19
人の流れに逆らって、門の中へ進む。歩く度、脚が痛むが、痛みを無視すれば、行動に支障を来すほどではない。多少の助けにはなるはず。
行く手を阻むゴブリンを殺す。やはり、不釣り合いに大きな剣を持っている。人間から奪ったものだろうか。
屋敷の庭は、荒れ果てている。
焼け落ちた瓦礫、窓の欠片、人とゴブリンの血と遺骸、そんなものばかり。
そんな中にあって、唯一美しいものがある。
シュリの闘う姿。
彼の周りに積まれたゴブリンの山は、益々高くなっていた。残ったゴブリンの数も、それほど多くない。
「すみません、シュリさん。加勢に来ました」
「り、リンさん! どうして……」
声をかけると、エリが顔をこちらに向けた。特に怪我をした様子はない。シュリが護っているのだから、当然か。
「エリさん。ご無事そうで、何よりです」
「シロハはどうしたね、リン君?」
闘いの手を止めず、シュリが言う。
今まさに彼に飛び掛からんとしたゴブリンを、背後から突く。抜く。次の敵を探す。
「外で待ってもらっています。一応、安全だと思います」
「そうかの。君が来てくれたなら、こっちもすぐじゃろう。問題は、そのカーラという奴じゃが……」
シュリに疲労の影はない。話す間に、四体を処理している。流石だ。無駄な動きがないから、体力も使わないのだろう。
「か、カーラ? カーラさんが、どうかしたんですか?」
「どうやら、この状況の元凶らしく。本人が語っていましたので、まず間違いないかと」
「嘘……? だって、もう何年もこの街の冒険者として……」
「よく分かりませんが、先程はこの屋敷内にいらっしゃいました。後で尋ねてみては?」
踏み込む脚に力が入らず、軽く滑る。槍の軌道を修正。どうにか心臓を突いて、一撃で殺す。少し危なかった。
意外と足の傷は重いらしい。弱音を吐いている場合ではないが……。
ゴブリンの軍勢は二つに分かれた。シュリを囲む勢と、僕を狙う勢。とはいえ、いい加減彼らは数を減らしていたし、一体一体が強くなったわけでもない。むしろ、僕とシュリの担当分が明示されたので、やりやすくなったくらい。
カーラはどうしているだろう。彼女の計画は頓挫しかけている。僕たちがこの場のゴブリンを倒しきってしまえば、加勢にやって来るという兵士は、無用になる。領主の座を譲らせる、というのも難しくなりそうだ。
そうなると、次善の策をとるだろう。つまり、諦めてカーラを殺し、自分は逃走する。そして次の領主が決まる際に、また別のかたちで画策するか。まあカーラの立場も分からない。ただ雇われただけならば、シュリの強さを見た時点で逃げ出すのが自然。
まもなくゴブリンは掃討できる。そう思い、シュリに目配せする。彼も頷いて応えた。
「リン君、こ――」
「強いなあ! リンだけじゃなく、そんな化物爺までこの街にいたなんてね」
シュリの言葉を遮って、屋敷内から声がした。
屋敷の玄関から、カーラが歩き出てくる。右手に剣。左手には、ヒルデの従者の男を引き摺っている。痙攣しているところを見るに、まだ生きているらしい。
「これは私の調査不足だったかしら?」
「……カーラさん」
「ああ、エリ! お見事ね、どうやって、そいつらみたいな腕利きを誑かしたの?」
「別に、誑かしてなんか……」
「爺の性欲に付き合うなんて、生き汚い女じゃないの。好きよ、そういう子」
シュリは眼光鋭く、カーラを睨んでいる。彼女はそれに気づくと、くすくす笑いながら、従者を地面に投げおろした。
「何をしに出てきた。カーラとやら」
「まったく、私の計画を滅茶苦茶にしてくれてさあ……」
カーラは応えず、何事かをぶつぶつと呟く。ヒルデの安否を尋ねようかと思ったが、取り込み中のようなので止めた。
しかしどうして、彼女は逃げなかったのか。シュリに勝つ術があるとは思えないが。
「でもね、あんたらはこれを見て、平気でいられるかなあ?」
「……何が言いたいのかね」
シュリの声音は、今まで聞いたことがないほど、低い。
静かに間合いを詰めたつもりだが、カーラはこちらを眼で制した。そのまま従者を見下ろす。人質のつもりか。
別に彼の生命を慮る必要はないのだが、シュリが躊躇っているので、止めておく。そもそも僕が動くより、シュリが動いた方が確実だ。
「魔法よ、魔法! 秘密のねえ!」
シュリが踏み込むと同時。カーラが剣を持っていない方の手で、従者に触れた。
途端、彼の身体が鈍く発光し始める。一時は、まともに直視できないほど。シュリも接近する脚を止め、その様子を見守るしかない。
光の薄れた先。犬歯を見せて笑う、カーラの下。
そこには既に、気絶した従者の服だけが遺り。
倒れている身体は、呻く緑色の小人。
それはゆっくりと立ち上がり、近くに落ちていた剣を攫む。
「――彼らを、殺しなさい」
カーラの言葉。命令。それに弾かれるように、行動を開始。
二度三度首を振り、僕たちをその視界に認め。
人ならざる喊声を上げ、剣を振りかざし、飛び掛かってくる。
ゴブリン。
僕は槍を構える。
なる程、人間をゴブリンに変えていたのか。であれば、シュリの疑問にもある程度、説明がつけられる。人間をゴブリンに変えれば大群が用意できるし、元が人間ならば、人語も解すだろう。命令を聞かせるのも、それなら可能になるのかもしれない。謎が解けて、すっきりした。
だというのに、何故かシュリは茫然と口を開けた。
「な、人間が――?」
「そうよ? あんたたちが今まで屠ってきたのもねえ、みいんな、元は人間よ?」
「じゃ、じゃあ……、最近の、冒険者の行方不明は……」
「御名答! なかなか鋭いじゃない、エリ」
ゴブリンは僕ではなく、カーラのより近くにいたシュリに、狙いを定めたらしい。しかしカーラの行動には、未だ謎が残る。今更ゴブリンの一体や二体増やしたところで、劇的な効果があるとは、とても思えない。
まあ取り敢えずは、カーラを取り押さえるべきだろう。
「シュリさん、カーラさんを捕まえ――」
「む、無理じゃ」
「え?」
「わ、儂は、無辜の民を、ずっと……」
シュリの手から、槍が落ちる。
体力切れのようには見えない。向かって行くゴブリンが、特別強いようにも見えない。見る限り、あの従者と知り合いだったというわけでもないだろう。
なら、どうして槍を放棄する? 何故、戦意を喪失する?
背後にはエリを護っているのに。シュリは一体、何を考えているのだ。
あまりにも、無駄な動作ではないか。
彼の許へ駆ける。しかし、脚の傷のためか、速く走れない。いや、脚が万全だとしても、この距離を詰めるのは――。
ゴブリンはそのままの勢いで、シュリの首を袈裟に切り裂いた。
仰向けに倒れるシュリ。
しかし彼の身体は倒れ切らず、背後にいるエリに、抱き留められた。
「え? なに、これ? おじい……、ちゃん?」
シュリの身体が痙攣する。絶命は必至。もう助ける術はない。
ゴブリンが呻る。狙いは即座に、エリへと切り替わっている。
首から噴き出るシュリの血を全身に浴びて、彼女には何も見えていない。
踏み込む。接近する僕に気付いて、ゴブリンが足を止める。これは好都合。
やや前のめりになりながら、敵の胴体を串刺した。
エリの方を見る。当然、彼女は無事だ。彼女の抱えるシュリが、ぐにゃりと地面に滑り落ちる。まもなく、彼は死ぬだろう。
「あ……、え……」
エリの瞳は揺れていた。棒立ちになり、先程までシュリを抱いていた両手を見つめている。血で真っ赤に濡れていた。
仰向けのシュリは懸命に、口を動かそうとしている。ゴブリンの斬撃が多少浅かったのか。致命傷に違いないとはいえ。
僕は屈んで、彼の口元に耳を寄せた。シュリは何か言おうとして、吐血する。
「……だな、……を」
「はい?」
「む……だ、が……」
「分かりません。何を――」
言い掛けたところで、シュリが突如眼を見開き、僕の衿を引き寄せた。死に体とは思えぬ力強さだった。
「蟲……、の神髄……」
次の瞬間、シュリの眼から光が失せた。
同時に、僕の衿を攫む腕から、力が抜ける。
衿から彼の右手を外す。皺だらけの、硬い掌。鬼の如く槍を操った、達人の手。僕よりも圧倒的に強い者の手。既に何の力も籠っていない手。
その後には、なにも遺らない。
それがシュリの死だった。
シュリの死顔を一瞥し、立ち上がる。穏やかな顔でも、怒りの顔でもない。いつものシュリの顔。
「おじいちゃん?」
振り向くと、門の陰にシロハが立っている。彼女はシュリの許へ、ふらふらと歩み寄ろうとしていた。
カーラは何もしてこない。ただ楽しそうに剣を弄び、こちらを見ている。確かに、シュリという障害を排除できたのは、彼女にとって望外の幸運だろう。しかし、どうしてシュリはあんなゴブリンに倒されたのか。
考えている暇はない。
カーラのいる限り、相手は無限にゴブリンを造れる。いくら弱いとはいえ、これでは鼬ごっこだ。一刻も早く、彼女を叩くほかない。その為には、ここにエリとシロハがいては危ない。何としても、彼女達をここから遠ざけねばならないが……。
「エリさん」
頬を叩いて、虚ろな瞳をしている彼女に、喝を入れる。彼女の眼に光が戻った。ぼんやりとした顔はそのままだが、こちらの声に反応している。
「ここは危ない。シロハさんを連れて、逃げて下さい」
「でも、お、お爺ちゃんが……」
「シュリさんの遺体は後で回収できます。まだここにはカーラさんが――」
「い――いや!」
「お願いします。このままでは、全員死ぬかもしれない。エリさんも、シロハさんも……」
エリは沈黙した。だが、その眼には正気が戻っている。現実を理解しているはず。
彼女はもう、シュリの死に、慣れてしまったのだ。
「……分かりました。でも、リンさん貴方は」
「大丈夫です。保証はできませんが」
彼女は無言で首肯し、覚束ない足取りで、門の外へ駆けて行く。途中でシロハを抱き上げるのが見えた。シロハはなお何かを叫んでいたが、やがてその声も遠ざかり、聞こえなくなる。




