第8話:教師と教師
「これは……案外大当たりかもしないな……」
額に滲む嫌な汗をぬぐい、視線の元を探す。しかし、探せど探せど一向にそれらしいモノは見つからなかった。
「部屋自体は普通だ……だがここはヤバい。ヤバい何かがある」
小奇麗に纏められた資料、一般的な紅茶セット、空っぽの鳥籠、そして研究資料や書籍が詰められている本棚。どれをとっても怪しい部分は無く、いたって平凡だ。
だが今のマーシュにとってこの平凡さえも逆に不気味に感じて仕方がなかった。
「魔法を、使った方が早いな。『大地の隠し事』」
魔法名を呟くと、マーシュを中心に全方位へ円型の魔力波が広がっていく。この魔法は土属性魔法の一つで、範囲内の地形を調べることが出来る、シンプルだが使い勝手の良い魔法だ。
「……っ!なんだこれは……っ?!」
そうして、マーシュの魔法の範囲内に浮かびあがってきたのは、地下に広がる謎の空間。マーシュが発揮できる最大範囲内を遥かに超えて広がる広大な地下空間だった。
「入り口は……ここか」
ポッカリと空いた空間とこの研究室を繋ぐ道が、壁の奥に隠されていることも魔法により浮かびあがっていた。
ゴクリと唾を飲み込む。まさかここまでヤバい代物が出てくるとは思わなかったのだ。誰も研究のために自室から地下を広げる輩なんていない。いるわけがないのだ。絶対、ヤバい何かを隠しているか行っているに決まっている。
引き返すか?いや、ダメだ。私がここで引けば次にここにくるのはミシェットたちだ。もしかしたら何食わぬ顔でソージはここにミシェットたちを呼び出すかもしれない。そうなれば危険なのは私の生徒だ。
しかし、なぜこんなものがある部屋の鍵をかけておかない?まさか罠か?既に奴は私が来るのを察知してわざと侵入を許したのか?
ならば疑っていることはバレているだろう。しかし、ここでやめればヤツに逃げられるかもしれない、化け物を野放しには……出来ない。
行くしかない。そして、私が捕まえなくてはいけない。
「『岩石弾』」
震える声で魔法を行使し、怪しい壁に穴を開ける。壁はどうやらかなり脆かったようで、威力を抑えたつもりだが、壁が吹っ飛び、残骸が足元まで飛んできた。壁は綺麗な長方形の形に空いている。
そうして姿を見せたのは地獄にまで続いてそうなほど不気味な雰囲気を醸し出す螺旋階段。壁にはロウソクが埋め込まれており、光源は確保されているが、ユラユラ揺れる火は仄暗い何かを暗示しているようにも見える。
カツン……カツン……と嫌に耳に響く足音も、どれだけ聞いただろうか。ほんの三分ほどにも感じられるが、三十分ほど経ったようにも感じられる。マーシュは進めば進むほどゾクゾクと背筋を駆け巡る怖気や地獄から悪魔が手招きしているような不気味さが増々膨らんでいく感覚に陥った。
今からでも引き返そうか?さっき固めた決意を揺らがせる思考が駆け巡る。しかし、そんな考えを振りほどき、努めて冷静にもう一歩、もう一歩と進んでいると、ついに開けた空間が現れた。
どうやらここは資料を纏める部屋の様で、岩肌に囲まれた空間の真ん中にポツンと机と本棚が置かれており、机には何らかの資料が散乱していた。
何かの証拠になり得るかもしれないと、じっとりとかいた手汗を服に擦り付け、資料を一枚手に取る。
しかし、そこには何やらよく分からない文字が羅列してあるだけで、何をメモしたのか、何について考察したのかすら分からなかった。
「奇妙な文字だ。こんな字体は見たことが無い……悪魔教の文字か?」
文学の教師であり、自ら本を世に送り出しているマーシュでも、初めて見る文字だった。文学や考古学に精通しているが、こんな字はどの世代、どの国、どの地域にも存在していないはず。
ならば怪しげな集まりの頭のイカレタ悪魔教が独自に編み出した言語かもしれない。と、考えに至る。
「なるほど、ならば納得だ。辻褄も合う。奴はイカレタ悪魔崇拝者だったってことか?」
しかし、これだけでは決定的な証拠とはなりえない。悪魔を崇拝していようが、罪を犯していなければ捕まえて裁くことは出来ない。マーシュにとって残念なことに、このアドルグ王国では悪魔崇拝を禁ずる法が無かった。もしここがシャーリアル教国ならば異端審問を受け、死者の国に叩き落とすことも出来たのだが。
「まだ、他にも空間は広がっている。何か、何か決定的な何かを見つけなければ」
薄暗い通路を突き進む、通路は何か大きなものが進むことを想定されているように広い。それがより一層不安を感じさせた。
二分ほど進んだだろうか、薬草と血と汚物の匂いをぐちゃぐちゃにかきまぜて死臭で包んだ様な酷い悪臭が充満している空間に辿り着いた。
この空間はいやに暗く、奥の方はほとんど何も見えない。
「ぐっ……なんだこの匂いは……!」
マーシュは咄嗟に口と鼻を抑え、激臭に耐える。こんな怖気の走る匂いが充満している空間に、何も無い訳がない。今すぐにでも立ち去りたい程苦しく、息も出来ない様な空間だが、決定的な何かを探すために、奥へと進む。
当然、奥に行けば行くほど、中に入れば入るほど、匂いはきつくなる。進んでいる内に二度は胃の内容物を吐き出してしまったが、それでも突き進んだ。そこまで広い空間ではないはずなのに、足取りの一歩一歩がとてつもなく重いせいで、酷く時間がかかってしまう。
しかし、懸命の前進によって、ついに奥に辿り着く。そこに蹲っていた者の顔にはどこか見覚えがあった。
一瞬の思考の後、思い出す。
「こ、この人は行方不明になったはずの花屋のご婦人では!?」
そう、つい最近行方不明になったばかりの花屋の夫人だった。マーシュも名前自体は知らなかったが、何度か店の前を通っていて、見覚えがあったのだ。
しかし、その時見た花の様な笑顔も、あどけなさ残る美しい表情もこのモノにはなかった。目は虚空を見つめており、息もしていない。死んでいるのだ。
「……っ!なんておぞましい……!」
顔にばかり注意が行き、気付くのが遅れたが、この夫人の体は明らかに妙だった。足は馬の様に歪に曲がり、手には鋭い爪、腕の所々に獣の毛の様な物が生えており、胸部の中心には妖しげな光沢をもつ拳より一回り小さい石が紋様と一緒に埋め込まれていた。
いっそ、人の形をした”ナニカ”と表現した方が適切なんじゃないかと思えるほどの造形。あまりの生物に対する冒涜的造形に、マーシュは吐き気を覚えずにはいられなかった。
しかし、これで揺るがない、決定的で、致命的な、絶対なる証拠を手に入れることが出来た。事件の実行犯がソージ本人かどうかは分からないが、この国では人身売買は固く禁じられている。決まりだ、仮に実行犯が別にいても、奴を拷問にでもかければ元を辿れる。
「異臭の正体は……この夫人のようだな。朝日を拝ませてあげましょう。家族の元へ帰りますよ」
開かれた瞼をスッと閉じさせる。
「おやおやぁ?マーシュ先生じゃぁないですかぁ」
瞬間、背筋を圧倒的な怖気が走り抜け、飛び跳ねるように振り向く。
「ソージ先生……いや、もうお前を同じ教師だとは思わん。化け物め」
そこにいたのは、白い衣に身を包み、絶えぬ笑みを浮かべる男……否、化け物。
もうその顔の笑みに温和な感想は抱かない。ただただ醜悪に、ただただ悍ましく歪んでいた。
「昼間のお礼です。僕の研究所の見学は楽しんでいただけましたかぁ?」
まるで会話が嚙み合わないねっとりとした声、不快感しか抱かない。そして、こいつはやはり、わざと鍵をかけずにこの地下空間に潜んでいたのだ。
こいつは、もう一瞬たりとも野放しにしてはダメだ。今ここで、殺さなければならない。命に代えても、王国のためにこの化け物を闇に葬らなければならない。
「死ね!化け物め!『岩石砲弾』!」
壁を破砕した時とは比べ物にならない程大きく、固く、鋭い岩の砲弾を形成し、そのまま撃ち出す。
……まで出来たのなら、ソージを殺しえただろう。戦闘の素人相手に突然岩を叩きつけるのだ。避けられる道理もない。
しかし、後ろから、何かが、マーシュの背中を貫き、魔法の行使を妨害した。
もし、これが正面からの攻撃なら、例え腹を貫かれてもマーシュは確固たる意志と覚悟で魔法の行使を止めなかっただろう。だが、全く警戒していなかった背後からの一撃で、魔法は止まってしまった。止めてしまった。
そして、それで勝負はついてしまった。
「鱗蛇、捕らえなさい」
ソージの白衣の袖口から細身の鱗が逆立っている蛇が飛び出す。しかし、この蛇は普通の鱗蛇とは違った。
袖口からその長い長い体躯を引き出すのと同時に、頭の先から丸太の様に太く肉体を膨らませていったのだ。その様はこの現場を見れば十人が十人とも不気味だと口を揃えて言うだろうほどに気味の悪い光景だ。
「口を塞ぐのを忘れないでくださいねぇ?魔法は魔法名を唱えなければ発動できませんのでねぇ?」
あっという間に巨大な大蛇になった鱗蛇はマーシュの体に巻き付き、口まで塞ぐ。それはまるで兎を締め上げる蛇そのものだ。
「うぐ……むぐぅう!」
マーシュのくぐもった声が響くが、言葉にならないので魔法も発動しない。
そうして、何の抵抗も出来ないマーシュに悠々とソージは歩み寄り、耳元で一言囁いた。
◇
ミシェットは廊下をズンズン歩いていた。向かう先は考古学会の会室だ。
「マーシュ先生、昨日はああ言ってたけど、ホントに調査してくれたかしら……まぁ状況だけでも聞けたら得は得よね」
そんなことを呟いている内に、会室に辿り着く。
ミシェットは一度、急いで少し乱れてしまった髪と居住まいを正し、扉を開けた。
どうやら後輩の二人はいないらしい。
そして、部屋の奥にはよく見知った顔の先生が本を読みながら座っていた。
「マーシュ先生、ソージ先生の事で、何か分かりましたか?」
すると、マーシュはゆっくりと本を置き、ミシェットを見、口を開いた。
「えぇ、彼と事件の関係性は何一つありませんでしたよ。急いで実家の執事たちにも調べさせましたが、なにも出てきませんでした」
「彼の身は、真っ白ですよ」