12
早く食事が運ばれてこないものかと、店の奥に目を遣る。すると、それを見計らったかのように、器用に三枚の皿を持った男が現れた。
机の上に、一つひとつ配膳される。湯気と共に、芳しい香りが漂ってきた。
具体的に何かは分からない。とにかく、肉料理と、果実と、パンである。
「……リンさんは、変わりませんね」
半分ほど平らげた頃、ぽつりと、エリが呟いた。
僕は食べかけていた肉料理から、顔を上げる。
「何がですか?」
「何もかも、です」
変わらない――つまり槍の技術が向上していないという意味か。いや、何もかもとは、どういうことだ。
「私の正体を知ってなお、本当に何も変わりません」
「正体?」
何が何やら分からず、エリの顔を見る。彼女は、あの時と同じ表情をしていた。突然に泣き始めた、あの時と。
つまり、マホウも使えない劣等エルフ、というのが関係しているに違いない。
しかし――、
「誤解の可能性があります」
「え?」
エリが目を丸くする。
「エリさんは今、正体が云々と言いましたよね」
「ええ、だから私は魔法の使えない――」
「エルフ、ということでしたが。でも僕は、実のところ、マホウもエルフも、その二つの関連も、何も知らないのです。ですから僕が変わらないのは当然ですし、それでエリさんが嬉しいのであれば、それは誤解でしょう」
「知ら――ない? 魔法も、エルフも?」
「はい。いえ、こちらに来てから、何度かマホウという言葉は聞きました。ですが具体的にそれが何かは知りませんし、エルフに至っては、聞いたこともありませんでした」
「そう、だったんですか……」
エリは肩を落とした。燈に照らされた彼女の翳が、後ろの壁に大きく映った。
しかしすぐ、彼女は顔を上げた。
「え、でも、リンさん、エルフが何か知らなかったんですよね?」
「はい」
「だったら、私のこの耳を見た時、どう思ったんですか?」
そう言って、前と同じように耳を見せてきた。白くて、長い耳。
「どう、と言われましても……。初めて見る耳の形だなと」
「気持ち悪いとか、変だなとか、思いませんでした?」
「いえ。長い耳だとは思いましたが……」
それ以外に、何を感じろというのか。
「そうですか。じゃあやっぱり、リンさんはそういう人なんですよ」
エリはどうしてか微笑を浮かべた。
彼女が何を嬉しく思い、何を悲しく思うのか。僕にはやっぱり、分からない。
「良ければ、説明しましょうか? 魔法と、エルフについて」
「お願いします。あ、でも、あまり難しい説明は……」
「大丈夫ですよ。私だって、それほど詳しいわけではありませんから」
エリは皿の隅に残ったパン屑を、指で集めた。
「魔法とは、なんでも生める力のことです」
わけが分からない。なんでも生める? つまりどういう意味なのか。こういう時は、疑問に思ったことから質問する。
「力? 技術ではなく?」
「いえ、勿論技術がなくては使えませんが、本質的には力ですね」
「しかし、なんでも生める――というのは」
「火、水、風、無――。魔法はあらゆる物の源泉と言われています。まあ、詳しいことは私も知らないんですが……。例えば火を出して攻撃したりとか、無を出して物を消滅させたり、とか。さっき使っていた雨避け石だって、石の上に空気の壁を生むことで、雨を防いでいるそうですし」
「はあ、なる程……」
分かるような、分からないような。自分の頭では理解しきれないかもしれない。
「それでまあ、何でも生めるんですから、その技術を高めれば、大抵のことはできるんですよね。出した火をまとめて、遠くに飛ばせるようにするとか。勿論、工程が複雑になれば難易度も高く、魔力も多く消費するそうですが」
「あの、魔力というのは?」
「何と言えば良いか……。その、何かになる前の、何にでもなれる力のことです。生物の体内を巡っていて、体力みたいな、その……」
「ああ、何となく分かりました。体内にある魔力とやらを、火や水に換えて、外に出すんですね?」
「そう、そうです! すみません、分かりにくくて……」
「いえ。しかし……」
しかしそれは、強すぎではないか。槍など全くお呼びでない。敵が間合いを詰めて来たところに火を生めば、余裕で勝てる。いや、無を生めるという話だから、そもそも武器が役に立たない。どんな攻撃が来ようと、当たる瞬間に敵の武器を消滅させれば良い。
何故あの男は、あんな下手な魔法の使い方をしたのか……。
それとも、そういった使い方をするのは、かなり難しいのか。
「――その力の変換の為に、魔方陣というものを使うんですね。そこに描かれた式に従って、魔力が変わるわけです」
なおもエリは説明を続ける。また妙な単語が出てきたが、取り敢えずそれは置いておくとして。
「あの、一つ訊きたいんですが」
「何でしょうか」
「例えばですね。爆発する火球を飛ばす、みたいな魔法を使うには、どれくらいの時間がかかりますか?」
何となく、店の扉を見る。誰もいない店内に、刺客が来ることはないだろうが。
「え? さあ、そうですね……。そもそもそんな魔法を使うのは、相当熟達した魔法遣いでないと無理でしょうし、それに……。うん、魔方陣を描くのにも時間がかかるでしょうね。でもまあ、一流の魔法遣いなら、一秒弱くらいかな」
一秒弱――遅い。戦闘時にそんな、悠長なことをしている暇があるのか。やはりあの男は、戦闘慣れしていなかったか、あくまで示威行為として、魔法を使ったのだろうと、想像できる。
「それで、戦闘時には有効なのですか? そんな物をいくら浮かべたところで……」
「いやだ、リンさん。複数浮かべるなんて、そんな滅茶苦茶なことされたら、誰も勝てないでしょう。できるのはせいぜい、大魔法を得意としている上級以上の冒険者くらいで……。まあ、それくらいの方の対人戦になると、そういった魔法の打ち合いや、魔方陣の書き換え合いになるとそうですが」
「上級、というのはあれですか。人間を超える敵を倒す?」
「ええ。超級になると、龍をも倒す実力だと言われています」
龍――見たことはないが、確か、空を飛ぶ巨大な蛇だったか。
それなら多少は納得できる。巨体の動物を倒すには、強大な破壊力を用いるのが手っ取り早い。また大きさに比例して動きも鈍いだろうから、魔法を使うのにかかる時間も、あまり問題にはなり得ない。
つまり、魔法が使えない僕が上級や超級に上がるのは、なかなか難しい。
「で、エルフについてなんですが……」
エリが遠慮がちに口を開く。
「ああ、はい。お願いします」
「まあ簡単に言ってしまえば、エルフというのは、私みたいに耳が長い種族のことです」
「耳が長い種族?」
「はい。人間とは別の生物種ですね」
「はあ……」
山犬と狼の違いのようなものか。いや、しかし耳が長いのは、種として区別するほどの差異だろうか。それならば、背が低い人間と高い人間も、区別する必要があるのでは。
「勿論耳が長いだけではありませんよ」
僕の思考を見透かしたようなことを言う。
「では、他に何が違うのですか」
「体内に宿す、魔力量です」