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風通しのよくなった扉から、ゆっくりと誰かが入ってくる。
灰色の襤褸を纏った姿。恐らく、男。
他の客は、武器を構える者と、椅子に座ったまま硬直する者との、二種類。
男は真っ直ぐ、一番奥の席へ向かう。
客、というわけではないだろう。
「ヒルデ」
男が、呟くような、低い声で言う。
「出てこなければ、店の客すべて、灼き殺す」
カーラが息を呑む。
「お知り合いの方ですか?」
「お知り合いも何も……、ヒルデ様は、ここの領主様よ」
「なる程。しかし、そのヒルデさんに、何か用があって来たのでしょうか」
「リン、貴方ね……。今は説明してる時間はないわ。とにかく、助けないと、かなりまずいことになる」
「まずいこと、ですか」
「ええ。だから、力を貸してくれない?」
話している間も、男は奥へ一歩一歩進んでいく。見ると、その先の席に、武装した男たちが壁を作っているのが見えた。ヒルデを守っているのだろう。
「力を貸す、と言われましても……。どのようにすれば?」
「ええとね、その。他力本願で申し訳ないんだけど……。リンがあいつを倒してくれない?」
「僕が、ですか」
「そう。あの男の魔力量、パッと見た限りだと、たぶん、私を含めてこの店にいる誰も敵わない。貴方を除いてはね」
マリョク領とは何だろう、と首を傾げる。何故ここで領地の話になるのか。
「それに……、そう。あの男なら、貴方を殺せるかもしれないわ」
「そうですか。そういうことであれば」
鞘を外しつつ、槍を片手に、男の前に出る。
「僕を、殺してくれますか?」
「貴様に用はない」
「それは知っていますが……」
右手は上から、左手は下から槍を握る。
下段に構える。
男を観察する。
腰に剣はなく、槍も弓も構えていない。短刀をどこかに隠しているか。無手遣いの可能性もある。
「そいつ、魔法遣いよ! 気を付けて!」
カーラの声が響く。
だから、マホウとは何なのだ。
屋内、加えて辺りには机と椅子が散乱。槍を短く持ち直す。槍の持つ距離の利は、ほとんど活かせない。
左足を前に半身で構える。まだ間合いではない。
男は特に身構える様子はない。マホウとは、自然体で使える武具なのか。
覚られないよう、槍を持ち替える。右手も、下から包みこむように。
斬撃主体。防御の構え。
「邪魔をするのなら……」
男が無造作に右腕を上げる。大きな隙が生まれる。それに合わせて、槍の狙いを修正。
「灼け死ね」
赤い球が浮かぶ。
いったい、何だ。
彼の腕の動きに合わせて、飛んでくる。
恐らく、避けた方がいい。
一発目二発目、頭へ来る。決して早いとはいえない。首を傾けて躱す。
耳元を、熱気を伴った轟音が通り過ぎる。軽く肌が焦げた気がするほどの熱量。
背後から爆音。確認する余裕はない。
三発目、胴体へ。速度は変わらず、遅いまま。
右斜め前へ、足を滑らせ躱す。同時に間合いを詰める。
のこり、半歩で射程内。
四発目、再び頭狙い。
五発目、頭狙いと見せかけて、恐らく脚。結局、速度はどれも同じだった。
どちらも身を捻って、躱す。さらに、半歩詰める。
赤い球――火球はもう浮かんでいない。一体何だったのか、あれは。考える暇はないが。
敵は間合いにいる。下から上へ斬り上げる。
太腿を浅く斬った。致命ではない。
敵は僅かに後退。間合いを離す。
男が腕を振り、右手に短刀を、逆手で握り込んだ。やはり、これが本当の武器か。
槍を中段に。穂先が相手の臍を向くように。
彼の身体が沈むと同時。来る。
左後ろへ下がる。
最初の二撃を柄で防ぐ。やはり近距離での槍は不利か。敵の短刀の振りも速い。
喉元への一撃を、上へ弾く。敵に若干の隙ができる。
反撃。
斬撃を下へ、再び上へ。
躱される。微かに頬を斬ったのみ。動作が俊敏。
敵は再び後退。短刀を低く構える。
膠着状態が生まれる。隙はある。が、まだ室内状況を掴みきっていない。下手に動けば、こちらに隙ができる虞れもある。
敵の顔を見る。彼の視線は、どこに向いている?
ゆれる双眸。だがあれは、穂先にのみ注意を向けているか。
穂先を小さくまわす。
相手の視線が揺れる。
今。
槍を引く。
手元で反す。
石突を振り下ろす。
しなる槍。防御は間に合わないはず。
脳天へ直撃。
彼は、二三歩よろめき、俯せに倒れた。泡を吹いている。
近付き、心臓を突こうとして、少し考える。
ここで殺す意味はあるだろうか。さきほどカーラは、この男の狙いは領主だと言った。であれば、この男を尋問なり拷問なりする必要があるのでは。
つまり、男の足を破壊して、逃走を防止するに留めておくべき。そう考え、膝裏の腱を切断。男は一瞬痙攣したが、眼は覚まさなかった。意識を戻されると煩そうなので、ありがたい。
ようやく、背後を振り返る。
先程の球が着弾した辺りに、もう壁はなかった。ほとんどが残骸となって崩れ落ち、黒く炭化し、所々音をたてて煙をあげている。もはや木材としての価値はない。かなり強力な炎によって焼かれたらしい。その向こうには、外の路地と、青い空がよく見える。
風通しが良い。
店内に冷たい風が吹き込んで、焦げた臭いが鼻を衝いた。呼吸を止める。
あれを喰らっていれば、自分もこうなっていた。
なる程、これがマホウか……。
しかし、対人戦闘では、牽制以外には、余り意味がないようにも思える。
何しろ、遅い。一度に大量の数を飛ばさなければ、たやすく躱されてしまうだろう。大量に飛ばしたとしても、この男のように、五個を別々に飛ばしては意味がない。とにかく遅いというのは、こういった白兵戦では致命的な欠点。
この男が五個を飛ばす間。槍ならば間合いを詰め、二十は突きこめる。
或いは……。
一対多の戦闘。特に、合戦でならば、一定の威力を発揮するかもしれない。もしくは、先程男が言っていた通り、戦闘意欲のない、多数を鏖殺する場合にも有効か。とはいえ、色々と条件が整わねば、やはり無用の長物と化しそうではある。
こういうことか、と思う。ゴブリン三体を相手取る場合、マホウは恐らく、有効な一手となり得る。エリが僕にそれを使えるか、と尋ねたのも、まあ頷ける。最適解かどうかは、別にするとしても。
だが、この場でとる戦法としては、甚だ不合理だったように思う。特に、マホウと短刀を同時に使わなかったのは謎だ。魔法を放って相手の行動を制限し、そこに武器で襲いかかる――というのが、普通の戦法になると思われるのだが。
そこまで考えたところで、ふと気づいた。
カーラは、この男が僕を殺してくれるかもしれない、と言った。しかし、この男に僕が殺されては、ヒルデさんとやらを、助けられないではないか。
嵌められたか、と思ってカーラを見る。彼女は、机の下から這い出て、笑顔でこちらに手を振っていた。