第九十二話ー狂人の行軍
「ん、むぅっ、ぁ……ふぁ……」
ピンク系の柔らかい色で配色されたザ・女の子の部屋。
しかし、置かれている家具やぬいぐるみはどれも高級品であり、女の子と言うよりはお姫様の部屋と言う方がこの場合は適切だろう。
そんな部屋の天蓋とカーテンの付いたベッドの上で響く艶かしい声。声は幼いものの、聞くものを妖しい気分にさせるような声。その声の主は……僅か十歳の少女、ユリシアだ。
「ルナ、ちゃん……っ、だめ、です……っ。
これ以上は……もう……っぁ!」
やましい行為を行っているわけではないことを、ここに記述しておく。ルミナスが行っているこれは単なる吸血行為だ。
「はぁっ……ぁふ、ぁぁ……っ!」
単なる吸血行為の……はずである。
「んっく、ふぅっ、ご馳走様っ!」
「はぁ……はぁ……」
ユリシアの首元から離れるルミナス。その肌はツヤツヤと輝いていて、王女らしく整えられたドレスを着ている。服と息が乱れ、あられもない姿のユリシアとは正反対だ。ユリシアは床に力無く寝そべってまま、今さらながらの抗議の声を上げる。
「喉が乾いたからって……わたしの血を飲まないでください……っ!」
「いいじゃない、どーんと減るもんじゃないんだし!」
「血が思いっきり減っていますよ!?」
ユリシアは上体を起こして大きな声を上げる。
しかし、次の瞬間、
「あっ――」
貧血でふらついた。視界が大きく横に振れ、ユリシアは無抵抗に地面に堕ちて――
「っと、危ない危ない」
間一髪、ルミナスの膝がユリシアと地面の間に割り込む。ユリシアは助けられたものの、ジト目でルミナスを見上げた。
「……吸いすぎです」
「だってシアの血、とぉっても美味しんだもの!」
「……前から気になってたんですけど、わたしの血ってどんな味がするんですか?」
「シアの血の味? えー、とねー……」
人差し指を額に当ててルミナスはユリシアの質問について考える。
しかし、どうしても上手い表現が見つからない。
だからまず、彼女は表現のしやすい人を例示し、ユリシアの質問に答えることにした。
「まずお父様の血は“毎日たくさん苦労してるけど、それを褒めてくれる人がいなくてちょっと寂しがってる少年”の味なの」
「……はい?」
「それからお母様は……“優しくて、人を虐めるのが大好きで、でもとっても甘えたがりな人妻”の味でしょ……でもシアは……」
「あの、ちょっとルナちゃん? 全然伝わらないんですけど、え? 血ってそんな味なんですか? 国王様と王妃様の性格的なものがすごく反映されてるような気がするんですけど。っていうか王妃様って甘えたがりだったんですか!?」
ルミナス独特の味評価に、ユリシアは慌てる。
甘いとか、辛いとか……そういう答えが返って来ると思っていたのに斜め上すぎる返答だった。
そして、自分の味はどんな風に表現されるのだろうと、期待半分怖さ半分にユリシアは答えを待つ。
「……………“とってもとっても、深い深い、狂おしいほどの哀しみ”の味……かしら。他のどの人の血とも違うの。全然違う。別のものを飲んでいるみたいに。余計なものは何も混ざってなくて、ただ“哀しい”。シアの血を飲んでるとね、私の胸のここのところが、“哀しい”って叫ぶの」
ルミナスは自分の胸の真ん中にそっと手を置く。
俯き加減で、憂う様に瞳を潤ませるルミナス。
その姿はとても絵になっていて、高尚な芸術品のよう。ユリシアも、その姿に思わず見惚れてしまった。
「って、そうじゃないです! 結局どんな味が分かりませんし……それに“哀しい”って、それ、美味しいんですか?」
「ずっと飲み続けたくなるってことは美味しいのよ、どーんとね!」
「そ、それはそうかもしれませんけど……」
答えを受け取ったものの、釈然としないユリシアであった。
――――――――――――――――――――
ユリシアとルミナスの二人は部屋を出て、王城内を歩いていた。目的地は特に無い。強いて言うなれば面白そうなこと、だろうか。数刻前に寄った食堂で貰ったアップルパイを頬張りつつ、二人はのんびり長い長い廊下を歩く。
「おーやおや。 そこで美味しそうなものを食べているのはもしかしてルーナとユリユリかな?」
「あ、お母様!」「お、王妃様!?」
十字に別れた廊下の影からひょっこりと首を出す人影。ユリシアやルミナスと同じ美しい黒髪に、血のような赤色をした切れ長の瞳。整った顔立ちはとても凛として見えるが、今は無邪気な笑顔を浮かべ、その印象を和らげている。ルミナスは母に取られないように、ユリシアは不敬にならないように急いで残ったアップルパイを咀嚼する。ごくん、とその全てを飲み込んだ時、ユリシアの額が細くしなやかな指で小突かれた。
「こーらユリユリ。様なんて付けちゃダメだ。王妃、なんて畏まった呼び方もいけない。もっと気軽にエリドーラおばさんって呼んだ方が、ずぅーっといい。もしくはあの人みたいにドーラ、って呼ぶのもいいね」
この人物こそ、ルミナスの母にしてフィルムーア王国王妃。エリドーラ・シエストロ・ヴァンパイアである。ルミナスからの事前情報では……実は甘えたがりな人。そのことが頭をチラつき、ユリシアはまともにエリドーラと目を合わせられずにいた。
「え、いや、さすがにそれは……」
「なぁーにさ、ユリユリ、この私のお願いが聞けないって言うんだ? 吸うよ?」
「ダメよお母様! シアの血は私のなの!」
「いーでしょ、ちょっとくらい。減るもんじゃないんだから」
「ダメだったらダメ! シアは私のなの!」
だから吸血されたらわたしの血が減りますし、そもそもわたしの血はわたしのものです! と、ユリシアは心の内で叫ぶ。流石に王妃の前で大声を上げるような気概はユリシアは持ち合わせていなかった。
「そぉーなんだ、だったら仕方ない。血を吸えないなら、ユリユリに愛称で呼んでもらうしかないかな」
「へ……ふえ?」
「そうね! それがいいわ!」
ユリシアは思わず聞き返す。ルミナスはユリシアの血を飲まれまいと、何だか必死な顔つきでこっちを見ていて、エリドーラはニヤニヤと状況を楽しんでいる笑みを浮かべていた。
そして、二人ともじりじりとにじり寄って来ている。顔を引きつらせながらユリシアは後退し、親子が前進、ユリシアは後退、前進、後退、前進、後退……。
「あぅ」
「あーら、もう逃げられないみたいだね」
壁。そして二人は迫ることを止めない。
「さぁーあ、どーするのさ、ユリユリ」
「さぁシア! どーんと言うのよ!」
王族二人による恐喝(?)。身分的にも、状況的にも、物理的にも逆らえる余地はない。観念したユリシアは引きつらせた顔のまま、口だけを動かした。
「ど、ドーラおば……さま」
絞り出すように出された言葉。それはユリシアの最大限の譲歩だった。流石に王妃をおばさん呼ばわりできるほど、ユリシアの精神は図太くないようだ。
「ふぅ、これでいいのよね、お母様」
「うーん、様がいらないかな、不合格」
「むぅぅ〜〜〜………シア!」
「いや、無理ですよぉっ! 大体ルナちゃんだって様を付けてるじゃないですか!」
ぶんぶん! と風を切るほどユリシアは激しく首を振り、とうとう声を荒げてルミナスを指差す。
その指の先にいるユリシアはこてん、と首を傾げて、
「お母様はお母様じゃない。シアは何を言ってるの?」
「さぁーね、私はルーナのお母様だよ。全くユリユリはどうしたんだか……」
「いやいやいやいや!! だから様! 様が後ろにくっついてるじゃないですかっ!?」
ですか! ですか! と、ユリシア壁に背中を付けたまま、言葉に合わせてルミナスを指し示す。
ルミナスは困ったようにエリドーラを見た。
「?? お母様に様を付けたらお母様様だと思うんだけど?」
「そーだね、私に様を付けるならお母様様だ。ユリユリ。
いーい加減、ちゃんとドーラおばさんって呼んでくれると嬉しいのだけど。それが一番丸く収まる解決じゃないかな?」
訳が分からないです! と、ユリシアは叫びたかった。
しかし、それが無駄であることはもう既に十分理解している。それでも、ユリシアは負けるわけにはいかない。もし、王妃をおばさんよばわりしていることが父であるジュリアスにバレてしまったら……
わたしは一体どうなるんでしょうねー
もう乾いた笑みしか出てこない。
どう転んでも地獄のような気がする。
誰か……この地獄からわたしを助けて……。
ユリシアがそんなことを考えていると……カツン、と廊下に響く足音が聞こえた。
「これはこれは、エリドーラ王妃にルミナス姫ではありませんか」
エリドーラが顔を覗かせた曲がり角とは逆位置の角。
そこから現れたのは……
「あら、アザロ伯爵ではございませんか。
今日はどのようなご用事でいらしたのでしょう?」
アザロ伯爵――ハクシャク。
純血至上主義、他種族排斥派の筆頭貴族。
彼の姿がほんの少し確認できた段階で、エリドーラ、ルミナスの両名は即座に姿勢を正し、“政治”モードに精神を切り替える。
一方ユリシアは即座に闇を纏い、アザロから姿を隠す。
……ジュリアスから聞かされた他種族排斥派の危険人物の名前。
その中でも接触を避けなさないとまで言われていた人物が、目の前の男だったからだ。
幸い、ユリシアの反応と対応が早かったため、アザロはユリシアの存在に気がついていないようだ。
「いやなに、この王国内にいる劣等種や半吸血鬼についての件で王へ進言してくるだけでございます」
ユリシアはびくり、と身体を震わせる。
そのあまりにも自分に関係する話題に、アザロが自分の存在に気がついているように思ったからだ。
いえ、大丈夫です……気づかれてはいません。
と自己暗示をかけつつ、ユリシアはさらに息を潜める。
「アザロ伯爵、そのような差別的な言葉は口にしないようにしてください。……不愉快です」
「おっとこれは失礼致しました。王妃は王と同じで下賤な連中と仲良くしたいのでしたな……」
咎められてなお、ユリシアたちを差別するような言葉を吐くアザロ。
そして、言葉を含ませたまま、ルミナスの方を見る。
「相変わらず素晴らしい翼でございます、姫。
初代様と同じ純白の翼。類稀なる王の証。
貴女は、我ら吸血鬼族の象徴でございます……ですが」
アザロの目がギラリと剣呑な光を放つ。
憎悪、嫌悪のような負の感情を孕んだ強烈な眼光に、ルミナスは僅かに身を竦ませた。
「その高貴な血統を有し、体現している貴女が、半吸血鬼などという穢らわしい“混ざり者”と交友を持つなど……いただけませんなぁ……!」
「っ、伯爵! その言葉は口にするなと――」
「王妃は黙っていていただけますかな……!」
アザロの行き過ぎた言動に業を煮やしたエリドーラがアザロを諌めようとした時、それは起こった。
気持ちの悪い声。聞くだけで胸焼けが起こるような声。
そして、アザロの身体から立ち上る……
黒色の魔力。
濃密で、ドロドロとしていて、混沌とした魔力の気配に、アザロ以外の三人は思わず息を呑む。
「私は、ルミナス姫と話をしているのです。邪魔をしないでいただきたい。
……姫、即刻このような下賤な半吸血鬼と関係を絶つのです。
こんな下劣な者と一緒にいては……姫まで穢れてしまいます」
アザロは、はっきりと闇に紛れたユリシアの方を見た。気がついている、気がついていて、見逃しているのだ。
まるで半吸血鬼などこの場にいないというように、意識するのも嫌悪しているような態度。
ルミナスは、そんなアザロの態度に腸が煮えくり返りそうだった。今すぐにでもその気持ちの悪い病人のような顔をぶん殴ってやりたかった。
しかし、彼女は自分の立場というものを正しく理解していた。いずれこの国を背負い、ユリシアたち他種族との融和を目指す彼女は、こんなところで感情を爆発させるわけにはいかない。
ルミナスは自分の感情を押し殺し、飛び出しそうな拳を必死に握り締め、
「お父様と……お話が、あるのではないでしたか……アザロ伯爵」
早くこの場から失せろと念を込めつつ、ルミナスは笑顔をアザロに向けた。
お淑やかに見せた笑顔の裏には、ユリシアのことを嘲ったことに対する怒りが渦巻いていたが。
「……そうでしたな。王には一刻も早く、私の言葉を聞き入れていただき、下劣な輩を排除していただかないといけません。
それでは、これにて失礼します、王妃、姫。」
カツン、カツン、と足音を立ててアザロは去って行く。
その姿が見えなくなって、ユリシアは闇を消して姿を見せる。
後に残ったのは陰鬱な空気。気分の悪くなる出会いだった。
「いぃーーーーっっ、だ!!!!!!
何よ何よ何なのよ!!
ムカつくムカつくムカつく!!!
どーんと! どーーーんとっ!!」
そんな空気を振り払うように、ルミナスは盛大に悪態をつく。
アザロが去った方向に向かって舌を出し、大声で溜まりに溜まったフラストレーションを爆発させる。
ルミナスの罵詈雑言が盛大に吐き散らされている一方で、母であるエリドーラは深刻な顔で、ルミナス同様にアザロの去った方を睨みつけていた。
「アザロ伯爵の属性は風属性のはず……だ。
あの時見えた黒い、闇の属性の魔力……っ。
まさか……あの男………っ!!」
エリドーラの耳には、アザロと出会ったストレスからルミナスに吸血されているユリシアの喘ぎ声さえ入ってこない。
鬼気迫る真剣な表情で、彼女はアザロの方角を見続けていた……。
――――――――――――――――――――
フィルムーア王国、夜。
陽光虫の明かりは消え、家屋が放つもの以外の一切の光が失われた闇の世界。
星の明かりも、月光さえも存在しない。
明かりを消したある貴族の屋敷。
夜の闇を見渡すことのできる二対の真紅の瞳が、自分を見つめる同じ色の瞳に語りかける。
「やはり王は考えを改めてはくださらなかった。
幾度となく行った陳言も……王の耳には届かなかった」
気持ちの悪い声……聞くだけで気分が悪くなるような声が部屋の中で響く。……アザロだ。
「我々は……最強種だ。この世で最強の種族、全ての種族の頂点に君臨する種族……吸血鬼族だ」
ギラリ、と吸血鬼特有の鋭い犬歯を晒すアザロ。
一切の光のない闇の中で、真っ白なそれが凶暴に浮かんでいた。
「他の劣等種と交わることなど、あってはならない。
純血こそが我らの誇り、純血こそが我らの証」
アザロの言葉に、周囲に浮かぶ瞳が納得したように揺れる。
その様子に、アザロは満足げな笑みを浮かべた。
「その誇りを忘れ、劣等種と共存しようとする王を、私は認めない。
そのような者が、吸血鬼族の王であっていいはずがない!」
熱の篭ったアザロの言葉に、周りは賛同する声を上げる。
その声はどんどん大きくなり、部屋を揺らすほどになった頃、アザロは手を上げてそれを鎮めた。
「諸君らの意志はよく分かった。
……では、コトを起こす前に一つ、やってもらうことがある。
諸君ら一人一人の足元に転がっているモノにかかっている布を、外してくれたまえ」
「……っ!? これは………っ!!」
布を外して現れたもの……それは吸血鬼だった。
手足を縛られ、猿轡を噛まされた彼らは全く身動きが取れずに血走った赤い目を泳がせる。
また、よく見ると地面に倒れる一人一人に見覚えがある。
立派な髭をたくわえていたり、着ている衣服が豪華であったり………
「そう、諸君らの足元にいるのは公爵家の方々だ」
「っ!?」
衝撃が、アザロに賛同する者たちの間を駆ける。
王家に連なる最高位の貴族たち、それが公爵家。
なぜ、公爵家がこんなところに?
アザロ伯爵は一体何をさせようとしているのか?
疑問が浮かんでは消え、彼らはただ、アザロの言葉を待つ。
「諸君らには……彼らの血を吸って貰う」
吸血。
それは吸血鬼が吸血鬼である証明であると同時に、彼らが有する最大の武器だ。
「な、なるほど……公爵家の豊富な魔力を借り受けるというわけですな……しかし、それならば何も公爵家でなくともよかったのでは?」
一人の吸血鬼の進言。
公爵家の血を吸うことへの躊躇いや、報復を恐れての進言。
全員の視線がアザロに集まる。
沈黙と静寂が空間に蔓延る中、アザロは……
「ああ、すまない、言葉が足りなかったようだ……。
彼らの血をただ吸うのではない。
吸い尽くすのだ。」
「アザロ伯爵……っ! それは……っ!」
フィルムーア王国法第一条。
生き物の血を吸い付くしてはならない。
この吸血鬼の国において、最上位の禁忌に位置付けられている行為。
アザロはそれを行えと言ったのだ。
当然のように動揺が走るが、アザロは薄ら笑みを浮かべたまま、言葉を続けた。
「諸君らはなぜ、血を吸い尽くすことが禁忌であるか……考えたことがあるか?」
「……それは、殺人と同義だからであろう。
血を完全に吸い尽くせば、死んでしまうことは明白。
吸い尽くすのみならず、危険な症状に至るまで吸血することを罪としているのも、そのことを立証しているではないのですかな?」
「ではなぜ、人間の血を吸うことに法を限定しない?
どうして生き物などと禁忌の範囲を広げるのだ?」
「それは……」
「答えは簡単……王家は恐れたのだ。
その強すぎる吸血鬼の特性を。
我ら下々の者が、過剰に力を持つことを……」
アザロは、ほんの少しだけ魔力を開放してみせる。
薄っすらと浮かぶ闇の魔力。
それは夜の闇に紛れて視認することはできなかったが……その魔力は、この場の人間を圧倒した。
感じ取るだけで胸焼けがして、
その濃密な魔力に圧されて、
強大すぎるその力に……畏怖した。
「完全なる吸血は、我ら吸血鬼に全てをもたらす。
対象物の記憶、技能、【能力】、魔力……全てを。
そしてそれは一時的な強化などという小さい範囲に留まらない。
完全なる吸血による強化は……永遠に続くのだ」
「……な、なんと……」
それぞれから、感嘆の吐息が漏れる。
もしそのことが真実であるのなら、吸血鬼族という種族はまさしく最強の種族と呼べるからだ。
魔力はいくらでも増幅でき、
全ての属性の魔力を操れ、
全てのモンスター、全ての種族の【能力】を有する。
そしてその真偽は……目の前の男が証明している。
強さに対する興奮と期待が、彼らの中で渦巻いて行く。
自身に秘められた恐ろしいほどに強力な力に、打ち震える。
「高貴な血統を持ちながら、劣等種を擁護する堕ちた公爵家など不要。
もはや彼らの役目は、その高貴な純血を新時代の貴族に差し出すことのみ…………さぁ!
彼らの血を吸い尽くし、その力を実感するのだ!」
アザロの言葉と共に……かぷり、という牙が肌を貫く音が連鎖的に鳴る。
次いで、血を吸う音……ずるずるずるずる。
啜る。血を、啜る。
一滴たりとも残すことなく……余すところなくその血を飲む。
ずるずるずるずるずるずるずるずる。
吸って吸って啜って吸って。
その血を、己の血肉とする。
ずるずるずるず…………………………
音が………止んだ。
「……新たな公爵家の誕生だ」
立ち上がった吸血鬼たちは狂気の光を目に宿し、己の中で躍動する新たな力に酔いしれる。
身体の底から泉のように湧き出てくる魔力。
誰も彼もが、並外れた魔力をその身体から放っている。
「そして今日……新たな王が誕生する……。
さぁ………………革命を始めよう」
狂気に歪んだ者たちが、行軍を始めた。
――――――――――――――――――――
「全く、どーんとイヤな気分になったわね、シア!」
「はい…….そうですね…….」
「よーしよーし、二人ともー、元気を出してくださいねー」
「なんで姫がこの家にいるのですか……っ!」
ジュリアスは帰宅と同時に頭を押さえた。
ルミナスがここにいることも原因ではあるが、目の前の光景の意味不明さに依るのころが大きいだろう。
妻であるフェルルの膝の上にルミナスとユリシアが頭を乗せ、二人仲良く頭を撫でられているのだ。
「落ち着いてください、あなた。
二人は貴族様に嫌味を言われてしまって凹んでいるんです」
「あぁ……アザロ伯爵ですか」
ジュリアスはすぐに察する。
先ほどまで王の側で仕事をしていた彼は、エリドーラ王妃からその話を聞いていたので、フェルルの言葉からすぐに理解が及んだのだ。
「何が劣等種よ……っ。
何が劣ってるっていうのよ………っ!!
こんなに、こんなに素敵な人たちの……何がいけないっていうのよぉ………」
ルミナスは、一粒の涙を零す。
……悔しかった。
自分の大好きな人たちを貶められて、何も言い返せなかったことが、悔しかった。
「ルナちゃん……」
「私は……絶対に差別のない国にしてみせるわよ。
シアや、シアのお母様がどーんと過ごせるような国してみせる……してやるんだから……っ!」
ルミナスは……優しい。
大切な人のために悔しがり、涙を流す。
強く結ばれた唇から紡がれる言葉は大きな決意で満ちていて……
「わたしも……手伝います。
一人でなんて、やらせませんから」
同様の決意によって支えられている。
ルミナスとユリシア。
立場も身分も違えど、親友となった二人。
強固な絆で結ばれたこの二人なら……いつかきっと、この国を変えられる。
ジュリアスは目を細めて、そんなことを思うのだった。
「二人とも元気が出たみたいで私はとっても嬉しいです。
それで、ルミナスちゃんはどうしますか?
このまま泊まっていきます?」
「いきます!」
「ダメです」
間髪入れない返答が二回続く。
一つ目はルミナスで、二つ目はジュリアスだ。
「ぶー」
「そんな顔をしてもダメです。
王や王妃が王城で姫のことを心配して――」
頬を膨らませたルミナスを諌めようとしたジュリアスだが、その言葉を途中で切る。
唐突だが、ジュリアスの知覚力は凄まじい。
獣人族を凌ぐほど、だ。
その知覚力が……とてつもなく警鐘を鳴らしている。
何かが……来る!!
「合成魔法・輝晶の陣!」
ジュリアスは両腕に嵌めたバックルから魔法を発現させる。
それは、合成魔法。
……そう、彼は二属性所有者なのだ。
属性は……地と風。
血を飲むまでもなく、そのスペックは常人よりも遥かに高い。
歴代最高の監察官の異名は、伊達ではないのだ。
彼の魔法により、フェルル、ユリシア、ルミナス、ジュリアスの四人を大きく囲むように細かいダイアモンドが結界のように風に舞う。
それができたのとほぼ同時、四方向から強烈な魔法が叩き込まれた!
技術も何もない、ただ膨大な魔力に任せた魔法。
それはジュリアスの結界を侵食していくが……彼の魔法によって生み出された金剛の石はそう簡単には削れない。
風が余波を完全に防ぎ、中の人物たちは事なきを得た。
だが、家は無惨。
家ごと攻撃された結果、ジュリアスたちの立っている場所以外……もはや家とは呼べないような更地になっていた。
そうして見通しがよくなった結果……現れた四人の吸血鬼たち。
その四人の誰もが……巨大な魔力を有していて、その内の一人が……ジュリアスと、ユリシアたちに向かって高らかに宣言する。
「劣等種をこの国に引き入れた大罪人、ジュリアス!
そして、劣等種に半吸血鬼!
腐り切った王と共に……我々が処罰してくれよう!」
王城の方角からも……フェルルでさえ感じ取れるほど、濃密な魔力が立ち上る。
嫌な気分になる、気持ちの悪い魔力。
それが……複数!
「「「「腐った王は裁きを! 罪人には天誅を!
アザロ王、万歳!! アザロ王、万歳!!」」」」
歴史が、動く。
誰にも語られることのない、地下の歴史が……大きく胎動する。