第三夜 朱硝子の夜
朱色の硝子に閉ざされた夜の詩。
あか。
赤、朱、丹、緋、紅、
あか。
ありとあらゆる赤一色の世界。
赤い砂漠に立ち尽くしている、わたし。
赤銅色の太陽が黄金の砂を血の色に染め、いままさに砂丘の果てに沈まんとしている。雲ひとつない空は美しい薔薇色に彩られ、緩やかに至高紫へと身を翻す。
青い馬が天を駆けた。
強い風が一陣吹き抜け、私の心をかき乱す。
夜の帷が下りて、私の外衣になった。
宵の明星が西の空低く輝き、足元の砂がそれに和して歌いだす。熱く燃えた砂がゆるゆると冷えて溜息をついた。
あてどなく歩き始める。
ここは何処だ。一面砂ばかり。
ここは何時なのだ。時の指標も絶えて久しく、忘却の鐘の音も消え果てた。
何処へ行こうとしている?
何処へも行けぬ。風と砂とが鳴くばかり。
朱いひかり。
月が昇ったと思ったが、北極星の真下の朱光はどうやら地上のものらしい。透きとおった綺羅の光が誘うように煌めいている。
そこはどこだ。
時間軸、空間軸。すべてが複雑なタペストリーを描くばかりで、何ひとつ確実なものはない。
おいで。
ここにおいで。
音のない呼びかけに足元で砂が哭く。
あ、あ。そうだ。
そこへ往く途中だったのだ、わたしは。
あかいあかい、あかい、ゆめ。――それは。
朱い硝子の宮殿。
そうだ。わたしは還るところだったのだ。
朱色の硝子が静かに光っている。その内側でメリーゴーラウンドが回っている。黒鹿毛の駿馬、白い一角獣、火龍にかぼちゃの馬車。そしてそれらに乗って一緒に回っている、古い想い出。遠い昔に失くしたものばかり。
失くした夢、喪くした人。毀れた玩具、それと。
自らもいだ白い翼。
入れて!
堪えきれずに硝子を叩いた。
入れて。
そこに、還して。
笑いさざめく人々。彼らの内に悲哀はなく、幸福に満たされた満足に微笑んでいる。
ここを開けて。
この朱い硝子の宮殿には、扉もなければ窓もない。綺麗で脆い硝子細工だけれど、わたしの声を通しはしない。外では風が砂を巻き上げ、冷たい吐息を吹きかけようとも、彼等は何にも知らないで、光の中でただただ笑っているばかり。
わたしを、還して。
回るまわる、メリーゴーラウンド。砕けた夢をまといながら、壊れた想いの影を引きずったまま。
還して。
速度が上がる。人々は笑う。
還して、そこに。
メリーゴーラウンドは回り続ける。昔の想い達が優しい眼をして駆け去った。
還して――
次の、刹那。
激しい風が砂を巻き上げ。
硝子が毀れた。
その、悲鳴。
朱い硝子の宮殿は、中の人ごと、風に散る。
音楽的とさえ言える悲鳴だけを残して。
風に散り消える。
人も夢も想いも、すべてが風に消えて逝った。
きらきらと。儚く輝きながら。
ああ。
わたしは目を閉じた。
違うのだ、あれは。あれは求めてはならぬもの、過ぎ去ってしまった遠い未来。
目を開く。
足元で砂が歌う。零れた涙を吸い取って、哀しい夢にむせび泣く。
おまえ。わたし。――わたしのなかのおまえ。何処へ往く?
黒の翼を夜風に曝す。
強い風が永い髪を巻き上げて、時の彼方へ吹き飛ばす。
胸が、痛い。
朱い硝子で刺した傷から緋い血が滴り、銀の砂を紅く染めた。叶えられない昔の夢で、胸を傷つけ血を流す。
気がつけば満天の星。
星のシャワーを浴びて眠ろう。
朱い月が、ようよう砂丘の上に昇った。
ほんの刹那の幻だったのだ、あれは。
そう、わかっていたはす。
わたしには還る処など無いのだから。
翼をひらく。
何処へ征く?
何処へもゆけぬ。
何処へでもゆける。
――そう、何処へでも。
砂は何処までも朱く、夜は何処までも深い。
だからわたしは、
翔び去った。
童話?作家の小川未明の「赤いガラスの宮殿」から。
(こちらは赤です。ネットでも読めます)
正確には、漫画家の竹宮恵子「私を月まで連れてって」(コミック)にあったシーンから。
二次なんだか三次なんだか?という話。