絶対的孤独
ツアー開始
私は、今までの貯金を全部はたいて今回の火星ツアーに来ました。火星まで到達するには、高速化された最新の宇宙船でも往復で数か月もかかるので、人生で一番きれいで楽しい時期を宇宙船に縛り付けられて過ごすなんてと友達は皆反対します。貿易会社のOLをしながら4年がかりで貯めたお金を全部使いました。それだけのお金があれば、世界一周の豪華クルーズに恋人と出かけられたのにとも言われたけれど、私にとっては、そっちの方がよほど無駄なことです。今度の火星行を元手にして、支払った分以上に稼ごうという目論見があるのです。
ツアー客は全部で4人、それにツアーコンダクタ1人が宇宙船に乗り込みました。パイロットはいません。自動操縦で運行します。状況によっては地球との交信が必要なので、火星ツアーのコンダクタになるには、地球との通信技術講習が義務づけられ、その資格を持っている必要があります。「皆様、ご乗船ありがとうございます。私はパイロットコンピュータの・・・でございます。ご一緒に、楽しい旅をいたしましょう。まもなく発射です」とアナウンスがあり、すぐに発射。カウントダウンなんてショーは有りません。
少々体が重くなったことを感じた後、無事、地球の引力を脱して宇宙空間へ飛び出しました。あとは寝て待つだけです。船内は照明が落とされ、人間が必ず眠るという振動数を主音とした音楽が聞こえてくると、たまらなく眠くなってきました。寝ている間の体の維持は、胃の中でスケジュール通り栄養素と水分が溶け出して吸収される体内点滴装置を飲み込んでいるので、喉が渇いたり、お腹がすいて目を覚ますこともないのです。この装置は、地球に帰るまで機能し続け、食糧や水といったものを積み込む必要も無く重量も軽くなり燃料を節約できます。それに、排泄物もガス状になるので、宇宙服からパックにつめて宇宙空間に排出しやすいというわけです。
それから、数か月、静かな宇宙空間を火星に向かって眠ったままで旅をしました。途中、小惑星に引っ張られそうになったり、宇宙ゴミとぶつかりそうになったり危険なことは多々あったようですが、それも知らずに過ぎていきました。宇宙は結構せわしない世界になっているようです。
ツアーメンバー
火星到着の数時間前にスケジュール通り目が覚めました。ツアーコンダクタ氏が「皆様、おはようございます。まもなく、火星につきますので、ツアースケジュールをお知らせします。」と口を開きました。彼の睡眠スケジュールは、私たちのように到着まで眠り続けるものではなく、通信作業や本社への報告のために、何度か起こされます。少し寝不足のようでした。
スケジュールによると、ツアーは滞在時間わずか5時間しかありません。火星とその衛星そして太陽との位置関係から、5時間後に出発しないと、予定通りに地球に戻れるための軌道に乗れなくなるとのことです。「スケジュール分しか、皆様の体内点滴装置は持続しません。そして燃料は、この軌道に乗って帰還する分しか積んでいません。ですから、時間厳守でここに戻ってきてください。戻れない場合は、お待ちすることができません。」バス旅行とは違って危険が一杯の旅なのです。
次に、この宇宙船から発信する信号を受信できる端末を渡されました。「どこにお出かけいただいても、この端末にロケットの方向とそこに戻るために必要な時間が表示されます。これを使って、必ず、時間までに戻ってきてください。」「火星から持ち帰ることができる物は、これからお渡しする容器に入るものに制限されます。もし、宇宙服の中に隠し持とうとすれば宇宙服を破損し、死に至りますので、絶対に不正はしないようにお願いたします。」と10cm四方の透明な袋を渡されました。
ツアーのメンバーは4人です。中年女性、20代男性、初老の男性、そして私です。コンダクタ氏の説明が終わってから、私たちはツアー出発の準備が整うまで雑談しました。少し話が途切れると不安が忍び込むような気がして、皆、努めて明るくおしゃべりを続けました。それぞれの旅の目的を最初は明かさなかったのですが、同じ状況に向かい合っている一体感からでしょうか、打ち解けるに従い話始めました。
若男性は、宇宙服に着替える前は背広にネクタイでしたので、私はサラリーマン氏と呼ぶことにしましたが、「ぼくは、出張です。本当は宇宙酔いとかするたちなので、辞退したかったのですが昇進にも関係しますからね。別荘開発ができないか調査のためです。」と言って、皆に名刺を配りました。名刺は薄いディスプレイカードで、表面に彼の顔と名前、地球、火星と次々とイメージが映し出され、最後に大手不動産会社の名前が徐々に大きくなり、最後は画面一杯に広がりました。「また、開発ですか。」と初老の男性、これからは紳士氏と呼ぶことにしますが、は少し顔をしかめたようでした。
なんとなく、気まずい雰囲気になりましたが、すかさず、中年の女性がつくろうように明るい声で、「わたしは、美のために来ましたの。」たしかに、彼女は美しく化粧をしていたし、宇宙服に着替える前は私が一生着ることができないような、薄く青い色の地に蝶の手刺繍が施された、絹のドレスを着て、真珠のネックレスをしていました。どこかで見たことがあるので、女優かもしれないので女優氏と呼ぶことにします。その化粧は睡眠中もはげることなく、しっかりと固定していました。
「美容関係のお仕事ですか」と私は尋ねました。「まあ、そんなものですわ。私は、火星の赤い砂がお肌に特別な効果があるのではないかと見込んでいますの。それで、パック剤を作ったらと思い立ちましてね。」「販売が目的ですか」と先ほどのサラリーマン氏。「とんでもない。わたしだけの秘密にしておきますのよ。他の女性よりも、長く若さを保てます。もちろん、それは私の仕事にプラスですわ。」彼女は、私も女性であるので、あわてて、「あなただってそうなさいますよね。」と同意を求めてきた。
私は「もちろんです。」と答えました。「それで、あなたは、どんな目的ですの」「あ、私は、その観光で」と答えました。これは、本来の目的を隠すには結構、便利な答え方です。「まあ、おもしろいご趣味ね。」と女優氏は言い、「いやいや、今後、そういう方のために、わが社は開発を考えているのです。ぜひ、お帰りの際には、別荘についてご案内したいですね。」とサラリーマン氏は言いました。
私の真の目的は別のところにありました。当時私は仕事で、次の年のファッション予測のために古い新聞アーカイブを調査していました。人間のアイディアには限界があるせいか、ファッションは周期的に古い流行が形を変えて出てくるのです。新聞って、ページをめくると、前のページとは全く違う分野の記事があるんです。ファッションの次のページに、21世紀に行われた火星探査の記事がありました。
昔、海があったかもしれない痕跡と説明のある少し青灰色の楕円形が映っていました。それが、何なのか、大きさはどのくらいなのか、説明の部分は失われてしまっていましたが、私は、その美しさに見入りました。砂浜に残された海の潮溜まりの跡のように思えました。これを掬ってガラスに詰めペンダントにしたらどうだろう。光に透かしたらどんなに美しいことだろうと思います。高い値段で売れるかもしれない。そうすれば、今回のツアー費用なんて簡単に元が取れるし、仕事も辞めちゃいたい。と皮算用したのです。本当の目的は隠し、一人で商品化を夢想していました。
「みなさん、何のために、そんなにあくせくと動きまわるのでしょう。」と紳士がため息をつきました。女優氏が「そういえば、あなたは、どんな目的ですの」「そう、私にも目的があります。だれもいない大地を感じることです。もちろん、何もせずに。まったく、生命活動が存在しない所に行きたいのです。」と紳士氏は厳かに言いました。たしかに、現在の火星に生命はいないと、すでに21世紀に結論づけられていましたから、だれにも邪魔をされる心配はありません。
「それならば、地球にいても砂漠の真ん中とか、海の無人島とかあるのに、なんでまたこんな遠くまで。」と女優氏が言うと、若きサラリーマン氏も「私も、時間の余裕とお金があれば、わざわざ、ここまで来ませんよ。地球の方がよっぽどいい」と同意いたしました。紳士氏は「人間、いや生き物のエネルギーに影響されない所に行きたいのです。」と言って口を閉じました。よほど、実生活にお疲れなのでしょうと皆は気の毒に思いました。もうツアーに出かける時間です。
フリータイム
「では、みなさん、十分注意してくださいね。なにかあった場合は、とにかく緊急ボタンを押してお報せください。本社に報告しなければなりませんから。」とコンダクタ氏は言いました。宇宙船の扉のある小部屋に移動し、私たちは、順番にタラップを降りて、火星の大地に降り立ちました。4人はそれぞれ、別の方角に向かって歩き始めました。
サラリーマン氏の行程
サラリーマン氏は宇宙船の目の前に広がる丘に向かっていった。規模も手ごろだし、この丘の命名権を買って、わが社の社名をつけて、別荘を売り出したら、おおいに儲かるだろうと考えていた。丘は赤茶けた色をして、なだらかな角度で高まり反対側に広く長い裾野を広げている。近づくと、斜面は赤茶と灰色がかった縞状の模様を持つ地層を幾筋もの水の流れが削ってできたような多数の突起で覆われていた。台形やお椀型をした突起の間を登り、頂上に立つと、はるか先に砂煙でぼやけた地平線が見えた。
クレータがところどころ大小の円形の縁を刻みこんでいる。平原からなだらかに盛り上がる高い山が遠くに見えた。広大な赤い大地と、けしって到達できそうもない地平線を前にしてして、サラリーマン氏は大きな空間の中で宙に浮いているような感覚を味わった。仕事のことはすっかり頭から抜けていた。丘のふもとを女優氏が一人歩いていく姿が見える。
女優氏の行程
女優氏は、丘の麓から続いている平原の中を歩いていた。河原のような小石の原があり、そこを超えると帯状に干からびた土地が続いていた。濃い灰色をした地面には細いひび割れの筋が縦横に刻まれている。その場所に足を踏み入れると、表面の土はさくと崩れて、下からなめらかな赤い土が現れた。
女優氏は興奮した。手にとりすり合わせてみると、宇宙服の仮想感覚装置を通して、キュキュと音を立てそうな粒子の細かさを感じた。そのまま、頬にすりつけたいほどであった。全身パックができるほど持ち帰れたらどんなにいいか、と思いながら、袋がはち切れそうなほどに詰め込んだ。この土の成分が本当に美容に効くのか怪しいところだが、女優氏にとっては、そんなことはどうでもよかった。他の誰も持っていない、自分だけが知っているという事、それが大事なのだ。
私の行程
私は、探査機の記録を基に、あるクレータを目指した。なんの根拠もなく、そこに行けば目的のものが見つかる気がしたのだ。宇宙船が着陸した盆地状の場所を出てると、乾き切った平原にでる。ここから歩いて1時間のところにクレータはある。宇宙靴が埋まりそうな砂の下に、脆い礫が埋まっていて、踏むたびに足裏で崩れていく。
クレータの縁は写真でみると、低い土手のように見えたが、近づくにつれて、それは刑務所の塀のように高いことがわかった。ここで諦めてはならぬと、宇宙服を傷つけないように注意して岩の壁を這い上がる。宇宙服の中で自分の息が轟々と響く。登りきると、クレータの周縁がはるか先の地平線まで続き、見渡す限りの石ころの原であった。広大な空っぽの円であった。
勝手に、写真で見た青灰色の潮溜まりが輝いている光景を想像してきた私は力が抜けました。儲ける目論見が外れた私はとにかく土産、いや金になるものを探さねばという思いでした。少し先に小さい円形の突起が一面に広がった場所が見えます。もろい岩がわれて散らばっている他の場所とは明らかに違う。それは風が作ったのか、不思議な眺めでした。
その場所には、木の実くらいの大きさの半球状の砂饅頭があちこちにできていた。そして、砂饅頭の中は中空なのか、それが崩れた痕の窪みが所々にあり、半分砂に埋まっている。私はペーパウェイトとして売れそうな丸い石をいくつか見つけて袋に入れようと屈みこんだ。そのとき、割と大きな1つの砂饅頭の端を崩してしまった。
砂饅頭は、ぼそっと崩れ、楕円形の窪みが現れた。内部は青灰色をしていた。薄い水色と灰色が混ざった細かい結晶の粒が内部を覆っていた。結晶は様々な青の諧調を持ちモザイクのように窪みに張り付き、窪みの周縁部は砂の成分と混じり合い灰色がかった結晶粒で縁どられていた。私は、これこそが私が見たものだと確信しました。そして見入りました。しかし、それを崩して持ち帰る気にはなれませんでした。
紳士氏の悟り
紳士氏は、谷に向かった。両側は、一枚一枚が薄く赤黒い岩の板を何枚も高く積みあげたような崖である。紳士氏は、ひたすらに、奥へと進む。両脇の崖はますます高くなり、谷幅は狭くなる。私は何から逃げているのか、紳士氏は自問した。仕事、我が家にいる犬、猫、花、木、虫、鳥、家族。わずか数時間でも絶対的な孤独に浸りたいと願って来たのだ。谷の奥底に一人座る自分の姿を想像した。
1時間ほど歩き、谷の奥底に達し、そこは高い崖で囲まれ、頭上に狭い空が見える。誰も邪魔する者はいない静寂が満ちている。やっと理想の場所にたどり着いた。しかし、喜びは一瞬だった。じっとしていることができないのだ。この静寂に耐えることができないのだ。紳士氏の絶対的孤独願望はわずか5分で終わった。
紳士氏は、谷から崖上に出れる場所を探して這い上がった。その場所からなだらかに砂の斜面が宇宙船の見える盆地まで続いていた。谷は、入り口からぐるっと回って宇宙船の方に戻っていたのだ。さほど宇宙船から離れていないことがわかり、紳士氏は自分の願望は願望として脇に置き、とにかくホットした。
帰還
全員が無事に時間までに宇宙船に戻ってきました。袋に土産を持ち帰れたのは女優氏だけでしたが、皆満たされていました。宇宙船に乗り込み、帰りの睡眠に入る前、サラリーマン氏は転職を考え、紳士氏は庭木の手入れを思い出し、女優氏はインタビューで美の秘訣を問われている自分を想像しました。私は、帰ったら水に満たされた地球の海に行こうと思いました。
私は、あのクレータでの出来事の他にも心に刻みつけた事がありました。
青い窪みをそっとそのままにし、クレータから出て宇宙船に戻ろうとしたとき、右手前方にある崩れそうな岩の陰にポツンと銀色に光るものを見つけました。それは、火星探査の初期に送り込まれた探査機でした。キャタピラがボロボロになって、車輪もはずれ、動くことはできません。機体の上に設置された太陽光パネルや測定装置、ケーブルも破損し、砂を被っています。首のように伸びたアームの先に着いたカメラは2つのレンズを持ち、大きな目を見開いたロボットの顔ように見えます。この探査機が私の見た写真を送っていたのかもいれません。驚いたことに、まだ完全に停止していないのか、私が近づくとカメラの顔を私の方に少しだけ向けました。動くものがあれば、地球に写真を送信する仕事を思い出したのでしょう。
それから、また元の角度に頭を戻し、地平線の先を見つめました。彼の視線の先には、瓶の蓋のような丸い太陽が少しづつ地平線に向かって落ちていこうとしていました。彼は絶対的な孤独の中で、この星が静かなままであることを願っているように見えました。




