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翌日になって、再び冒険者組合へ向かった。カーラと一緒に行って、あれこれ質問したいと思っていたのだが、彼女には何やら先約があるらしく、断られてしまった。
朝の組合は喧噪に満ちている。受付のあたりは酷く混雑しており、一体何が行われているのかも見えない。仕方がないので、一段落落ち着くまで、椅子に座って待つことにした。
時折、声をかけられた。概ね用件は同じで、「一緒に行かないか」ということだったが、一通り会話をすると、失望した顔で去ってしまった。つまり、
「それで、あんた。その槍以外に、どんな魔法を使うんだ?」
「いえ、マホウは使いません」
という会話だ。どうやら、マホウというのは、想像以上に大切なものであるらしい。
大分、人波も退いたかという頃合を見計らって、唯一の知り合いである、エリの許に向かった。
「すいません。今、宜しいですか」
「……何ですか?」
「少し尋ねたいことがありまして」
エリは顔を顰めながらも、一通りの質問に答えてくれた。何が彼女の機嫌を損ねているのか分からないが、とはいえ他に尋ねられる人もいない。
「では、あちらの壁に掛かっている――依頼というものを、あの受付の方に渡せば良いのですね?」
「……そうですが」
「ありがとうございました」
エリに頭を下げて、早速依頼の並んだ壁に向かう。取り敢えず、僕は初級のものを受けられる、ということなので、適当に一枚を択んだ。
「すみません、この依頼を受けたいのですが」
「はい、少々お待ち下さい」
こちらの受付の女性は、エリと違い、にこやかな笑顔で接してくる。つまり、エリが僕を嫌っているのに、受付という要素は関係ないのだろう。
できれば、良好な関係を築きたいものだ……。
そう思っているうちに、目の前の受付嬢が、困惑顔でこちらを見上げていた。
「あの、これ薬草の採取、ですけど……。宜しいんですか?」
「何が、でしょうか」
「昨日来た槍の人ですよね、貴方? でしたら、狩りの依頼の方が、向いていると思いますけれど。それに、薬草集めは、なかなか難しい仕事ですよ。根気だけではどうにもならない、知識も必要になりますし」
「なる程。では、狩りの依頼にします」
「え? はあ……」
僕はこの街のことを何も知らない。であれば、忠告には素直に従っておくべきだろう。
言われた通り、初級で狩りの依頼を探す。文字は読めないが、級分けも、依頼の種類も、記号で表されているので分かりやすい。
「では、これをお願いします」
「はい、フーシュルの討伐、ですね」
「フーシュル、ですか」
「……知らないんですか?」
尋ねると、フーシュルというのは、自分が知るところの猪に似た獣らしい。
しかし猪狩りというのは、中々大変な仕事なのだが、本当に初級の依頼なのだろうか。それともフーシュルというのは、猪よりは弱い獣なのか。
フーシュルの骸を担いでいく。討伐証明は二又の牙。死体丸ごとだと報酬が上乗せされるという話だった。一応七頭を狩ったが、重い。一頭背負うので精いっぱい。
フーシュルは概ね猪と似た姿で、似た生態で、そして遥かに弱かった。急所を刺しても尚突き進んでくる猪と違い、フーシュルはすぐに倒れたからだ。最初に見た時は、死んだふりをしているのではと思って、中々近づけなかったほど。
北門に着いて、両手が塞がっているので、一旦フーシュルを降ろした。今日はダングはいない。組合証を見せると、すぐに門を通してくれた。
そのまま組合に向かう。扉を開くと、中は閑散としていた。何人かの受付嬢が、ぎょっとした視線をこちらに向けてくる。
取り敢えず、眼を見開いているエリの方へ行く。フーシュルを背負っているためか、一歩踏み出すごとに、床が軋んだ音をたてた。
「すいません、エリさん」
「な……、なんでしょうか?」
「依頼を終えた場合は、どちらの受付へ行けば良いのでしょうか?」
エリに教わった通り、依頼終了の手続きをした。フーシュルの骸をどうすれば良いのかと思ったが、どうやら一旦外に出て、廻り込んだところに置き場があるらしく、そこまで運ぶ羽目になった。疲れた。
「それで、フーシュル七頭を……、またその槍で狩った、と言うつもりですか?」
エリが言った。彼女の語り口は迂遠で、いまひとつ意味が掴めないことが多い。
「はい。この槍を使いました」
「で、何故こんな早く戻って来たんですか? 本当は魔力切れでしょう?」
「マリョクギレが何か知りませんが、昼になって、お腹が空いたので、戻ってきました」
エリは黙って、こちらを睨んだ。
お腹が空いたので、早くご飯が食べたいな、と僕は思った。
唐突に、そこへ受付嬢の一人がやってきて、エリに紙を手渡した。
「……今、貴方の狩ったフーシュルの報告が届きました」
「そうですか」
「眉間を一突きで殺されている、とても良い状態だそうです。報酬が上乗せされます」
「ありがとうございます」
「……本当にその槍で?」
「はい」
エリはなぜか、俯いた。そのまま黙ってしまったので、僕は途方に暮れる。
しばらくの後、彼女は顔を上げた。
「分かりました。もう行っていいですよ」
「はい。あ、ひとつ聞いてもいいですか」
「……なんですか?」
「この辺りで、短い刃物を売っている場所をご存知でしょうか」
「短い刃物? まあそんなのは、幾らでもありますけど……。何に使うんですか?」
「髪を切ろうかと」
いつの間にか長く伸びてしまった髪が、とても鬱陶しかった。前の町に住んでいた頃から、髪を伸ばした女性を見かけることはあったが、彼女達はどうして平気な顔をしていたのだろう。
「髪、ですか。……そのご自慢の槍で切ったらどうです?」
僕は、意外な気持で、エリを見た。
「な、なんです?」
「いえ、確かにその通りです。ありがとうございます」
エリの言う通り、確かに槍で切ればいい話だ。全く思いつかなかった。槍に、人や動物を攻撃する以外の使い道があるとは……。
「え、え……、あの、本当に槍で切るんですか?」
「はい。僕には思いつかなかったことです。エリさん。貴女は、凄いです」
早速切ろうと思い、身を翻す。
すると背後から、文字通り、後ろ髪を引っ張られた。
「あの、何か……」
「ちょっと待って下さい」
言われた通り、そのままの体勢で待つ。
「もう、いいですよ」
「あの、何でしょうか」
振り返ると、エリは僕から顔をそらした。
「その、髪、切るの……。勿体ないと思ったので」
後ろ髪に触れてみると、紐で纏められているのが、分かった。どうやら結んでくれたらしい。これなら、切る必要もない。
「それなら、邪魔ではないでしょう?」
「はい。その、エリさん……、ありがとうございます」
「いえ、別に……。あの、リンさん」
「何ですか」
「リンさんは、いつまでシハルにいるご予定ですか? 具体的には、明日は暇ですか?」
「そうですね、特に予定はありません」
「でしたら、その……。少し私に、付き合って欲しいんですけれど」
おや、と意外に思う。エリは僕を嫌っているのではなかったのか。今のやりとりで、何かが変わったのかもしれない。
「構いませんよ」
用件は分からないが、待ち合わせの約束だけして、その場を跡にした。
適当な食堂で昼食をとってから、陽が沈むまで、街を散策した。流石にすべてを回るのは無理だったが、どれも興味深い。雑然としているようでいて、かなり計算された建物の配置をしているのが分かった。
宿に戻ってもカーラはおらず、いくつか浮かんだ質問は、訊けずじまいだった。機会があれば、明日エリに訊いてみようと思う。