第四十四話―伝わった想い
「死ね」
――アイリーンは……初めて会った時のようになってもうた。
ワイのことを恨みがましい視線で睨み、暴言を浴びせかける。なんでそんなことに……なんて言われたら……ワイのせい……なんか?
でも……そんなん……ワイに魔具を作るのを止めろやなんて……無理や。そんなこと……出来るわけあらへん。
もうしゃーない。帝国実験場におるんもあと二ヶ月や。あと二ヶ月したら……この暴言ともおさらばや。やのに……なんでや?
なんでこんなに…………苦しいねん。
「聞こえているのかこの〝魔具〟が。
ゴミめ。大量殺人者。駆逐されるべき対象。畜生め。
さっさと死ね。消えろ。存在の一欠片も残さずに消えろ」
くそっ、くそっ、くそっ!!!!!
止めてくれ………そんな風に言わんといてくれ……アイリーン……そんな憎しみを込めた目で見つめんといてぇな……。
あぁ、気になって魔具作りに集中できん……
そーや、ワイは〝魔具〟やねん。
なーんも……考えんでええねん……
ワイが〝魔具〟なら人間やって皆、〝魔具〟や……“ヒト”やって魔具に………
ワイは、親父に言われて書き上げたメモの隅にこう書いた。殴り書きで読めるかも分からへん字で……――
〝人間にも適用できるかも?〟
――――――――――――――――――――
「なぁ、親父」
「んあ?どうしたジャック」
「……いや、何もない」
ジャックはどこか落ち着かない様子で父であるグロックと実験場を回る。このやりとりも先ほどから幾度となく繰り返され、グロックの疑心を募らせた。
「さっきからそればっかりやな。何もないいうことはあらへんやろ」
「んー、まぁ、あるっちゃあるねんけど……」
「話せ」
「あー、おう。えっとな……何で親父は……帝国に付くことを決めたん?」
「そんなもん、よーさん〝素材〟が手に入るからやろ。
俺らは小人族。魔具を作る以外のことは考えんでええねん」
「たくさん……人が死んでも?」
「だから何やねん。どんだけ人が死のうが関係ない。
俺らはただ、ドンドンの遺した言葉通りに〝遥かなる魔具の高み〟を目指せばええねん」
「そう……やんな。ワイらはただ……ええ魔具を作ればええだけやんな」
「せや。やからそんな深く考えるな。俺らはただ魔具を作っとればええねん」
「……おう」
そしてこの日からジャックは、グロックに対して疑問を投げ掛けるようになった。
「ワイらは人殺しなんか?」
「何でワイらは魔具のことしか考えへん?」
「何で人を殺す魔具を作る?」
「何で」「何で」「何で」「何で」……
昨日のアイリーンとの対話。
結果としてアイリーンとは仲を違ってしまうことになったのだが、ジャックの心にはしっかりと楔が打ち込まれていた。
それは、人としての感性を身に付けたジャックからしたら当然のことであったのかもしれない。
しかし、生まれてから今まで刷り込まれてきた魔具に対する欲求を抑えるなど出来るはずもない。
故に、ジャックは水と油のように混じり合わない二つの感情の中で宙ぶらりんになっていたのだ。
その状態から脱しようする気持ちが疑問という形で外に現れたのだろう。
だが、その変化をよく思わない者もいるわけで……
アイリーンとジャックが仲を違えてから二ヶ月後、ジャックが帝国実験場に来てからちょうど一年たったその日、ジャックの運命を変える出来事が起こることになる。
――――――――――――――――――――
がちゃり。
ジャックがいつものように自室の扉に手をかける。
今日が実験場生活最終日、結局埋まることのなかったアイリーンとの溝にジャックは相当気落ちしていた。
もっとも、本人はどうしてそんな感情を抱いているのか分かってはいないようだったが。
最近は、部屋に入る度にアイリーンの毒舌、暴言が炸裂するので、魔具作りにも集中出来ず、誰かが話しかけてもうわの空であることが多かった。
だが、今日に限り、それが浴びせられることはなかった。
「来るな!!!!! ジャック!!!!!!」
ドアを開けた瞬間に聞こえる叫び声。
唐突なその声にジャックは硬直してしまう。
そして動けず、隙だらけなジャックをダンゾウの部下である忍装束の女が取り押さえた。
「うわっ!? なんやっ!!?」
瞬く間にジャックはうつ伏せに倒れ、両手は背中の後ろで固定。
首も前を向いたまま動かせず、視線が固定され、この状況の主犯であろう男が目に入る。
「親父……?」
そこにいたのはグロック。そして、拘束具によってYの字に吊り下げられているアイリーンだった。
「くそっ!! 下劣な豚め!! 畜生め!!
貴様こそ“悪”だ!!
“化け物”だ!! “人外”だ!!
ヒトの皮を被りし悪魔め!!!
死ね!! 死ね!! 死ねっ!!
絶望の限りを尽くして地獄に墜ちろ!!!!
小人族族長グロック!!!!」
拘束具をガチャガチャと鳴らし、グロックに向かって吠えるアイリーン。長い髪を振り乱し、目から溢れる憎しみの念がグロックを射抜く。
「おぅおぅ、口だけは立派やなぁ、没落貴族風情が。
それに“化け物”やとか“人外”やとか、そんなん言われたところでや、俺は何も感じへん。
むしろ、嬉しいわ。〝遥かなる魔具の高み〟へ行くためにはどーやったって“普通”じゃ行かれへんからな」
耳をほじくりながら、自然体でアイリーンと話すグロック。そしてフッ、と手についた耳くそを飛ばすとジャックの方を見る。
「おう、ジャック。お前この状況が理解できとるか?」
「分かるわけないやろ! なんやねんこれ!!」
質問に対して叫ぶことで応えるジャック。そしてグロックはニコニコと笑みを浮かべながらジャックの方に歩いてきて……
「がっ……!!?」
ジャックの横っ面を蹴っ飛ばした。
そしてジャックの髪の毛を掴み、強制的に自分と向き合わせる。ニコニコとした表情は消え、その顔に浮かぶのは般若の如き顔だった。
「分からんやと……!?
おいジャック。俺は今までお前に何を教えてきたんや!!」
「あっぐ……!!」
空いている手でジャックを殴る。
「〝遥かなる魔具の高み〟へ行くためにはどんなことでもせえ。
魔具のこと以外何も考えるな。ただひたすら魔具を作っとけばええ。
そう教えたよなぁジャック!!!」
「ぅがっ……!!」
「お前は才能がある……一族で一番の腕を持ってる……そう言うたよなぁジャック。
お前ならやれる、お前なら〝遥かなる魔具の高み〟へ行けると思うて目をかけてやっとったのに……!!
最近のお前はなんやねん!!!」
「ぁぐあっ……!!」
「『何でワイらは魔具のことしか考えへんの?』『ワイらは人殺しなんか?』『何で帝国に付くことを決めたん?』『何で』『何で』『何で』……
そんっなことどうでもええねん!!!
そんなどうでもええこと考えとるくらいやったら……一個でも多く新しい魔具を作らんかい!!!」
「うぐっ……!!」
「情けない……それでもお前は小人族か!!?」
「がっ……はっ……」
数発もの殴打で顔にいくつものアザが出来る。
抵抗らしい抵抗をしないのはジャックの心がまだ迷っているからだろう。その迷いがジャックの反論する意思を抑え込んでしまっているのだ。
「……お前をもう一回“教育”したる。よぉ見とけ」
グロックがジャックを放し、部屋に飾られてある魔具を手に取る。
「おいジャック。これが何か分かるか?」
グロックによって示される魔具にジャックは力なく目を向ける。
「ワイの……作った……」
そうグロックが手にしているのは一年前、ジャックが考案し、手掛けた魔具である。
銛型の魔具。
消耗することを前提とし、様々な【能力】を多くの銛にそれぞれ付け、対モンスター用に、と作られた魔具だ。
「そうや。お前が“マトモ”やった時に作ったもんや……」
そしてグロックはゆっくりと銛を持ち上げ、投擲の構えを取り……
「おい……親父……?
何をしようとしとんねん……!?
親父!! 止めろっ!! 親父ぃっ!!!!!」
「これが〝魔具〟じゃあぁあ!!!!」
アイリーンの身体を赤く染める。
「ぐぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
ジュウジュウという音と、焦げ臭い匂いが部屋の中で広がる。アイリーンの絶叫が部屋の中で走り、苦しげな悲鳴が後を追うようにジャックの耳に入ってきた。
「ふう……【魔力喰い】も問題なく作用しとるし、俺の火属性も問題なく作用しとるな。ええ魔具や」
グロックの火属性の炎によってアイリーンの傷は無理矢理止血され、発動した【魔力喰い】によって体内からどんどん魔力がアイリーンの身体から吸われていく。
「アイリーン!! アイリィーーーン!!!!」
「はぁ……ぐぁ……ぁぁ……」
アイリーンは滝のように汗が吹き出し顔色も悪くなっていく。魔力が急激に奪われ、心身に異常をきたしているのだ。
身を貫かれ、焼かれ、魔力を吸われる三重苦がアイリーンを襲う。身をよじれば傷口が広がり、さらに焼かれることとなる。
自分の焼かれる音と匂いでアイリーンは狂ってしまいそうだった。
かつて感じたことのない痛み。動けば動くほど焼かれていく感覚。
それでも正気を保っているのは貴族としての彼女の矜持か……あるいは……
「さて……この魔具はたしか物量で攻めることに主眼をおいた魔具やったな……」
「っ!!!? 親父!? 何すんねん!!?」
グロックは両手で二種類、魔具を構える。
「決まってるやろ……作った魔具は……ちゃんと使わんとなぁ!!!!!!」
「やめっ………!!!!!」
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
染まる。
染まる。
今度は焦げ付くような音も、匂いもしない。
流れ出る血がアイリーンの服を赤く染める。
「ふむ……【幻覚】と……【侵食】か。
【幻覚】は発動しとるか分からんけど、【侵食】は問題ないみたいやな。
属性は違うから魔法が発動したかどうかは知らんけどな。……にしても【魔力喰い】と【侵食】……こら大分強烈やな」
【侵食】
対象の身体を蝕み、侵食する【能力】
アイリーンの刺された傷口から緑色のナニかが広がっていく。
抵抗するには自身の魔力で押し返すしかないが……
アイリーンの魔力はすでにない。
「あぁ……そんな……アイリーン……アイリーン……!!」
ジャックは何もすることが出来ない。
拘束された状態から……自分の作った魔具によってアイリーンが痛め付けられていく様子を見ることしか出来ない。
アイリーンの身体が緑色に染まっていく。
赤色の下に垣間見える緑。連鎖的に発生する痛みの中でアイリーンは幻視する。
己が国の最期を
祖父と祖母のむごたらしい最期を
守るべき民達の死体の山を
それらを生み出した悪魔が如き殺人魔具を
「うわぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……………………ぁぁぁぁぁぁ………」
「ふむ……【幻覚】も作用しとるな」
そんな中でもいつもと何ら変わりのない男が一人。
ただ、作った魔具を試しているだけ。
そんな風な態度の男が一人。アゴ髭に手を当て興味深そうにアイリーンの苦しむ様を……グロックは見ていた。
「くっそ……離せぇっ!!!
何でや!? 何でこんなことすんねん親父!!!」
拘束を無理矢理振りほどいてジャックはグロックの元に詰め寄った。胸ぐらを掴み、滝のように涙を流しながら自らの父を睨む。
「何でやと? お前がおかしくなったんはこの女のせいやろ。違うんか? 何もなしにお前がトチ狂うわけあらへん。
この実験場でそれが出来たんはそいつだけや。
殺されて当然やろ。そんなやつ。
それを始末して、お前を正しい道に引き込むんが……親としての俺の務めや」
この後に及んで親などと口にするグロック。
けれど、ジャックにはその言葉は届いていない。直前の言葉が……ジャックの心を射っていた。
「もしかして……ワイの……せいで……」
気付いてしまった。
グロックがここ最近のジャックの異変をアイリーンのせいだとし、この凶行に及んだことを。
それは間違っていないこと、そして何より自分のせいでアイリーンがこんな目にあっていることに気付いてしまったジャックは膝を落とした。
振り向けば、血に染まるアイリーン。
肉の焼ける匂いと音が鼻と耳を通過する。
青ざめた顔、緑に染まっていく身体が視界に入る。
意志の強かった瞳は今は虚ろで、彼女の中の最悪の記憶が映し出されている。
そして、それを引き起こしたのは……
「ワイ……の……魔具が……アイ……リーンを……」
もはや力も入らない。
【弛緩】の魔具がつけられたかのように全身の筋肉が脳からの命令を拒否する。目はアイリーンから離れてくれない。頭だけがフル稼働し、その映像を記憶に焼き付けていく。
自分がアイリーンを傷付けた。
自分がこの惨状を生み出した。
自分の魔具が……アイリーンを……
何もかもが自業自得。
アイリーンも言っていたではないか。
魔具を作るのを止めろ、と。
それは人を殺すものだと。
関係ないと割りきろうとした。
現実感がなかったから。
自分の作った魔具が人を殺すなど。
それこそアイリーンが聞かせてくれた夢物語。
関係ないから……魔具を作り続けていた。
目の前で見せ付けられて、ジャックは初めて理解することが出来た。
「ワイは……いままで……」
どれほどの人間を殺してきたのだろう。
どれほどの人間を苦しめたのだろう。
どれほどの“悲劇”を生み出したのだろう。
ようやく……分かった。
初めて会ったとき、アイリーンがあれほどの憎悪で睨んできた理由を。
二ヶ月前……いや、出会ってからどれほど自分の為に尽くしてくれたのかを……
“あの日”……魔具を作ると言った自分に……どれだけ彼女が絶望したのかを。
死なせたくない……死なせたくない……死なせたくない……だって……アイリーンは……
「親父……頼む……もう止めてくれ……アイリーンを……助けてくれ……
もう何にも考えへんから……
どんな魔具やって作ってみせる。
親父の言うことには逆らえへん……
やから頼む……アイリーンだけは……
アイリーンだけはぁ………っ!!!」
ジャックはグロックにすがり付く。懇願し、アイリーンの命を乞う。死なせたくない一心で、後先のことを何も考えずにジャックはグロックにすがり付いた。
そしてグロックは笑みを浮かべる。
それは我が子に向ける眼ではなく……まるで……完成した魔具を見るかのような……そんな眼だった。
「そーうかそうか。やぁっと分かったか……ま、お前がそないに頼むんやったらしゃーないな。
……今回だけや。これ以後、お前は里から一歩も出さん。必要な材料は全部俺が集めたる。
ただお前は魔具を作れ。ええな?」
ジャックはアイリーンの命が助かるなら……と頷こうとする。
これは罰だと。多くの人を殺し続けた自分への罰なのだと。
「や……めろ……」
微かな声が聞こえた。
聞き慣れたその声にジャックは振り返る。
そこには確かな光を目に宿したアイリーンの姿があった。
「ッチ……【幻覚】が切れよったか……もうちょい魔力を込めたらよかった……」
「アイリーン……もう喋るな……大丈夫や……ワイが…ワイが助けたるから……」
ジャックがアイリーンに近付くアイリーンを縛り付けていた縄をほどいて、そっと地面に降ろす。
苦しそうに息をするアイリーンをジャックは辛そうに見つめる。
「さぁ……親父……治療してくれる人を呼んでくれ……早くせな……アイリーンの命が……」
「……ふんっ。おい、そこの……さっさ行け」
「畏まりました」
ジャックを拘束していた女が部屋から出ていく。
ジャックは不安そうにアイリーンを見つめるが、アイリーンは……
「助け……など……要らない……」
今にも消えそうな声でそう言った。
「な……何言うてんねん……治療せな……死んでまうやんか……」
「せや。折角ウチの息子が助けたろう言うてんねん。ありがたく助かっとけや」
ジャックとグロックがそう言うものの、アイリーンは何も答えなかった。二人の言葉を無視し、アイリーンはジャックの胸ぐらを弱々しく掴んだ。
「お前は……何をしようとしている……!!
そんなことをしたら……あの男は一生お前を魔具として扱うぞ……
アレは人じゃない……私を助けて恩を着せようとしているだけだ……!!」
「そんなん知っとる……でも……」
「でもじゃないっ……! 私が……アイリーン・フェニキア・オストラシズムが……そんなことで生かされて……喜ぶと思うのか……!?」
「でも……それでもワイはお前に……!!」
「間違えるなっ……!!」
「ぇ……?」
「目先に捕らわれるな。選択を間違えるな………!!
お前がそうすることで一体どれほどの人が死ぬと思っている……!?」
「そんなことより! ワイはお前が--」
「それ以上は……口にするな……!!」
「……!!」
「そんなことになったら……私は自ら命を絶つぞっ……!!!」
「そん……な」
「おいおい、ずいぶんと勝手なこと言うてくれるやないか……そんなことさせへんで……お前は助けられ、ジャックは魔具を作り続ける……もう決まってんてん。
余計な茶々を入れんなや」
グロックがアイリーンを睨む。
しかし、アイリーンは怯まない。
彼女の目はより強い光を宿している。
痛みなど、意に介さぬような強い瞳だ。
「貴様などに……もうジャックを縛らせない……!!」
「無理やな。もうジャックの運命は決まっとんねん。ジャックは〝遥かなる魔具の高み〟へ行くための魔具を作り続けんねん!!」
「そんな魔具に……一体何の価値があるっ!!!?」
「なんやとぉ……!?」
「ジャックから聞いた〝ドンドン〟の言葉……“魔具は己の魂の体現”……〝遥かなる魔具の高み〟……
貴様らは故人の言葉を都合のいいように解釈し、利用しているだけだっ……!!」
「何も知らん外部の人間が……それ以上〝ドンドン〟を語るな……殺すぞ」
「貴様らのような“システム”に……人の感情などあるわけもない……
貴様らのような“魔具”に……人を思いやる心があるわけもない……
貴様らのような“人形”に……魂などあるわけもない……!!!
そんな腕しかない空っぽの心で、魂を込めた魔具など作れるかっ!!!!!!
そんな空っぽの魂では……何百年かかろうと……〝遥かなる魔具の高み〟へなど行けはしない!!!!」
アイリーンの怒号は……グロックに届くことはなかった……。
だが……今アイリーンを抱き抱えている男……ジャックには……その心は……アイリーンの叫びは……確かに届いた。
アイリーンと会ってから学び続けていたジャックが……アイリーンから“誇り”と“魂”を学びとった瞬間であった。
「アイリーン…………」
「ジャック……あの時の続きだ……今度は……間違えるなよ……。
お前は……どうする……?」
簡潔な質問、何をどうするのかが端から聞くと全く分からない。
だが、今のジャックには……アイリーンの言わんとしていることは理解出来た。
お前はどうする?
逃げずに向き合うにはあまりにも重い質問。
多くの意味が込められた質問。
お前は……これからどうする?
魔具を作らないか、作るのか。
帝国に付くのか、付かないのか。
自らの罪の償いを……どうするのか。
お前は今……どうする?
グロックの言いなりになるのか、ならないのか。
アイリーンの“命”を選ぶのか……“誇り”を選ぶのか……
「ワイは……魔具を作るのを止めることは出来へん……。
そういう人間や。今まで何も考えんと……良い魔具を作ることしか……してこーへんかった。
それも今日で終わりや。
ワイは……帝国には付かん。逃げて……反乱軍に付く。
人を殺すような魔具を作るのは変わらんかもしれへん……でも……これからは……ワイはそれから逃げへん。
ワイの魔具は……ワイがこの目で見て、信頼した奴にしか作らへん。
そんで……アイリーンの言ってた……平和な国を……作ってみせる。
ワイは今までワイがやってきたことから……目を反らしたらアカン……。
平和な国になったら……ワイは……その国の為に尽くす……。
それだけじゃ足りへんかもしれへんけど……それがワイの……罪滅ぼし……。
やから……ワイは……親父の言いなりにはならん!!!」
「ジャック! それがどういう意味か分かってんのか!!?
その女は死ぬことになるぞ! もちろんお前もや!!
そんな気ぃ狂ったこと言わんとさっさ正気に戻れ!!!」
「気ぃ狂ってんのは親父の方やっ!!!
ワイはもう間違えへん……!!
アイリーンが……こんなになるまで頑張って……ワイに教えてくれたんや!!!
それに応えな……ヒック……男じゃないやろ……」
泣き崩れながらもジャックはグロックにそう言ってみせた。
アイリーンの……“誇り”を選んだ。
その応えを聞いたアイリーンは……
「……そうだ……それでいい。お前は……それでいいんだ」
ジャックを慈しむような目で見ながら……本当に満足そうにそう言った。
「あぁそうかい……んなら。もうええわ。どぉーっでもええわ。駄作やった。失敗作やった。ミスったわ。
はぁーぁ。次は上手いことやらなな。
……の前に。お前ら二人……仲良ぅ俺が始末したる」
グロックは部屋に置いてある銛型の魔具を再び手に取る。
「お前の“スペア”ならあんねん。安心して死ねや」
そしてグロックは銛を構える。座り込み、動かない二人に向かって。
「くそっ……!!」
傍に魔具はない。ジャック達に抵抗する手段は残されていなかった。万事休すだ。
「ジャック……お前は少し魔具の設定を誤ったようだ……」
「え……?」
「死ねやぁぁぁあああああああ!!」
グロックの手から銛が発射される。だというのにアイリーンは落ち着いて、ジャックに話しかけた。
「この【魔力喰い】の魔具は……使う相手を考えた方がいい……。この魔具が吸収した魔力はそのままこの魔力鉱石に蓄えられる……。
そして幸運なことに……私の属性は……〝火〟だ!!!!」
アイリーンは自らの体に突き刺さる銛を握る。
その瞬間、アイリーンを突き刺していた銛が赤く輝き始めた。部屋を埋め尽くすほどの赤い光、そして……
「燃え盛る炎よ……我が怨敵を焼き尽くせ!!!」
銛から爆発的に炎が溢れ、アイリーンの身体に刺さっている他の二本の銛を吹き飛ばし、炎が真っ直ぐにグロックに向かっていく。
そしてジェット噴射のように具現化される炎により、最初の銛もアイリーンの身体を離れ、グロックの元へと飛んでいった。
その路上にあったグロックの投合した銛はいとも容易く弾かれ、最初にアイリーンを貫いた銛がグロックの胸に突き刺さった。
「なぁ……ぁ………!!?」
グロックの身体に銛が当たると同時にアイリーンの炎はグロックの身体を焼き、当たったことで飛散していく炎が部屋に燃え広がる。
めらめら
めらめら
立ち上る炎がドアを塞ぎ、壁のように炎が二人を囲む。
「がはっ………!」
身体を貫いていた銛を無理矢理抜いたことで大量に出血するアイリーン。
ジャックはそんなアイリーンを床に寝かせ、上半身に手を回して少しだけ浮かせる。
胸の前でアイリーンを抱き、その最期の言葉を聞くために。
「アイリーン………っ!!」
「よくぞ……選んでくれた……お前の心遣い……誠に感謝する……」
笑いながら……アイリーンは言う。
「私に残された時間は……少ない……
残った時間では……お前にしてやれることは……あと……一つくらいか……」
流れる血の感覚がアイリーンの言葉が嘘ではないと、ジャックに伝えていた。
ジャックは涙をこらえようともせず、流れ出るままに……アイリーンの話を聞いていた。
「……なぁ、ジャック……お前は先程の言葉を覚えているか……?」
「さっきの……?」
「『そんなことよりもお前が……』
……というやつだ」
「……覚えてる……」
「ふふふ、お前は一体何を言おうとしていたのだ……?
多くの人々を犠牲にしようとして……お前は一体何をしようと……していたのだ?」
「……知ってるクセに……
もう……気づいてんねやろ……?
ワイも……気がついたんは……さっきやけど……」
「そういう言葉はな……分かっていても……口にして欲しいものなのだよ」
「……『そんなことよりもワイはお前が大切や』……ワイはそう言おうとした……」
「どうしてだ……?」
「そんなん………っ!!!
お前のことが好きやからに…………決まってるやろぉ…………………っ!!!!」
「奇遇だな……私も……お前が大好きだ」
ジャックの顔が固まる。
アイリーンは優しい表情のまま、話を続ける。
「いつの頃だったか……気が付けば私はお前のことが好きになっていた。
初めは変な奴だと思った。
私のことを抱きもせず、ハグをするだけだったのだからな。
その上私に興味すら示さない。
頭の中は……魔具でいっぱい。
今までとは違う人間だが、どこかで必ずぼろが出ると思い、観察することにした。
結果は無駄だったがな……。
お前はあまりに純粋に魔具に惹かれすぎていた。
そう結論付けて、私の観察は終わった。
変わりに疑問が残った。
こいつは本当に『悪』なのか……と。
だが、毎晩毎晩抱き締められて……私はその時には既に……お前のことが好きになっていた、のだと思う。
かけがえのないあの時間が好きだった。
久しぶりに感じる温かさが好きだった。
形容できない心地よさが………好きだった。
当時の私はそんなことはないと頭ごなしに否定し、それを享受していたが……
何のことはない。
私はお前を憎むのが嫌だった。
だから選んだのだ。
お前を……救おうと。
小人族の呪いから解き放とうと。
そう決めた。
色んなことを教えていくうちに見せる今まで見せなかったお前……
笑う顔が純粋で……
子供みたいだが……真剣に魔具のことを考えるお前に……
私は……惹かれたんだ。
だから“あの日”……私は言ってしまった。
魔具を作るな、と
他に言い様はあったハズなのだ。
だが私は……お前にこれ以上罪を重ねて欲しくなくて……いずれ自覚する罪を少しでも減らそうと……そんなことを言ってしまった。
考えてみれば分かったのに。
お前が……魔具を作ること止めるなんて……出来ないことくらい。
ずっと見てきた私には分かっていたんだ。
だというのに、私は極めて個人的な理由であんなことを言ってしまった……。
すまない。
あの時……もっと私が冷静だったなら……こんなことには……ならなかったのかも知れない……
すまない……こんなことを選ばせてしまって……すまない……」
そう言って顔を伏せるアイリーン。
ジャックはアイリーンの話を泣きながら聞いていた。
涙を堪えようと眉間にしわがよるほど目を閉じ、それでもなお溢れる涙がアイリーンの頬を伝っていく……。
「ズルい……ズルいわそんなん………!!
最期の最後で……そんなん言うなや……!!
ワイやって……お前のことが大好きやのに…!
自分だけ……言いたいこと言うて……死ぬなんて……そんなん……ズルいわ……っ!」
「あぁ、そうだな……私はズルい女だ……
だから……ジャック……一つ……私の頼みを聞いてくれないか……?」
「……なんや……?」
アイリーンは言う。
「……抱き……締めて……」
息絶え絶えに、苦しそうな声。
目も見えているか怪しい。
だが、彼女は……両手をジャックに向けて伸ばした。
そこに居たのは恋人に甘えるただの乙女。
ジャックは……何も言わずにアイリーンを抱き締めた。
荒れる炎の中、二人は穏やかに抱き合っていた。
顔で感じるアイリーンの髪の質感は滑らかで、思わず頬擦りしたくなってしまう。
いや、口に含んでさえ見たいかも知れない。
別に変態的な意味ではなく、良質の髪というのは得てしてそういうものだ。
その髪越しに感じるアイリーンの頬は押せば跳ね返る適度な弾力で気持ちがいい。
自分の頬で押してみるとより強く感じるアイリーンの存在に嬉しくなる。
上半身に当たる胸の感触は至福。
その大きな胸を押し当てられるのは頬なんかよりも数段気持ちがいい。
これを感じてしまえば乳はただの脂肪などとはとても言えない。
これこそ、男子の夢であり、目指すべき桃源郷なのだ。
より強く抱き締め、その胸の感触を堪能する。
背中に回した手にも感じるアイリーンの髪。
その髪を絡めたりしてアイリーンの髪を引っ張ってしまった際には盛大に怒られた。
手を動かし、背中をスリスリしたいという欲求が出てくるももっと盛大に怒られた過去があるので実行はしない。
背中のホックを弄るのなんてもっての外だ。
殺されるかもしれない。
足と足は触れあい、赤ん坊のような弾力が伝わってくる。
足ってこんなに気持ちがよかったっけ。
普段使わない足の神経を今だけ総動員して、その感触の全てを伝えようとする。
そして背中で感じるアイリーンの手。
今すぐに服を脱いで、直にアイリーンの手を感じたい。
そんなことすら考える。
わずかに込められる力が心地いい。
アイリーンが自分を求めてくれるのが嬉しい。
好きな人がそうしてくれるのは……何とも言えない幸福感を生み出してくれる。
全身で感じるアイリーン。
その存在を確かめるようにジャックはもう一度強く抱き締めた。
~~~
なぁ、アイリーン。
ワイも……伝えたいこと……いっぱいあってんで?
お前のワイの為に怒ってくれるトコが好きやとか
その可愛い顔で毅然とした態度を取るトコが好きやとか
笑った顔が……好きやったとか。
実験場におったせいやろうけど、お前はほとんど笑わへんかったな。
ワイも頑張ってんけど……ハハハ
空回りしてたな。
これは言ったら怒られそうやから言わんけど……お前の胸が好きやった。
胸って……あんなに気持ちええねんな……
……ワイも……あの時間は大好きやった。
アイリーンと抱き合うと、幸せになれた。
温かいねん。
心がこう……ほわあ…ってなってな……
やっぱり、あれはワイがアイリーンのことを好きやったからかな。
……それから、謝らんとアカンのはワイの方や。
あの時、ワイがアイリーンの考えをちゃんと理解しとったら、こんなことにはならんかったんや。
ごめんな……アイリーン……それから……ありがとうな……!!
それから……~~~
「大好きやで……!!!!」
返事は……なかった。
だが、アイリーンの顔は穏やかで……
幸せそうな笑みを浮かべていた。
「ふっ……ぅぐ……ェグ……あ、アイリ……ん……うぅ……アイリ……ん……
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………………」
炎の中、二人の世界から聞こえてくるのは……ただただ、悲しい慟哭だった。