偶然も続けばそれは必然
再登録後の初投稿です。
以前のIDで書いていた作品は放置されています。いずれ別の形で続きを書く事があるかもしれませんが、今のところ未定です。
引退間際の壮年の傭兵が沈みゆく都市の路地裏でその二人の子供に目を留めたのはほんの偶然だった。
どこにでもいる路上生活者にしては二人ともやたらと小綺麗な顔立ちをした少年で、あれでは早晩奴隷狩りの餌食にされてしまうに違いないと、ボンヤリ憐れみにも似た危惧を抱いたものだ。
そしてその都市は翌月長年争いを繰り返していた隣国との戦で制圧され、文字通り地図の上から消えた。
傭兵がその二人と一方的に再会したのは一年後。
最初に出会った都市からかなり離れた国の港町での事だ。
浮浪児がどうやって移動したのかと不思議に思いながらも、商売柄抜け道が幾らでもある事を知っている男は、その二人の無事な姿に己に似合わぬ安堵の溜め息を小さく落とした。
ただ傭兵が“仕事”をしにやって来るということは、少なからずその場の平穏が掻き乱されるということで、小さな子供が安住の地を探し求めてようやく辿り着いた場所に、更なる争いの火種があることを知っている身としては、なけなしの良心が痛まずにはおられなかった。
そしてその数週間後、港町は予てより警戒していた海賊の強襲を受け、火を放たれて壊滅的な被害を被った。
それから一・二年のうちにも数度、異なる土地においてその二人の子供と傭兵の一方的な遭遇は続いた。
いずれも命が危ぶまれるような状況を経ての度重なる邂逅に、やがて男はその二人の子供に奇妙な縁を感じるようになり、最後の“仕事”で遭遇した際についにその二人に声をかけてみる気になった。
「お前たちはよほど運が良いらしいな。俺は何度も危うい状況でお前たちを見掛けてんだが、その度ピンピンして目の前に現れやがるからおったまげたぞ」
夕暮れ時の路上でいきなり見知らぬ相手に話し掛けられた二人の子供は、警戒心剥き出しで男から素早く距離をとるとサッと身構えた。
いつでも逃げ出せる体勢だ。
「悪い悪い、別に何もしやしねえよ」
初めてその二人を間近に見た男は内心で唸り声を上げた。
(――――よく今まで狩られもせず、無事でいられたものだ)
薄汚れた形にぼろ切れのような衣服で身を包んでいても極めて人目を引くその容姿には、感心するのを通り越して呆れを感じた 。
綺麗に洗って着飾らせたら好事家が大枚はたいて競り落とすのは必至のお買い得物件だ。
「……無事でよかったなぁ、お前ら。俺も今回の仕事で傭兵稼業から足を洗うんだ。もうこれきり見掛ける事も無いだろうから、こいつは俺からの餞別だ」
そう言って男が子供の掌に数枚ずつ銀貨を握らせると、二人はひどく驚いた顔で目をしばたいた。
細い手足に眼ばかり大きなやせっぽちの子供。
年齢は十を幾つか過ぎた辺りか。
―――――出来れば生き延びて欲しい。
殺すばかりの仕事をしている自分がそう願うのはおかしいだろうか。
(……ただの自己満足だな)
「じゃあ、達者でな」
それだけ言って背を向けると、以外にも小さな声で呼び止められた。
「……おっちゃん!」
なんだよ、と笑おうとして男は自分を見上げる二人の子供の思いがけない真剣な表情に戸惑った。
「…おっちゃん、この街もうダメだ。船が沈む時と同じ感じがする。―――逃げた方が良い」
「なるべく早く、出来るだけ遠くに逃げなよ。オレらももう行くんだ」
『街が沈む前に』
――――そう聞こえた気がした。
何を馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすつもりが、何故かそれが出来なかった。
「…船に乗ってた事があるのか?」
「猫の代わりに乗せられたんだよ」
「オレら勘だけは良いからさ」
『守り猫』というやつか。
元々積み荷をネズミの被害から守るため、長旅をする船には猫を乗せる風習があると聞いた事がある。
迷信深い船乗りの間では、航海の無事を象徴するお守りのように扱う者さえいるという。
「船はもう降りたのか?」
「―――沈んだよ」
「ヤダって言ってんのに無理矢理出航しようとするから、コッソリ逃げたんだよ。だってあのまま乗ってたら絶対助からなかったし」
たかが子供の戯言。いつもなら軽く聞き流すところだ。
まともに受け止める方がどうかしている。
「――――おっちゃんイイヒトだから教えとくよ」
「この街は多分、跡形も残らない」
「………理由は…、何が原因でそうなると…?」
「そんなのは知らない。説明できない」
「ただ何となく分かる。ここに居たら確実に死ぬ」
男の背中を嫌な汗が伝った。
今までの度重なる邂逅が思い浮かぶ。
今、自分の目の前にいるのは、数々の絶望的と思われる状況を本能で生き延びた子供だ。
「ネズミだって沈む舟からは逃げ出すだろ?」
「一応お礼のつもりだし、上手くやりなよ!」
男がその場に茫然と立ち尽くしている間に二つの小さな人影は身を翻し、宵闇の街を何処へともなく走り去って行った。
男はそれからの自分の行動に我が事ながら首を傾げる思いだった。
(―――――俺はどうにかしてるぜ…)
男が三十年近くも体を張った仕事をしてまで稼いできたのは、後の生活を考えたからだ。
傭兵の矜持は大事だが、自分の身はそれ以上にかわいい。
小心者と笑われたところで痛くも痒くも無い。
男はその晩の内に傭兵組合に駆け込んで、体調不良を理由に違約金を支払い請け負っていた仕事を降りた。
幸い大口の依頼でキャンセル待ちが並ぶ程の仕事だったために、すんなりと解約手続きは済んだ。
これで何事も起こらなければ自分がただの道化を演じただけになるが、別に構いやしない。
引退が少し早まるだけの話だ。
そうして翌朝街を離れ、男が故郷に向けて旅を始めてから数日後。
その街は大きな地震に見舞われて全てが瓦礫と化した。
建物は何一つ残らなかったという。
◇
「おぉ――い、お前たち!」
そして偶然というものは起こる時には起こるものだ。
傭兵稼業から足を洗った男が故郷へ向かう旅の途中、街道を歩行で移動する見覚えのある二つの小さな人影を見掛けて思わず馬で駆け寄った。
「あれ、おっちゃんだ」
「ちゃんと逃げられたんだな」
「おお、お前らの忠告のお陰だぜ。人伝に聞いた話じゃ例の街は酷い有り様らしい。ちと良心は痛むがこればっかしはしゃーねぇや。天災にゃ太刀打ち出来ねぇしな」
馬から降りた男が笑いながら自分達に並んで歩き出すのを見て、子供は揃って首を傾げた。
「オレらにまだなんか用?」
「いや、そういう訳でもないんだが…。お前たちこれから何処に行くつもりなんだ?」
「決めてない」
「特に宛も無いし」
男はそれを聞いてひとしきり考え込んだ後、ふと思い付いた事を口に出してみた。
「――――んじゃあ、俺と来ねえか?」
「へ?」
「あ?」
「俺ぁこれから郷里に戻って宿屋を開く予定なんだが、どのみち従業員が要るからよ。お前らさえ良けりゃ俺に雇われてみねえかっつってんだよ」
「「……………」」
「あ、いや。気が向いたらで構わねえぞ」
子供二人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で目を丸くして男の顔をじぃっと見詰めている。
「おっちゃん、スゲー物好きだな」
「オレら浮浪児だぜ?」
「俺だって似たようなもんさ。親無しの悪タレで育ての親に拾われるまで悪さばっかりしてたぜ。たいした親孝行もしないうちに死なれちまって、若い頃郷里を飛び出したきり宿屋が放ったらかしになってんだ」
「ふーん…」
「で、おっちゃんの郷里ってドコ」
「ジグラッドだ」
「あー、傭兵組合の本山があるとこだろ?」
「え?“天蓋の騎士”とかって騎士団じゃなかったっけ」
「まあ、その辺はいずれ説明する機会があれば教えるが。――――どうだ?」
男がからりと笑えば、二人の子供は悪戯そうに顔を見合わせてニヤリと目を細めた。
「そーだなー。おっちゃんが賄賂くれたら考えてもイイかなー?」
「実はさー、今スンゲー腹減ってんだオレたち」
「ハハハ!よっしゃ、じゃー飯でも食うか!」
「「やったー!!」」
交渉は実にあっさりと成立した。
男は断られればそれまでと割と適当な考えで誘いをかけたのだが、却ってそれが子供に警戒心を溶かせる事になったようだった。
「オレ、肉食いたい!肉!」
「えー!タマはこの前おっちゃんにもらった銀貨で串焼きたらふく食っただろ!オレは甘いもんがイイ」
「お前だって屋台の焼き菓子制覇してたよなぁ、ミケ?」
「タマ?ミケ?」
「こっちの斑髪のデカ目がタマで――――」
「こっちの派手な三色頭の女顔がミケだよ」
二人はお互いを指差しながら簡単な自己紹介をする。
そうは言っても埃まみれで元の髪色がすっかり分からなくなっていているため、折角の造りの良い容姿も台無しだ。
「俺はハイネだ、よろしく頼むぜ。――――だがまぁ、その前にお前らは風呂だな。その格好じゃ食い物扱う店にゃ入れんぞ」
「「うげっ…」」
「どっかで古着を買って―――。ま、この陽気なら水浴びで何とかなるだろ」