは?」
「ああそうか、そこからか……。あのね、この街を含めて、もっと広い範囲の……、つまりは、国を支配している人間がいるのよ」
「この街を治めているのは、ヒルデさんなのでは?」
「うん、そう……。まあ実際はそうなんだけど、あくまで名目上は、王様が支配していることになっているの。ヒルデ様は代理っていう扱いでね。正確には、代理の代理、だけど」
「なる程……。つまり、その王様という方は、この辺りで最も偉い人間、ということですか」
「まあ、そういうこと。で、その王様がいるのが首都ってわけ。私も一度行ったことがあるけど、凄いわよ、あそこは」
「料理がですか?」
「料理も人も何もかも、とにかく桁違いに多いんだから」
「人も……」
それは良いことを聞いた。
人が多い、すなわちそれは、僕を殺せる人間がいる確率が高い、ということ。シハルにはシュリがいるが、彼は僕を殺してくれないようだし、これは首都へ向かうほかないのではないか。
「カーラさん、その首都というのは、一体どちらにあるのでしょうか?」
「え? そうね、ここからだいたい南西の方に行けばあるけど……。何、行きたいの?」
「はい」
「ふうん。まあ行くのは好き好きだけど、ここからはちょっと遠いわよ」
「遠い……。どれくらいでしょう」
「ううん、休まず歩いて二週間ってとこかな」
「二週間ですか……」
それならそう遠くはない。と、思う。
「でもそれだけの旅路となると、ちゃんと準備していかないと危ないわよ。路銀は――まあ、ヒルデ様から貰ったので、充分かもしれないけど……。どうせ、この辺りの地理だって知らないんでしょう?」
「まあ、特には……」
「だったら、もう少しここで準備して行ったら? それに冒険者としての経験も、もう少し積むべきね。言っておくけど、冒険者の待遇がこんなにいい街、なかなかないからね」
本当ならば一刻も早く首都へ向かいたいが、そう言われては仕方がない。殺される前に野垂れ死んでは、意味がない。
「そうですね、そうします」
「なあに、リンだったらすぐに中級に上がれるって」
皿から木の実をとって、齧る。強い苦味と、ほのかな甘み。あまり味わったことのない感覚。なるほど、森の恵みは偉大だな、と感じた。
「ところで、その初級とか中級というのは、それほどまでに重要なものなのですか?」
何とはなしに、疑問に感じていたことを尋ねる。カーラはやけに級を重視するが、そこまで拘泥る理由があるとは、思えない。
「重要も何も――、当たり前じゃないの」
「しかし、話を聞く限りでは、上の級に上がったところで、受けられる依頼の数が増えるだけのようですが」
「あのね、リン。依頼の数が増えるだけじゃなくて、依頼の報酬も上がるのよ? 初級と中級じゃ段違いなんだから」
「しかし、初級の稼ぎだけでも、その日暮らしには充分なように思いますが……」
少なくとも、この宿に泊まって、三食を食べるのには困らない。
見ると、カーラは溜息を吐いて、首を振っていた。呆れたという意味の動作だろう。
「それはね、リン。ゴブリン三体を一瞬で倒せるならそうよ。でも普通はそんなことはないのだし、それに……」
カーラは魚を一口食べて、僕の方を指差した。
「名声――欲しくない?」
「名声、ですか」
彼女の迫力に圧されて、鸚鵡返しする。名声、名声とは何だろう。言葉は知っているが、その意義はよく知らない。
「そ。まあ中級程度で得られる名声なんて高が知れてるけど、上級となればそこそこ名も通るし、超級にもなれば英雄よ、英雄。名声だけで一生食っていけるわ」
「はあ……」
つまりは、人気や評判といったところだろう。強い敵を倒せる人間が尊敬されるということ。尊敬がどのような形でお金になるのかは、分からないが。
「つまり冒険者の目的は、働かずに一生を過ごせるようになること、ということですか」
「え? ええ、まあ……、そう。その言い方だと、多少の語弊はあるけれど……」
「理解しました。しかし僕は別に――」
「お、分かってくれた? じゃあ一緒に頑張りましょ! 目指せ、超級~」
カーラはそう叫ぶと、机の上に立ち上がった。咄嗟のことに驚いて、つい身動きできなくなる。
周囲の眼がこちらに向けられ、「お、流石大口のカーラだな!」だの「お前はさっさと上級に上がれ」だの、声がかけられる。カーラもそれに返答しているが、どうにも呂律が回っていない。
よく見ると、彼女の顔は朱く染まっていた。酒に酔っている、と推察される。
已むを得ず、コフィーに部屋を訊いて、カーラを背負っていった。外から鍵をしめ、扉の下の隙間から、中に放り込んでおく。
自分の部屋に戻って、小さな窓から外を眺める。空に雲がかかって、薄灰色の幕が辺りを覆っている。遠くに光るものが見えた。城門で焚かれる篝火のようだった。ダングはまだあそこにいるのだろうか。取り留めもない思考が頭を充たした。
夜の冷気が、窓から流れこんでくる。
初級から中級へ上がる理由があるだろうかと、自問する。例えば上級や超級に上がれば、有名になった結果として、強者から闘いを挑まれるということも、あるかもしれない。しかしどうにも、それは大変そうだ。自分から強者を見つけるのと、強者に自分を見つけてもらうのと、どちらが早く済むだろう。
布団に横になる。大変奇妙なことだが、この宿の布団は、木製の台の上に載っている。床に布団を敷くようにすれば、畳んだ分広く部屋を使えるはずなのに、なぜこうしているのだろう。ちょうど座ることができて、便利な面もあるが……。
まあ取り敢えず首都を目指そう。今のところは、首都を目指すことと、超級を目指すことの手段は同じだ。どちらにせよ初級の依頼を受けるだけ。首都に行っても駄目ならば、その時に改めて考えればいいだろう。そう思って、眼を瞑った。