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飛び掛かってくるゴブリンを、身体を捻って躱す。
攻撃をすかされ、背後に着地したばかりの敵に、刃を叩きつける。
首筋を捉えた剣は、しかし、わずかばかり切り進んだところで止まる。
刃毀れ。もう使えない。
剣を放棄。
後ろへ跳び、距離をとる。立ち並ぶ草木が邪魔で、これ以上の後退はできない。
首筋に剣を生やしたまま、ゴブリンはゆっくりと、こちらへ歩み寄る。もはやこちらに余力がないことを、見抜かれている。
魔方陣を掌に構築。残りわずかの魔力をがむしゃらに注ぐ。
赤い火球が手元に浮かぶ。威力は充分。
即座に放つ。
轟音。
周囲の空気が、一瞬なくなる。
狙いを過たず、対象の上体へ吸い込まれる。
爆発の煙が消えた先には、ゴブリンの下半身のみが、残っていた。高熱に焼かれ、血すら出ていない。辺りに、焦げた臭いが漂う。
崩れ落ちるように倒れた骸から、剣を拾い上げる。柄は今の熱で黒焦げになり、刃はぼろぼろに毀れている。重石以外に使い道はないだろう。いちおう、腰にさしておく。
背後から、草の擦れる音。疲労と油断から、反応が遅れる。
ゴブリンが複数出現。それぞれが両手剣や木の棍棒を持っている。
既に、囲まれている。
剣を抜くが、軽く握っただけで、柄は砕け落ちた。
体内魔力は、欠乏している。魔方陣の構築は不可能。
にじり寄るゴブリン。
刃のみになった、剣を構える。
肚に力が入らず、悲鳴すら出ない。
膝が震える。本当に自分の足か。
恐怖に涙が出そうになる。
ゴブリンの脚筋の、隆起する様子が、やけにくっきりと見える。
初撃。頭上から振り下ろされる棍棒を、両手で構えた剣で、受け止める。
受け止めきれず、剣が真っ二つに砕ける。
刃が、てのひらに喰い込み、血が滲む。
多少減速した棍棒が、頭を打つ。
終わっていく実感。視界は闇に。
「僕を、殺してくれますか?」
声が、きこえた。
次いで、ひゅんひゅんという、風切音。
「え?」
視界に映ったのは。
血をどくどく流す、三体のゴブリン。
その背後に佇む、長い髪の男。
黒い細槍。血に赤く染まった穂先。
「貴女は、どうですか? 僕を殺してくれますか」
「い、いえ――、殺すだなんて、そんなことは……」
「そうですか」
男は地面の草で、穂先についた血を拭う。そのまま、取り出した布鞘に穂先を納めた。
「あの、貴方は――」
「すみませんが、僕を殺してくれそうな人物に、心当たりはありませんか?」
「え?」
男が何を言っているのか分からず、暫し、茫然とする。
「ないようでしたら、この近辺で、人が多く集まるところでも、構いません」
「人が多く……、ああ、街のこと?」
「そうですね。街があるなら、教えてください」
「えっと、それなら、この森の先にシハルがあるけど……」
「シハル……。そこへは、どうやって行けば?」
地面から立ち上がる。壊れた剣を、拾い上げる。これを直して使うか、新しい一振りを買うか、どちらが安いだろう、と思う。
「なら、あの、私が案内するよ。一緒に行こう」
男は、軽く首を傾げた。
「いいのですか? それは助かります」
「それはもう……。あの、私、カーラ。貴方のお名前を、聞かせてもらっても?」
「僕の名前ですか? 僕は……、リンといいます」
リンは、そう名乗ると、眼を瞑った。
〇
「いいか、俺の命令には、絶対に従え」
父はそう言った。
はい、と頷く。
「そして、俺が死んだときは、我ら主の命令に従え」
はい、と頷く。
だから、僕は殺されなくてはいけない。
恐らく、生まれたときから、僕は槍を持っていたに違いなかった。
朝目覚めてから、夜寝るまで。寝ている間も、槍の修行を続けた。
父が見せた槍捌きを、何万回となぞった。
森に入り、自分より小さな動物たちと、大きな動物たちを狩った。
そして、幾度も父と殺しあった。
「俺を殺せ」と父が言う。
はい、と頷いて、槍を突き出す。
しかし、父は強く、何度戦っても殺せなかった。
「よいか、リン。お前が俺を殺し、俺よりも強くなったとき、その時に『槍』の名は引き継がれる。主の命にのみ従い、主の為だけに生きる存在となる。――槍がぶれている」
頭を狙い、槍を突き出す。
すべて、僅かな動きで躱される。
「遅い――。『槍』となったら、お前は俺と同じように子を成し、それを育てよ」
父が槍を振り下ろす。
右足を引いて躱す。
こちらの重心が移動する隙をついて、更に槍が三度突き出される。
すべて必殺の角度。
槍を振り上げ、どうにか軌道をそらす。柄がぶつかるたびに、手が痺れる。
手加減されている、と感じる。
本来の父の速度ならば、この間に三十は突けるはず。
「その子が、己を殺し、新たな『槍』となるまで。それまで『槍』であることが、お前のすべてだ。――脇が開いている」
父は手元で槍を反し、石突でこちらの脳天を打った。
暗転する視界。今日もまた、父の命令に、従えなかった。
僕は成長し、父よりも身長が高くなった。最近では、殺しあいの最中に、父が指導することもなくなっていた。
あと少しだ、と自分に言い聞かせる。あと少しで、自分は父の命令に従い、父を殺すことができる。その矢先だった。
城が燃えた。
なぜ、お城が燃えているのだろう、と思った。
不思議な気持で、煙の立ち上がる空を、見上げた。
父がいつも通りの顔で、家に入ってくる。
「主と――その一族が殺された」
はい、と頷く。
頷いたあと、はて、と疑問に思う。
ならば、父が死んだあと、自分は誰の命令に従えばいいのだろう。
「では父よ、僕はどうすれば良いのですか?」
「主なくして『槍』もなし。――我らも死ぬのだ、息子よ」
はい、と頷く。
そして、持っていた槍で、父の咽喉を突いた。
血を噴き出して、父はあおむけに倒れた。
肺から昇った息が、泡となって、父の口内に溜まる血に、浮かんだ。
父がまだ何か言おうと、口を動かしているのが見えたので、胸を突く。
今度こそ父は、動かなくなった。
穂先についた血を、父の衣で拭う。
さて、僕も死ななければならない。
――どうやって?
僕は、どうやって死ねばいいのだろう。自分の殺し方など、教わっていない。
思案する。外からは、甲冑の擦れ合う音や、叫び声などが、断続的に響いてくる。
そして、ようやく分かった。
父はどうやって死んだか?
父は、自分より強い者に殺された。
つまり、それが自分を殺す方法だ。
自らより強い者に殺される。であれば、一刻も早く実行に移さねばならない。
槍を片手に、外へ出る。
外では、見たこともない甲冑に身を包んだ兵士が、住民を殺していた。
良かった、と安心する。兵士ならば、自分より強い者も多くいるだろう。
いなかった。
或いは、彼らは油断していたのかもしれない。父も油断していたから、殺せたのだろう。
とはいえ、一対一で自分より強い兵士はいなかったが、何人ともと戦う内に体力を消耗し、更に敵が四人となれば別だった。
体中に重りを付けたように、腕も脚も、動きが鈍い。
四方向からの刺突。
前方の槍を跳ね上げ、首を斬り裂く。同時に右方の槍を、石突で牽制。
そこまでだった。背中に鋭い痛みがはしる。
前方へ走る。槍は抜けたが、血は止まらない。
今は逃げなければならない。
逃げて、体力を回復し、再び挑む。
「逃走は、槍術のひとつだ。刺突や斬撃と、同じくらい重要な」
父の言葉を思い浮かべる。
自らの槍術のすべてをもって、敵に相対する。
そして、自分より強い者に殺される。
そうしなければならない。
霞む視界。路地に飛び込み、物陰に身を潜める。
徐々に、意識が白い靄に包み込まれていく。
命令に従わなければ……。
殺されなければ……。
意識が戻ったときには、森にいた。
樹々に遮られて、斑の陽光が差しこんでいる。
身体を見る。衣服は先程のままだったが、奇妙なことに、血痕がない。
刺されたはずの背中に、意識を向けるが、傷もない。
右手は槍を握っている。穂先に血はついていない。
立ち上がる。軽く眩暈がするのを、頭を振って追い出す。
ここは、どこだろうか。
見たことのない森だ。少なくとも、僕が動物を狩っていた森ではない。
そして、傷のない身体……。
長い間、自分は眠っていたらしい。だとすれば、ここへ運んで来た者がいるはずだが。
微風が髪を揺らす。随分と長く伸びているような気がする。
音が聞こえた。
取り敢えず、そちらを目指して歩く。
少し開けた場所に、太陽のような髪色をした一人の少女と、奇妙な緑色の小さな人間が三人、いるのが見えた。
緑色の人間は、木の棍棒を構えている。少女は、柄のついていない剣。
さて、彼らはどうだろうか、と思う。
「僕を、殺してくれますか?」
言葉をかけると、緑色の人間たちがこちらを向いた。
即座に棍棒を構え、飛び掛かってくる。
俊敏な動作だが、あまり賢い戦法ではない、と感じる。
空中では、方向転換も、素早い回避もできない。
まして、彼らは、甲冑も身に付けていない。
飛び掛かってくる一体の首を、逆袈裟に払う。
そのまま踏み込む。
背後の二体目を、袈裟に斬る。
しなる槍を軽く引く。間合いを調整。
棒立ちする三体目の胸を突く。
肌の色は緑だが、血は赤かった。
結局、彼らも僕を殺してくれなかった。いったい、いつになったら、父の命令を守れるのだろう。最後に残った一人に、目をやる。