10
翌日は、カーラに誘われて、二人で再び森に入ることにした。受けたのは、ゴブリンの調査と、薬草の採取の依頼。どちらも初級だ。カーラは中級なので、僕に合わせてくれたのだろう。
「この間リンと初めて会った所ね。普通、あんなところでゴブリンの群れとは遭遇しないのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。普段はもっと森の奥の方、つまり中級冒険者が行ける辺りに出現するんだけどね。最近は冒険者が級を問わず、森で消息を絶つ例が急増しているらしいし、それで初級にゴブリンの調査依頼なんかが出ていたんでしょう……。あ、そこにも生えてるわね」
カーラが指差した先に、薬草が群生している。頷いて、採取に向かった。薬草採取には知識が必要、とのことだったが、カーラは随分手慣れているようだ。
「森の中でも旅の途中でも、いざという時に薬草を見つけられるのは大切だからね」
「そういうものですか」
「ええ。リンも知っておいた方がいいわよ。怪我した時、これを磨り潰して患部にあてがうだけで、治りの速度が断然変わるの」
「それは……、何というか。凄いですね」
手に取った薬草をしげしげと眺める。見たところ、その辺りに生えている雑草と、何ら変わりないように見えるが……。
陽が中天に昇ったころ、カーラは僕を手招きした。
「はい、これ。リンの分ね」
手渡されたのは、食事のようだった。例のパンと、調理された木の実が、大きな葉に包まれている。
「どうしたんですか、これは?」
「お弁当よ、お弁当。知らないの? 前日の晩にコフィーに言っておけば、朝には準備しといてくれるわよ」
「そうだったんですか……」
なるほど、これならば昼食をとりに、シハルへ戻る必要もないわけだ。
二人で岩の上に座り、弁当を食べる。「警戒だけは切らさないように」とのことなので、気を張っておく。
「この間の、あの男ね」
先に弁当を食べ終わったカーラが、口を開いた。あの男とは、恐らくヒルデへ差し向けられた刺客のことだろう。
「彼が、どうかしましたか」
「亡くなったそうよ。拷問中に。結局、誰に雇われたかも分からないままだって」
「拷問中に? 一体どうして」
「さあね。拷問官が新人だったとか、そんなところじゃないの」
「はあ、そうですか……」
拷問については明るくないが、情報を引き出せぬまま、対象を死なせてしまうのが、最も下手な結果であるのは分かる。
「カーラさんは、どう思われますか?」
「え、な、何が? 拷問のこと?」
「いえ、そうではなく。誰がヒルデ様を狙ったか、です」
「ああ、そのことね……」
僕も弁当を食べ終えた。包むのに使われていた葉っぱは、その辺りに放っておく。この葉も、森で採れるものなのだろう。
「実際、隙あらばこの森を奪ってやろうって奴は、いくらでもいると思うけれど……。勢力的に考えれば、オフェットのドミル伯かなあ」
唐突に新たな単語が出てきて、頭が追いつかない。
「すみません。何ですか、それは?」
「ええっとね……」
カーラは少しの間腕を組み、黙る。
「あ、そうそう。前に言ったでしょ。ヒルデ様は、国王の代理の代理だって」
「そうですね。聞きました」
「で、まず国王の代理として、レイレスト公っていう大貴族がいるのよ。この方が、この大森林全体を治めているのね」
「大森林全体を……」
「そ。なんだけど、この大森林、南北に長く伸びているのよ。独りではとても面倒見切れないくらいにね。そこで、レイレスト公は森林中部だけを治めて、北部と南部に、それぞれ代理の領主が置かれているわけ。その北部担当が、ヒルデ様なの」
「なる程。反対側――南部担当が、ドミル伯ということですね?」
「そういうこと」
頭の中に地図を浮かべる。そのドミル伯とやらが森の北部と南部、両側の支配を目論んでいるのでは、というのがカーラの推論なのだ。更に、両側から挟むようにして、レイレスト公を潰すことすら、視野にいれているのでは、とも考えられた。
しかし貴族三人がかりで治めているとは、この森林は想像以上に大きいようだ。
「ま、想像の域を出ない話だけどね。貴族様を疑うなんて、誰かに告げ口されたら処刑されちゃうし」
カーラは岩から立ち上がった。
その後も薬草採取とゴブリンの調査を続けた。薬草は袋にいっぱい採れたが、決められた地点を回っても、ゴブリンと遭遇することはなかった。カーラによれば「遭遇しない方が良いの」とのこと。稼ぎはまあまあ。宿に泊まり、食事をするには申し分ない金額。
カーラは明日も用事があるらしい。そもそも彼女は中級で僕は初級なのだから、僕に付き合わせるのは、申し訳ないことだ。
槍を構える。静かに呼吸をする。
一つひとつ、確かめるように、丁寧に。
ゆっくりと槍を突く。引く。斬る。手元で反す。
呼吸が乱れる。つまり、無駄な動作があったということ。
もう一度。
一通りの確認を終えた後、岩に座ったシュリに向き合う。
「どうでしょうか」
「ふうむ……。なかなか面白い動きではあるの」
シュリの許に赴き、僕を殺してほしいと、改めてお願いした。すると、僕の技量が彼のお眼鏡に適えば、殺してくれるという。そういう訳で、普段の修行を見てもらったのだ。
しかしシュリの要求する水準というのが、どの程度なのか分からないから困る。ここで強くなるのと、首都に行くのと、どちらが早くなることか。
「全く、死ぬために修行するとは、妙な男じゃわい。道理で立ち合った時、無謀な特攻を仕掛けようとするはずじゃ」
「それで、僕の腕はどうでしたか」
「話にならんな。まあ発展途上ということじゃが……」
「つまり、まだ駄目ということですね」
槍を布鞘に納める。
シュリは白い眉を下げた。
「まだも何も、君。君はまだ、自らの槍術すら理解しておらんではないか。こんなことなら稚児でもできるわい」
「槍術の理解――ですか? これでも、父の動きに倣っているつもりですが……」
「……なる程の」
シュリは口を開きかけて、途中でやめた。立ち上がり、尻をはたく。そのまま小屋に戻っていく。今日の挑戦は終わり、という合図だ。
「あの」
「君は、自らの槍の法理を考えたことがあるかの?」
「法理?」
「何故その槍をそう動かすのか――。考えてみんしゃい」
「はあ……」
その法理とやらを考えれば、シュリは僕を殺してくれるのだろうか。
小屋に入りかけていたシュリが、突然足を止めて、こちらを向いた。
「おう、そうじゃ。聞き忘れておったが、君の槍術、名はなんというのかね」
「はい? 槍術に名前があるのですか?」
そもそも、槍術は槍術のはず。名前を付ける必要など、特にないのでは。
「聞いておらんか……。別に名前でなくとも良い。君の――お父上か。が槍とは斯くあれとか何とか言うとらんかったか?」
「そうですね……」
考えてみる。といっても、父と会話をすること自体、あまりなかったので、必然記憶は限られるわけだが。
しかし名前か……。
「――蟲魚」
どうして、その言葉が出たのか。
分からない。そんな記憶、今の今まで忘れていたのに。
「ほう? 蟲魚、とな」
「え? ええ――はい。蟲魚と、父は言っていました」
「……ようやく得心がいったわい。であれば、君。君はまだ、槍を遣ってすらおらんぞ」
「いや、僕は槍を使っていますが」
「そう思うているうちは、まあ一生遣えんじゃろうな。精進せい」
シュリは今度こそ、小屋に戻ってしまった。
彼は何を言っているのだろう。
槍の法理、蟲魚、槍を使うこと。
全く分からない。意味不明だ。そんなことを考えることに、なんの意義があるのか?
しかし、シュリが僕より圧倒的に強いことも事実。であれば、やはり意味はあるのだろうか。
自分の槍をじっと見つめる。一体何がいけないのだろう。
物音に顔を上げると、小屋から籠を抱えたシロハが出てきた。
「おにいちゃん、ごはん食べよ!」
「はい、ありがとうございます」
籠の中には、パンと果物らしきものが入っていた。
二人で一緒に座って食べる。食べ始めてから、自分が空腹であるのに気づく。
「今日も駄目でした」
「そっか、ざんねんだね」
「はい」
微風が吹いて、樹々を騒めかせていった。シロハの前髪が揺れている。
「でもおじいちゃん、言ってたよ。リン君はつよいって」
「本当ですか? でもさっき、僕は槍を使っていないと、言われたんですよ」
「へんなの! おにいちゃん槍使ってるのにね」
「その通りです。シュリさんの言うことは正しいのかもしれませんが、よく分からないことも多いです」
シロハはいきなり立ち上がると、林に入って、長い棒を拾ってきた。
「おにいちゃん、わたしと槍あそびしよー」
「槍遊び? つまり、模擬戦ですか」
「槍あそびは槍あそび!」
「構いませんが……」
シロハには世話になっている手前、断る理由もない。取り敢えず、鞘を付けたままの槍を手に取る。
「じゃ、いくよ!」
暢気な声とは裏腹に、シロハの槍の持ち方は、どうして様になっている。恐らくシュリが教えたか、シュリの動きを真似しているかだろう。こちらも構える。
シロハの突きを、柄で軽くいなす。突きは早いが、引きが遅い。子供の筋力では、なかなか難しいだろう。
こちらの槍を抑えるのが先と見たか、シロハの狙いが変わった。囮の攻撃で誘い、こちらの槍を、上から封じようとしている。悪くない戦法ではあるが、やはり遅い。動きに無駄が多いのだ。
一旦、シロハが距離をとる。
「おにいちゃんもこうげきしてよー」
「しかし……」
受けるのはいいが、攻撃時にどう手加減をすればいいか、分からない。怪我をさせるわけにもいかない。
それから暫く二人で槍を交わした。結局、シロハの体力が先に尽きて、終わった。
「ぜんぜん勝てなかった!」
「少し休みましょう」
こうしていると、自分も随分この街に馴染んだ気がする。僕が以前住んでいたところとは、街も人も動物も食事も、何もかもが違うけれど。
ここが何処で、どうして自分がここにいるのか、それは考えないことにしている。考えたところで分かる保証はないし、それよりも優先すべき事柄があるからだ。つまり、殺されること。
「ねえ、なんでわたし、おにいちゃんに勝てないの?」
「え? なんで、ですか……」
意外な問いだった。だが重要な問いだ。何故僕はシュリに勝てないのか、何故シロハは僕に勝てないのか。考える。
「体格が違うからでしょう。体力も違います」
「じゃあ、わたしがリンおにいちゃんと、おなじくらい大きくなったら、勝てる?」
「どうでしょうか……」
仮にシロハと僕の体格が同じでも、恐らくは僕が勝つだろう。やはり技術が違う。そう話す。
「じゃあ、わたしの何がおにいちゃんと違うの?」
「動きの無駄――だと思います」
「むだ?」
シロハがきょとんとした顔で、こちらを見上げる。円い眼だ。
「はい。今のシロハさんは、しばしば必要のない動きをしています。その分隙が生まれますし、手数も減ります。体力だって浪費します」
「どうやったら、むだは減るの?」
「繰り返し練習することです。無駄のある動きであれば、繰り返すうちに気づくことがあります。シュリに見てもらったらどうでしょう」
風が僕たちの身体を冷やす間、シロハは何事か考えていた。
やがて彼女は、
「うん、おじいちゃんにたのんでみる!」
「はい、それがいいですね」
シロハは手を振って、小屋の中に駆けて行った。
そろそろこの街を出るべきかな、と帰り路に考えた。旅支度は着々と進めていたし、冒険者としての活動も、ある程度こなせるようになってきた。首都を目指しても良いのではないか。
このままここにいて、シュリに認められるのを待つ、という手もある。しかし今の僕では、シュリの言っていることが分からないし、二週間ここに留まったところで、それは変わらないように思う。
しかし、槍術の名前か……。
それがいったい何だというのか。僕は独り、溜息を吐いた。