第七十話―幽玄の黒龍
「キュァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!」
叩き付けられる純粋な魔力にこの場の全員が萎縮する。
海中にも関わらず海は荒れ、嵐が訪れる。
うねり、狂う海はカイルの心を表しているようだった。
吹きすさぶ海にバットが煽られ、首に巻かれた海龍の子供もその煽りを受けて大きく揺れる。
「これが……カイル……!? ユナ!? 一体これは……!?」
「……っ、分かりません!!
以前リュウセイさんが似たような状態になりましたが……ここまでは……!!」
「そんな……」
まるで海中を襲う災害。
変化が完了に向かえば向かうほど、その被害は大きくなっていく。誰も彼もがカイルに注目し、目を離せない。
それは、当然と言えた。
なぜなら、目の前に導火線に火がついた大量の爆薬があるようなものだからだ。
いつ起爆して――変化が完了して自分達に襲いかかってくるのか分からないからだ。
まともな人間なら、今のユナ達のように一瞬たりとも目を離さない。
だから、気が付かなかった。
バットの首に巻かれた海龍の子供が、じたばたと喉に飴が詰まったようにもがいた後、ビー玉のような丸い物体を吐き出したことに。
誰もそれに気が付くことなくそのまま見過ごされるかと思われた。
だがしかし、海龍の子供がそれを吐き出した瞬間、眠っていた男が跳び起きた。
「解けたぁぁぁっ!!!!!! ええで海龍!!
これであの子は自由……ってなんじゃこりゃぁああああ!!!??」
跳び起きて、跳び跳ねた。
喜びのガッツポーズをした後、暴走寸前のカイルを目にして恐れる。
なんとも気の抜けるようなジャックの行動。
しかし、それから全てが動き出す。
「フィーナ!! カイルを!!」
「あいあい!! おねーちゃん!!!」
死んだと思われていた二人が飛び起きた。
身体に空いた大きな穴はいつの間にかなくなり、何事もなかったようだ。
そして、短い掛け声の後に二人は二手に別れる。
マリンはバットの下へ
フィーナはカイルの下へ
魔力を足場にして、泳ぐよりも速く、マリンはあっという間にバットの所まで辿り着く。
カイルの変化や突然のこの状況にただ呆然としているバット。
そのバットから、マリンは海龍の子供を睡蓮時代に鍛え上げた盗みの技で掠め取る。
バットは動くことすら出来ずに固まっているが、だからと言って何もせずに放置しておくほど、マリンは甘くない。
マリンはバットに向けて水精霊の指揮棒を突きだした。
「水の激流!!」
指揮棒の先から突き抜けるような水流が現れ、バットを押し流す。
水流は蛇のようにバットを絡め取り、激流に呑まれたバットは鈍い音と共に壁に叩きつけられる。
短い嗚咽と、揺れる瞳。
ずるりとバットは床に倒れ、意識を投げ出すのだった。
一方、暴走寸前のカイルの下へ向かったフィーナは荒れる魔力に臆することなく、カイルの側まで泳ぐ。
我を失い、目の前にフィーナがいるのにも気が付かないカイル。
フィーナはしょうがないわね、と軽く鼻を鳴らした。
状況は何もかも分かっている。
自分達は全て聞いていたのだから。
カイルが……どうしてこんな風になったのかを。
止めなければいけない。
作戦を話していなかったのは……自分達なのだから。
申し訳なさそうにフィーナはもう一度鼻を鳴らす。
そして……
「“大丈夫”よ」
カイルを抱き締めた。
カイルの瞳が……揺らぐ。
「“大丈夫”よ、“大丈夫”。
怖くなぁーい、怖くなぁーい………」
“大丈夫”
それは彼らの母の口癖。
子供達を落ち着かせる魔法の言葉。
フィーナは姉として、カイルを落ち着かせるためにその言葉を口にする。
効果は……覿面だった。
「フィ……ね、ぇ……?」
荒れ狂う魔力が一瞬にして静まる。
赤かった瞳が元の色を……取り戻した。
「そう、お姉ちゃんよ、“大丈夫”。
怖くない、“大丈夫”よ、私はちゃあんと、ここにいるから」
「フィー姉……!!
フィー姉!!!
よかった、生き……てた……!」
「よしよし」
顔をくしゃくしゃに歪めて、姉の存在を確かめるように、カイルはフィーナに強く抱きつく。
ちょっと苦しそうな顔のフィーナは、子供のように泣く弟の――カイルの頭をしばらくの間、撫で続けてやるのだった。
マリンはそんな二人に向けていた視線を反らし、海龍のところへと足を運ぶ。
「盗んできたわよ、あんたの宝物」
その手には目をぱちくりと瞬かせる子海龍が抱かれていた。
マリンは海龍の鼻先まで行き、子供を海龍に向けて放つ。
子供は自分の親がそこにいると認識するとその顔の回りを元気よく泳ぎ始めた。
キュイッ、キュイッ、と鳴く鳴き声は人間の子供が上げる楽しげな声となんら変わりはなく、海龍が人間のように顔を緩ませる。
『おぉ……!! なんと礼を言ったらよいか……!!
そなたらには感謝してもし足りぬ……!!』
「どういたしまして」
にしし、と親子の戯れをマリンは笑う。
ここなら先は親子で語らうものがあるだろうことを察し、マリンはその場をそっと離れ、ユナとジャックの元へ向かう。
すいすいすいー、と軽快に泳ぐマリンは状況を飲み込めずに口を大きく開けたままの二人の前に降り立ち、笑顔で片手を上げた。
「やっ、元気?」
「はい、元気です……じゃないですよ!!
ビックリしました! 何を普通に挨拶してるんですか!?」
「やー、何か切り出し辛くってねぇー」
「そんな気まずさはおいておいて、早くこの状況のことを教えてください!」
一周回ってキレ気味のユナの口調。
一刻も早い状況、事情説明をマリンに求める。
腕をぶんぶん振るうユナをどうどう、と抑えたマリンは自分の頭に握り拳を当て、舌先を口から覗かせ、
「この街にバカンスに来たとか……嘘でしたっ、てへっ♪」
こてんと首を傾けるというあざとい仕草をする。
ユナはそんなマリンに心中穏やかでなく、苛立ちを込めて催促する。
「それにはもう気付いてますからその次を――」
「えええええ!!?
マリン達はバカンスで来たんじゃないの!?」
大きなリアクションで驚きの声をあげるセーラにユナは頭を抱えた。
違う、ここはスルーするところなんです、とは言えずにユナは目線でマリンに続きを促した。
「あー、うん、それでね。
ぶっちゃけこの街の事実とか全部知ってたのよ。
始めから全部ね。たまたま遊んだセーラが、今回の生け贄ってのはちょっと誤算だったけどね」
生け贄、という言葉に反応してセーラが静かになった。
ユナは慰めようかと思ったが、話が終わってからでもいいと考え直し、マリンの話に注意を向ける。
「それで、まぁ、とりあえず一日は遊ぶために使って……。
その次の日、つまり今日ね。
余計なことされると面倒だから……何をしでかすか分からないカイルを唆して、ユナちゃんに丸投げしたの」
ツッコみたい。
物凄く文句を言いたいと切実にユナは思い口を引きつらせるが、話が進まないのでなんとかその衝動を堪える。
「リュウセイはまぁ放置して……
そこからがあたし達の作戦の始まりで――」
――――――――――――――――――――
「とまぁ、この生け贄制度があるから帝国兵はこの街にいないの」
「戦力ならレヴィだけで十分だし、もしこの街に居たら街の連中に生け贄にされるかもしれないしね」
「帝国兵を生け贄って……認められんのかいな……」
「「さぁね。まっ、それはどーでも良いの。ここからが本題よ」」
カイル達がモンスターに襲われていた岩礁地帯。
そこに三人は腰かけていた。
まだセーラの家を出てすぐの、そんな時間だ。
「レヴィが帝国に従う理由……」
「それは子供を人質に取られてるから」
「子供を……?」
「「十一年前、天龍、海龍、地龍のほとんどは帝国によって滅ぼされた」」
「はぁっ!?」
陸、海、空、それぞれの生態系の頂点に君臨する龍種。
他のモンスターとは明らかに一線を隠す、王のような存在。
同じ王でも昆虫系モンスターの王、蟲皇アガレアレプトなどとは格が違う。
龍の前では……どんなものであろうと等しく塵に同じ存在。
圧倒的な強者。絶対的強者なのだ。
それが……滅ぼされた。
そんなことをやってのける人物とは一体……
「誰が……まさか帝王が!?」
「いいえ、違うわ」
「やったのは今の第二、三部隊長よ」
ジャックは言葉を失う。
帝王がそれをやったと言うならまだ頷ける。
だが、部隊長が龍種を圧倒――そこまで彼らが強いとはジャックは考えていなかった。
実際に龍種を見たことは無い。
だが、素材を扱ったことはある。
死してなお、異様なまでの強者の存在感を示すその素材に、当時は人間に勝てる生物ではないと感じた。
そんな生物が……絶滅。
絶句するのも仕方がないと言える。
「話を続けるわ」
「滅ぼしたのはほとんど」
「「つまり生き残りがいるの」」
マリンとフィーナは少し意味深に溜めを作ってから二人揃って、足で地面を叩いた。
「「この、下に」」
「っ……!」
ジャックは無意識の内に息を呑む。
このヴェンティアの街の海底に……龍がいる。
にわかには信じられないが、二人の顔は真剣そのものだった。
「ほんまに……おるんか……?」
「初めてサリナとして会ったとき、言ったわよね。
水上都市に行ったことがあるって」
「まさか……じゃあ……」
「会ったわよ」
「昔ね」
「それで続きだけど……滅ぼされかけた龍族はそれぞれの中での一番の強者と」
「一匹の人質だけが生き残った……生かされたの」
「「その力を利用するために」」
「人質の子供の体内には」
「【痛覚攻撃】【洗脳】【爆発】の」
「三種類の魔具が埋め込まれてるわ」
「ちなみに……そうね、子供の大きさだけど」
「バットがマフラーとして首に巻いているくらいよ」
その事実にジャックは目を丸くする。
そんな小さな体躯に三つの魔具をいれるなど……正気の沙汰ではない。
いや、それ以前に……その小さな体躯に三つの魔具が入るのか?
ジャックであれば……それは可能だ。
錠剤のような大きさの魔具を作ることも可能だ。
しかし、並の魔具職人に可能な技術ではない。
そんなことが出来るのは……!
「エレナ……いや、そん時はまだ子供や……。
……っ……親父か……!!」
小人族前族長グロック。あの男しか、いない。
「その辺は知らないけど」
「どう? 何とかなりそう?」
「……その魔具を取り出せるかっちゅうことか?」
「方法は何でも構わないわ」
「子供から、最低でも【爆発】を無効化させたいの」
「出来んことはない……つうか、出来る。
ただ、それがまともな状況やったらの話や」
落ち着いて、静かな場所での作業なら間違いなくジャックは三つ全ての魔具を取り除ける。
しかし、解除作業中に【爆発】が使われてしまえばアウトだ。
子供の命はないだろう。
つまり、これは……いかにバットに気が付かれずに魔具を解除出来るのか……そこが問題なのだ。
「「まともな状況じゃない、例えば今みたいな状況なら?」」
ジャックは考える。
バットは常に海龍の子供の側にいる――いさせている。
そいつに気付かれずに体内の魔具の解除。
少しでもバレたら子供の命が危ない。
それでも……
「ある程度まで……せやな、十メートルの範囲内にワイと、子供がおって……
時間さえあれば、遠隔で……解除して、まぁ、なんとか……なる。
いや、やってみせる」
力強く宣誓のように付け加えられた言葉に、マリンとフィーナはジャックに対する信頼を高める。
ジャックなら、なんとかすることができると。
が、
「そんなこと……どうやって?」
フィーナのその疑問も、もっともと言える。
もちろん、ジャックのことは信頼しているし、きっとやってのけるのだと思う。
しかし、それでも疑問は疑問なのだ。
「……飛空挺を改造してた時な、ワイの手が届かへんところの、細かい部分の調整が必要になったことがあんねん」
ジャックはごそごそと腰の鞄を探り、ビー玉状の魔具を取り出した。
ジャックが魔具の【能力】を発動させると、それはうにょうにょと形を変化させ、小さなジャックの形となった。
「スライムの【形状変化】、それから幽鬼の【憑依】……これにワイの意識を移してやれば遠隔でもその魔具の解除は出来る。
ただ、体内に呑ませなアカンし、ワイの操れる最大効果範囲は十メートルが限度や。
そこをなんとかしてくれたら……なんとかなる」
「なるほど……流石ね」
「じゃあ、そうね……この【変態】の魔具を使って……」
「一芝居打ちますか」
にしし、と二人は悪そうな笑みを浮かべた。
「まさか自分からやって来るとはな……クヒッ、手間が省けた」
「あら、そう? じゃあお礼にちょっとその海龍の子供、こっちに渡してくんない?」
(レヴィ……聞こえる? 声はあたしにだけ向けてね)
(ああ、聞こえている……なんとまぁ、久方振りよの、マリン)
フィーナがバットに応対しているその影で、マリンは海龍――レヴィがそうしているように、水の魔法を使ってレヴィだけに語りかける。
(そなたが再びここに来たということは……)
(ええ、約束通り、あんたの娘を盗みに来たわ。
手伝ってくれると嬉しいんだけど)
(……何をすれば?)
「フザけたことを。クヒヒひ、まァ、軽口を叩ける内が幸せだなァ。
やれェ、海龍! そこのチビは半殺しだァ!
残りは串刺しにでもしてやれェ!!」
バットが大仰に手を広げ、醜悪な面でレヴィに命令を下す。同時に、マリンたちは前に駆け出し、
(簡単に言えば、死んだ振り作戦……オーダー通り串刺しにして頂戴!!!)
(承った!)
レヴィに指示を飛ばす。
作戦の概要を理解したレヴィは口の中に海水を集めて、
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
息吹を放つ!
威力も申し分なく、当たればただでは済まない。
しかし、二人は臆さない。その派手な作戦開始の合図に薄ら笑いをするだけだ!
「閃光草!!!」
フィーナの手から伸びる草の根っこの部分が閃光手榴弾のように鋭く発光する。
苛烈すぎる光の波動で、次回は完全に封じた。
ただ、それはレヴィのではない。
「ぐォォ……! 目が……目がァ……ッ!!!」
バットのだ。
マリンはバットに向かってあらかじめジャックから預かっていたビー玉魔具を投げる。
投げてからの軌道を指揮棒で水を操ることで微調整し、呑ませることに成功した。
よしっ! と、双子は目配せして第一段階の成功を祝い、開けっ広げの部屋から海中へと踊り出る。
(どうする……マリン)
(その辺で死んどくから、始末したってことにしといて)
二人は海中で、ベルトの【変態】の魔具を発動させる。
それは、ヴェンティアの街に入るときに使用した魔具だが……既にジャックによってその術式は書き換えられている。
見た目を変化させるその【能力】で、マリンとフィーナの身体の中心に大きな穴が開いた。
それはあたかもレヴィの尾で身体を貫かれたかのよう。
ジャックも【変態】で、適度に痛めつけられたように偽装する。
三人は、ゆらゆらと水死体のように海中を漂う……振りをする。
「ぐハッ! おのれ小娘ェ………! おい! 海龍!!」
『もう終わっている』
視界が戻ってきたバットが目を開けると、海中に浮かぶ三つの人影。
二人は注文通りに腹に穴を開け、明らかに即死。
呼吸のための空気の泡さえ消えている。
実際は鼻の周りにのみ出しているだけだが。
半殺しにと言ったジャックも命令通り。
バットは満足そうに鼻を鳴らした。
「クヒひひ、俺様が相手だッたのが運の尽きだなァ」
見当外れなことを呟くバットは無視して二人は大人しく死んだふりを続け、ジャックは気付かれることなく黙々と解除作業を続ける。
そして、この後セーラがこの部屋に飛び込んで来るのだ。
――――――――――――――――――――
「それにしても、やっぱりカイルは何しでかすか分からなかったわね……。
だからユナちゃんとデートに行かせたのに……」
「ぴゅいっ!!? デデデッ、デート!?」
「はわわわわわ!!!!」
ユナの顔がカーッと誰が見ても明らかなほど赤く染まっていき、周囲の水温が体感で二度ほど上昇した。
全くもってウブな反応……マリン達が弄りたくもなるのも頷けるというものだ。
「ぴゅ……そ、そそ、そう言えばリオネもカップルって言ってたし……ふ、二人はそんな関係だったの!?」
「いや、ちょっ、そのっ、これには深いワケが……」
「どこまで進んだのよー、教えなさいよー」
「ああもうマリンさん止めてください!!
っていうか元凶はあなた達なんですからね!?」
「デートなんだからー、キスくらいはしたのかしら?」
ぼふんっ! と小さな爆発音の後、ユナの周囲の水温が体感で五度ほど上昇した。
ユナの脳内ではリオネの店でやらかしてしまったファーストキスが走馬灯のように鮮烈に浮かび上がっている。
あの感触を思いだしユナは唇に指をあて……
「あっ! いや、あのっ!!
き、きき、キシュなんてしょんなことは……全然、してないれふよ?」
その行動がマズイことに気がついた。
咄嗟にでた言葉も動揺しすぎの噛み噛みである。
……バレバレだった。
「うっそ……ヤッちゃったんだ……」
「ぴゅぅぅぅ……」
「うう……違うんです、あれは違うんですぅ……」
ユナの小さな嘆きはなんの意味も為さない。
ほぼ有罪確定の中、無実を主張する被告人のようだ。
「さて、まぁユナちゃんのファーストキスはまた後で詳しく聞くとして……」
マリンはカイルとフィーナの所まで泳ぐ。
もう二人は抱き合っておらず、カイルはムスッとした表情をしていた。
「カイル、泣き止んだ?」
「な、泣いてねぇっ」
「「はいはい、分かった分かった」」
まだ微かに瞳を潤ませたカイルの反論は二人に軽く流される。
と、そこで上の方から静かな声が聞こえてきた。
『マリン、フィーナ』
「「改めて……久し振りね、レヴィ」」
その声の主、レヴィとマリン、フィーナが向き合う。
子海龍がレヴィの頭で遊んでいるのを見て、二人は優しく微笑んだ。
「マリン姉達はこいつと知り合いだったのか?」
『……七年ほど前になる、二人は生け贄として私の前に現れた』
セーラが口に手を当て、小さな悲鳴を上げる。
マリン達はそれに気が付かない振りをして淡々とレヴィの言葉に続ける。
「戦って……まぁ、あたし達もまだ小さかったし」
「殺すつもりで行ったんだけど、負けちゃった」
「まだまだあたし達も幼くて弱かったのよ」
「でも、レヴィはあたし達を守ってくれた」
「丸飲みにした振りをして、あたし達をヴェンティアから出してくれたの」
「「その時に約束したのよ。
このお礼に、いつか絶対レヴィの宝物をバットから盗んでくる、ってね」」
七年来の約束。
マリン達はそれを果たしにきたのだ。
それはつまり、果たせる目処が経ったからに他ならない。
目処とは、ジャックの存在である。
彼の類い稀なる魔具に関する知識や技術があったから、二人はこの街に舞い戻ってきたのだ。
『そなたにも、感謝するぞ、小人族の……』
「ジャックや、ワイの名前はジャック・ドンドン」
『ジャック、しかとその名、刻み付けた。
ありがとう、そなたのおかげで私の愛し子は救われた』
ジャックは感謝されて、少し照れていた。
まさかモンスターから感謝されるとは考えたこともなかったのだろう。
しかも海龍、その存在感は素材の状態とは比べ物にならない。
まるで人間の王様に頭を下げられたようなむず痒さをジャックは感じていた。
『それから……そなたは……』
「ん、俺か? 俺はな――」
「あたし達の弟のカイルよ」
「もう一人似たようなのがいるけど……それはまた後で紹介するわ」
「それから黒い髪の女の子があたし達の仲間のユナ」
「人魚族の子がセーラよ」
レヴィが紹介された三人を目で追い、頭を下げた。
『カイル、ユナ、セーラ、そなたらには迷惑をかけたな……すまなかった』
圧倒的な上位者から頭を下げられて、ユナとセーラは完全に硬直してしまう。これが普通の人間の反応だ。
一方普通ではない人間は、
「まぁ、気にすんな、迷惑なんてよくあることなんだからよ」
と、友人の肩を叩くような気安さで海龍の頬を叩く、という反応をする。
ユナやセーラはその動作に心臓が止まる心地がしていたが、当のレヴィは何も気にしていない。
彼女の子供がジャックのところに行き、巻き付いてじゃれる。
ジャックは無理に払うことも出来ずにされるがまま。
マリンがカイルに抱きついてカイルを弄り、フィーナがレヴィと談笑する。
そんな牧歌的な光景に、ユナとセーラの海龍に対する恐怖心も少しずつ解きほぐされ、その輪の中に加わるのだった。
すると、
「クヒひヒ……ッ!!
これで……終わりだと……思うな、よ……ッ!!」
バットがぬらりと、起き上がった。
今の今まで意識を失っていたバットは、まるで生まれたての小鹿のように足を震わせていた。
しかし、その目は愚鈍な光を失ってはいなかった。
淀んだ笑みをバットはカイルたちに向ける。
『貴様――』
「てめぇ……っ!」
一人と一体がすぐにその息の根を止めようと動こうとする。
翼を再度展開し、レヴィも息吹の準備をする。
が、それを阻む者がいた。
「フィー姉……マリン姉……?」
二人の姉はカイルとレヴィの前に立ち、手を出すことで動きを牽制していた。
その視線はただバットにのみ向けられ、いつになく真剣な眼差しだった。
視線の先にいるバットは、壊れた人形のように笑い続けていた。
「クヒ、クヒひヒひひヒ!!!!
この俺様がァ! 海龍だけの力に頼ッているかと思ッたかァ!
もう何もかもお仕舞いだァ! 全部全部終わらせてやるッ!!!
最後に笑うのは俺様だァ! “王”はこの俺様だァ!!!
貴様ら愚民は俺様の前で膝まずいていれば良いんだよォッ!!!!!!!!」
バットは懐から黒い物体を取り出す。
一見してそれが何だか分かる者はいなかった。
気体と液体の中間のような不定形のソレはバットの手の内にあった。
今考えると、取り出したという表現にも語弊があるのかもしれない。
それは取り出す、というような行動を受けるような代物ではない、ただそこにあった。
バットの手の内に、存在していた。
この世の物質とは、一線を隠すような存在。
そんな不定形の存在をバットは自身の身体に押し込んだ。
「ガッ、ァァあァぁッ!!
あっ、ガァッ、ァッアァあアぁッ!!!」
途端、見る者を不快にさせる顔がさらに気持ち悪く苦悶に歪み、黒い霧がバットの身体から吹き出し始める。
その霧は留まることを知らずにどんどん広がり、この部屋全体を覆い尽くした。
カイルたちは全員海の外に避難し、その光景をただ眺めている。
霧のせいで部屋の様子は分からない。
ただ、メキメキという音が聞こえるだけ。
「がァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァ!!!!!!!!」
海底に響く咆哮、そして霧は晴れた。
大きく、長い巨大な体躯。それは――
鋭く、口腔に生え揃った黒い牙。それは――
全身を覆う漆黒の鱗。それは――
雄々しき黒き鬣。それは――
白目のない黒一色の瞳。それは――
背に見える薄色の黒の翼。それは――
それはまさしく、龍だった。黒い、黒い――龍だった。
「グガァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァァぁァぁァ!!!!!!」
バットだったと思われる黒龍は……そのまま天井を突き破り、上へと昇っていった。
あとに残された者は――フィーナとマリンを除いて――ただ呆気にとられるのみ。
そのとき、キィィーーン、という音と共に、バットの部屋から聞き慣れた声が聞こえてきた。
『おい! 姉貴! バカイル! ユナ!
セーラ! ジャック! 聞こえてんだろ!
誰でもいいから返事しろっ!!』
バットが居た部屋から聞こえてくる音。
それは【テレパス】によって送られてくるリュウセイの声だった。
「「どうしたの? リュウセイ」」
マリンとフィーナがバットの部屋に戻り、落ちていた魔具を拾って声を返す。
ユナたちも、その周りに集まっていた。
『ハッ! どうしたもこうしたもねぇよ!
黒い海龍がヴェンティアの街で暴れてんだよ!
放送でそっちの会話は全部筒抜けだった!
なんとなく状況は分かってるつもりだが、バットが何かやったのか!?
うおっ、クソッ!!
一体何なんだよ! あの海龍は!? レヴィ、ってぇのが変化したのか!?』
戦いの音がする。人の悲鳴も聞こえる。
きっとリュウセイは町民を守るために戦っているのだろう。
片手間に会話をしながら戦っているので、その声はかなり慌てているように聞こえた。
『おい姉貴どうすんだよ!!?
ありゃあ、ぶった切ってもいいのか!?』
聞こえる戦闘の音。かなり切羽つまった声。
……それに対して、二人は冷たく答える。
「「戦わなくていいわ。
そんなの、相手にするだけ無駄だもの」」
『あ?』
その答えを分かりかねる疑問の声が聞こえてくる。
返す言葉もまた、冷淡だった。
「「もうこの街での目的は果たしたの。
戦う必要はないわ。
街のことなんて、放っておきなさい」」