出会いは衝撃
雨から逃れたくてとにかく必死だった。
自分がどこに向かっているかなんて、顧みることもしない。縦横無尽に跳びはねては着地し、また次に跳ぶ先を探した。
ついに、到達できた。
重い雨粒の感触が皮膚を打たなくなったのを確認し、全身の緊張を解いた。ここならば、ひと息付けそうだ――
「ぎゃあああ!」
やかましい声と共に世界がくるりと反転した。
反射的に四肢を繰って着地こそしたが。起き上がるより早く、すぐそばで衝撃があった。硬いもの同士の激突に巻き込まれていたならば、我が身が潰れていたことはまず間違いない。
何が起きたのか理解するまでに数秒かかる。
――ようやくみつけた安息の地が、翻されたか。
こちらを覗き込む黒い双眸を見上げる。己の慣れ親しむそれよりもひとまわりもふたまわりも大きい瞳だ。平たく言えば、まったく異種の生き物に睨まれている。
その者は雨に濡れた頭髪を苛立たしげにかきあげた。
「びっくりした。どうして町中にカエルがいるのよ。あんたどっから来たワケ?」
「…………」
「首を傾げちゃって、何よ。まさか言ってる意味わかるの? って、お願いだから、答えないでよ。怖いから」
視線を外し、年若い雌の人間は自身がひっくり返した傘つきのパティオテーブルを一瞥した。
「あたしにこんな腕力があったなんてね……驚きだわ」
彼女は重たげにテーブルをもとの位置まで引きずり、幅の広い傘を慎重に開いた。折れてはいないようだ。傘が開いていれば、テーブルの周りだけでも雨に打たれずに済むのである。
さすがにまた卓上に跳び上がるのをやめて、今度はテーブルの真下に滑り込む。
雌はこちらの動きをすべて訝しげに見ていた。
――しかしこんな大雨の中、なぜわざわざ屋外に座っていたのか。普段は人通りの多い港沿いの公園でも、今ばかりはほぼ無人状態である。
「何か言いたげな目をしてるね」
椅子に腰を落ち着けると、雌は勝手にひとりでしゃべり始める。
「待ってたの」
「…………」
「みんなと遊びに行く約束をしたはずなのに、待ち合わせの時間になっても、過ぎても、いつまで経っても連絡が来なくて。そうしたらいつの間にか本降りになっちゃった。梅雨がよわっちい雨だって認識は、全国共通じゃあないのよ、わかる?」
「…………」
「ねえ。あたし、ハブられたのかな」――いまだ重々しい雨滴を投げかける空を見上げ、嘆息した――「寮に戻るの、やだな」
年若い人間は、椅子の上で膝を抱え込んだ。頭を膝に埋めると、顎までの長さの短い髪が垂れて顔を覆い隠した。その髪は半ば濡れていて、艶やかな黒だ。
テーブルの下でじっと動かなかったのは、別段その人間のそばにいたいからではなかった。雨宿りがしたいからである。
ここは一体どこなのだろう、とふと思う。
本来の棲家までの方角も距離もわからない。
ぼんやりと考えていると、やがて雲間から太陽光が差し込み、雨が止んだ。もう雨宿りをする必要はないのに、そこから動かずにいると、まだその場に残っていた雌の人間が口を開いた。
「思い出した。確か女子寮の裏庭に、池があったわ。あんたの家、そっちだったりする?」
「…………」
「連れてくわ。だって放っておいたら、車に轢かれるかもしれないし。あんたの家が違うとこにあっても、ここで迷ってるよりはマシよね? 新居にどうよ」
語られている言葉の意味はわからない。
だが、向けられた表情が興味深い。同胞たち両生類の表情のバリエーションに比較して、はるかに複雑な感情が込められているようだ。
「戻るのはユーウツだけど、いいもん。あんな薄情なヤツらよりも目の前の困ってる生き物よ!」
雌の人間はテーブルの脚を突っつくように蹴ってみせた。テーブルはひっくり返らなかった。
「おいでよ」
伸ばされてきた手をたっぷりと五秒は凝視した。それから周囲を見回すように首を巡らせる。公園に、人間が少しずつ戻ってきていた。あまり長居しては、そのうち満足に動き回れなくなるだろう。
視線を正面に戻すと、相変わらず手はそこにあった。
差し出された手の平に飛び乗る。
「うん。いこっか」
自分がこれからどこに向かうはまるでわからないが、とりあえずひと息ついたので、大きくあくびした。
ツイッター上で募集した絵・顔文字課題。
カエル
ちゃぶ台返し
衝撃
ちなみに私の中では、ひとりと一匹の目的も意思もまったく疎通してません。




