第10話:犬猿な生徒
「~~~……では今日の授業はこれまでです。お疲れさまでした」
いつもの様に授業が終わり、昼休みに入る。ソージは授業で使った教材などを手早く纏めて教室を出ようとしたところ、珍しく声をかけてくる者達がいた。
「ソージ先生~、たまには一緒にお昼しませんか?」
「良かったらでいいんですけど……」
ルークとミシェットだ。この頃、ソージと二人は頻繁に関わるようになっており、それなりに良好な関係を築いていた。マークとのいざこざがあって以来、ルークに至っては信頼を寄せているようにもソージは感じていた。
「えぇ、大丈夫ですよ。一緒に食べましょうか」
僕はニッコリと笑顔を作り了承する。『良い先生』を演じるのも、束の間の平和を楽しむのも、悪くはありません。そう、『束の間』の、ねぇ。
そうして、ルーク君とミシェットさん、そして僕は談笑しながら廊下を歩き、食堂を目指していた。廊下にはそれなりに人はいるが、広く造られているので渋滞が起きるようなことは無い。
「そういえばソージ先生。この前マーシュ先生から何の資料を受け取っていたのですか?」
「あぁ、あれは古代に生息していた魔物とその化石が眠っているであろう断層の地域をまとめた資料ですよ。魔物学者として古代の魔物を調べるのも良いと思ったので、マーシュ先生に協力していただいたのです」
「へ~そうなんですねぇ」
ミシェットさんの素朴な疑問に答えると、ミシェットさんは一人何かに納得したようにウンウンと頷いた。自己解決でもしたのでしょうか?まぁどうでもいいですね。
「あっ!」
「むっ!」
引き続きポツポツと会話を交わしながら、歩いていると、突如ルーク君が何かを見つけたかのように立ち止まり、ある一点を見つめ、思わずと言わんばかりの声を上げた。そして、それに呼応するかのようにまた、見知らぬ青い髪の端整な青年がこちら……特にルーク君を見つめ、厄介な奴と出会ってしまったと言わんばかりに顔を少し歪ませた。
一瞬の空白の後、ルーク君は無言でズンズンとその見知らぬ青年へと歩み寄っていった。
そんな姿を僕はボーッと見つめるばかりで、事態を何一つ理解できなかった。ので、ミシェットさんにポツリと尋ねてみた。
「ミシェットさん、これは……?」
「あぁ……あの人はギルセナ・アズドミナって言って、王国騎士団団長ガーミナル・アズドミナの一人息子なの。ルークと出会ったのは大学堂中等部一年の時の大覇天闘技会だったかしら、それからことある毎に競い合ってるわ。まぁ……ライバルってやつね……って、ソージ先生どうしたの?」
「……いえ、何も……」
ガーミナル・アズドミナ……片時も忘れたことはありませんよ、その名前は。ユーラシを奪った憎い男の……息子とこんな場所で出会ってしまうとは……。
脊柱がざわつき、脳が燃え滾らんばかりに熱くなる。あぁ……あぁ、今すぐにでも殺してしまいたい。
かつて貴方がユーラシにそうしたように、体を引き裂いて真っ赤な血に染まった息子の躯を目の前に叩きつけてやりたい……。
いや、ダメです……ダメです……我慢しないと。この国をめちゃくちゃにするまで我慢するのです。もう、『祭り』は目の前なのですから……。
服の中で僕の感情に呼応するかのようにピクピクと蠢く蛇鱗を宥め、息を整える。
「ギルセナ・アズドミナ!今年はお前に勝って優勝までしてやるからな!」
「フンッ、ぬかせルーク・アルスフィル。今年も僕が叩きのめしてやるよ。前々回の苦汁は二度と舐めん!」
そんなソージの自制をよそに、いつの間にかルークとギルセナは何やら言い合っていた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴと二人は獰猛な笑みを浮かべながら、睨み合う。しかし、それでも周りの生徒たちは特に気にすることなく各々の目的地へ向かっている。割と日常茶飯事の光景のようだ。
「まぁいい、これから食堂行くんだけどよ、ギルセナも来るか?」
「……行こうか」
すると、さっきまでの犬猿なムードは一瞬にして霧散し、何故か突然昼を一緒に食べる話になっていた。
はて、実は意外と仲良しなのでしょうか……?
「あいつ……ルーク以外ほとんど友達いないのよ」
そんなミシェットさんの一言で、僕にはあのギルセナという青年が、残念なイケメンに見えて仕方なかった。
◇
僕を合わせて四人で食事していると、話題はもっぱらもう直前まで迫ってきた『大覇天祭』……特に『大覇天闘技会』のことになった。
どうやらここにいる三人は優勝を目指して、中等部の一年から毎年出場しているそうだ。なんでも、いずれも本選まで出場した経験があり、前回の大会は準決勝という惜しいところで終わってしまったようだ。そして、ルーク君もミシェットさんもギルセナ君も高等部三年。今年がラストチャンスと言うわけで、かなり燃えてる模様。
「『大覇天闘技会』とはどのような大会なのですか?」
「あー、簡単に言うと、第一王都大学堂から第四王都大学堂までの腕に覚えのある生徒が頂点を目指して戦う大会なんですよ。予選の内容は毎年違うけど、本選は決まって本選出場者がトーナメント方式で戦うんです」
「因みにどれくらいの生徒が出場するんですか?」
「そーですねぇ……多分400人くらいですね」
結構多いのですね、ですが逆を返せばそれだけの戦力があるということ。僕の計画を邪魔できる人は多いと認識しておいた方が良いですね。
と、そこまで話したところで昼の授業の予鈴が鳴り、解散となった。
それぞれ、生徒たちは教室へ、ソージは研究室へと戻る。
「……もうすぐです……もうすぐ全てを壊せる……」
研究室に戻ったソージは、そのまま地下研究室へと下る。ブツブツと何かを呟きながら。
「準備は九割方完了しました……あとは……ミシェットさんだけ……」
カツンカツンと暗闇に足音が響く。精神状態が不安定なのか、その足取りには危なげがあった。
「しかし……ギルセナ……ガーミナル……アズドミナ……うぅうう……」
両の手で顔を覆い、憎い男の名を呻くように呟く。そんな様子に、蛇鱗は見ていられないと言わんばかりに服から抜け出し、その巨躯でソージが万一にも階段から足を踏み外し転がり落ちない様に体を支える。
もし、事前に対面することを覚悟していれば、ソージは少なくともここまで取り乱すことはなかっただろう。激情に身を焼きそうにはならなかっただろう。
『祭り』さなかに対面しても、決して冷静さを失うことのないように心構えはしていた。だが、今日は突然すぎた。まだ情報収集能力が確立していない現在、あの男に息子がいることも、その息子が自分の潜入した学堂に在校していることも知らなかったのだ。
フラフラと危ない足取りのまま階段を下り切り、アリの巣のような研究室を突き進む。今のソージには自分を支える蛇鱗も、途中から心配そうに後ろを付いてくるビーグルも見えていなかった。ただ、ある部屋を目指して、地下研究所の最奥にある部屋を目指して歩いていた。
そうして辿り着いた最奥。その空間は他の地下空間よりも大きく造られており、地下空間にもかかわらず花が地面一面に咲き誇っていて、冷気が充満している不思議な空間だった。
そして、その空間の中心には一本の木。しかしその木はよく見ると、幹の中心部が大きく抉れており、その抉れた部分には透き通った巨大な氷の塊が鎮座している。
さらに、その氷の中には小柄な人間が閉じ込められていた。
いや、閉じ込められていると言うのは表現が適当ではない。何故なら既に氷の中の人間は死んでいるからだ。死んだ後に氷の中に入れられ、体が腐敗するのを引き留められているのだ。
ソージはそのままその木に歩み寄り、もたれかかる様にして座り込んだ。その表情には喜びや怒りや憎しみや悲しみはない。ただただ穏やか。幼い子供が母と会話している時のような一片の曇りもない穏やかな表情だった。
鱗蛇やビーグルはこの空間に立ち入ってはいない。ここは侵してはならぬ領域だと理解しているからだ。
「ねぇ、ユーラシ……」
「もうすぐですよ……」
「君を奪ったものを全て壊すのは……」
氷の中の少女は何も答えない。
「ねぇ、ユーラシ……」
「僕は好きでしたよ……」
「君の声が、君の笑顔が、君の心が……」
この場所を何よりも早く造ってから何度も伝えてみた、今となっては届かぬ言葉。
「ねぇ、ユーラシ……」
「こんなのになってしまった僕をどう思いますか……?」
そんな問い掛けは岩肌に反響して溶けた。
「ねぇ、ユーラシ……」
「僕はもう、一人でも生きていけるようになりましたよ」