第0.5話:勇者
満月の煌きが雄大な姿を照らす、とある国の王宮。その地下教会ともいえる空間の中心には、巨大な幾何学模様の様な魔法陣が刻まれており、それを12人の人間が囲い、緊張した面持ちで見つめていた。その者達の表情は、皆一様に強張っている。
「……ではお父様、【勇者召喚】の儀式を行います」
「うむ、心苦しいが、他でもない神子バラシェラの予言を無視するわけにはいかん。始めよ」
「はい……『邪悪なる流星を払う者、闇を払う者、民を護る者、生命を導く者よ!汝らの願いを聞き、希望の光となって世界に顕現せよ!』【勇者召喚】!」
意匠の施されたドレスをその身に纏った女性が陣に手を翳し、朗々と呪文を唱えた瞬間、魔力の稲妻が迸ると共に幾何学模様がその線に沿って輝き始め、その光量は止まることを知らずにどんどん輝きを増していく。その光景はまさに、極小の恒星がその場に生まれたかのような眩さだ。
「きゃ!」
先ほど、呪文を唱えた女性はそのあまりの輝きに驚き、翳していた手を僅かに、だが確実に引いてしまった。
それが後々、世界にどのような影響を与えることになるかは、この時点ではまだ誰も……神ですらも知らない。
◇
キーンコーンカーンコーンと、大音量ではないが、確実に誰しもの耳に聞こえる程度の音量で鐘の音が鳴り響き、シャーペンを筆箱に入れる音、眠りから覚め身じろぎする音、今日の役目を終えた教科書をパタンと閉じる音がチャイムに続く。
「あぁ~終わった終わったぁ~」
俺、こと内宮澪慈は50分間座りっぱなしだったせいで固まっている体をぐぅーっと伸ばし、教師が教室を出ていくのを尻目に、ダラッと椅子に凭れかかった。
やっぱ6時間授業をずっと真面目に聞くのは疲れるな、危うく途中で寝かけちまったぜ。まぁこんなこと言ったら兄貴に、授業はちゃんと聞かなきゃダメですよ、なんて説教されちまうから言わねぇけど。余計なことは心の中だけで言うに限るぜ、うん。
などと、考えていると、視界の端で女子生徒がこちらへ向かってくるのが映る。その足取りに迷いはなく、目標が俺だという事に間違いなさそうだ。
「れ~じ~帰ろ~」
そう声をかけて来たのは、俺の幼馴染である菊野有希。栗色のショートヘアーが特徴的な女の子で、わけ隔てなく優しく接する性格と小柄で活発な姿から、傍からは天真爛漫に見えるのか、結構男子からの人気は高いが、実際は……
「あれ?お前なんか今日の放課後、屋上に呼び出されてなかったっけ?」
「え~、そんなのシ~ラナ~イヨ~」
ただの小悪魔である。
ま、ことある毎に呼び出されてたら、いい加減うんざりするよな。有希を呼び出した男には悪い気もしないでもないこともないが、仕方ない仕方ない。脈がなかったという事で撃沈していただこう。
「ま、いいや。じゃ、帰ろうぜ」
「帰ろ~お~っ」
そうと決まれば、いつまでも学校に居残る理由はない。机の横に引っ掛けてあるバッグに必要最低限なものだけをぶち込み、背負う。その頃ともなると、周りの友人たちもポツポツと鞄を担ぎ教室を立ち去り始めていた。
俺たちも、その流れに続くように歩き出す。
「お?澪慈、今帰りか?」
「あ、竜司だ!竜司も一緒に帰ろ~」
帰ったら何のゲームをしようかと頭の端で考えつつ、教室を出ようと扉を開けた瞬間、バッタリ出くわし、間髪入れず俺に声をかけて来たのは、もう一人の幼馴染、月崎竜司だった。
こいつは、漢!な性格をしており、柔道で鍛え上げられたその肉体は、制服越しでも分かるほど己の筋肉を主張している。
そして顔も美形という勝ち組仕様。もちろんモテモテだ。
……度々思うのだが、有希にしても竜司にしても、何故俺の幼馴染はこんなに高スペックなんだ。俺にも少しくらい分けてくれよ!
と、まぁそんなこと言っても俺の顔はイケメンにならないし、類稀な運動神経も身につかない。とうの昔に自分とこいつらを比べるのは止めたんだ。まぁ俺は俺らしく生きていくだけだよーっと。
◇
「いや、だから私モテたくないんだってば!めんどくさいし、うっとうしいしー」
「それは同感だな、関わりもないのにグイグイくる奴がたまにいて、かなり面倒だ」
「へん……モテる人の贅沢な悩みですねー」
帰り道、いつからそんな話になったのか、俺はモテることについてのデメリットを、思い思いに論ずる贅沢な言葉のオンパレードで、盛大に耳と心を痛めていた。
何がモテるのは面倒なだけ、だ。俺もな!そんなん言ってみたいわ!バレンタインにうんざりするほどチョコ貰いたいわ!
「そー言えばさ、創慈兄ちゃんにもそーゆー話ないのかなぁ?」
うぐぐぐぐ!、と心の中で妬みの言葉を叫んでいると、有希の何気ない一言で、話題は兄貴の浮かれ話にシフトした。
「うーん兄貴なぁ……」
脳裏に浮かぶのはニコニコと穏やかな笑みを浮かべてノホホンとしている丸メガネの男の姿。兄貴の気弱だけど優しい性格に心惹かれない人は、全くいないわけじゃない……はずなんだけど……。
「一切ないんだよなぁ……」
生まれてこの方、17年間兄弟をしているが、兄貴の女性と付き合ったなどと言う浮ついた話なんて、不思議なことに一度たりとも聞いたことがない。あ、いや、好きな人がいると聞いたことは何度かあるが、その全てが撃沈して終わっている。
恥ずかしいから誰にも言わないでくださいと釘を刺されているため、この二人にも言えないのはつまら……残念だ。
まぁ創慈さんだしな、まぁ創慈兄ちゃんだからね、等と若干失礼な納得の言葉のさなか、ピロン♪と、誰かの鞄の中でメッセージを受信した事を知らせる電子音が鳴った。
「ん?俺じゃない……か」
「私でもないよー」
「じゃあ俺か」
サッとスマホの画面を確認した二人に一拍遅れ、スマホの画面を開く。そこには確かに、新着のメッセージが着いていた。
「誰から~?」
「……兄貴からだ」
噂をすればなんとやら、メッセージの送り主は兄貴だった。まぁ内容自体は、大学で作業があるので今日は家に帰れません。お母さんに伝えといてください。という他愛のない内容だったが。
「ま、兄貴にそんな話は、それこそ異世界に行かなきゃ出ねーんじゃねぇの?」
そんなことを冗談交じりに口にし、ハハハと笑おうとした瞬間、世界が止まった。
いや、止まったのは俺たちだ。さっきまで普通に歩いていた体は突如ピクリとも動かなくなり、呼吸も出来ているか怪しい。
なんだこれ、何が起きてんだ!?と、唯一正常に機能する思考を回転させ、状況を把握しようとするが、なぜこうなっているのか、俺たちに何が起きてるのか、皆目見当もつかなかった。
そうして体が静止した丁度三秒後、俺たちの体の真下に見たことのない文字で描かれた魔法陣のようなものが三人を包むほど大きく展開し、激しい光が迸る。
「有希!竜司!」
そのあまりの異常事態に頭がパンクしそうなほど困惑しながらも、離れ離れになるまいと幼馴染二人の掌をいつの間にか動くようになった両手で掴む。
そうしている内にも光は激しさを増していき、掌に人肌の温もりが伝わった瞬間、俺たちの意識はホワイトアウトした。
◇
「ようこそおいでくださりました!4人の勇者様……が、た?」
魔法陣を囲っていた男たちの、白けた視界に色が戻り始めた頃、彼らの目にまず最初に映ったのは、喜びよりも困惑が大半を占めているような表情で、呆然と勇者を見つめる意匠の施された綺麗なドレスに身を纏った美しい金髪の女性―――王女―――を、勇者たち”3人”が同じようにポカンと眺めている……そんな、誰も予想していなかった光景だった。
次回より第二部が始まります。
投稿は約一週間後となります。