第六話 記憶の中
少年野球を初めてからは家にいる事が少なくなり、どんどん顔を合わす時間は減っていった。
何が面白いのかはわからない。
退屈な日々から解き放たれて目の前にある新しい世界には、
細かい事なんてどうでも良かったのだろう。
ボールを追うごとに世界が広がるタスク。
窓からの景色が全てのスバル。
全くの別人になるのに時間はかからなかった。
同じ血が流れ同じ顔を持っていても、心まで同じように持つ事はできない。
目を合わす事が無くなり、家の中にお互いの気配を感じながらも、
それぞれの時間が流れてゆくだけ。
だんだん手に馴染むグローブ、土の香り、汗の染みたユニフォーム。
何度も読んだ古い昆虫図鑑、押し花のしおり、着慣れたパジャマ。
「…最後に会ったのはいつ?」
未知の声に、ハッと我に返った。
そうか、ここは電車の中だ。
窓の景色に吸い込まれ、記憶がどんどん蘇り、脳内の記憶の海に沈んでいくようだった。
目の前には未知が顔を覗き込み、心配そうな顔をしている。
「…えっと。」
今、自分がどんな感情なのか、頭が全く回らない。
記憶は確かで、そして曖昧だ。
未知はふぅ、と軽く息を吐き、背伸びをして視線を合わそうとする。
華奢で小さい体がふわっと浮くような、そんな感じがした。
「記憶、鮮明に見えた?
人によってぼやけてたり、ハッキリ見えたりするんだよ。
私は雰囲気くらいしか感じられないんだけどね。」
口元に人差し指を添え、くりっとした丸い瞳は天井へ向けられた。
この状況は一体何なんだ。
夢にしてはやけにリアルだし、夢の中で過去を思いまた夢を見るなんて滑稽すぎる。
汗ばんだ手のひらを見つめ、ぎゅっと握りしめた。
「会いたいっていうのは、わからない。
でも…やり残した事はあると思う。」
「ほんと?」
未知は期待しているような表情で返事をした。
「う…うん。たぶん。
でも、どうすればいいんだ。」
「だいじょーぶ!!
それを案内するのが私の役目っ!!」
握りしめた手を未知は両手で包むが、小さな手からはあふれてしまう。
ゆっくりと指をほどき絡め目を輝かせる。
案内役と言っていた、その使命を受けた少女。
不思議とその瞳に早鐘のような心臓がゆっくり溶けてゆくのを感じた。