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 遅れながら、僕が槍を持っていくと、既に戦う場所は整えられていた。小屋の前の開けた場所。脇にはエリとシロハが座っており、観戦する準備は万全のようだ。


「ちょっとそこで待っといてくれんか」


 言われた通り、広場の端に立ち、槍の布鞘を解いた。シュリは小屋の壁に歩み寄ると、そこに立てかけられていた、一本の棒を手に取った。そのまま広場へ戻ってくる。

 僕と反対側の広場の端に、シュリが立った。距離は長い。十五歩程度。


「儂はこの通り老いぼれじゃからの。リンさんから来てくれい」


 シュリがしわがれた声を出す。その手には――。


「いえ、ですがそれは……」


 本当に、ただの棒だ。どう見ても槍ではなく、或いは武器として造られたものでもない。何かのつっかえ棒、といった風情。


「大丈夫じゃ。ほれ、さっさと来ぃ」


 これでは殺してもらえないではないか、と内心で溜息を吐く。仕方なく槍を上段に構えると、シュリも棒を。


 ――まるで槍の如く。


 構えた。


 死ぬ。


 そう思った。


 息ができない。

 瞬きできない。

 足は一歩と動かない。

 どうして?


 シュリは。


 静かに笑って、棒を構えているだけ。

 いや、ちがう。

 長い――長い「槍」だ。僕の身長の倍はあるか。


 僕の間合いは、無に等しい。

 彼の間合いは、無限に等しい。


 まったく勝利の未来が見えない。

 既にして僕は敗けているのだから……。

 喉元に、刃を突き付けられている感覚。実力差など、考えるまでもない。


 何故、気づかなかった?

 これほどの達人を前に。

 だが……。

 これほどの好機はない。

 どんな動きをしようと。

 どんな逃走をしようと。

 どんな沈黙をしようと。

 確実に、僕は殺される。

 やっと、命令に従える。


 シュリの姿を見つめる、否、見つめられない。


 本当にこの世に存在しているのか、あれは。

 陽炎を相手にしているよう。


 槍を握り直す。構えは中段へ。

 足を前へ滑らせ――


 「槍」が、僕の眉間に当たった。


 こちらの槍は相手の柄で抑え込まれている。押しても引いても動かない。


 強すぎる。

 僕は敗けた。


「中々の腕前じゃった。だが……」


 シュリが口を開く。さっさと僕を殺してくれないものか。


「最後。お前さん、何をするつもりじゃった?」


「何、と言われましても」


 すうっと、身体が軽くなる。シュリが「槍」を引いたのだ。


「……まあ良い。君はまだ若い。大成の器じゃ」


「いえ、あの」


「まったく、エリもなかなか男を見る目があるようじゃな……」


「だからそうじゃないって、お爺ちゃん!」


 シュリは棒を担いで、元あった場所に戻した。エリが彼になにやら言い募っているのが見える。


「すいません、僕を……」


 僕は声をかけたが、気づいてもらえない。


「それで、リンさんの腕はどうだったの?」


「かなりのものではある。まあ儂から見ればまだまだ未熟じゃが……」


「それ、ゴブリン三体を一瞬で倒せるくらいの強さ?」


「まあ、その程度なら楽勝じゃろうな」


「ふーん……」


 何を話しているのか知らないが、僕の話も聞いてくれないものだろうか。

 シロハがこちらに駆け寄ってきて、僕の手を取った。


「おにいちゃん、まけちゃったね!」


「はい、敗けました。ですが……」


「でもおにいちゃん、強かったよ!」


「いえ、弱いから敗けたのでは」


「だいじょうぶだいじょうぶ。おじいちゃんが強すぎるだけなんだから」


「……すみません、分かりません」


 そんなことより、早く僕を殺してもらいたいのだが。そう思って顔を上げると、シュリとエリはもう、小屋の中に入ってしまっていた。どうやら彼に僕を殺す気はないらしい。シュリはそれで良いかもしれないが、こちらは困る。

 何故だろう? 彼ならば、歩くより易く僕を殺せるだろうに……。


 小屋に戻ると、シュリの姿はもうなかった。少し疲れたから休む、とのこと。エリが教えてくれた。


「どう、お爺ちゃんは。強かったでしょ?」


「はい。とても強かったです」


「……でも。リンさんも強いって、お爺ちゃん言ってましたから」


 シュリもシロハと同じことを言っていたのか。どうして闘いに敗れた人間が強いことになるのか、よく分からない。


「そんなことはないと思いますが」


「いいえ。強いんですよ。もっと自信を持って下さい」


「そう言われましても」


「それでですね……、その」


 エリは急に横を向いた。何かあるのかと思って彼女の視線を追うが、壁しかない。寝違えたのだろうか。


「はい、なんでしょうか」


「私、リンさんに、あのですね」


 エリは横を向いたまま、更に俯く。今度こそ何かあるのかと思ったが、彼女が見ているのはただの床。シロハも不思議そうに彼女を見上げている。

 エリはようやく顔を上げて、正面を向いた。つまり、僕と眼を合わせた。


「謝罪しなければいけないと、そう思いまして……」


「はい?」


「その、これまで色々と無礼を働きまして、本当にごめんなさい……」


 エリはそのまま、深々と頭を下げた。僕は慌てて、


「え、あの、ちょっと待って下さい」


「なんでしょうか、お詫びとして何か……」


「いえ、そうではなく。とにかく顔を上げてください」


「赦して戴けるんですか?」


「赦すも赦さないも、あの、エリさんは何を謝られているんですか? 僕にはその心当たりがないのですが……」


「ですから、組合で私がとった無礼な態度について……」


 無礼な態度。僕はエリに何か無礼なことをされただろうか。記憶を辿るが、全く思い当たらない。むしろ僕の方が、彼女に迷惑をかけている。僕から彼女に感謝なり謝罪なりする道理はあれど、彼女が僕に謝る理由など、何一つとしてないように思える。

 そう、エリに伝えた。


「でも、でも……、私のせいでリンさんは初級になってしまいましたし」


「別に気にしていません」


「こんな、リンさんを試すような真似もしましたし」


「むしろ僕がお礼を言わせてください」


「ですが……、私は」


 エリは俯いて、肩を震わせた。寒いのだろうか。どうしましたか、と声をかけようとして、


「私は、こんな……」


 エリは不意に横を向き、指でその長い横髪を分けた。現れたのは、今まで隠されてきた、彼女の耳だ。彼女の肌と同じ、白い耳。


 先端の尖った、長い耳。


 珍しい耳の形だな、と感じる。少なくとも、僕は初めて見た。


「こんな、魔法も使えない劣等エルフなのに……」


 そう言って、エリは奇妙な表情をつくった。


 どうしたのだろう、と見ていると、彼女は更に顔を歪ませて、そして。

 エリは泣いていた。


 肩を震わせて、顔を覆って、机に突っ伏して。声も上げず、彼女は泣いた。


「おにいちゃん、エリおねえちゃんに、なにしたの?」


 シロハが不思議そうに、首を傾げて言う。


「分かりません。ですが、多分僕が悪いのだと思います。すみません」


「違うんです……、私が悪いの……」


 それから暫くの間、エリは顔を上げなかった。



 陽が傾く頃になって、彼女はやっと落ち着いた。シロハがお茶を入れて、三人でそれを飲んだ。静かな部屋に、お茶を啜る音だけが響いた。


「今日は、ありがとうございました」


 エリが呟くように言う。


「いえ、僕の方こそ……。そろそろ、帰りますね」


「はい」


 エリとシロハが見送ってくれた。


「おにいちゃん、またきてねー!」


「是非またいらして下さいね」


「分かりました」


 来た道を戻る。樹々が陰になって、林の中は既に暗かった。

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