第九十三話ー生きるんですよ!!
「ユリシア! 姫と共に王城へ! ここは私が引き受けます!」
「お母さんはどうするんですか!? それに……あの人たち……ナニか変で――」
「フェルルは私が何としても守ります! 早く行きなさいユリシアッ!!! あなたの役割を思い出しなさい!!!」
ジュリアスは声を荒げてユリシアを叱咤する。
それほどまでに、状況は逼迫しているのだ。
純血派による反乱……そのこと自体は予想はしていた。
いずれ、過激派の一部が暴走することを想定し、アダム王と話し合い、その対策も練った。
しかし……
「完全吸血とは……やってくれますね……!!!」
禁忌を破り、完全吸血することまでは予想していなかった。
いや、それは誤りだ。
数刻前のエリドーラ王妃の話を聞いて、少なくともアザロ伯爵は誰かの血を吸い尽くしていると分かっていた。分かっていたが……他の純血派の吸血鬼たちまで完全吸血しているとは予想していなかったのだ。
完全吸血による強化は底が知れない。
たった一人吸い尽くすだけで、平凡な吸血鬼が監察官一人に匹敵するほどの力を手に入れることもある。
その完全吸血した吸血鬼が……四人。
「貴様を殺し、そこの劣等種と半吸血鬼を殺した後……我々はこの国に蔓延るゴミ虫どもを全て駆除する予定だ」
「そして完成するのだ……誇り高き吸血鬼族の王国が!」
「今頃、アザロ新王が旧王を牙にかけているだろう……」
「劣等種の血など触れたくもないが……貴様の純血と強さだけは認めてやろうジュリアス。大人しく殺され、我らの血肉となるがいい!」
四人が一斉にジュリアスに向かって飛行する。
速さだけでみても、一般的な監察官とほぼ同格。
……ここまで、ですかね。
ジュリアスは心の中でそう呟いて、大きく息を吸った。
「“いきなさい”!! ユリシア!!!!」
その言葉に、聡明なユリシアは気がついてしまった。例え王国最強と言われた父でさえ、目の前の四人を相手に生き残るのは……かなりの綱渡りなのだと。
故に父は、覚悟した。ここで命を捨てることになっても、娘と王家の命を優先させる、と。ユリシアが王家と合流することができれば、その闇の【能力】を使って一気に地上に逃げることができるから。
だから生きろと、行けと、ユリシアに言ったのだ。
「うっ、ううぅうっ……っ!!!
ルナちゃん!!! 王城へ向かいましょう!」
「ちょっ! 待ちなさいよシア!!
おじさまはどうするの!!」
ユリシアはルミナスの手を引いて駆け出す。
背後で鳴り響き始める激しい戦闘音。
ユリシアは……振り返らずに駆ける。
血が出そうなほど強く唇を噛み、眦に浮かびそうな涙を必死に押さえつけて。
痣が残りそうなほどルミナスの腕を掴んで、がむしゃらになって駆ける。
もう二度と会えないかもしれない。怖い。
今すぐ家族と共に地上に【転移】したい。
だが、それをしてしまえば魔力が尽きる。
王家を逃がすだけの魔力がなくなってしまう。
命に替えてでも、王家を……ルミナスを守る。
それが父と交わした約束で、ユリシアの役目。
「シア! 聞いてるの!?
おじさまに加勢しないと……っ!
あのままじゃおじさまが……っ!!」
「いいんです!」
「い、いいって何よ!!?」
「いいんですっ!!」
「ちょっと、シア!!!!
止まりなさい!!!!!!」
ルミナスがどれだけ喚いても、ユリシアは止まらない。
躊躇する素振りすら見せることなく真っ直ぐに王城を目指す。
「シア!! いい加減に――」
「お父さんは最強の吸血鬼ですっ!!
あんな人たちに負けるわけありません!!!
あの場所には、お父さん一人が残れば問題ないんです!!!!
でもっ! 王城はどうなんですか!?
さっきの人たちをまとめて相手にして、勝てるような人がいるんですか!!!?」
「……っ、それは……」
「昼間に見たアザロ伯爵は多分王城に――ルナちゃんのお父さん、お母さんのところに行っているんですよ!?
今! 一番危険なのはルナちゃんの家族なんです!!」
ユリシアは走りながら、大きな声でまくし立てる。
その声が涙で震えていることを隠すために。
いっぱいいっぱいで、無理していることを隠すために。
ルミナスの家族の方が危険だと、思わせるために。
「……分かった、わ。
でも、私たちがお父様たちのところに行ってところで何ができるの?
確かに私たちはどーんと強くなった。
でも、さっきの奴らを一対一で相手にできるほど……強くない」
「……問題ありません。
辿り着きさえすれば、わたしの闇属性の【能力】を使って一気に地上に逃げれます」
「闇属性の……【能力】?」
「今まで黙っていてごめんなさい。
お父さんに口止めされていたんです。
他の闇属性もそうなのかは分かりませんが……わたしの闇属性には、亜人族やモンスターのような【能力】があるんです」
ユリシアは、ルミナスに自身の闇属性の【能力】――【転移】について話した。
ユリシアの両手のブレスレットは二つで一つの魔具。
それらは自由に空間を“跳ぶ”ことができ、大きさも自在に変えることができる。
一方のブレスレットはもう一方のブレスレットとリンクしていて、一方をくぐると、もう一方の方へ移動する。
ブレスレットを媒介とした瞬間移動。
それには多大な魔力を要するが、産まれた時から高い魔力を有するユリシアはその【能力】を扱うことができるのだ。
「魔法そのものに【能力】が……?
そんな話、どーんと聞いたこともない……」
「信じられないかもしれませんが、事実です。
これを使えば……一気に地上まで“跳ぶ”ことができるんです。
そして、敵はこの情報を知りません。
一瞬の隙をついて一気に転移してしまえば、わたしたちの勝ちです」
「……分かったわ。なら、お父様たちを助け出した後、おじさまたちを助けにいきましょう」
「それは……無理です。
【転移】は恐ろしいくらいに魔力を消費します。
今のわたしでは……恐らく一回地上に出るのが精一杯です」
ルミナスの言ったことができたら、どんなにいいか。
もし自分に途方もない、使い切れないほどの魔力があるなら、家族も、異種族の人たちも、王家の方も、全てを救えるのに。
気落ちして俯くユリシアの肩を、ルミナスはそっと叩く。
「大丈夫よ……シア。
私がいる……私が、あなたの魔力になる」
「ルナ、ちゃん……?」
「……今まで、この白い翼をずっと恨んできた。
何が先祖返り、何が初代様の生まれ変わり……でも、今だけはこの翼と血に、どーんと感謝するわ」
ルミナスは、駆けたまま……ユリシアの首筋にそっと牙を突き立てた。
「え……?」
どうして、とそう思う前にユリシアはいつもと様子が異なることに気がつく。
血を……吸われていない。
どころか……
「魔力を……送っているんですか……?」
「どーんと、正解よ」
ルミナスはユリシアの首筋から牙を離す。
くるりと空中で一回転し、着地。
何事も無かったかのようにユリシアの隣に並び走る。
「これが……初代様のチカラ。
私は、吸血に関する自由度がどーんと広い。
同じ量、同じ血を飲んでも、普通の吸血鬼より多くのチカラを引き出せるの。
何より……魔力だけなら、牙を介して自分以外の誰かに譲渡することもできる」
「そんな……ことが……」
「効果は今実行して見せた通り。
無事に地上に避難できたら、私がお父様とお母様から吸血する。
私、お父様、お母様の三人分の魔力を使えば……私の吸血効率ならシアの魔力の二倍はいけるはず。
後はシアにそれを渡して、二回【転移】。
それでシアの家族も救える……ううん、シアの家族だけじゃない。
同じことを繰り返せば、アイツらに襲われてる異種族の人たちも救えるわ。
私たち二人がチカラを合わせれば、なんだってできるのよ!
どーんとね!」
ユリシアは、その言葉に高揚を感じていた。
――ルナちゃんと力と、わたしの力。
わたしたち二人なら、こんな反乱くらい切り抜けられます……っ!
大丈夫、お父さんは本当に強いんです!
きっとわたしが迎えにいくまでもないんですよ!
ユリシアとルミナスの二人は希望を抱いて王城へと向かう。
足取りは確かで、迷いはない。
その行動が正しいと……信じて。
その先の未来を疑いもしなかった。
「ルナちゃん!」
「分かってるわ、シア!」
もうすぐ、この路地を抜ければとうとう王城を視界に捉える。
全てを救うと意気込んで、二人はその分水嶺を超えてしまった。
「え……?」
「な、なんですか……これ……」
視界に広がるのは王城……であるはずだった。
そうでなければならなかった。
全てを救うのだから、全てを……皆を救うのだから……
なのに、王城は影形も存在していなかった。
王城が建っていたその場所には、王城の敷地と同じ大きさの巨大な穴ができていた。
とてつもない大きさのその穴は深さも底知れず……闇のようにどこまでも真っ黒だった。
ルミナスは、思わず膝をつく。
目がこれでもか、というくらい開かれ、瞬きもせずに王城の存在していた空間を見つめる。
自分たちが思い描いていたのは……所詮子供の抱いた幻想だったのか……。
そう絶望しかけたその時、
「ルミナァァァアス!!!!!!!」
上空から、涙が出そうなほど聞きたかった声が聞こえてくる。
大好きで愛おしい二人の家族の声。
凄まじい衝撃を撒き散らしながらルミナスとユリシアの目の前に降り立ったのは……
「お父様!!」
アダム国王、その人であった。
王剣ダーインスレイヴを携え、傷だらけの黒翼を広げている。
身体の至る所から血を流し、満身創痍であることはすぐに分かる。
だが、生きている。
それだけでルミナスは嬉しかった。
「ルミナス! ユリシア!
急いでこの穴から地上へ逃げるのである!
お前たちが探していた通風孔は、王城の地下にあったのである!
だから、早く――」
「困りますねぇ、アダム前王様……!!
ルミナス姫には、逃げてもらっては困るのですよ……!!」
直後、三人の前に最悪が舞い降りてくる。
気持ちの悪い質感の魔力をそこら中に垂れ流し、怒りのような感情を貼り付けた……
「アザロ伯爵……やっぱり、あの男だったのね……っ!」
「くっ、ユリシア! ルミナスを連れて早く逃げるのである!
あやつは余が足止めするのである!!」
「足止め……? なんで!?
お父様も私たちとどーんと一緒に逃げればいいじゃない!」
「余は……私はここを死に場所と決めてるんだよ」
「……お母、さ…………ま……?」
アダム王の口から発せられたのは……ルミナスの母、王妃エリドーラの言葉。
声質は異なる。だが、長年過ごしてきたルミナスですら錯覚するほどにアダム王の発したその言葉はエリドーラそのものだった。
「クッククク……ルミナス姫、アダム前王はこの私を殺すために己の妻の血を吸い尽くしたのですよ」
「え……?」
ルミナスは自分の父の姿をまじまじと見る。
見た目は……父そのもの。
しかし、雰囲気は……父でもあるし、母でもある。
父の中に、確かにエリドーラを……母を感じる。
どう反応していいのか混乱するルミナスに、アダム王は優しく頭に手を乗せた。
「余はドーラを殺したも同然である。
そんな身で、生きて行こうとは思わぬ。
何よりこの国に暗雲をもたらすあやつをこの国に放置して逃げるなど……国王として許されぬことである。
ルミナス、お前はこの王剣ダーインスレイヴを持って逃げるのである」
アダム王はそっとルミナスに王剣ダーインスレイヴを握らせる。
そのままアザロの方へ踵を返そうとして、
「待ってお父様! だったら私も戦う!
私だってどーんと王族なのよ!」
ルミナスが涙を瞳いっぱいに貯めてその足に縋り付く。
だが、アダム王はその手を強く振り払った。
「ならぬ!!
お前が死ねば、残された国民はどうなるのである!
ユリシアや、フェルル殿は!?
やっと安寧を手にした異種族の者たちは!?
我々を信じてくれた吸血鬼族は!?
あやつが作る新国家で、安心して暮らしていけると思うのであるか!?」
「それは……」
強く、ルミナスを叱りつけるアダム王。
毅然としたその態度と怒声に、ルミナスは萎縮する。
父と母、二人分の迫力に……気圧される。
「思わないのなら、生きるのである!!
生き延び、抵抗し、再び国民が安心して暮らせる国をお前が作るのである!!!
いーから、早く行きなさい! ルーナ!!!
生きて……生きて私たちの意思を継ぐんだ!!!
ユリシア!! 余らに構わず“跳ぶ”のである!!!!
ジュリアスが伝えた役割を思い出すのである!!!」
アダム王はそう言い残し、素手でアザロに向かっていく。
その背が、遠くなる。
手の……届かないところに行ってしまう。
「待って、お父様! お母様ぁっ!!!」
「っ! 待ってくださいルナちゃん! 行っちゃダメです!」
「離して! 離してよシア!!!!」
その背中を追いかけようとするルミナスをユリシアはその背中から抱え込んで止める。
「お父様が……お母様が死んじゃう!!!
離してよシア!! 離してっ!!!!」
「ダメですっ!! 行っちゃ、ダメですっ!」
ルミナスは身体を大きく振り回してユリシアを剥がそうとするが、ユリシアは頑として動かない。
「離してっ!! 離してよ!!」
肩口まで伸びた髪を振り乱し、なりふり構わず必死に叫ぶ。
迷子になった幼子が、親を求めて叫ぶように。
声を上げて、泣き叫ぶ。
死んでしまう。大好きな両親が。
いなくなってしまう。自分の前から永遠に。
二度と……会えなくなってしまう。
「離してっ……離しなさい!!!」
「うっ……ぁっ……!」
ルミナスは、自分を羽交い締めにしているユリシアの腕にかぶりつく。
吸血。ほんの少しだけルミナスはユリシアの血を吸う。
ユリシアの腕が、全身がすぐさま弛緩し、拘束が緩む。
その一瞬の隙に、ルミナスは両親の背を追って駆け出した。
「お父様ぁ!!!」
吐き気がするほど不快なアザロ伯爵の魔力を目印に、ルミナスは翼をはためかせて飛ぶ。
血をそのまま固めたような形状の王剣ダーインスレイヴを両手でしっかりと握りしめ、速く速くと翼を動かす。
そしてそう遠くない位置で戦っていた二人の下に、ルミナスは辿り着いた。
二人の戦闘は、一見拮抗しているように写る。
しかし、しばらく観察していればそれが誤りであることはすぐに分かった。
アザロは、ただ吸血を目的に戦闘を行っていた。
隙を作り、どこでもいいからアダム王に噛みつこうとしている。
そしてアダム王は、それを防ぐ。
牙だけに着目していれば、まだなんとか捌けるのだ。
だが、アザロが純粋な戦闘をしようとすれば、その見せかけの均衡は容易く崩壊するだろう。
地力が違いすぎる。“経験”が違いすぎる。
多くの吸血鬼の血を吸い尽くし、その全ての経験を手にしたアザロと、たった二人の経験で戦うアダム王とでは……勝ち目など、あるわけもない。
「っ、お父様!!!!」
ルミナスは思わずそう声を上げた。
そして王剣ダーインスレイヴを見様見真似で構え、アザロの方を向く。
「ルミナス!? なぜ来たのである!!」
「お父様やお母様が死ぬなんてイヤ!!
そんなのは絶対にイヤ!!!!
待っててお父様、私がどーんと加勢して――」
「これはこれはルミナス姫、わざわざ御足労頂き、ありがとうございます――!」
そのアザロはルミナスを見て、牙を剥き出しにして笑う。
そして、
「っくぁ……っ!」
「ぅ、ぁ……!?」
自身の濃密で、過大な魔力をさらに周囲に垂れ流した。
魔力を一時的に固形化する具現化とは違う。
ただ、流す。撒き散らす。
どろりとした負の魔力、ドス黒い闇の魔力を空気中にこれでもかと発散させる。
それは闇の魔具を通していないので、闇が具現化したわけではない。
だが、そうと思えるほどの漆黒が、アザロから吹き出していた。
「王の空間」
その漆黒の魔力の空間に、アダム王とルミナスは呑み込まれる。
魔力の海に……呑み込まれる。
「ぁ……か、ぁ…………」
すると、どうなるか。
抵抗力のない者……具体的に言えば総魔力量の少ない者は、呼吸ができなくなる。
あまりにも濃密な魔力は空気すら押し出す。
自身の魔力で押し返さなければ、呼吸がままならないのだ。
しかし、このような戦闘法は思いついたとして実行できるようなものではない。
それほど濃密な魔力、広範囲を埋め尽くすほどの量をたった一人で放出するなど……。
普通は不可能だ。
だが、アザロは何人もの吸血鬼を吸い尽くし、その魔力を跳ねあげている。
その魔力を、アザロは放出しているのだ。
「これで初代様の血統、王剣ダーインスレイヴは私のものだ……」
先の見えない暗闇の中で、アザロの声だけが不自然に響いて聞こえる。
見えなくても、不快な気配が近づいてくるのは分かる。
だが、動けない。
肺に、身体に酸素が回らず、手足が少しも動いてくれない。
「死にはしませんよ、ルミナス姫。
これからは私の力となって、私の中で生き続けるのです」
かぷり。
牙が肌を刺す音が……暗闇の中で小さく響いた。
――――――――――――――――――――
ユリシアは、ちょうどそのタイミングでルミナスに追いついた。
空間を占める闇の魔力が徐々に空気中に気化して消えていき、ユリシアは自分の親友の姿を確認した。
「ルナちゃ―――っ!!」
次に、ルミナスを庇うように立つアダム王と……その首筋に牙を突き立てているアザロの姿が目に入る。
「王様!!」
ユリシアは即座に拳に闇を具現化させ、吸血中で隙だらけのアザロに向かっていこうとする。
しかし、その途中でユリシアは止まった。
ここで一時的にアダム王を助けて何になる?
それならば、アザロがアダム王に吸血している今のうちに……。
そんな打算的で最低な考えがユリシアの頭に浮かぶ。
――わたしは何を考えているんですか!
よりによって王様を見捨てようとするなんて……!!
ユリシアは改めてアザロを攻撃しようとして、気づいた。
アダム王が喋れないながらも、こちらを見つめていることを。
その叡智を宿した赤い瞳が……それで良いのだと、言っていることを。
「っ……」
ユリシアはその視線の意味を理解し、その覚悟を理解した。
ジュリアスが己を犠牲に自分たちを逃がしたように。
アダム王も、エリドーラ王妃も……己を犠牲にしようとしている。
娘に……生きろと、懸命に叫んでいること。
ユリシアは理解し、そして僅かに身震いした。
だからユリシアは……未だに身体が上手く動かないルミナスの下へ向かう。
「シア、どうして……!?」
ルミナスが悲壮な顔でユリシアを見る。
けれど、ユリシアは彼女の願いを叶えてやるわけにはいかなかった。
この場で自分にできる唯一のこと、自分たちを守るために尽力してくれた人たちに報いることができることはもう……ルミナスと共に生き延びることだけだからだ。
ユリシアは自分の腕の闇の魔具――漆黒のブレスレットにありったけの魔力を流す。
自分とルミナスが通れる大きさにまでブレスレットの輪を拡張し、片方を……地上に、そして可能な限り遠くへ跳ばす。
「ねぇ、シア、お願い……お父様を助けて……お願い、シァ……」
大粒の涙を滝のように流して懇願するルミナスの下へ、ユリシアは拡張されたブレスレットを持って歩く。
魔力はかなりもっていかれて、あとは二つのブレスレットを繋ぐだけの分しか残っていない。
疲労と、倦怠感が襲ってくる。
だがしかし、まだ倒れるわけにはいかない。
ゆっくりとした足取りで、アダム王の方を見ることなく、まっすぐにルミナスの下へ歩く。
「シア……シアァ……ッ!!!」
ユリシアは泣き喚くルミナスの上からブレスレットをくぐらせる。
そして、そのタイミングで……
「あぁ、あぁあああぁああッ!!
お父様っ!!! お母様ァあぁあああぁああ!!!!!!!!」
吸血が……終わった。
ユリシアが反射的に振り向くと、地面に落ちているアダム王の服のみが目に写る。
完全に血を吸い尽くされると、肉体まで消えてしまう。
そう完全吸血を理解するのと同時に……
アダム王が、エリドーラ王妃が死んでしまったことを……ユリシアは、ルミナスは理解した。
「ふゥ、これで私も、王族の血を引く者だ……」
「いや、イヤァあああぁァぁぁぁあァあぁあああぁああァァアあぁあああぁァァアああァァァアァアァァァァアあぁあああぁああァアァァあぁあああぁああァァァアァアァァあぁあああァぁああ!!!!!!!!!!!!!!」
この地下王国全体に届くかと思うほどの絶叫。慟哭。悲鳴。
蹲り、魂を燃え尽くすような叫び声を上げ、目の前の現実からルミナスは逃げる。
そんなルミナスを……ユリシアは、
ぱしん!
「ぇ……?」
叩いた。その頬を思いっきり叩いた。
泣きながら呆然とするルミナスに向かって、同じくらいの涙を浮かべたユリシアが叫ぶ。
「今することは……泣くことじゃありません!!!
アダム王様は……ルナちゃんのお父さんやお母さんは最後になんて言ったんですか!?
ルナちゃんは、お二人の最後の願いを忘れてしまったんですか!!?
生きるんですよ!!!
お二人がいない世界でも、どんなに悲しくても生きるんです!!!!
泣いてる暇なんか、どこにだってありません!!!!!」
ユリシアの初めてとも言える本気の怒りに、ルミナスはまだ呆然としている。
ユリシアはチラとアザロの様子を確認する。
何やら、頭を抑えて蹲まっていた。
恐らくは完全吸血の副作用なのだろうと、ユリシアは再びルミナスに目を向ける。
「……分かっ、た。分かってる、わよ……っ。
分かってるわよ!! どーんと!!!」
ルミナスは大きく声を上げて立ち上がる。
その顔は確かに悲しみで塗り固められているが、それでもルミナスは前を向く。
「いいわユリシア。どーんと……“跳んで”」
「はい、分かりました」
二人は涙で顔をぐしゃぐしゃにしつつ、手を繋ぐ。
そしてルミナスは最後に……アザロに対して指を向ける。
「どーんと、憶えておきなさいアザロ伯爵。
あなたは絶対に王になれないわ。
どれほど王を名乗っても。
どれほど民を押さえつけても。
どんな力を手に入れようとも。
この私……第二十九代フィルムーア王国女王!!
ルミナス・ヴィルヘルム・ヴァンパイアがいる限り!!!!」
それは、宣戦布告。
国を渡さないという、王族としてのプライドと責任から出た言葉。
その言葉に込められた覚悟と想いは、とても十歳の少女のものではなく、放つ雰囲気は一瞬なれど王の風格。
「何を馬鹿な………この国はもう私のものだ!!
吸血鬼族の王は私だ!!!
貴様も今すぐに吸い尽くして……がァアッ!」
アザロは苦悶の表情で額を押さえつける。
地に伏せ、必死に痛みに堪えているアザロを見下し、ルミナスはユリシアの方を向く。
「お願い、シア」
「はい」
ユリシアは、二つの魔具を繋いだ。
ルミナスとユリシア、二人の足元に広がる闇。
ブレスレットの輪の中に広がった闇の中に二人はすとん、と落ちる。
それだけで二人の姿は忽然とかき消え、ブレスレットさえも残らない。
「ば、馬鹿な……!?
一体何が起こったと言うのだ!!?
ルミナス姫は!? 半吸血鬼はどこへ行った!!」
アザロがいくら二人の姿を探しても、当然見つかるわけもない。
ユリシアの【能力】を知らなかったアザロはまんまと二人を逃がしたのだ。
「ぐぁぁ!! くっ、アダムめ、王族め!!
こんな、こんな秘密を隠して……がぁ!!!
ぐっ、く、王剣を……王剣ダーインスレイヴを……ぐ、ごぁァあぁあああぁああああぁあああぁああァァァアァアァァ!!!!!!!」
反乱の終わった王国に、アザロの絶叫が響く。
人の気配のない廃墟のような街の中で、アザロはそうやって叫び続けていた……。
――――――――――――――――――――
「こうしてユリシアは……いや、ユナちゃんはハクシャクから逃げて、逃げて逃げて、今日まで生きてきた。
一緒に逃げたルミナス姫がどうなったのかまでは……分からねぇがな」