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少女は、カーラと名乗った。僕を殺してはくれないと言う。
「でも、驚いたぁ。どうやって倒したの、あのゴブリン?」
「ごぶりん? 先程の、緑の肌をした、小さな人間のことですか?」
「え? うん、そうだけど……。何? 知らないの、ゴブリン」
「はい。初めて見ました」
「うっそ……」
「本当です」
「ああいや、別に疑ってるんじゃなくってさ……。でも、どこにでもいるからね、あいつら」
「どこにでも?」
辺りを見廻すが、特に、ゴブリンの姿は見えない。見ると、カーラがくすくすと笑っていた。意味は、よく分からない。
「あの、食べるんですか?」
「……え? 何を?」
「ゴブリンです」
「ご、ゴブリンを……? ふふ、え、どうして……?」
ついに、カーラは腹を抱えて、笑い出した。そんな大声を出しては、またゴブリンが出るのではないか、と心配になる。
「ですが、先程、足を取っていました」
「ああ、これのこと?」
カーラが、血の染みついた布袋を持ち上げる。彼女が、ゴブリンの遺骸から、足を切り取ったものだ。
「これはね、ゴブリンの討伐証明に使うの。ほら、この足の甲のところに、大きな瘤がついているでしょう? これでゴブリンを倒したって、分かるわけ」
「分かると、何かいいことが、あるのですか?」
「いいことも何も……、私、これで生計を立ててるんだから」
「なる程、お金がもらえるのですね?」
食べるためでは、ないらしい。確かに、食べるためならば、ゴブリンよりも他の動物を殺した方が、効率が良いだろう。ということは、ゴブリンは害獣の類なのかもしれない。
「そういうこと……。まあ、今日の稼ぎは貴方の物だけどさ」
「何故ですか? それは、カーラさんの稼ぎでは?」
「いやいや、倒したのはリンの方なんだし。リンの稼ぎでしょ」
「ですが僕は、ゴブリンの足を、お金に換える方法は、知りません」
「簡単簡単。組合に持って行ってこれ渡すだけなんだから」
「組合? 何のですか?」
「何のって……、そりゃ、冒険者組合よ。あなたの住んでたところにもあったでしょ? ゴブリンはいなかったらしいけど」
「すみません、あったかもしれませんが、知りません」
「え、嘘……。あなた、どんなド田舎から来たわけ? ゴブリンも組合も知らないって……」
「他の町を見たことがありませんから、田舎かどうかは……」
「ううん……。じゃあ、私がお金に換えたげる。そのあとどうするか、二人で考えましょ。ほら、もう見えてきた。あそこが北門」
カーラが指差す先では、森が開けて草原になり、その更に奥には、巨大な壁が聳えていた。
大きな石組の壁。屋根は見えないので、巨大な家、ということではないらしい。住んでいた町の、城の城壁を、もっと大きくした感じ。つまり、城だけではなく、街全体を囲むようにつくられた壁だ。
「あれがシハル。大きくはないけど、居心地はいいところ」
「いえ、充分大きいと思います」
「ふうん、やっぱり、あなたの故郷って田舎なのかもね」
草原を、壁に向かって歩く。陽は少し傾いている。
壁に近付くと、巨大な門がついているのが分かった。門は開け放たれているが、その内側にも小さな壁があり、中の様子はうかがい知れない。
門の前には、何人かの兵士が、槍を構えて立っている。
近付くと、向こうから声をかけてきた。
「おう、カーラ。今日も死ななかったようだな?」
「はは、あんたが死ぬより前に死なないわよ。ま、珍しい目には遭ったけど……」
ぽんぽん、とカーラが腰を叩く。そこには、二つに割れた剣が収まっている。
それを見た途端、兵士の顔色は変わった。
「……じゃあ、ゴブリンの発生は」
「うん、はっきり言って、異常。浅い場所に大量にいたし、四体の群れにも遇った」
「馬鹿な。……大丈夫だったのか? っていうか、その男は?」
兵士は僕をじろりと眺めた。
「僕を、殺してくれま――」
途中まで言ったところで、カーラに口を塞がれた。
「こ、この人はリンさん。その群、あっという間にやっつけちゃったんだから」
「リン? なんか変な恰好してるが……」
「旅人みたいよ。随分な田舎から来たみたいで、ゴブリンも初めて見たって。だから組合証も、なし」
「はあ? なんだそりゃ……。ま、カーラが一緒にいるなら、変なこともできないだろうが……。さっさと組合証、作らせろよ」
「分かってるって。じゃ、行くから」
「はいよ」
ようやくカーラが、口から手を離した。彼女がこちらの腕をつかんで、先に連れて行こうとするのを、留める。
「あの……」
「何だ?」
「僕を、殺してくれますか?」
「は? ……はは、余所者とはいえ、カーラの命の恩人を、殺すわけないだろうが。この街にいる間の、あんたの身の安全は、このダングが保証するぜ」
「そうですか……」
「あんたなんかに保証される必要なんて、リンにはないっての。さ、早く行こう」
カーラに従って、門を抜ける。
「でも、その『殺してくれますか』って、何なの? あなたの住んでたところでは、それが挨拶なわけ?」
「いえ、そういうことではなく……」
事情を説明しようか、と思案しているうちに、内側の壁も抜けた。その先には、巨大な路が続いていた。ひっきりなしに馬車や人が往来し、両脇には露店が立ち並んでいる。
「ようこそ、シハルへ」
喧噪の中、カーラが言った。
人混みの中を、カーラに随いていく。前から後ろから、人々が乱雑な動きで近付いてくる。
「どう? 中央通りは、中々のもんでしょ?」
カーラが立ち止まり、僕の歩く速度に合わせて、再び歩き出す。
「中々のもんとは、人の量のことですか」
「それ以外に何があるっていうの」
「いえ……。しかし、こんなに人が集まって、何をしているのでしょう」
「何って……、まあ買い物とか、取引とか。あと、移動とか」
「そうですか」
露店を軽く眺めたが、食べ物を売っている店は、全体の半分にも満たない。食料以外に、何か買うべき物があるだろうか。これだけ人が集まる利と、それによって、襲撃が覚りにくくなる不利、どちらが勝っているのだろう。
「こっちよ」
カーラに腕を引かれ、途中で右に曲がる。途端に、露店の品ぞろえが、武器一色になった。剣、槍、弓、異様に大きな杖――これは何に使うのか分からない――、方盾、円盾に、奇妙な形をした、甲冑と思われる防具、などなど。一番よく分からないのは、頭につけるものと思われる甲冑で、完全に頭を覆う形状をしていた。あれでは前が見えないのではないか、と思われる。
「何? あれ、気に入ったの?」
「いえ、別にそうではないのですが……」
「ううん、今日の稼ぎだけだと、ぎりぎり買えるって感じ……? でも、そうすると宿代がなくなるから、我慢ね。リン、貴方お金は持ってるの?」
「持っていません」
「じゃ、駄目」
少し歩いた先に、ひときわ大きな建物が建っていた。木製の建築物。扉の上に、なにやら看板がついているが、煤けていてよく見えない。時折、武器を片手にした人々が、出入りしている。
「ここが、冒険者組合ね」
さっそく入ろうとすると、カーラがこちらの腕を攫み、耳元に口を寄せてきた。
「なんですか、カーラさん」
「いい? 入る前に言っておくけど、その『殺してくれ』っての、禁止だから。事情は知らないけどさ」
驚いて、カーラの顔を見る。彼女は真剣な面持ちをしていた。
「何故ですか」
「ここに、リンを殺してくれるような奴は――いや、殺せる奴は、いないから。いない人間を探すのは、無駄でしょう?」
「そうですか。確かに、それは無駄ですね」
シハルに入る前にも、ダングと名乗った門番が、同じようなことを言っていた。なる程、これだけ人間が集まっても、問題が起きないのは、その安全が保証されているからなのだろう。しかし、それは困ったことになった……。
「分かった? じゃ、入るよ」