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少し曇っているなと感じてはいたが、本当に雨が降ってくるとは思わなかった。
「うわあ、これは森へ行った人は大変でしょうねえ。まあ雲を見た時点で雨対策はしているでしょうが……」
エリが独り言のように、呟いた。
僕はいつも通り、エリと少し話してから、森へ行こうとしていたのだが、出鼻を挫かれた形だ。雨は強いというほどではないが、この天気で森に入ろうとは思えない。
「そうか、雨具が要りますね。どこで売っていますか?」
僕は着々と旅の準備を進めている。明後日には出立する予定。
「え、雨具? ううん、その辺の道具屋で売ってると思います」
「ありがとうございます」
「でも本当に首都に行くんですか? 宛はないんでしょう」
「そうですね。でもまあ、行かないことには」
「お爺ちゃんに聞きましたよ。何でも、人捜しをしているんですって?」
「人捜し? ――まあ、そうです」
シュリが婉曲的な言い方をした理由は分からないが、まあ人捜しと言えなくもない。顔も名前も、一切手掛かりがないうえ、実際シュリという目標は発見済みなのだが。
「大変ですねえ……。で、でも、相手のことが分からないなら、下手にこの街を離れるのは悪手なのでは?」
「まあそれも、考えなかったわけではありませんが……」
「じゃあ!」
「ですがもう決めましたので。ありがとうございます、エリさん」
「はい……」
組合にいる人間は少ない。これは僕が依頼を受けるのが遅かったためで、ほとんどの冒険者は既に森へ行った後だった。エリを含めた受付嬢と、冒険者が数人いる限り。皆一様に暇そうなので、僕たちがこうして雑談をしても問題ないわけだ。
やがて冒険者たちが組合に戻ってきた。この雨で森にいるのは危険なので、依頼を取り下げたい、ということだ。受付も分かったもので、次々と処理している。俄かに組合は混雑した。が、特に騒がしくなることはない。雨に濡れると塞いだ気持ちになるのは、どこでも変わらないのだろう。
昼を過ぎる頃には、再び組合は閑散としていた。
雨が屋根を打つ音を聴いていると、いつのまにかエリが横に立っていたので驚いた。
「どうしたんですか?」
「え、ええと、その」
エリは顔を逸らして、何か呟いている。
「受付のお仕事があるのでは」
「朝出発した人がほぼ戻ってきちゃったんですよ。だから今日はもうお休みでいいって、みんなが」
「みんな?」
見ると、他の受付嬢がこちらを見て微笑んでいる。僕が視線を向けると、何故か視線を外された。
「よく分かりませんが――、今日はもう終わりということですね」
「はあ……、まあ」
仕事がないのに、必要以上の人員を置く理由はない。理解できない判断ではない。どうしてエリだけを休みにするのかは不明だが。
「あの、リンさん」
そう言うエリは、こちらを睨んでいた。また何か気に障ることをしただろうか、と不安になる。嫌ったり謝ったり泣いたり、彼女は忙しい。
「なんでしょうか」
「お昼ごはん、まだですよね」
「そうですね」
「い、一緒に食べに行きませんか?」
「ええ、いいですよ」
「い、いいんですね?」
「そう言いました」
「じゃあ行きましょう。実は嘘とかなしですからね?」
言うや否や、エリは僕の腕を攫んで立たせた。そのまま組合の外に引っ張っていく。彼女は僕より背が低いので、腰を屈めて歩かねばならず、少し苦しい。
雨は、朝より多少弱まっているように見えた。とはいえ、余り出歩きたい天気ではない。
「あの、食べに行くにしても、これでは濡れそうなんですが……」
「大丈夫です」
何が大丈夫なのか問おうとした矢先、彼女が僕ごと、路に躍り出た。
流石にそれは止めて欲しい、と言おうとして。
自分もエリも、全く濡れていないのに気づく。
「あれ」
「皆が貸してくれたんです」
微かに発光する、小さな水色の石。それを掌に載せたエリが、微笑んだ。
上を見ると、雨は僕たちの頭上で撥ねて、脇に落ちている。まるで見えない屋根があるようだ。エリの言動から察するに、その水色の石が何かをしているのだろう。
「さ、行きましょう」
「はい」
石について尋ねるのは後にしようと思いつつ、エリに続く。
外を出歩く人影は疎らだ。僕らのように、食事のために外出しているというより、何かの用事があってどうしても、といった様子の人ばかり。しかしその出歩いている人々は皆、エリと同様の石を持っているようだった。傘を被っている人が一人もいない。
それにしても便利な石だ。
エリに連れられてきたのは、初めて入る店だった。外だけなら何度か通ったことがあるが、まさかここが食堂とは思わなかった。なにしろ、看板に食事の絵が描かれていない。この看板で、この店は大丈夫かと思わないでもない。
店内は静まり返っている。それも当たり前で、僕たち以外の客はいなかった。やっぱり大丈夫ではなさそうだ。
エリは迷いない歩みで、奥の席に着いた。
「まあ雨ですからね。貸し切り状態」
「晴れていると違うのですか?」
「ええ、知る人ぞ知るって感じで」
一人、男がこちらの席に歩いてきて、注文を尋ねた。僕は相変わらず、何も分からないので、エリに全て任せる。
「いいんですか? 私が全部選んで……」
「お願いします」
「じゃあ……」
これとこれと、とエリが頼むと、彼はにっこり頷いて、店の奥へ消えていく。
「普段は店員の子もいるんですけどね。今日は一人でやっているみたい」
「なる程」
僕たちが黙ると、店内には再び雨の音が戻ってくる。
外から射し込む光だけで、店内は微昏い。途中男が戻ってきて、机の上に燈を置いた。灰色の店内の中、僕とエリの輪郭だけが、橙色に浮かび上がる。
僕は小さな火が揺れるのを、次にエリの顔を見た。
「少し、質問をしても良いですか」
「なんです?」
「さっき持っていた石――あれはなんですか? 雨を防ぐ道具のようでしたが……」
「ええ……、ああ、リンさんはご存知ないんですね」
エリは懐から、先程の石を取り出した。水色の石。今は光っていない。
机に置かれたそれを、僕はまじまじと眺める。
「名前は色々あるんですけど、その通り、雨避け石です。軽く弾くと、水分だけに反応する防護魔法が起動します」
「防護マホウ……」
またマホウか。というか、マホウというのは、爆発する火球を浮かべる技術ではなかったのか。もう少し、広範囲の技術を指すのかもしれない。
「ええ。かなり高価なもので、普通は緊急の時しか使わないんですが……。皆が貸してあげるから行けって、うるさくて……」
「エリさん、そんなにお腹が減っていらしたんですか?」
「へ? い、いえ、そういうわけではなく――」
「しかし今、緊急時しか使わないと」
「いや、あの……」
エリは何か言いたげに呻いていたが、やがて口を閉ざした。
「どうされました?」
「いーえ、何でもありません」
エリはそっぽを向いた。
「ご機嫌が悪いようですが。やはり空腹で――」
「もう、じゃあそれでいいです」
「そうですか」