見えないけど
今年の卒業式はなんだか何も見えないな、と思って彼女は目元を擦った。
「せんせー! 泣かないでー!」
三年間、クラス替えが無かったがためにすっかり馴染んでしまった生徒たちの声に囲まれる。彼女の担当したクラスは男女ともに人懐っこい子たちばかりで、問題を起こすことも多々あったが、基本的に仲が良かった。
終わりが近いとなるとすべての思い出が美しく輝き出す。
「別に泣いてないから」
これは本音である。
彼女は極度の花粉症で、今朝は急いでいたからいつもの薬を飲み忘れたのであった。
桜の花びらが鬱陶しい。ひとり、またひとりと生徒たちが学校から帰っていく後ろ姿を、ちゃんと見収めたいのに。
「えー、泣いてくれないのー?」
「そんなことは言ってないでしょ」
むしろ盛大に泣き喚いてやりたいところである。
この子たちの中学生としての三年間――その時間を頂いてしまったこと。彼らの前で教壇に立ったこと。それはとても責任重大で、大切な役割であった。
思春期は瞬く間に過ぎる。
その瞬間を生きている間よりも、後になってその日々を振り返っている時間の方が、人生の中でずっと長い。
けれどそれは嘆くようなことではない。
彼女は、溢れる涙を袖で拭った。
視界はぼやけていても、傍らの生徒たちがもらい泣きをしているのがわかる。みな口々に寂しさを訴えてくる。
「みんな、元気でね」
「せんせー!」
「これでいいのよ。人はいつか別れねばならないからこそ、出逢いが愛おしくなるの」
「げっ、先生がまたなんかセンチメンタルなこと言ってるし」
彼女は満面に笑みを浮かべ、一番近くに居た生徒たちをぐっと抱き寄せた。
見えないので、誰であるかは知らない。
「今の別れを楽しみなさい。そしていつかは、今日よりもずっとずっと、再会の時を楽しめばいいわ」
お題:今の別れ