第九十四話ー俺は馬鹿だから
「どうだ、ちゃんと理解したか?」
「………ユナが大変な思いをしてきたっていうのは、なんとなく分かった」
「こんだけ話したのにそんだけしか分かってねぇのかよ……しかもなんとなくってお前……」
神影はカイルの絶望的なまでの理解力のなさに嘆息する。どれくらいの間話していたかというと、太陽が少し傾き始めた時間帯から、三日月が天辺に昇りきるくらいの時間だ。
「まぁ、いい。いや……よくねぇが、もういい。
ユナちゃんは、ルミナス姫っつー親友と一緒にハーフを始めとする自分たちを信じてくれている国民を救おうとしている。これだけは理解しとけ」
「ああ、分かった」
カイルは力強く頷く。そしてすっくと立ち上がり、【形態変化】で翼を生やす。月光がカイルの金髪に当たってキラキラと反射し、朱色の翼を凝り固まった筋肉をほぐすようにゆっくりと広げる。
「話は終わりか? じゃあ俺はもう行くぞ?」
「待て待て待て待て待て待て」
思い立ったら即行動とばかりに直球な行動をとろうとするカイル。神影は立ち上がり、慌ててそれを止めた。
(考える機能が脳についてねぇんじゃねぇのか……?)
「んだよ、まだ何かあんのかよ」
「あるから止めてんだし、そもそも俺は処刑の場所を伝えてねぇぞ」
「あ」
そーいや、そうだったとカイルは頭を掻く。神影は顔を引きつらせた後、一つ咳払いをする。
そして背筋を正し、両手を白衣の中に。僕が考えたカッコいいポー(黙れ)ズを決める。
「ここの地の文も隠れねぇのかよ! ……ゴホン!
おい、カイル。よく聞け。処刑の場所には……ハクシャクっつー激ツヨの吸血鬼族がいる。さっきの話に出てきたアザロって奴と同一人物なんだが……奴はモノホンの化け物だ
多くの吸血鬼を完全吸血したせいで魔力が混ざり合い、溶け合い、変質したその結果の果てに……闇属性を手に入れた後天的な闇属性の使い手。
魔力の総量はシュウといい勝負ってトコだ。
ハクシャクは後付けの闇属性だから魔具を持ってねーんだが……そんなことはたいした問題じゃねぇ。
あんぐらいの魔力を持ってる奴らは……魔具がなくたって十分に戦える」
規格外な魔力。埒外の魔力。
一般人から見ればカイルたちもその部類に入る。
だが、シュウやハクシャクといった存在はその中でも群を抜いている。
一般人を微生物、カイルたちを蟻と例えるなら……彼らは象といったところだろうか。
「お前は蟻で、奴は象だ。普通に考えてその差が覆る訳がねぇ。
しかもそれだけじゃねぇぞ。第二部隊長ジャンヌ・ド・サンスも処刑に同席する。お前らをボコボコにした……フィーナを殺した第三部隊長よりも強え奴だ。
そんな奴らが……ユナちゃんの処刑を警護してんだ」
神影は顎を少し上げ、カイルを見下ろす。その視線と、カイルの視線がぶつかる。エメラルドのように澄んだ緑色の瞳。少し前まで濁っていたその瞳に、今は一片の曇りも、陰りもない。
そしてその瞳ごと、カイルは首をこてん、と傾ける。
「だから?」
たった三文字の疑問の言葉。カイルの口から出てきたのはそんな言葉だ。神影はその言葉に対して沈黙を保ち、その続きを待つ。
「敵が強いっていうのはよく分かった。
でも……だからなんだよ?
死ぬかもしれないから行くなって言うのか?
行っても無駄だから止めろって言うのか?
ユナを助けられないって言うのか?」
「……ああそうだ。死ぬぞ。お前の実力じゃあな」
「それこそ無駄だ。俺は、どんなことを言われたって止まらない。何があっても、俺はユナを助けにいく。
邪魔するってんなら……お前をぶっ飛ばしてだって行くぞ、ミカゲ!!!!」
神影を射抜くような鋭いカイルの目。広がる翼に、巻き上がる炎。シュウほどでは無いにしても、感じる巨大な魔力の波動。昔の神影ならば、それだけで腰が抜けて失禁していただろう。
(当たり前だ馬鹿野郎。俺を誰だと思ってやがる。
何の変哲もないこともない、普通の日本在住の高校生だった俺がこんな状況に晒されてマトモでいられる訳がねぇ。
けど、けどよ。俺だってこの異世界に住んで二十年。それなりの殺気を浴びて、それなりに逃げのびて生き延びてきた。
だから、これくらいじゃ……ビビらねぇよ)
そう言い聞かせることで、彼は平静を保とうと努力する。
(うるせぇうるせぇ! 余計なこと言ってんじゃねぇよ地の文!! あぁ、そうさ、俺はビビってる。
いつだってそうさ、俺はビビりで、弱虫で、一人じゃ何にもできねぇ奴だ。
だが、俺にだってできることがあって、俺がやらなきゃいけないことがある。
虚勢上等! ハッタリ上等! 胸を張れ!
神影 神使!
お前は全部を救うんだろうが!!!)
「馬鹿か、お前」
神影はカイルを見下す姿勢を崩さない。
どころか、炎を吹き出すカイルに対して一歩近づいてみせた。
「お前が行って何になる。
お前が死んで、何になる。
何にもならねぇ。悲しみしかねぇ。
何のために行こうとする?
何がお前をそこまでさせる?」
神影はカイルの目を見て、問う。高圧的に、加虐的に、問い責める。炎がカイルの感情と連動して神影の肌を舐めるように動くが、彼は一切視線を逸らさない。
「約束したんだよ」
「あ?」
カイルも、神影の目から視線を外さない。
譲れない……絶対に譲らないといわんばかりの視線。
「ユナと約束したんだよ……“独りにしない”って!」
ヴァジュラとの戦いの差中、交わした約束。
あの時のユナにどんな意図があったのかは分からない。
戦いに行こうとするカイルの姿が、自分を犠牲に戦いに臨んだ父の姿に被ったのかもしれない。
だが、彼女は望んだ。
独りになりたくないと。もう孤独は嫌だと。
ならば……結んだ約束は果たさなければいけない。
「だから俺は行く! 遅くなったけど、やっと気付けたんだ!
死ぬ? 何もできない?
だから何だ! 俺は馬鹿だぞ!?
皆が呆れるくらいの大馬鹿だ!!
そんな俺にも理解できるように、ユナとの約束を破る理由を説明してみやがれ!!!」
ある意味、最強の主張だった。
カイルは馬鹿だ。超が付くくらいでは足りない大馬鹿だ。
彼は致命的なまでに考える能力に欠けている。
そんな彼を説得することは、猿に掛け算を教えることより難しい。
「できないなら、俺は行く。ユナが……仲間が待ってる。どんな奴が、どんなことが待っていても、俺は馬鹿だから、気にしない。そんなもんは全部振り払って、俺は……ユナのところに行くんだ!!!」
困難も、絶望も、何もかもを度外視。
死ぬかもしれない、助けられないかもしれない……そんな危険を、リスクを考える頭をカイルを持っていない。
カイルは神影が唆した通り、自身の想いに従う。
もう一度あの日常を取り戻したい。
もう一度、皆と笑える日々を作りたい。
その輪の中にはユナがいなければならない。
そして、ユナは帝国に捕まった。
だから、行く。
日常を取り戻しに、ユナとの約束を果たしに。
どこまでも純粋に、どこまでもひたむきに。
カイルはユナを救いに行こうとする。
馬鹿だから。
彼は何を顧みることなく戦える。
「……そうか」
神影は、安心したようにそう呟く。
少し震える足を折り、彼は屋根の上に腰を下ろした。
「カイル」
「……なんだよ」
拍子抜けするような神影の態度に感化され、カイルの炎は消えていった。
「お前の覚悟はよく分かった。
ユナちゃんを助けに行くことを認めてやるよ」
「別に認められなくても行くけどな」
「うるせーバカイル。
いいか、ユナちゃんの処刑場所は教えてやる。
だが、もう一つだけ話を聞いていけ」
「まだあんのかよ……」
カイルは露骨に嫌そうな顔をする。
「本気でユナちゃんを助けたいなら……変異を制御しろ」
「それって……あの変な【形態変化】のことか……?
お前、何か知ってんのか?
つーかお前、俺を行かせたくねーのか行かせたいのかどっちなんだよ」
「俺は確かめる必要があったんだよ。お前がちゃんと死にもの狂いで戦えるかをな。ま、それはどうでもいい。それより俺の話を聞け。
詳しいことはどーせ理解できねーだろうから省くが……翼を生やした状態で、もう一回全身に魔力を流せ。
もう一回【形態変化】するんだ」
「……それだけ?」
「ああそうだ。今のお前ならきっと制御できるハズだ。
逆に言やぁ、それを制御できなきゃ話にならねぇ。
さっきも言ったが、殺されるのがオチだ」
カイルは自分の掌を見つめる。その奥の……自分の奥底に眠る力を見透かそうとする。過去三回、いずれも無意識に発現した驚異的な力。周りを全て破壊しようとした力。自分にそれが制御できるのか? そんな疑問は……
「分かった、やってやるよ」
カイルには無縁であった。馬鹿で考え無しのバカイルは、自分でさえも疑わない。必ず制御できると信じ切る。
(ここまで馬鹿だといっそ清々しいな……いや、馬鹿っつうよりこれは単純っつーのか……?)
「よし、お、そうだ忘れてた。二段階目の変身した後は―――――――――」
「……は?」
「分かったな、言えよ! 絶対言えよ!」
「何でそんなこと……」
「っかー、分かってねーな! カッコいいか――敵を威圧する目的だからに決まってんだろ!」
「そうなのか?」
「そうなのだ!」
くだらない沈黙が流れる。(くだらなくねーよ!)
それを破ったのはカイル。しぶしぶ、といったような様子だ。
「……まぁ、分かった」
「絶対だからな! じゃ……これを付けろ」
神影は立ち上がり、カイルに赤色のバックルを投げる。カイルはそれを受け止めると、すぐに装着した。
「その魔具の名前はカーナビ。【マーキング】を応用して……いや、説明はもういいか、どーせ理解できねーしな。とりあえず【能力】を使ってみろ」
「おう……うおっ!?」
腕のバックルから炎が吹き出し、カイルの目の前である図形を象る。それは、三角形に四角形を足した図形で……つまり、矢印である。
「この矢印の先に……?」
「処刑場がある。つまり……ユナちゃんがいる」
矢印の方向へ、カイルは視線を向ける。
屋根の上から見えるシュードラの街は昼間よりもなお一層暗く、陰鬱だ。
カイルはそこに昼間の自分の姿を見る。
無気力で、何もしなかった自分の姿を。
だが、今は違う。
カイルは立ち直り、前を向いた。
視線をさらに遠くへ向ける。
真っ暗な地平線のその果て、そこにユナがいる。
孤独に怯えるユナがいる。
――待ってろよ。すぐに側に行くから。
もう独りになんてさせねぇからな……!!
屋根を蹴り、カイルは空中に躍り出る。
そしてクルリと神影の方を向いた。
「ありがとうな、ミカゲ。俺のために色々やってくれて。
よく分かんねーけど、なんか考えてくれてたんだろ?」
「……まぁ、そうだけどよ。
礼なんか言うな、照れるだろーが。
ホラ、さっさと行け。ユナちゃんが待ってるぞ」
「ああ、行ってくる!」
広げた翼が空を捉え、カイルは大きく羽ばたく。
その視線の果てにいるユナのところに向かい、カイルは進む。
「待ってろよ……ユナ!!!」
闇夜を翔けていく一陣の朱。
矢のように、弾丸のように真っ直ぐ。
鷲のように、鷹のように力強く。
暗闇をその炎で照らしながら、進む。
――――――――――――――――――――
「行ったか……」
神影は力なく膝を折り、屋根に腰を落とす。
そして背後に現れた……カイルとの会話を聞いていた人物に声をかけた。
「これで分かっただろ? あいつは死ぬ気で帝国と戦ってくれる。死ぬ気でユナちゃんを……ユリシアちゃんを助けようと暴れてくれる。
だから……あんたも頼むぜ」
神影がカイルを焚きつけたり、引き止めたりした理由。
それはその人物にカイルの覚悟を示すため。
その人物に……ユナ救出を手伝ってもらうためだ。
背後にいた人物は神影の言葉に力強く頷く。
血のように赤い瞳が、闇の中で揺らめいていた。
――――――――――――――――――――
『答えてください……ハクシャク』
ユナは既に処刑場所に到着していた。
ここは“悪夢を見る場所”。
おとぎ話の化け物、悪夢が英雄ヴィルヘルムに敗れたとされる場所である。
荒野と呼ばれる種類の土地ではあるだろう。
ただ、決定的に普通の荒野ではないところがある。
地面が黒いのだ。
まるで地面が闇を取り込んだように黒い。
黒曜石を想起させる漆黒の地面は、所々陥没していたり隆起していたり、どうみても自然の造形ではない形で、波打った造形をしている。
これが、ヴィルヘルムと悪夢が戦った戦闘痕らしい。
もう五百年も昔の話であるが……今でも悪夢という化け物の凄まじさを生々しく感じる場所だ。
そんな場所に建てられた処刑台の上で、ユナは封化石の手錠を手首に嵌められ、鎖を巻きつけられて……数日後に訪れる処刑を待つ。
『皆さんは……皆さんはどこにいるんですか』
傍らには処刑人となる帝国兵が二人。
ジャンヌ直属の兵士であり……闇に塗りつぶされた瞳をしている。
ユナがこの場所に到着した瞬間から微動だにせずに立ち続け、まるで意思を失った人形のようだ。
眼前には数万の人間。
その内の数千はジャンヌ率いる第二部隊の帝国兵である。
それ以外は全てユナの公開処刑を見物に来た一般人だ。
多くは商人、十億の賞金首を一目みておこうとする者たち。
その他には吟遊詩人、情報屋など……偏った職種の人間がこの場所に集まっている。
帝国は検問を用意せず、来るがまま、見物させるがままにしている。
なぜなら、帝国の目的はユナの処刑ではないからだ。
ユナの処刑に際し現れるだろうルミナス・ヴィルヘルム・ヴァンパイアの捕獲。
それが帝国の――ハクシャクの目的だ。
その目的のためには、緩い規制で人を集め、潜入できる隙を作ってやる方がいい。
『ゴンさんやクルミさん……あの国にいた人たちは一体どこにいるんですか!』
ジャンヌやハクシャクは処刑台の下に建てた仮の休息所で処刑の時を、ルミナスの乱入を待ち構える。
帝国最大戦力の一角であるジャンヌと、そのジャンヌを凌駕する魔力を有するハクシャク。
さらに数千の、人形のように無機質な帝国兵。
たった一人の処刑に対しては過剰戦力とも言える。
『そんな下劣な種族のことなど……いや。
あーぁ、そうだ、足元でゴロゴロくたばっているのは鬱陶しいものだったな……。
……穢らわしい者のクセに私の邪魔をして……煩わしいから纏めて吹き飛ばしたっけなぁ……!
クク、ハーッハッハ!!
滑稽だったぞ! 虫のように吹き飛ぶ奴らの死体はなぁ!』
ユナの頭の中で、気持ちの悪いハクシャクの哄笑が鳴り響く。
あの時……ハクシャクへ問いただしたあの時。
ユナの大切な何かがガラガラと音を立てて崩れた。
父に託された想い。
ハクシャクに乗っ取られてしまった国の再興。
八年間もがむしゃらになって生き続けたユナの使命。
辛くても、投げ出したくても……放り出せずに、遵守してきた。
自分ために命を捨てた人の想いを汲み取って、犠牲になった人たちに顔向けできるように。
何年も何年も……孤独に戦ってきた。
それが……もう叶えられないこととは知らずに。
誰かいないか。
たった一人だっていい。
あの国の生き残りはいないか。
どこかに捕まって酷い想いをしていないか。
帝国から逃げながら、血眼になって探した。
領主の館に侵入したこともある。
帝国の監獄に潜入したこともある。
帝国実験場でも、カイルたちに隠れて捜索した。
しかし、誰一人、ほんのちょっとの痕跡さえも見つからない。
なぜなら……
『あの害虫どもは……全て我々、純血の吸血鬼が“駆除”した。
感謝するがいい。これで何の後腐れもなく死ねるのだからな』
……ユナの探している人たちは、もうこの世にいなかったのだから。ユナが果たそうとしていた使命。
これまでの八年間は……全て無駄だった。
誰かはあの惨劇から逃げ出しているという楽観的観測に基づく、現実逃避に過ぎなかった。
自分は逃げ出したのだ。
後で救う、後で必ず不遇から救うと言い訳をして……国民をあの地獄に置き去りにした。
見殺しにして、逃げたのだ。
心の奥底のほんのちょっと。その考えは確かにあった。
だが、そんな考えが認められるはずもない。
認めてしまえば……ユナは完全に折れてしまうから。
「もう……いいですよね……」
ユナは、処刑台の上で呟く。
拷問による生々しい傷が剥き出しになって晒され、血や塩水でユナの美しい黒髪は固まってしまっている。
半死半生で、瞳は虚ろ。
もう……その瞳は何も写していない。
現実など……写したくもなかった。
……真実など……知りたくもなかった。
だが知ってしまった。突きつけられてしまった。
「もう……いいですよね……全部、諦めても」
もう彼女の瞳には、自分の命さえ……写っていない。