第二話―世間知らずのバカ
「~~♪~♪♪」
――どうしてこうなった?
と、カイルは自問する。
濃いブロンドの髪、澄んだ緑の瞳。無造作な短髪につり目、緑のつなぎを着た少年。背中からは朱色の翼が生え、それにユナがじゃれている。そう……じゃれているのだ。カイルはベットに腰かけたまま、ユナがカイルの背中側にまわっている。
そして朱色の翼の片方を両手で抱え込み、頬を寄せて翼の暖かさ、柔らかさを堪能している。
「ふ、ふにゃぁあ~~……。 もふもふしてますぅ~~……幸せですぅ……」
客観的に見て、ユナは美形である。そのユナが恍惚とした表情で片翼に顔を埋め、緩みきった口角に、子供のような喋り方。健全な男子であれば誰しも、一時は目と心を奪われることは間違いない痴態だ。
最も、カイルは記憶の限りずっと森で暮らしていたので、幼児退行したユナにも感じるところは皆無であった。むしろ、こんな変なモードに突入したユナに対し、どう接したらいいのか分からず呆然としている。
人と話す分には彼の記憶の残滓が上手く働いているようだが、残念ながらこの場面に対処する記憶は残っていないようである。
とりあえずカイルは何をしたらいいかわからなかったので、手持ちぶさたになっているユナに掴まれてない方の翼を、わざとユナの視界に入るように動かしてみる。
「ほにゃっ!? ふっ……ふぅ~~……」
すぐに気付いたユナは動いている翼を掴んでいる翼を離さずに見る。上、右、左、下と翼を動かすとユナの首と目が連動して、上、右、左、下と翼を追いかける。
その様子はどう見てもネコジャラシを見つめるネコである。
「ふぅーー……ふにゃあうっ!!」
「のわっ!」
……訂正しよう、獲物を狙うハンターだった。キラリ、と目を光らせたユナが翼に突っ込む。
座っていたカイルは急に突進され、ベットに倒れ込む。翼に挟まれる形になったユナはさらに緩んだ顔になり、幸せそうだ。
――どうして、こうなった……
カイルは再び自問する。乗せられてしまって翼をもふもふしていいと許可を出したのが原因であるが、こんな事態になるとは彼も予想外だったようだ。
その後、ユナが寝るまでその状態が続いたそうだ。
――――――――――――――――――――
――やってしまいましたぁ……。
わたしは目が覚めると、瞬時にそう思いました。わたしの手がしっかりとカイルさんの翼を掴んでいたんです。ど、どうしましょう……とりあえず離れた方が良さそうです。
あぁでも、もふもふが……。
ブンブンと首を横に振って煩悩を追い払います。
ダメですっ!! 昨日はあんなに堪能したじゃないですかっ。流石に離れないといけません。
ユナはゆっくりと、名残惜しそうに一枚一枚の羽を撫でながら手を離し、起き上がった。朝日が小屋に入り込み、小鳥の囀ずる声が聞こえる。風と共に揺れる木の葉の音が心を落ち着かせてくれる。
――もう……朝なんですねぇ……
うーんっ……と伸びをして自覚するユナである。寝起きながら、その表情に淀みはない。目覚めは良い方であるらしい。
一方でカイルは、
「…う、ぅうーん……」
目を擦りながら眠そうな表情で起きた。寝癖が酷いが、本人は特に気にしてない様子だ。カイルはそのまま無言で立ち上がり、寝ぼけ眼のままフラフラと足を動かして小屋から出ていく。
その一連の流れをユナはしっかりと見て、カイルが扉から出ていって数秒程経ってから……。
「えぇっ!?」
あまりにも自然な動きにユナは声を上げてしまう。
が、すぐにどこへ行くのか気になり、カイルを尾行することにした。
カイルは小屋から出て、森へ入っていく。その行動に益々ユナは不安になる。何せ森にはモンスターがいるのだ。そんな場所に寝ぼけ眼で入っていくなんて危ないにも程がある。
とりあえずカイルの後を付け、森に入って行くと……川があった。その川は底がみえる程透明で、飲み水としても使えそうだ。
カイルは川の側までいくと、膝を地面につけて両手をお椀の形にし、川の水を掬って顔を洗う。すると先ほどまで意思を感じられなかった彼の顔に少しだけ意思が宿った。
「あ、あのっ……カイルさん……?」
今のカイルを放っておくのもマズいと判断したユナは恐る恐る声をかける。
「んー?」
カイルはまだ少し眠そうな声で振り向き、ユナと向かい合う。ユナはどう声を掛けたら良いか分からず、目をキョロキョロさせている。
流れる沈黙。
その沈黙がユナをさらに焦らせる。
「ぉはよー……」
――カイルさんが喋った!!
「お、おはようございます」
ユナはこれ以上言葉を繋げられず、沈黙が流れる。気まずさからユナが何かを喋ろうとしたとき、カイルの口がのそりと動き出す。
「飯……」
そう呟くとカイルは川に落ちた。横向きで川に倒れこみ、ドボンという音と共にカイルの姿が見えなくなる。ユナは石のように固まった。飯……という言葉とは繋がることのないカイルの行動に脳が考えることを放棄した。
しばらく固まっていると、カイルが川から上がってきた。その手には体長一メートルはあろうかという魚型モンスターが握られている。赤く敵意を剥き出しにしている目。顔の先からは三十センチ程の角が生えており、その光景にユナはさらにフリーズしてしまうのであった……。
「っっ!!!」
突然ユナが動きだした。どれ程固まっていたのだろうか。回りを見渡すとどうやらここはカイルの小屋のようだ。ユナはベットに腰かけた体勢で固まっていた。恐らくカイルが運んできたのだろう。
――どうしてカイルさんの小屋にいるんでしょう? わたしは確かカイルさんを追いかけて……そ、そうです!
カイルさんがモンスターを川から引き揚げてわたしは……
「カ、カイルさんっ!」
固まる前の情景を思い出したユナは即座に立ち上がり乱暴にドアを開け、彼の名前を呼ぶ。
「おー、良いタイミングで起きたなー。 ほら、朝ご飯できてんぞー」
朝……ご飯……ですか?
ユナが見ると先程の魚が口から大きな串で貫かれ、Yの形をしている二対の組み木に乗せられて、地面に置かれたクリスタルから出る炎によって焼かれている。
再び意識を失いそうになるが、なんとか踏みとどまるユナ。はぁあ、と深いため息。拳を握りしめ、カイルに常識のなんたるかを叩きこもうとして、ズンズンという昨日と同じ怒りのオーラを出してカイルのもとへ……
ぐぅ~
彼女のお腹が食べ物が欲しい、と主張する。よく考えてみればユナは昨日から何も食べていなかった。
――とりあえず、この朝ご飯を食べてからでも良いですよね?
食欲に負けたユナはカイルに言われるままに食卓につくのだった。
ちなみに魚は中々おいしかったらしい。
――――――――――――――――――――
カイルとユナはご飯を食べたあと、旅を始めることにして、森を抜けて近くの街まで続く街道を歩く。その道の途中でユナがこの大陸の常識を叩き込んでいた。
「~~~~~つまりこの〝マム〟がお金の単位となります。
そうですね……一マムではほとんど価値がありません、ですがこの千マムの価値がある千マム紙幣なら、一食分のご飯をたべたりすることが~~~~~」
――世の中って、一体何なんだ……。面倒なことばっかりじゃねーか。森から出てから、ユナに世間一般の常識とやらをひたすら叩きこまれ続けて、頭が爆発しそうだ。
大体こんなもん覚えなくたって別にいいじゃねーかよ。
「そんなことありませんよ?」
なにっ!? 俺の考えが読まれたっ?
「俺の考えが読まれたっ? とか考えてません?」
深読みっ!? なんてやつだ。俺は少しユナを侮っていたのかもしれないな。
「カイルさんは分かりやすいですね」
「くう……」
ここまで読まれてしまった俺は何も言い返せない……。
「仕方ありません……話題を変えましょう」
「助かるぜ」
変えてもらっても興味のない話なら同じだと思うんだけどなぁ。
「〝魔法〟について話しましょうか」
――おぉ、これならちゃんと聞けそうだ。
「人間は--ここでいう人間とは人族のみならず、全ての種族を指します。
人間は体内に〝魔力〟を持っています。その魔力を使って起こす現象のことを総称して、魔法と呼ぶのです。
魔力には五つの基本属性と、一つの特殊属性があります。
基本属性は、火、水、雷、風、地です。
これらは基本的に遺伝ではなく、生まれたときに潜在的に決定するものです。種族によって決まっている種族もありますけれど。
……ですが魔力の量というのは後天的に決まるもので、修練を積むことで上げることができます。
そして魔力はそれぞれ色を持っています。
赤色は火属性
青色は水属性
黄色は雷属性
緑色は風属性
茶色は地属性
こういう風になっています。普通の人間は一種類の魔力しか持っていません。
ですが、稀に二種類の魔力を持つ人がいます。
これを〝二属性保有者〟と言います。
そして二属性保有者以上に稀な存在なのが、特殊属性である〝闇〟を使える人です。
黒色は闇属性
です。ここまでは分かりますか?」
「おう、なんか新しく覚えるって言うより記憶の底から思い出してくる感じがしてすんなり分かったぜ」
「その能力は常識の分野で使って欲しかった
です……」
ユナがうなだれる。これからもカイルの常識が欠落しているせいで様々な苦労が訪れるだろう、とはっきり感じているのだ。
「ちなみに闇属性を持っている人は生まれた瞬間に帝国に連れて行かれることになっています」
「そっか……」
――昨日のユナの話を聞く限り、帝王なら平気でやりそうだ。ここで驚かないあたり、俺は大分常識がついてきたらしいな。 帝王が集まるくらい貴重で珍しいんだな、闇属性って魔力は。
「まだまだ魔法について話さなければいけないことがあるんですが……そろそろ街が見えてくると思うのでそれよりも重要なことを先に伝えたいと思います。
わたしの魔力は『闇属性』です」
え? 今なんて? 闇属性? ユナ……が?
「はぁあああああっっっ!?!?!?」
だって帝国に連れて行かれるんだろ? だって二属性保有者より珍しいんだろ?
そんな闇属性持ちが……ユナ?
「そこで、驚いてくれる常識が備わっていてよかったです」
ユナは微かな笑みをその顔に浮かべる。それはカイルに常識があって喜ぶ……というよりも自分が闇属性ということに対しての笑みであり、その笑みはどこか寂しそうだった……。
闇属性が珍しいという事実しか知らないカイルはただただ混乱している。
実は闇属性という属性の希少度はとてつもないものなのだ。この大陸の人口が十億人程に対して、闇属性を有するものは両手の指の数で収まってしまう。ちなみに二属性所有者は一万人ほどいる。
これにより分かると思うが、闇属性というのは一億人に一人ほどの確率で生まれる……まさに神によって選ばれたような存在である。
希少過ぎる能力は何を生むのか。そもそも闇というものに対して、人は本能的に恐怖する。なにも見えない闇という世界は、孤独を生み、疑心感を育むからだ。一寸先も見えない夜の帳の中を進む恐怖はこの大陸にすむ人間は誰もが知っている。故に、人々がとった行動は、迫害。闇属性を人類は認めなかった。
闇属性を操る人は昔から強烈な迫害が待っていたり、なにかしらのトラウマを幼少期に植え付けられるものである。石を投げられ罵倒を浴びせられるなんてのは当たり前。大人からも殴られ、親からも疎まれ、友達なんて出来るわけがない。それが闇属性の歩んできた道である。
当然ユナも闇属性である以上、何かしらの過去があるのであろう。
しかし、帝国が成立してから帝王は〝闇集め〟という法令を出した。これは生まれてくる闇属性、今いる闇属性を強制的に帝王のもとへ連れて行くというものだ。帝王に見えた時に、帝国軍として働くか、実験体にされて一生をモルモットとして過ごすか決まる。
そんな状況なのに、なぜユナは帝国に連れて行かれていないのか。答えはもちろん逃げているからだ。闇属性というのは生まれた瞬間から孤独な人生を運命付けられるものだ。ユナが該当するのかは不明だが、帝国が法を発表する前から逃亡生活を送っていた者も少なくない。
そう……孤独なのだ。
たった一人の逃亡生活は闇属性の心をすり減らし、孤独感で押し潰す。少なくとも闇集めが施行されてからはそうだったに違いない。
「寂しかったんですよ。ずっと……帝王は闇属性持ちを欲しています。種族選別の次に出されたのが闇属性持ちを強制的に帝都に集めると言うものですから、執着の強さも伺えるというものです。
わたしは帝王が君臨して三年後に見つかってしまいました。
そこからはずーーっと一人です。指名手配だってされちゃってるんですよ? わたしって」
何がユナをそうさせるのか……彼女は自らの過去を告白する。ユナも孤独を抱える闇属性の一人だった。そして指名手配。闇属性を持つものは強制的に捕まるが……中には今なお逃亡を成功させている者もいる。
その中で帝国に顔が割れているユナは莫大な褒賞金がかけられているのだ。これにより一層孤独は加速する。闇属性に嫌悪を感じない人でさえ、カネという魔法にかかり、ユナをカネの塊としてしか見なくなる。
ずーーっと一人。
その言葉はどれ程カイルに届いただろうか。カイルも十一年間一人だったが状況が違う。カイルは一人とは言え、周りにカイルを脅かす人はおらず、そもそも人に会うということがなかった。
しかしユナは違う。周りの全ての人間が敵。そんな状況は普通の人間なら気が触れる程に神経を使うだろう。一人の寂しさは人を頼ろうとするが、周りへの恐怖がそれを許さなかった。
彼女の表情は曇り、自らの運命を憂いているようだ。カイルはユナの話に割って入っていくことが出来ないでいる。
「世間の人は信用できません。闇属性持ちを……わたしを見つけると莫大な報償金が得られます。確か十億マムでしたかね。
それこそ、普通の人が一生を賭けたところで絶対に手に入ることのない金額です。
帝王を忌み嫌う人でさえも……目を眩ませる程に……だから」
八年も……ずっと……
一人で……孤独でした……。
そうユナは紡ぐ。
どんな日々を過ごしてきたかは想像に難くない。闇属性持ちであることを明かせず、周りを一切信用できない。
周囲を疑い……
街では夜さえ警戒し……
ずっと孤独……
ずっと……ひとり……
ユナが一呼吸置く。よく見ると震えているようだ。何に対して震えているのかはカイルには分からなかった。
「わたし以外の闇属性持ちにはあったことは無いですけど、〝許されざる種族〟の方々には会ったことがあります。
でもそこも同じでした。
その種族は帝国が設立した当初は種族選別に反対していたのですが、帝国の力に屈し、どうにか取り入ろうとしてわたしを売ろうとしました。
そのときは信用を置いていたんですけど……」
もしかしたら、孤独が癒されるかもしれない。許されざる種族なら自分の居場所があるかもしれない。
そう思ったユナをその種族は裏切った。
希少すぎる闇属性持ち。ユナにかかる報償金。
それは人の心を惑わすのには充分なことだった。
当時のユナの絶望は想像を絶した。闇属性であることを受け入れてくれ、半年程生活を共にしたその種族の会合をユナは偶然聞いてしまったのだ。
―――オレだぢじゃあ、帝国にゃがなわん。
もう無理だ。がないっごない。
でも、帝国が今ざらオレだぢをむがえ入れる訳ねぇだ。
でぇじょうぶだ。
あんの闇属性の小娘にゃ報償金がづいでるだ。
あいづを売りゃあ帝王様も認めてぐたざるだ。
おぉ、ぞれは名案だ!
賛成!賛成!賛成!賛成!賛成……
ユナは再び逃亡生活をすることになる。
その一族から逃げた夜は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、眠ること無く一夜を過ごした。その頭には賛成! 賛成! という言葉がぐるぐるぐるぐる巡っていた。
「旅に誘ったわたしから、こんなことを言うのはとても失礼だということは、分かっています。
わたしはカイルさんが怖いです。いつかわたしを裏切るんじゃないか……また一人になるんじゃないかって……わたし自身、カイルさんとは旅をしたいですけど……わたしの理性が街に行くのは危ない、一人になれっていうんです。
カイルさん……わたしを売れば、あなたは許されざる種族ではなくなりますよ?」
――あぁ、わたしはどうしてこんな酷いことを口にしたのでしょう。カイルさんを試すような言い方しなくても良かった。闇属性持ちということを伝えて、喋らないように言うだけでも良かった……。なのに自分の過去の話をして、理由を示してからカイルさんを疑っている……。
言わなければよかったな。
そうわたしが後悔したとき……。
「売らねぇよ」
カイルさんは言ってくれた……。でもわたしの理性は動いてくれない。昨日まで存在しなかった疑惑の理性はもう……簡単に解けてくれないです。
ユナは泣きそうだった。
心を許したハズが街に近付くと共に理性に邪魔をされる。寂しいハズなのに、経験がカイルを拒絶する。闇属性の人間不振。幾度とない裏切りの記憶。もうユナですらどうやったら人を信じられるのか分からないのだ。
「あの街で、俺がお前を裏切らないことを証明してみせる」
ユナが顔を上げると微かに街が見えた。話している内にかなりの距離を進んだようだ。大きな壁に囲まれた街が見えたとき、ユナの心はもう……カイルに対する疑惑しか存在しなかった。
「……はい」
ユナの心は、冷え切った理性に支配されてしまった。
――――――――――――――――――――
カイル達が訪れた街ーーヨークタウンのボロ宿の一室でカイルは思考する。
当然、ユナとは別室である。カイルはベッドに身を投げ出し、大の字になっている。
――街へ入るのに正規の入り口は使わなかった。検問っつーのがあって、指名手配の人間がいないかチェックするらしい。だから夜まで街の外に待機して、その後空を飛んで入った。
初めて闇属性の魔力を見た。漆黒の闇が俺たちを包み、住人たちに見つからないようにしてくれた。
これも……逃げるための知恵なんだろうな……。
ユナは寂しそうだった。
ユナの過去を聞いてから、ユナとは言葉を交わさなかった。というか、交わせなかった。
あいつの過ごした八年間はきっと酷いものだったんだろう。あいつの孤独なんか俺には分からないし、何をしたらあいつの心が安らぐのかなんて分からないけど……
それでも、これから旅をする仲間だ。
俺は絶対にあいつを売らない。
言うのは簡単だけど信じてもらうのは難しい。同じ言葉で、あいつはきっと何度も傷付いた。
俺が出来ることなんて、限られてる。明日やることが正解だなんてわかんねぇ。
それでもきっと、俺の家族なら。
同じ事をするんだろうな――
記憶が戻ったわけではないのに確かな確信をカイルは持っていた。記憶がなくても感じる“つながり”。そんな関係をユナとも築いて行けると信じて、カイルは眠りにつくのだった。
ユナが自分の部屋に入り、暫く経った頃。
「ぅう……」
グスン……とユナはすすり泣く。真っ暗な部屋。一人だけの部屋。いつも通りの孤独感……
こんなときに思い出すのは幼き日のこと。
まだ、人を信じていられた日のこと。
純真無垢な心で人と接してた日のこと。
両親が居てくれた日のこと。
その輝く思い出にユナは潰されそうになる。せっかく掴みかけた光も今、自分で手放そうとしている。
――どうして……わたしはっ……!
ユナは声が出ないように泣く。
唇を真一文字に結び、枕を抱えて膝を抱えて。誰に見られているわけでもないのに俯く。
その目には大粒の涙が止めどなく溢れ、胸に抱える枕を濡らしていく。
――どうしてわたしはいつもそうなんですかっ! 来る人全てを疑って! どーせこの人も同じだって決めつけてっ! どうしてわたしはせっかく出会えた信じるに足る人を信じないっ!!
同じ孤独の彼を疑うんですかっ!!!
カイルさんは……きっとわたしを裏切らないです。ずっと一緒に旅を続けてくれるってわたしの心はそう言ってるのにっ!
あんなこと言って……カイルさんを傷付けてしまいました。傷付く恐さも苦しみも……わたしは知っているのにっ!!
わたしの理性は正しい判断をしました。それがわかってしまうのが、嫌ですっ!
そんな判断したくありませんでした!!
人を遠ざけ身を守る。
残酷なまでに徹底した理性。
わたしを守る八年の経験。
その経験が……恨めしい。
「もぅ……嫌です……『独り』は、寂しいですよぉ……。お父様ぁ……お母様ぁ……。
わたしは……わたしはぁっ――!」
ユナの心の叫びはユナ自身を追い詰めていた。
――――――――――――――――――――
目が覚めるともう昼過ぎだった。ゆっくりと身体を起こし、鏡の前に立つ。その目は赤く、一晩中泣き続けたことを物語っていた。
――どんな顔をして、カイルさんに会えばいいんでしょう……。
昨日のことを引きずり、顔を合わせるのが億劫になってしまう。
――とりあえず泣き腫らした顔が元に戻るまで部屋にいましょう。
そう思ったその時……
キィーーーーッン
甲高い高周波の音が街中に響き渡り、ユナの身体が強張る。何度も聞いたこの音は街民全てに対する放送。この高音の後には決まって、
『指名手配の女がこの街にいる。即刻捕まえよ。捕まえた者には十億マムを出す』
こう流れ、ユナは必死に街から逃げ出すのだ。決まりきったパターン。思わず、身構える。こんなときのために、ユナは身一つで持てる分しか荷物を持っていない。
――もしかして……カイルさんがわたしを……?
最悪の考えが頭をよぎる。だが、その放送はユナの予想を裏切りって街中に響いた。
『これでいい--おお、凄ぇ。本当に声が町中に響いてる』
――っっ!!! カイルさんっ!!?
その声は耳に馴染んだ無機質な声ではなく、今、最もユナの会いたくない人だった。
『ちょっ!!! 自分!! 自分なにやっとんのか分かっとんのか!??』
ユナの知らない人物の声も放送で流れる。声からして恐らく男性だろう。
『わぁーってるって心配すんな』
『なんも分かってないやろ自分! なんでこんな放送しとんねんっ! ってワイの声も流れとるがなっ!!?』
ーーそうですね、カイルさんは何も分かっていないと思いますよ。誰か知りませんけど、そこの男の人にはちょっと同情します。
『あー、残念だなお前、共犯者みてーだぞ』
『やめいそんな言い方っ!!
あっ、そんなっ!! レディ達がワイを避けていくっ!!?』
『なぁー、もう俺喋っていいかー?』
『ワイに聞くなやっ!! 言いたいことあるなら喋ったらえーやんけ!
あー、もうワイは知らんからなー、自分が殺されかけても絶対に助けたらんからなー』
『助けなんか、要らねーよ』
スゥゥ……と息を吸う音がした。何を話すんだろう。こんな放送をする時点で犯罪なのに、そこから何を……
『よぉおーっく聞きやがれ、帝王!!!
俺はカイルっ! お前が許されざる種族とかにしやがった有翼族のカイルだっ! 俺は……お前が気に食わねぇ! お前の身勝手に付き合ってられるか! 俺たちはお前の遊び道具じゃねぇ! 何処にいんのかは知らねーけど、待ってろよ!
ぶん殴って! 吹っ飛ばして! お前を帝王じゃなくしてやる!!
この有翼族のカイルを敵に回したことを! 精々後悔することだな!!!』
それは、自殺行為だった。
帝王に向かって宣戦布告するなんて……馬鹿にも程がある。
この宣戦布告は恐らく、ユナの信頼を勝ち得るためだけのもの。そう、ユナのためだけにカイルという男は帝国を敵に回して、この国の全てを敵として……あえてユナと同じ境遇に身を落とした。
そのことに気付いたユナの頬には太陽に照らされ輝く光の粒が流れていた。
その涙は疑惑の心でがんじがらめになった心を浄化し、奥底に閉じ込めていた別の感情を呼び起こす。
「早く……お馬鹿さんのところに
行ってもう一回常識をたたきこまないといけませんねっ」
ユナは勢いよくドアを開ける。自分のために馬鹿なことをしたカイルのもとへ行くために……