15
「僕も冒険者です。ゴブリンを倒しに行くべきでは」
「いえいえ、今はお客様ですから。そんなお願いはできません」
爆音は聞こえなくなったが、煙の数は増えている。何かが割れる音に、甲高い悲鳴。ヒルデはそれを聞きつつも、椅子に座って、静かに紅茶を啜った。
そうだ、エリは大丈夫だろうか。いや、エリはシロハと共に、シュリの許にいるはず。であれば大丈夫だ。シュリがゴブリンに負けるはずはない。恐らくあの小屋が、この街で最も安全な場所。
他に心配なのは、コフィー。何だかんだと宿では世話になった。あの宿は北門も近い。恐らく他の宿泊客が護るのではないかと思われる。しかし気になるのも事実。ヒルデはここにいるよう言ったが、どうにか様子を見に行かせてもらえないものか。
僕がそわそわしているのをどう見たか、ヒルデが優しく、
「御安心下さい、リンさん。この屋敷は安全です。恐ろしく堅牢な造りをしていますので」
「いえ、僕は別に――」
「堅牢な造りぃ?」
声を上げたのは、カーラだ。聞いたこともないような声音。何故か満面の笑みを浮かべている。
やや面喰いながらも、ヒルデが首を傾げた。
「どうされました、カーラさん」
「いえいえ、ヒルデ様。別にどうってことはないんですけどね。しかしこの屋敷が堅牢な造り、とはどうにも思えませんので」
「大丈夫ですよ。この屋敷ばかりは石造です。周りは高い塀に囲まれ、壁も分厚く作ってあります。ゴブリンの侵入する余地はありません」
「へえ、そうですか? その割には――」
「その割には、何ですか?」
カーラは首を振って、片目を瞑る。そして。
階下から悲鳴が届いた。連続する足音。それはこの部屋へ向かっている。カーラは立ち上がり、扉に近付いた。
扉の横に控える従者が、腰の剣に手を当てつつ、
「貴様何を――」
「はいはい」
カーラは面倒くさそうに手を振り、剣を執って、従者の胸を刺し貫いた。
従者は一度血を吐いて、床に倒れ伏す。カーラが剣を抜くと、床に血だまりが広がった。
部屋は静寂に包まれる。
「カーラさん、貴女――」
ヒルデが言い掛けたのを、カーラは手で制す。そして、柔らかな口調で、
「そりゃ、自分より民の生活ってのは、御立派な志ですよ? でも、ねえ? 屋敷の修繕すらしないってのは、ただの馬鹿ですよ。首が死んだら、末端も死ぬって分からないんですか? だからこうやって――」
扉を開く。その向こう。廊下には、緑色の小人。
ゴブリンがひしめいていた。
「簡単に侵入されるんですよ。塀も壁も護衛も穴だらけ。一体、どこが安全だというのやら。――おい、動くな」
カーラに睨まれて、僕は槍へ伸ばしかけた手を止めた。さて、一体全体、これはどういう状況なのか。
不思議なことに、廊下のゴブリンは僕たちを見ても、攻撃してこない。それどころか、カーラの命令を待っているように見える。いや、彼女の口ぶりから察するに、実際に待っているのだろう。
「御安心下さいな、ヒルデ様。住民を鏖になど致しません。殺戮も、破壊も、ほどほどにしておきますから。そうでないと、この街を奪う意味がない」
「私の命が狙いなら――」
「住民は見逃せと? それはできない相談ですね。それにヒルデ様。貴女を殺すつもりだってないんです。つまり、こうです。貴女の無能でシハルはゴブリンに襲われてしまう。もう駄目かと思われたその時! 偶然街の近くを巡回していた、正義の兵士が颯爽登場! 貴女と住民は泣いて感謝し、この街の支配権を然るべき後任に譲る。そういう筋書きですね。多少雑ですが、言い訳としては悪くないでしょう?」
「そんな……。じゃあ北門は」
「勿論、私一人でやってるんじゃありませんからね。ダングって知ってます? 北門の門番なんですけど」
門番が何人いるのか知らないが、まあ不意打ちできれば、壊滅状態にも追い込めるだろう。ヒルデは悔しげに、カーラを睨め付けた。
「そんな恐い顔しないで下さいな。そのままそこに座っていてください」
カーラは鏡を取り出すと、窓の外に向かって、光を照射した。協力者に向かって、何かしらの合図を送ったのだろう。さきほど彼女が窓外を見たのは、仲間へ合図を送るためだったのかもしれない。
カーラが中々に分かりやすい解説をしてくれたお蔭で、概ねの状況は理解できた。が、疑問もある。
「すいません、質問しても?」
「なあに、リン」
「その、攻め入っているのは、皆ゴブリンなんですよね?」
「ええ、そうよ。人間だと余計なことを喋りかねないからね」
「でしたら、冒険者や騎士がすぐに倒してしまって、この街に被害を与えられないのでは? ゴブリンに北門を破られたという説明も、信憑性がありません」
「ああ、それも心配ないわ」
「何故でしょう」
「何故って、貴方ね。ゴブリンを一瞬で倒しきれる冒険者なんて、私やダングを除けば、この街にはリンしかいないもの。だから予定を変更してまで、ヒルデと貴方を一緒に封じたの。大変だったのよ。大急ぎで刺客を呼んで……」
「……待って下さい。あの暗殺者を呼んだのも、貴女なのですか」
ヒルデが横から口を挟んだ。
「ええ。あれは貴女向けじゃなく、リン用だったんですよ? リンが計画の障害になるか、見極めるためのね。闘ってリンが殺されるのならそれで良いし、殺されないのなら、ほら。ヒルデ様と一緒にいるところを、こうして抑える作戦をとればいいでしょ?」
「ということは、あの男が拷問死したのも――」
「当然、私の差し金ね。どう、分かった、リン?」
「ええ、一応は」
頷いたが、そもそも僕はそれほど強くない。街は広いのだし、探せば僕より強い人間などいくらでもいるはず。少なくとも、カーラがシュリの存在を知らないことは確かだ。
さて、どうしたものか。カーラの目的が達せられれば、僕もヒルデも、解放されるだろうか。ヒルデは大丈夫だろう。しかし、僕はどうか。
僕を生かしておいても、行く先々でこの真実を喋りかねない、と考えるのでは。喋ったところで誰も信じないだろうが、それも確実ではない。不安要素は残したくないだろう。それならいっそ、殺すのではないか。
別に僕など、親族も何もいないのだし、こっそり殺したところで不審がる人はいまい。であれば、彼女がそれを躊躇う理由などない。そう考えるのが自然。勿論、殺されるのは構わない。しかし、まともに立ち合えないまま殺されては、相手が自分より強いか分からないではないか。それは少し困る。
ここは逃走するべきだろう。
幸い、カーラはまだ、扉の付近に立っている。
槍を攫む。扉と反対側の窓に向かって走る。
「おい、何をして――」
言葉を無視して、身体ごと窓に突っ込む。予想通り、窓は砕ける。そのまま外へ。
応接間があるのは二階だ。地面に叩き付けられると同時に、受け身をとる。衝撃に息ができなくなるが、止まっているのは危険。すぐさま走り出す。飛び道具を警戒。右前へ二歩ずつ、左前へ三歩ずつ走る。
短刀が真横を飛んでいく。魔法を使われた気配はない。
屋敷を取り囲む塀が見える。槍を地面に突いて、その反動で飛び越える。再び走る。追撃はないらしい。
まだこの付近へは、侵攻が進んでいないのか、ゴブリンの姿はない。時折逃げ惑う人の姿がある。屋敷へ向かっているのだろう。しかし今は自分の身が優先。
この街から脱出する余裕はない。脱出したところで、地図も旅支度も宿に置いてあるのだ。野垂れ死には必至。この街のどこか安全な場所に身を隠すべきか。
そう、安全な場所だ。つまり、シュリの小屋。
とにかく走る。戦闘音や悲鳴が聞こえてくる路は避ける。ゴブリンなら簡単に倒せる。が、問題は数が分からないこと。数十体程度なら恐らく余裕だが、数百体を相手にするなら、分からない。独りの僕では、体力切れに陥る可能性もある。以前もそれで死にかけたのだ。
街は、僕の住んでいた町に、他国の兵が攻めてきた時と、概ね同じ状態にあった。男性が殺され、女性が犯されている。尤も今回は、敵は言葉を話していないのが違うか。
林の近くへは、まだゴブリンも来ていない。この先にはシュリの小屋しかないのだから、そもそも攻める予定はないのかもしれない。
そろそろ歩いても大丈夫かと思い、足を緩める。林道を歩きつつ、息を整える。
林を抜けた先。シュリの小屋の前には、シュリとシロハが立っていた。
「おおい、リン君。一体何が起きとるのかね。大火事かね」
「いえ……。まあ火事が起きているに違いはないのですが……。ところで、エリさんは?」
「エリ? 君に会いに行くと言って、朝に街へ出掛けて行ったきりじゃが……」




