永遠
永遠とは螺旋階段に例えられる。終わりのない螺旋階段だ。そこへ足をのせたならば、その男(誰でもない。女かもしれない)は、登り始めたのは、その始まりはいつだったか、いつの間にか忘れ、ただ足を次の段へのせることのみを生業とし、永い永い時の流れを横目に見ながら、ただ、足を次の段にのせる。それを繰り返した末に、いつしか螺旋階段とその男(誰でもなく誰かである彼)は、自らと螺旋階段の境を失い、自分が螺旋階段なのか、螺旋階段が自分なのかわからなくなり、存在を失い、正しく消滅する。しかしながら螺旋階段は存在し、男(この小宇宙、或いはこの次元に存在するする全てのもの)は螺旋階段となる。そもそも彼の視ていた時間の流れこそが螺旋階段であり螺旋階段とは彼の存在自体だったのだ。
永遠とは螺旋階段だが、螺旋階段ではない。私が螺旋階段という概念を使用すればイメージしやすいというだけで、もしかしたらウロボロスを想像する人も居るだろう。メビウスの環であるかもしれないし、もっと他のものの方が貴方にとって想像が容易いのかもしれない。
貴方にとって永遠とは何で言い表せる?
そう問いかけられて貴方は何を想像するだろうか。想像したそれこそが貴方の内包する永遠。永遠は、ひとつであり全。貴方の考えたそれは私にとっても永遠である。私の永遠――つまり螺旋階段は貴方の考えた永遠でもある。
人間のみがこれを考えられる。少なくとも、太陽系の中では人類のみが考えられるとされている。それは罪ではなかろうか。進化による退化によって生まれた罪。思考することは大抵罪ではなかろうか。
永遠について考えることは罪だ。
何故罪なのか。それは永遠とは無だからだ。
永遠とは螺旋階段である。永遠とは***(貴方の考えた永遠の概念)である。しかしながら永遠とは無だという。おかしな話だと思うか。いや実際おかしな話だが。
永遠は無なのだ。だが人間はこう例えることもできる。永遠とは螺旋階段だと。永遠とは***だと。その時点で永遠とは無ではなくなる。存在する何かへと変貌する。
我々は無を有へ変えてしまう。それこそが罪だ。我々の業であり業なのだ。 (「ある哲学者の手記」より)』
ある哲学者がこう述べた。その二ヶ月後、彼は死んだ。彼は永遠となったのだ。彼の思う永遠に。だけれども、彼の妄言を飲用すれば、死が永遠で、無だとして、我々が死について考えたとき死は有となる。なってしまう。永遠が有となるように。
嗚呼。悲しいかな、彼は正しかったようだ。
少なくとも、死は永遠だった。しかしながら無ではなかった、彼のいった通り。
「須原さん……?」
「黙れ」
私は彼女を殺した。
「え、え? 嘘、ウソウソウソウソ! いや……いや、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァ…………」
「五月蝿いなぁ」
僕は彼女の首を絞めた。僕の指が首にめり込むほどに、力を込めて首を絞めた。僕は笑った。彼女は静かになった。
「よいしょっ、と」
その後、彼女を床に寝かせた。
「……」
そして、手を広げて、彼女に渡した指輪を彼女の指ごとハンマーで潰した。指輪は思ったよりも簡単にひしゃげた。
殺した理由なんて簡単で単純だった。彼女が嫌いだった。それだけ。尻軽で男を変えるのも早くて僕を愛してくれてた彼女はすぐに居なくなった。それだけじゃない。僕を使い捨てのコンドームみたいに捨てた後また僕にすり寄ってきて復縁を申し込んできた。僕が某T大に受かったからだろうか。いずれにせよ生ゴミに集るハエのように煩かった。僕が付き合っていた時に渡した指輪を着けてきて、「あのときみたいに愛してください」なんてあのときと変わらない口調で言ってきやがった。あのとき渡した指輪はあのときのままで、久し振りの日の光がまぶしそうだったというのに。そのくせ僕に求愛してる間も他の男と付き合っていた。それも何人も、だ。そして昨日、僕にところに来て言った。「貴方だけを愛してる」なんて。こんなにも薄っぺらな愛の言葉を僕は初めて聞いた。
そして気付いたんだ。自分がそれを好ましく思っていることを。心の底では彼女を昔のように愛したいと思っていると。そんな僕自身の存在に気が付いたとき、彼女は僕に舌を伸ばした。長い舌だった。
僕は僕自身を彼女に壊されるのを知った。彼女は僕を道具のように思っている、そのことを僕が許そうとしていることに激昂したのである。だから殺した。僕を『殺される』前に殺したのだ。
でも……まぁ、さらに笑えることに、その日が僕の最期になったんだ。あっけなかったね。まさか彼女のマンションの帰り道で、軽自動車が突っ込んで来るなんて思いもしなかったよ。
そうして、ここに来た。
図書館。
図書館としか形容の出来ないここは、『永遠』だった。抜け出すことの出来ない永遠。それがここだ。
ここには多くの本があった。これまでに僕が読んだことのある本から、本屋で見かけただけの本までがこの場所に存在した。僕は他人と比べれば多くの本を知っていたし、多くの本屋を回っていた。だからだろうか――僕の永遠は図書館になった。
僕は、何故か、この場所が『永遠』であることになんの疑念も抱かなかったし、ここは『永遠』であることを感じ取っていた。
ここに僕が居ること自体が、この図書館が在るということと同義なのだ。これが僕の妄言で妄想であったとしても、ここは『永遠』である。
あの哲学者の妄言を、彼のブログで閲覧したとき、僕は想像したからだ。
この図書館を。
僕は
その時に
確かに
ここを、
想像した?
いや、止めよう。考えたところで何も始まらない。
それにしても、ここにはどれ程の本が存在するのだろうか。ざっと見回しただけでも一万冊以上あるように感じられる。階段が枝分かれして、上階と階下の通路に繋がっていた。上を見上げれば際限無かったが、下には幾らか階段を下れば広間に着くようだった。僕は階段を下りることにした。
階段を下りていると、僕の短い生涯が、走馬灯のように脳裏を横切り、躰を駆け上がってきて――もう死んだ後だというのに――僕を飲み込む。
ひどい眩暈で階段を踏み外して、僕は階段を滑り下りた。
僕はすぐに躰を起き上げることが出来た。躰に痛みを感じてはいなかったが、ただ頭の奥の方がズキズキと痛んだ。躰を起き上がらせたは良いものの、しばらく手摺りにつかまって、じっと痛みが去るのを待たなければならなかった。
その時、僕のすぐ側に女が一人立っているように感じた。暗闇の中で、痛みに浸食された意識の中で、女の吐息が肩にかかったようだった。艶めかしく、生温く、しかし僕の背中に悪寒を走らせたその息を吐いた女は、意識が躰に戻ってくると同時に、消えた。
ここが幻そのものであるというのに、恐ろしい悪夢を見た後のように背中に冷たい汗が流れていて、そして今起きたことの殆どを忘れていた。夢だったのか? 否、夢だったのだろう。
妙な気怠さと、得体の知れない恐ろしさだけが世界を包み込んでいた。
赤色の絨毯に足が付いたとき、僕は深く溜息した。上にあった浮遊感が無い、それだけで心が安らぐ。地に足が付く。まさにこれのことだ。
最下層であるここには机が一つ孤独に置かれている。上階からも見えていたが、尚のこと独りだった。僕は近くの本棚に目をやり、吸い寄せられるように『ある哲学者の手記』を手に取った。これが元凶であり、これは招待状だった。全く読む気はしなかったが、無造作に本をめくると、不自然に栞が挟まれていて、線が引いてある。
「『我々は無を有に変えてしまう。それこそが罪だ』、か……」
僕はそれを静かに本棚に戻した。目線を机に戻すと、女が座っている。僕は驚きのあまり奇声を上げた。
女が、そんなに驚く必要はないでしょ、と述べた。だけれども僕は驚かずにはいられなかった。
彼女だ。
僕が殺した彼女本人だ。何故ここに。ここは僕の永遠のはずだ。お前が居てはならない。
しかしながら彼女はそこにいた。スッと立ち上がると、硬直していた僕に向かって歩いてくる。動けなかった。
彼女は顔を近づけて僕の頬にキスをした。
「怖がらなくても大丈夫」
僕の唇に彼女が触れた
「私に躰をまかせて、須原さん」
彼女の腕は僕の首元に降りていき、その小さな手は僕の気管をしっかりと押さえつけた。
「怖がらなくてもいいの」
彼女の指が喉に食い込む。苦しいが、躰は動かなかった。
「そうです、そのまま」
「死になさい」
僕は気づいた。彼女の人差し指が拉げていることに気が付いた。僕が渡した指輪がはめられていた。壊れた指輪だった。僕が壊したもの。
――ひどい目眩がする。
ぐるぐると世界が回る。
頭の奥が痛い。
あぁ、僕はこの『永遠』の中で死ぬらしいな。
そう考えながら死んだ。
彼女の顔が憎しみで歪められていたとか、そういうことはなかった。
ただ……涙で濡れていただけだ。
僕は底無しの闇へと墜ちていったのである。
図書館の机に独り座っている。それは静かで、生きていないかのようである。そこは沈黙して、それを見ていた。
それの眼が、ゆっくりと開かれる。
僕は覚醒して辺りを見回したが、誰もいない。僕一人だけ。
上には際限なく階層が積み重なり、階段が幾重にも枝分かれして交差している。だが見上げると真中だけは吹き抜けであった。隙間なんて無いはずなのに、どこかで風の音が鳴っていた。
僕の指は間違いなく動いた。僕の身体は間違いなく僕の身体としてここに在る。そのことに僕は笑って見せた。
彼は何処へ行ったのかな。
ここにいるじゃないか。
だけどこれは僕さ。彼の身体ではない。
そう、彼は永遠になったんだ。
彼の永遠を過ごしているよ。
また僕は笑った。けれども、何故か頬は引き攣って、乾いた笑いが出てきた。
机のスタンドライトを消した。
気付いたら泣いていた。
闇の中で。
僕はアレを読んだとき、
光の殆ど届かない、深海を流される自分を思い浮かべた。
不思議と苦しくはなかった。水の流れは強かったが、僕は流されるままでいた。
目の前を、塔のような図書館の模型や、スノードームだとか、色々なものが流れていった。
その白昼夢は、
とても、
とても現実だった。
目を閉じて、
開いたとき、
そこは