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カーラが扉を開ける。
建物の中には、ひろびろとした空間が広がっていた。
手前に、机と椅子がいくつか並んでおり、何人かの男たちが談笑している。奥には、とても横に長い机が設えてあり、その向こう側にも何名かが座って、紙を捲っている。これが、冒険者組合、というものらしい。
カーラが何も言わずに歩いていくので、慌てて随いていく。途中、談笑している男たちが、こちらを睨んだが、殺気は感じなかった。
長い机の、一番左端へ着いた。
「あ、カーラさん。どうでした、調査の方は?」
「それがもうね……」
カーラと、職員と思われる女性が話しているが、何を言っているのか、よく分からなかった。仕方がないので、机を観察する。何枚かの板を、張り合わせたものかと思ったが、それにしては継ぎ目がない。恐らく、一本の巨大な木から、切り出したのではないか。
「――ちょっと、リン。どうしたの?」
「いえ。こんなに長い机は、初めて見ました」
「はあ……。で、この人が今の話に出て来たリン」
「そうですか。ゴブリン三体を、一瞬で……」
そう言った彼女の方を、じっと見る。若葉色の長い髪をしていて、目元もほとんど隠れている。眼を覚ましてから、変わった髪色の人間ばかりだ。前髪の隙間から覗く眼は、こちらの内面を透かし見ているようだ。カーラがそれを見て、
「ちょっと、私が嘘を言っているとでも?」
「い、いえいえ。ですが、変わった風体の方ですから……。あ、失礼しました。私、当冒険者組合職員の、エリといいます。その、リン……さん?」
「はい。リンです」
「ええと、その、組合証を持っていらっしゃらない、ということですが……」
「ちゃっちゃと作ってよ。くどくどしい説明なんかは、私がやっておくから」
カーラが脇から口を出す。僕としては、そもそも組合証が何なのか、よく分かってない。
「はあ……、分かりました」
「じゃあ、私はこれを換金してくるから。後で落ち合いましょ」
カーラは、ゴブリンの足の入った袋を軽く叩くと、机の右の方へ歩いていった。
「では、そのリン……、さん。いくつか、質問をさせていただきますね」
「分かりました」
「まず、お名前は?」
「リンです」
「……あの、それだけですか?」
「はい、そうですが……。何か問題があるでしょうか」
「い、いえいえ! 別にそういうわけでは……。えっと、主に使われる武器なんかは――」
エリは僕の持つ槍をちらりと見て、「槍、ですよね?」と上目遣いに尋ねた。
「はい。槍ですね」
「これまで、冒険者として活動された経歴はありますか?」
「ありません」
「えっと、ご出身は、どちらの方ですか? かなり、その、遠方の方だと、カーラさんはおっしゃっていましたが」
「チクシです」
「チクシ? ……ごめんなさい。寡聞にして、初耳の地名です」
「謝る必要はありません。僕も、シハルというのは、初めて聞く名でした」
そう言うと、エリは微妙な表情になって、黙り込んだ。
「どうかしましたか?」
「……いえ、なんでも。ええと、ゴブリン三体を一瞬で倒した、とのことですが」
「一瞬、というのは大袈裟かと思います。恐らく、一秒前後かと」
「あ、はい、そうですか……。では、どのような魔法をお使いに?」
「マホウ?」
マホウとは、何だろう。
話の流れから考えるに、武器の名前、或いは、武術の流派の名前か。
何にせよ、聞いたことがないのなら、自分は使っていないということだろう。
「いえ、マホウは使いません」
「え? じゃあ、どうやってゴブリンを倒したんですか? ……その、一秒前後で」
「ですから、この槍で」
「その槍で、ゴブリン三体を、同時に倒せるんですか?」
「倒しました」
エリは、顔を顰めて、暫く僕の顔を睨んでいた。やがて彼女は、「はあっ」と溜息を吐き、
「ま、そういう態度なら、そういう風にこちらでも処理します。カーラさんの話が本当なら、中級から始めてもいいかと思いましたが、貴方には初級から始めてもらいます。級外にしないのは、カーラさんの顔を立てて、ですからね? それで宜しいですね」
そう言われても、何が宜しいか宜しくないかなど、僕には分からない。カーラの方を見たが、彼女はそこにいる職員と、何やら話している様子。
「分かりませんが、それでお願いします」
「……はい」
エリは、机の下から、小さな水晶玉を取り出した。彼女が小声で何やら呟くと、その水晶は薄青色に発光し、やがて透明な板が出て来た。表面には、木目のような模様がついている。いったいどういう仕組みになっているのか、と観察したが、水晶玉はすぐに机の下に仕舞われてしまった。
「それが、冒険者組合証になります。発行代金はゴブリンの討伐報酬から差し引いておきます。失くさないように、気を付けて下さいね」
「分かりました」
どうしたものかと考え、取り敢えず懐に入れる。
「あ、終わった?」
カーラがこちらへ歩いてくる。
「はい、組合証というものを戴きました」
「じゃあご飯食べに行こう、ご飯。お腹空いたでしょう?」
言われて、多少の空腹に気付いた。いつから食事をしていないだろう、と考える。
僕があの町からここに来るまで、大分時間が経っているはずだ。その間僕は、どう食事をしていたのだろう。そもそも、ここは何処なのか。
再び、喧噪の中を、カーラに随いていく。
何度か右と左に曲がって、食堂と思われる店に入った。
「何か食べたいもの、ある?」
カーラはそう言ったが、品書きの文字がまず読めない。素直にそう告げる。
「あ、ごめんごめん……。じゃあ、私のお薦めでいい?」
「構いません」
「了解了解」
運ばれてきたのは、肉で出来た何かしらの料理と、木の実らしきものが盛られたお盆と、薄茶色をした、粉の付いた何かだった。
「これがウィルクの甘辛焼き」
カーラが、肉で出来た何かしらの料理を指差す。
「これが乾燥ツクツク」
木の実らしきものが盛られたお盆。
「それと、パン」
薄茶色をした、粉の付いた何か。
「さ、食べて食べて」
カーラは、説明はそれで終わりだと言うように、さっそくパンというものに齧りつく。僕は、どれをどう食べればいいか、分からないので、取り敢えず彼女の真似をする。特に、毒は入っていないようだ。
「で、リン。何級になったの?」
「何級……、ああ、確か、初級と言われましたが……」
「え? 何で?」
「何で、と言われましても……」
「だって一人でゴブリン三体を一瞬よ? 私が中級なんだから、せめて中級。うまく騙せば上級だっていけるようなものなのに……」
「よく分かりません」
「ああ、そっか……。ううんとね、この組合は、例のゴブリンみたいのを狩って、みんなお金を稼いでるんだけど、どれくらい強い敵を倒せるかというので、級分けされてるのね。級外はゴミ。初級が人間より小さい敵。中級が人間大の敵。上級が人間を超える敵で、超級がバケモノってな具合にね」
「ならば、ゴブリンを倒した僕は、初級に入るのではないですか」
「ううん、ゴブリンは例外なのよ……。大抵の魔物と違って、連中、知能があるし。群れる習性も厄介だしね」
「そうですか?」
ゴブリンとの戦闘を思い返す。特に、厄介な敵とは感じられなかった。
「知能は別にしても、速度も、膂力も、同じ背丈程度の子供と、さほど変わらないように思いましたが」
「あのねぇ、三人の子供が武器持って、本気で殺しに来たら、多少腕に覚えのあるやつでも、あっさり殺されるからね?」
「……そうでしょうか」
「そうなの」
カーラはそう言って、パンを呑み込んだ。
店の扉が吹き飛ぶ。
やけに乱暴な扉の開け方だな、と思って見ていると、無理やり机の下に引きずり込まれた。
机の下に伏せるような姿勢になる。僕を引っ張り込んだカーラと、目が合った。
扉が、店の反対側の壁にぶつかり、床に倒れ、耳障りな音をたてた。