第10話:崩壊
街へ辿り着いた僕は、息を整えつつギルドに向かって歩いていると、前方に見覚えのある少女の後姿を見つけた。
「おぉ!ユーラシじゃないですか!奇遇ですねぇ!」
「……っ!ソージ、か……」
ユーラシはばっと振り向き反応を示すが、視線がキョロキョロと忙しなく泳ぎ、どこか居心地が悪そうだった。
「実はユーラシに渡したい物が……って、ユーラシ?どうしたのですか?様子が変ですが……」
「な、なんでもない!わ、私はちょっと用事があるから!じゃ!」
それだけ言うとユーラシはサッと走り出し、人ごみの中へと消えていった。
そんなユーラシを首を傾げながら、僕は彼女の背中を見送る。
うーん、どうにも今日のユーラシはおかしいですねぇ……、一度も目を合わせてくれませんでしたし……。
まぁ詮索するのは野暮とも言いますし、あまり触れないようにしますか。ユーラシにも色々あるんでしょうしね。
あ、そういえば髪飾りをあげるタイミングを失ってしまいましたねぇ、まぁこれは宿に帰ってから渡すことにしましょうか。喜んでくれるといいですねぇ。
と、疑念を打ち切り、ユーラシの喜ぶ顔を想像すると、少しルンルン気味になってフワつく足取りでギルドへと向かった。
◇
ギルドに着いて真っ先に目に着いたのは、普通の冒険者が着こむ様な鈍色の甲冑ではなく、何やら竜の様な紋章を刻まれた綺麗な白い甲冑を身に纏った人たちだった。
その数は20ほどで、洗練された覇気のようなものを醸し出している。
「王国騎士団……?」
その紋章は足の治療中に読んだ文献に載っていたアドルグ王国の王族の紋章に似ていて、その紋章を鎧の胸部に刻んでいるという事は、この人たちは王国騎士団、と当たりがつけられる。
でも何故この街にきてるのでしょう?
「っと、それよりもまずは報告ですね」
思考を打ち切り、足早に受付に向かったのですが……
「これは……無理そうですね」
騎士たちの中でも、格別大柄な男を中心に数人の騎士たちが受付を占領していて、依頼の報告も受注も出来る様な状態じゃありませんでした。
他の冒険者も迷惑しているようで、ボソボソと悪態をついています。しかし、表立って騎士に突っかかる人もいないようで、右往左往している人がちらほらと見受けられました。
やはり、国家権力には盾突けない……という事ですかねぇ?
「おい、あいつってまさかガーミナル・アズドミナじゃないか?」
「まじかよ!ガーミナルって王国騎士団の団長だろ!?王国最強の騎士がなんでこの街に……」
「さっき受付と話してんの聞こえたけど、この辺に出た山賊団を討伐しに来たらしいぜ。なんでも明日には討伐しにいくって話だ」
と、そんな会話が雑多との喧噪の中から、どこからともなく聞こえてくる。
ふむ、明日出動するということはもう山賊団のアジトは掴んでるのでしょう。なら、僕の情報は特に報告する必要はなさそうですね。
うーん、それにしても、この王都からそれなりに離れた辺境の街に現れた山賊団を、王国騎士団長が自ら討伐しにくるって、なんとも妙な話ではありますねぇ。
ま、僕には関係ありませんか。
あー、何だか暇になってしまいましたねぇ、宿に戻るのもまだ早いでしょうし……。
「あ、今日は久しぶりに薬師さんの店に寄りましょうか」
足が治って以来、ユーラシに連れまわされっぱなしで、一度も行けなかった怪しさ満点の店を思い浮かべ、ギルドを立ち去った。
◇
「で、暇だからって私のとこへ来たのかい」
「はい!久しぶりに顔を出そうと思いまして!」
満面の笑みでそう答える僕に薬師さんは、嫌そうな顔を浮かべる様なことはなく、やんちゃな孫を相手するおばあちゃんのような朗らかな笑みを浮かべた。
共に過ごした時間は短かったけど、色々と薬学について教えてもらってからは、とても仲良くなった気がします。
「あ、聞いてくださいよ。今日は何だか変なんです、ユーラシは僕に会うと慌ててどこかへ行ってしまうし、王国騎士団団長が自ら山賊を討伐に来てたり……て、どうしたんですか?」
今日感じた非日常な事柄を話し始めた瞬間、薬師さんの、見たことのない神妙な顔つきに少し狼狽える。その顔は、何かを惜しむ様な、そんな雰囲気が感じられた。
「……ソージ、ユーラシは今日は帰んないよ」
「え、何故です?」
「……ま、近いうちにわかるよ。さぁ、何も買わないならもう帰んな帰んな。私も暇じゃないんだよ」
「は、はぁ」
何かを考える仕草をとったと思えば、曖昧な答えしかくれず、シッシッと店から追い出される。
気にかかることは何かとありますが、客がいないとは言え、これ以上何も買わずにいるのも迷惑ですよね。
うーん、このおかしな現状はユーラシがいずれ帰ってきてから聞くとして……本格的に何もすることがなくなったので、今日はもう帰りましょうか。
……短い期間ではあったが、足の治療ついでで世話を焼いている内に、知らぬ間に可愛い孫の様な存在になっていた、相変わらず妙な格好をしている男が自分の店をスゴスゴと出ていくのを見送り、老婆は少し暗い心境を吐き出すように溜め息をつきながら深く椅子にもたれかかった。
「……全く、帝国にはろくな思い出がないねぇ……」
と、呟き、眼を閉じる。老婆はそうしながら、丁度ソージと知り合う少し前に、珍しく店に訪れた自分と同じくらい年を食った、馴染みの男との会話を思い出していた。
『よぅ久しぶりだな、サニラ。ユーラシはいるか?』
『ガラシャラ……その名前で呼ぶなって、何回言ったら分かるんだい?』
『ハハ、相変わらずだな。それより、今日はユーラシに用があって来たんだが……』
『ユーラシはここ3日は来てないよ、暫く毎日来てたのにねぇ。ひょっひょっひょ、男でも出来たんじゃないかい?』
『ハッハッハ!あんなガサツで男勝りなヤツに男なんてできるかよ。まぁいい、帝国の密偵から《来訪者》を探してこい、見つけて帝国に連れてきたら多額の報酬金を支払うって密書が届いてな、それをユーラシの耳にも入れたかったんだが……来てないなら仕方ないな……』
『あの子は案外乙女だよ。それよりガラシャラ、アンタまだ帝国と繋がってたのかい?《あの事件》以来すっかり手切れになっちまってると思ってたんだけどねぇ』
あの事件……もう30年近くも前にガラシャラがガルベザン帝国の命により起こし、一人の若い騎士による文字通り身を削った時間稼ぎで間一髪防がれた『王族暗殺未遂事件』。当の任務の失敗によりガラシャラは任務失敗と大罪人の汚名を背負って帝国を追われたのだが、まだ繋がりがあったとは……と老婆――――もといサニラは思った。
『それに、《来訪者》って言ったら、お伽噺の中の存在じゃないか、皇帝はついにイカレちまったのかい?』
『ま、その事関しては詳しく言えねぇが、《来訪者》はいる、王国にな。じゃ、そろそろ俺は行く。ユーラシが来たら伝えといてくれ、今週中にアジトに来いってな。あと、お前も来訪者見つけたら教えてくれ、なんでも来訪者ってのは変な恰好をしてるからすぐに分かんだとよ』
『ハイハイ、分かったよ』
……邂逅を終え、サニラは眼を開く。その数日後、ユーラシが連れてきた男、ソージを見た瞬間、ソージが《来訪者》だということはすぐに分かった。ガラシャラに伝えようかとも思ったが、治療中のユーラシの心配そうな表情、ソージを置いて店を去る時の妙な寂寥感、それらのことがあったから、黙っていようと考えていたのだが……。
「山賊団も限界……ってことなのかねぇ。……寂しくなるねぇ」
惜しむように天井を仰ぎ、一つ、息を吐いた。
◇
その日の夜、結局、薬師さんの言う通りユーラシが帰ってくる気配は一向になかった。何かあったのでは、という疑念が脳裏をよぎるが、薬師さんが帰らないことを知っているなら、これは予定通り。つまり今、ユーラシは何らかの用があって帰ってきていないという事になる。
まぁ、こんな夜更けに何をしてるんだろうという思いもありますが、あまり詮索すると鬱陶しがられるかもしれないので、聞くのは止めておきましょう。あぁ、この髪飾りも渡そうと思ったんですがねぇ。
と、部屋に備え付けられている棚に髪飾りを置くと、すっかり暗くなった街並みを少し眺め、布団へと移動する。
「仕方ありませんね、もう寝ますかぁ」
布団に潜り込み、瞼を閉じる。すると、案外体も疲れていたのか、すーっと眠気は深くなり、意識は暗い彼方へと落ちていった。
……目が覚めたのは、全くの偶然だった。眠りが浅くなるレム睡眠のタイミングで、その者らが現れ、その気配で目が覚めたという、ありふれた偶然。そして、それが不幸なことかどうかは、本人のみぞ知ることだ。
「誰……です?」
寝起きの寝ぼけ頭が辛うじて認識した複数の人影。その一つは、暗がりでもハッキリと分かるほど慣れ親しんだシルエットだった。
「ユー……ラシ?」
「……縛れ」
僕がそのシルエットが本当にユーラシかどうか確かめようとメガネをかけた瞬間、聞き慣れているはずなのに、まるで声が似ている別人かと思うほど少女の温度を一切感じさせない声色の一言で、複数の気配が僕に集まり、一切抵抗の余地を残さず手や足、口まで縛られた。その突然の出来事に脳は強制的に覚醒し、思考がクリアになってゆく。
そこで段々と見えてきたのは、3人のごつい男と、その中心で僕を見下ろしているいるユーラシの姿。そして、男たちにも僅かに見覚えがあった。そう、昼間森で見かけた山賊の男だ。なぜ山賊とユーラシが一緒にいるのか、なぜ男たちはユーラシに従っているのか、頭の中は『?』でいっぱいだ。
「むぐ!むぐぐうう!」
布を噛まされているのか、うめき声すら満足に発せない。
何故ですユーラシ!何故こんなことを!
「わりぃなソージ、恨んでくれてもいいぜ。もう……こうするしかないんだからな」
そう、芋虫の様に床に押さえつけられている僕を見据えながら口にするユーラシの顔には、一切の感情が見受けられない。まるで冷徹な殺人鬼を彷彿させてしまうような、そんな表情だ。
そしてユーラシは、再び男たちに命を出した。
「連れていけ」
真っ直ぐと無慈悲に発せられたその声に、男たちは静かに頷くと、僕の体を持ち上げ、窓から颯爽と飛び出す。そうか、と今更に理解した。ユーラシは……彼女は……山賊団の一員なのだと。
合点がいくと共に顔をふと上げる、そうして見えた夜の街並みは、月や星の明かりしかなく、とても、暗い。まるで宇宙の深淵を覗いている様な、そんな恐怖を覚えた。
街を抜け、森に差し掛かった時に、ふと思い出したのはユーラシの言葉だった。”ユニークスキルを持つ者は狙われ、高い金で売買される。行く末は奴隷か実験動物、人間兵器……ろくなもんじゃない”
……ユーラシは、最初から僕を売るつもりだったのですか……?あの日々は……偽りだったのですか……?
楽しくてキラキラしていて、これからも続くはずだった日々が、続くと信じきっていた日々が脳裏を過ぎ去っていくと同時に、自然と涙が溢れ出しメガネを濡らす。
猿轡に遮られて、僕の嗚咽は、意味のないうめき声となって、暗闇へと消えていった。
◇
窓が全開になっている宿の一室、そこには一人の少女が佇んでいた。言わずもがな、ユーラシである。
「あーあ、ソージには嫌われちまったかなぁー」
言葉にすると、胸がキュッと切なく締まる感覚を強く感じながら、自嘲気味に呟く。その表情はどこか痛々しさを感じさせるものだ。
「ん?なんだこれ」
ユーラシは部屋に備え付けられている棚の上に、キラリと月の明かりを反射している物を見つけ、近くに寄って確認する。するとそれは精巧な赤い花細工の髪留めだった。
そこで、ふと、昼間ソージと偶然会った際、言いかけて曖昧になってしまった言葉を思い出す。
「……『渡したい物』ってコレだったのか?」
髪飾りを手に取り、何気なしに光に翳す。すると、キラキラと花は赤く煌き、儚げな美しさを醸し出した。
「ハハッ、ソージもバカだなぁ……」
ポロリ、と一粒の涙がこぼれ落ちる。
「こんな女らしい物……私に似合うわけねぇ……だろ」
―――――ポロポロと静かに流れ落ちる涙の感覚は、顔を手で覆い隠しても、止まることはなかった。
次回、第一部最終回です。