手の掛かる拾いもの
三人で遅めの昼食を摂り終えて宿に戻った直後、タマとミケの二人はくちくなった腹を擦りながら、寝台に倒れ込むようにして昼寝に突入した。
よほど疲れが溜まっていたのか、男がつついても転がしてもピクリとも反応する気配は無い。
「無理もねえか…」
大人でも厳しい強行軍というか、寧ろ大人のハイネが付いて行くのがやっとの早さでの移動だったのだ。
おまけに害敵だらけの樹海で男に一度も剣を抜かせる事なく逃げ切って見せたその“勘”の良さは、最早特殊能力と言って差し支え無い域のもの。恐らくかなりの神経を消耗した筈だ。
男が帰郷に際してこの二人に誘いをかけたのは、ほんの思い付きからだ。
故郷に戻ると言ったところで帰りを待つ者がいる訳でもない身の上が少しばかり侘しくなって、それこそ野良猫を拾うような感覚で、気が付いたらつい口に出してしまっていた。
気紛れに同行を決めたらしい二人も、初めは常にこちらを値踏みしている様子であったため、いつふらりと姿を消してもおかしくは無いとさえ思っていた。
それがいつ頃からかごく自然にジャレついて来るようになり―――今ではあれほど用心深かった二人が、男の隣で爆睡するほどなつかれてしまった。
いったいどんな心境の変化があったものやら。
「はー…。靴くらい脱いで寝ろってんだ…」
男は団子になって眠る子供をそれぞれゴロリと仰向けにして上着を剥ぎ取り、靴を脱がせてからもう一度団子にして寝床に転がした。
くぅくぅと寝息を立ててされるがままになっている二人の子供の寝姿ときたら、なんとも気の抜ける有り様だ。
――――まぁ、拾っちまったもんは仕方ねぇ。
そう言いながらも男の表情が自然とゆるんでいる事を指摘する人間は、その場には誰もいなかった。
◇
「住民登録ー?」
「…って、ナニすんだ?ハイネのおっちゃん」
翌朝、目を覚ました二人を連れて男は町役場まで出向いていた。
「一時滞在じゃなくてジグラッドに住み込むとなると、色々手続きが要るってこった。一応俺がお前らの保護者だ」
「『とーちゃん』か!」
「スゲーなおっちゃん!イキナリ二人の子持ちかよ!」
「………あぁ、まあ…そんな感じか…?」
「「嫁もいねーのに!!」」
「ウルセェ、餓鬼ども!」
申請の窓口で三人がギャーギャー騒いでいると、年輩の男性職員が書類片手に口許を震わせながら奥から姿を現した。
「プッ…スマンがこれに必要事項を記入してくれんかね」
「…はいよ」
男は受け取った紙切れの空欄を上から順に埋めていき、肝心の子供二人の情報についての項目でピタリと手を止めた。
「…お前らのその名前、本名か?」
「えー?知らねーよ。前にテキトーに付けられたんだ」
「タマが『タマラ』でオレが『ミケーネ』なんだと」
「どっちも女名じゃねぇか…」
「名前付けた奴、オレらの事女だと思ってたからなー」
「シツレーな奴だよな!」
いや、多分そいつ悪くないから―――男は内心突っ込んだ。
こいつら黙って立ってりゃ今でも立派に『少女』に見える。特にミケ。
「―――生まれがどこの国か分かるか?」
「さあ?一番初めにオレらを買い取ったヤツなら知ってんだろーけどさぁ」
「気が付いたらそこら中フラフラしてたよな?」
個人情報の記入欄が殆ど埋まらない。
男が頭を掻きながら書類を睨み付けていると、先程の職員から助け船が出された。
「難民や戦災孤児なんかだと記入欄に『不明』が多いのは仕方ないさね。この国にゃあ身元不明の移民なんかはザラだよ。要は移り住んだ後、国内のルールさえ守れりゃそれでいいのさ。そこら辺はあんたも解るだろう?」
「……そりゃまあ」
ジグラッドはもとがならず者の集団だっただけに、基本的に移住を希望する者に対して『来るものは拒まず』の間口の広い対応をしている。
有り体に言えばたとえ『脛に傷を持つ』身の上だとしても、だ。
よしんば偽名を用いたところで、それはさしたる問題にもならない。
呼び名など記号でしかないからだ。
そして一端懐に入れた者に助力を惜しまない代わりに、国法に対する重大な違反行為には苛烈な制裁が下される。
他所での経歴がどうであれ、国内の法を最も重要視するのがこの国の流儀だ。
「―――仮登録はこれで完了です。こちらが入山許可証、肌身離さず着けてて下さい」
一通りの手続きが済むとタマとミケには金属製の腕輪が手渡された。
「……なんだこれ」
「おっちゃんの分は無いのか?」
「そいつは身分証代わりだからちゃんとしとけよ。俺は身体に印が入れてあるから必要ない」
「「ふーん…」」
ジグラッドで兵士として登録した者は必ず身体のどこかに刺青を入れる決まりになっていて、大抵の者は手の甲や腕など見え易い位置に刻むものなのだが、男の印は普段衣服の下に隠れる鎖骨の脇辺りにある。
「本登録は移住予定地の戸籍管理課でなさって下さい。それから上に登る場合は必ず正規のルートでお願いします。馬や騎獣が必要なら登山口で借りられますから―――」
「腹へった~ミケ~」
「…チクショー、二食ぶん飯食い損ねたぜ…」
二人とも長旅の疲れからか前日は早々と昼過ぎに寝入ってしまい、起きたのはつい先程の事だ。
朝というにはもう遅く昼時にはまだ早いといった中途半端な時間帯のため、食事を後回しにして役所の手続きに来たのだが、ハッキリ言ってそれどころではなかった。
役人と面倒なやり取りをするハイネをよそに、二人は建物の窓から表通りの朝市の屋台を眺めては、終らぬ用事に恨めしげな溜め息を落とした。
「…オレらもゼータクになったよなぁ、タマ。ちょっと前までろくな飯も食えな有り様だったのに」
「だよなぁ…、でもやっぱ腹はへる~」
本物の猫だったら多分今頃耳がペタリとヘタっているに違いない。
育ち盛りの子供の食欲は時に大人のそれを凌駕するものだ。
ふと待ちぼうけを食らわされている子供の様子に気付いたハイネは、ヤレヤレといった風に二人を手で招くと、その手に銀貨を一枚ずつ乗せた。
「お前ら出店で先に何か食ってろ。こっちはまだ時間がかかる。―――なんだったら昨日の食堂で待ち合わせにするか?」
「ヤッフー!おっちゃん気前良い~」
「合点承知だぜ!」
二人が大きな目をキラキラさせて大喜びで外に飛び出して行くのを苦笑で見送った男は、連中が買い食いのし過ぎで腹を壊す前に合流せねばと、心の中で密かに誓っていた。