最終話ーCAIL〜英雄の歩んだ軌跡〜
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ーーカイルさんが"神の座"に消えてから、もう十年ですか。
石造りの廊下を、コツンコツンと音を立てて歩く『少女』。束になった書類を胸に抱えたその少女ーーユナは、十年前から少しだけ成長した姿で、ため息を溢す。
これはあの戦いの後に分かったことだが、ユナは成長にかかる時間が人の二倍かかるらしい。それはユナが、ユリシアとルミナスという二人の少女の魂を宿した人間だから。とはマリアの見解だ。魂のキャパシティが常人の二倍になったが故に、寿命や成長速度までもが二倍になってしまったのだと言う。
つまり、十歳の時点で『ユナ』と成った彼女は、精神年齢二十八歳、肉体年齢十九歳というアンバランスな状態になっている。
だかしかし。いや、とはいえ。悲しいかな。
ユナという少女のスラッと真っ直ぐ起伏のない肉体だけは、十年前と何も変わっていなかった。
成長期ですから! と声高に叫ぶのもそろそろ限界を迎えつつあるが、ユナ自身だけは、自分の成長可能性を信じている。
「ユーナーちゃん!」
「ひゃっ!?」
と、ユナが過ぎ去った十年を偲んでいると、唐突に背後から抱き締められた。ユナは書類を落とさぬようにぐっと抱え込み、体を強張らせる。そんな反応を楽しんで笑う声が耳元で聞こえ、ユナは再度ため息を吐いた。
毎度毎度のこと、出会うたびに驚かせるのは止めて欲しい。とは言え、言って聞くような人ではないのは分かり切っているので、口には出さないが。
ユナはただ、不満げに頬を膨らまし、肩の横にアゴを乗せて笑っている蒼い髪の犯人ーーマリンを睨みつける。
「そんなリスみたいに頬を膨らましても可愛いだけよ、ユナちゃん」
「不服です! そもそも! こういうイタズラは、わたしじゃなくてジャックさんにやってあげるべきなのではないですか!」
「残念。ジャックには既にやってますー」
「ふええ!?」
なんて大胆なことを……! と、ユナは内心で戦慄する。少なくともユナには、『想い人』にそんなことはできない。
十年経ったマリンは端的に言って"育っている"。戦うことを止めたマリンの肌は以前以上に瑞々しく、海のように蒼い髪は艶やかに目を惹きつける。
そして、今も背中に感じる、ユナが決して持ち得ない圧力。もはや育っているというより、実っている。
ーーこの武器があるからむしろ大胆な行動ができるのでは……? ていうか、この圧力の前にまだジャックさんは屈していないんですか!? あのジャックさんが!?
「ヘタレなのよ、あいつ。口だけ女好きな癖して、手ぇ出してこないの。……アイリーンさんのこと、まぁだ引きずってんのよねぇ」
「……声に出てました?」
「割とね」
「はうっ」
あはは、とマリンは楽しそうに笑い、ユナから離れる。
「最近どう? 大臣ってやっぱり大変?」
「大変ですけど、もう慣れましたよ。サテラさんやクレアさん、ザフラさんが良く手助けして下さりますし」
「ディアスは?」
「ディアスさんはその……軍務専門なので」
「政治については無能トカゲ野郎ってワケね」
「そこまでは思ってませんよ!?」
「そこまで、は?」
「あっ、いえっ、その……これはですね……」
アタフタと、ユナは失言に狼狽える。ディアスという男は確かに戦闘方面では優秀な男ではあるが、こと政務になると微妙に粗が見えーーと頭に浮かんだ雑念をぶんぶんと振り払い、
「ディアスさんは一生懸命やっています!」
「……なんか、あたしの思ってるよりダメそうね。ま、そういう役目から逃げたあたしが口を出す話じゃないけど」
カルミアの幹部、そしてマリン、リュウセイ、ジャック、ユナはヴァレイン新国王の下、要職に就いた。
そして就いた瞬間、マリンとリュウセイ……そしてスミレは夜逃げした。
偉くなるために戦ったワケじゃない。
自分たちは政治が分からない。戦うことしかできない。
だから、後の未来は平和を作れる人間に託すために表舞台から去ると決めた。
……というのが、彼らの言い分だった。だがユナは、単に要職の仕事が面倒だったから、というのが本音だろうと睨んでいる。
何故なら、スミレは仕事ができるのだ。それも、とびきり有能であることはカルミア時代の実績からも明らかで。
十年経った今でも、ユナはスミレの復帰を切に求めている。
「さて、じゃあユナちゃんの仕事の邪魔しちゃ悪いし、ジャックのところにでも行ってくるとするわ」
「……ジャックさんも仕事してると思いますよ」
「だから行くのよ」
「いや、一応ジャックさんもこう、中身はともかく、今は結構な立場で……」
「何か陰湿そうなヤツと会うらしくてね。折角だから助太刀してやろうかなって。あたしはユナちゃんやジャックみたいに立場は無い根無草だけど、帝国を打倒した英雄の一人って肩書きはあるから」
早口でそう宣ったマリンに、ユナは思わず笑ってしまった。ジャックさんが心配ならそう言えばいいのに。という言葉は胸にしまって。
かつてマリンがユナにそうしてくれたように、ユナはそっと、マリンの背中を押した。
「行ってあげてください。きっとジャックさんも、マリンさんを待ってますよ」
「……そうね。そうする。ユナちゃんも無茶したダメよ。あたしだって、悪いヤツがいたらとっちめるくらいは出来るんだからね? 何かあったら頼っていいのよ?」
「はい。でしたら……」
「うん?」
「任せたい仕事が沢山あったのに面倒くさいから全部投げ出して、リュウセイさんと夜逃げしたスミレちゃんは見つけ次第連れ戻してもらってもいいですか?」
ニコリ、と暗い笑みを浮かべるユナを前に、マリンは引き笑いを浮かべなら、見つけたら善処するわ、と力無げに言い、ジャックの元へ向かって行った。
ーーカイルさんが"神の座"に消えてから、もう十年ですか。
マリンは現在、自由の身で義賊を続けている。帝国が無くなっても、理不尽はまだ残っている。彼女はどこまでも自由に、"理不尽"と戦っているのだ。
ジャックはかつての恩人の父、ヴァレイン王の元で身を粉にして働いている。マリンから寄せられている想いを、今は固辞しているが……いずれ陥落することは明らかだ。
そうなった時は、盛大にお祝いをしてあげたいと思う。
幸福な未来を求めて戦った、その結果だと信じているから。
リュウセイは今、どこにいるか分からない。
スミレと夜逃げしてから、彼は音信不通のままだ。だがきっと今も、どこかで。スミレと共に剣を振るっているのだろう。
そしてシュウ、マリア、神影の三人は……
「やぁ、ユナ大臣。ご苦労様」
「やっと見つけたのじゃ! ユナ!」
「ああ、シュウさん、マリアさん。ご苦労様です。わたしを探されていたんですか?」
廊下の角から現れたのは、シュウとマリア。シュウは合も変わらずの神父服を身に纏い、聖典を片手に抱えて優雅に一礼。その背後からマリアは小さい身長で元気に手をあげる。あの終末の日から生まれた『宗教』という概念。シュウらはその首魁として、日々啓蒙に努めている。
「カイルが帰ってくるよ」
「……え?」
「そうなのじゃ! そうなのじゃ! 帰ってくるのじゃ!」
唐突に叩きつけられた情報。満面の笑みを浮かべる二人。喜びが全身から迸っている二人を見てユナは、
「……今回は何ですか? この間は信者さんの数が百万人を超えたからカイルさんが帰ってくるって言ってましたし……ああ、十年の節目の会ですか?」
と、少々嘆息気味に告げる。実はこの二人がユナに対し「カイルが帰ってくる」と伝えるのは初めてではない。
というより、既にその数は数えきれない。
信者の数が一定を超える、年単位の節目、聖典の発行部数、マリアの誕生日……などなど、事あるごとに「カイルが帰ってくる」と騒ぎ立てている。
「ちっがーう! 今度という今度は本当なのじゃ! クカカ! とうとうカイルが帰ってくるのじゃぞ! 喜ぶがいいのじゃ!」
「僕の愛するマリアがこう言っているんだ。僕はそれを信じるよ」
「シュウさんって本当、家族と認識した人に対しては盲目的ですよね」
「嘘じゃないのじゃー! 今度という今度は本当なのじゃー!」
むがー! と手を突き上げて不満を全身で表現するマリア。シュウはそんなマリアの頭を撫でておちつかせる。その姿はどう見ても夫婦というより親子……むしろペットと飼い主の関係に見える。
まぁ、二人がそれでいいのならそれでもいい。
マリアさんは幸せそうだし、とユナはこの十年で生まれた幸せを前に目を細める。
「む、ダメだよユナちゃん。また傍観者目線でいるね? 君だって、幸せになる側なんだ。線を引いて見ちゃダメだ」
「そうじゃぞ! ユナはカイルと幸せになるのじゃからな!」
ユナは二人に嗜められる。その忠告は、最近よく言われるものだった。『老婆心激しすぎるんとちゃうか!』という心無い忠告に対してはしっかりと対処したが。とにかく。
「……それは、分かっていますけど」
カイルがいないのだ。幸せになろうにも、カイルがいない。
この十年、言い寄られることもあった。
帰ってこない人のことなど忘れて私と、なんて口説き文句は耳にタコだったが、心は少しも揺れなかった。
この十年、心の内の炎はずっとずっと燃えている。
あの日から、耐えることなく。
今更、カイル以外と添い遂げる気はないから、せめて幸せな人たちを見て、「良かった」と頬を緩ませるくらいは許されてもいいのではないかとユナは思う。
我ながら、少々老成した考えだとは自覚しているけれど。
「だから! 三日後に浮遊島じゃぞ!」
「え?」
「三日後に浮遊島じゃ! そこでカイルが帰ってくるから、ユナも幸せになるのじゃぞ!」
「マリアがそう言ってるから、きっと今回は僕の愛する弟のカイルも帰ってくるよ。ユナちゃん、今まで待たせてごめんね。ヴァレイン王にはこれから、三日後にユナちゃんとジャックを借りると伝えに行くから」
それだけを言い残すと、二人は玉座の間の方向に歩き出してしまう。
いつまで経っても自分たちのペースで動く二人。嵐のように過ぎ去った二人の後背を眺めながら、
「変わらないですね」
ユナは息を吐いて肩を落とす。十年経っても変わらない二人。彼らとの強引なやり取りはいつだって唐突で、決まってカイルが帰ってくると伝えてくれる。
「ーー今度こそ、会えるかなぁ」
そして、何度でも彼らの言葉を信じてしまう自分も、いつまで経っても変わらないなと、自嘲してユナは笑うのだった。
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ふわり、とユナは浮遊島に降り立ち、吸血鬼化を解く。吸血鬼の方が本来の姿なのだが、人間の姿で過ごす時間が長すぎて、ユナは今でも常時は人間の姿で過ごしている。
視界の端で、ジャックが持ち込んだ書類を猛スピードでチェックし、それにマリンがちょっかいをかけているのが見えた。
その距離感が少し縮まっているのを見て、この間の助太刀は上手くいったのかもしれないとユナは思った。
「よぉ、ユナちゃん。この間ぶり!」
「お久しぶりです、ミカゲさん。この間の会はお疲れ様でした」
「マジでな……早めにカイルには帰ってきてもらわねぇと流石にヤバイぜ……。俺も歳だしなぁ」
「……そうですね」
「今どこ見て言ったのか、ちょぉっと教えてくれるかなユナちゃん?」
ユナはさっと神影の頭から目を逸らし、曖昧に笑う。歳とストレスのせいで薄くなってきた頭は、太陽に近い浮遊島では脅威的だ。
「……この島に二人、俺の頭に甚大なダメージを与えるストレッサーがいます」
「まぁ、えぇと、はい」
原因に心当たりがありすぎる。ユナは神影の肩を掴む二人を見てそう思った。「え?」
「神影ー! 祈りを! 祈りをもっとカイルに届けるのじゃー!」
「ほら神影。君は神の使いなんだ。もっと真剣に祈って貰わないと困るよ」
「ぎゃー!?」
神影は抵抗虚しく二人に連れて行かれてしまう。強制される祈りに果たしてどれほどの効果があるのかは疑問だが、神影という男が神の使いであるということも確か。ユナの中で神影の苦労とカイル帰還の極小の可能性が天秤にかけられ、後者に傾いた。
哀れみを込めて合掌し、ユナはその辺りの岩に腰掛け、のんびりと周囲を見渡す。
よく分からないが、踊り(?)ながら儀式をする神影、マリア、シュウの三人。
仕事を持ち込むジャックとそれを邪魔するマリン。
カイルが帰ってくると噂された日は、そんな彼らを眺めて過ごすのがユナの日常だ。
疎外感を感じないと言えば嘘になるが、ジャックとマリンの間に混ざろうとは思わないし、よく分からない儀式に混ざろうとはもっと思わない。
仕事を持ち込むこともできなくはないが、父であるジュリアスがそれを良しとせず、ユナ不在の間は仕事を代行してくれている。ユナも、万が一カイルが帰って来た時のことを思うと、そんな父に甘えてしまっているのが現状だ。
だから、ユナはのんびりと彼らを眺めて過ごす。
ゆっくりと時間が流れる穏やかなーー贅沢な時間を堪能するのだ。
「ハッ! あのバカはまだ帰ってきてねぇみてぇだな」
「リュウセイが急ぎすぎただけでしょ。まだその時間になってないんだから当たり前」
「……え?」
ふと聞こえてきた懐かしい声にユナは振り向く。そこに居たのはリュウセイと、
「久しぶーーきゃっ!?」
「スミレちゃん!」
特徴的なチョーカーを首に巻いたスミレだった。実に十年振りとなる再会に、ユナは思わずスミレを強く抱きしめる。
「あの、ユナさん? 感動的な再会の割には抱きしめる力が強くない?」
「会いたかったですスミレちゃん!」
「うーん。言葉のニュアンスが再会の感動じゃない気がする」
「もう離しません!」
「労働力的な意味合いで間違いなさそう」
ユナが熱烈にスミレを抱きしめていると、ふと違和感に気がつく。
「……スミレちゃん?」
「なぁに、ユナさん?」
「……あの、言葉を選ばずに言いますけど……」
「うん、なぁに?」
「小さく、ないですか?」
あの戦いから十年。スミレの年齢は二十歳を超えている。だというのに、今抱きしめているスミレの体躯は明らかに幼女のもの。
そんなユナから発せられた問いに対し、スミレは満面の笑みで応える。
「そうなの。スミレまだちいさなこどもなの。だからおしごとできないの」
「急に言葉足らずにならないでください! 【時間】! 【時間】の魔法を使いましたね!?」
「こどもだからわからないの」
「そんな風にとぼけても騙されませんからね!?」
スミレは【時間】を司る闇属性の魔法の使い手。十年前はその【能力】を【未来予知】としてしか使えなかったが、今はそうではないらしい。まさか肉体年齢を操作してまで仕事をしたくないとは予想外だったが。
「リュウセイがね、私が子供の姿じゃないと蕁麻疹がでるの」
「え?」
「リュウセイがね、私が子供の姿じゃないと蕁麻疹がでるの」
前言撤回。やけに虚なスミレの目でユナは全てを察してしまった。ゲンスイに植え付けられたスミレへの歪過ぎる愛情が、リュウセイをも歪ませてしまったのだ。
あまりに居た堪れなくなったユナはスミレを抱きしめる力を緩めた。
「スミレちゃんは今は何をしているんですか?」
「離してはくれないんだね。えーっと、今はリュウセイとリンドウと各地でモンスターと戦ったり、たまにトイ君やルキ君と戦ったり--」
「リンドウ? ルキ君?」
「あぁ、リンドウが私のリュウセイの子供で、ルキ君がトイ君とエレナちゃんたちの子供」
「こども」
「うん」
「こども?」
「……? うん」
ギ、ギ、ギとユナはリュウセイの方に首を向ける。なんだよ、とでも言いたげな目つきの悪い彼の足元には、今のスミレよりもさらにひと回り小さい幼女が、リュウセイの服の裾を掴んでいた。
「スミレちゃんとリュウセイさんの--子供ぉ!?」
「……そりゃあ十年も経ったんだし、子供くらい」
「まだマリンさんとジャックさんは結ばれてもないんですよ!?」
「それは流石に--え、ほんとに? うそ、私たちがあのメンバーの中で初めてなの?」
衝撃すぎる事実が互いにもたらされ、ユナとスミレはしばしフリーズしてしまう。
「なんやユナちゃん大声出して--ってリュウセイ!? って子供ぉ!?」
「ハッ! 俺の娘のリンドウだ!」
「あたし、リュウセイに先を越されたの……!? もう少し強く推そうかしら。
それはそれとして私の姪ね! リンドウちゃんって言うの? 今はいくつ?」
「……四ちゃい」
「「か、可愛い……!!」」
ジャックとマリンがリュウセイとリンドウの存在に気が付き、めためたに姪を可愛がっている声が聞こえるが、対照的にユナとスミレは静かだった。
「ジャックさんのお仕事が忙しくて、マリンさんが上手くアプローチできず」
「うん」
「他の方々も、結ばれそうな気配はそこかしこであるものの、仕事が忙しくて」
「うん」
「だから、その……はい」
「スミレ、おしごとしなくてよかったって、いますっっっごくおもってる」
「……スミレちゃんが居てくれたら」
「全体としての仕事量が増えるだけで、個人の仕事量は変わらないと予知するよ」
「……うっ」
なまじ責任感が強いからか、勝ち得た安寧を維持するために身を粉にし過ぎた。平和のため、安穏のためにという言葉を胸に必死に過ごしてきた十年。確かに国は良くなり、不幸や理不尽は目に見えて減ったが、その成果の代償はどうやらとんだところに潜んでいたようだ。
「そ、そう言えばスミレちゃんは今日はどうしてここに?」
「……? カイルさんが帰ってくることを【予知】したからだけど? だから皆集まってるんじゃ……?」
「えっ?」
何をそんな当たり前の事を聞いてくるのか。とでも言いたげなスミレのきょとんとした顔。いや、確かに今日はそういう趣旨の会ではあったけれども……それはもう過去に何度もやってきた会で……とユナの思考がスミレの言葉を受け止めきれず、斜めに進み出したところ、
カッ--という閃光が、周囲を駆け抜けた。
「えっ……え? 今日、本当に……?」
ユナは抱きしめていたスミレを離し、閃光の発信源に向かって歩く。
いつか帰ってくるとは思っていた。
だけど、それはもっと先の未来の話だと思っていて。
心臓が、ドクンドクンと大きな音で脈打っている。
心臓が耳から飛び出してしまうんじゃないかと思うくらいにドキドキしている。
閃光の先には--
「これは--!」
「やったのじゃ! 遂にやったのじゃ!」
「ぜひゅー! はひゅー! っしゃ! きたか! 遂に! 来たか!」
跳ね踊るマリアとシュウ。地面に突っ伏す神影。
「"神の座"への穴……!」
中空に空いた亀裂。十年前、カイルが飛び込んでいった神の座へと通ずる穴が、そこにはあった。
その亀裂の先はただただ白く、何もない空間が無限に広がっているように見えるし、奥行きなどない白塗りの面にも見える。
ユナは神影たちを横目にその亀裂の前に立つ。
何も見えない、気配さえ感じない白。
だけど、激しく鳴る心臓の音が、胸の内で燃える炎が。
存在を伝えてくる。再会を教えてくれている。
未来予知は使えないけれど。
ユナは白い空間に向かって、飛び込んだ。
「--おかえりなさい、カイルさん!」
「--ただいま、ユナ!」
自分を抱きとめてくれる力強い腕。顔を上げなくても分かる。全身でその存在を感じている。
焦がれ続けたあの人の腕の中に、わたしは居る。
やっと会えた。約束通りに、帰ってきてくれた!
「カイルさん」
「おう」
その名前を呼べば、返事が返ってくる。
「カイルさん」
「おう」
そのことがこんなにも嬉しいだなんて知らなかった。
「カイルさん」
「おう」
だから、ついつい名前を呼んでしまうのを許して欲しい。
「ととさま」
「ん? どうした?」
子供みたいに甘えた口調になってしまうのも--
「って、ととさま?」
今のは、自分じゃない。そう思って声の方向--具体的にはカイルの背後を、腕を潜って見てみる。そこに居たのは、黒髪の小さい少女で、なんだかカイルの面影がある--
「カイルさん?」
「なんだかすっげえ寒気がする」
「カイルさん???」
ユナは顔を上げて、カイルの顔を見る。
昔と何一つ変わらない顔、困惑しているそんな顔も愛しいと思うが、その気持ちは脇に置く。今は何故かカイルとそっくりな少女の確認が最優先事項なのだから。
「あの子は?」
「よく分かんねぇけど、この世界の神様だ!」
力強く言い切ったカイルの言葉にユナは首を傾げる。すると、神の座からもう一人、見覚えのない黒髪の少女が姿を現した。
「なんと、その子もカイルさんなのだ〜」
「えっと……?」
「神様を【再生】したカイルさんの、神様部分なのだ〜」
「はい?」
「あっ、シンちゃんだ〜!」
とてつもなくマイペースで喋った少女は地面で倒れ伏す神影に駆け寄っていく。
「ぜひゅー、ぜひゅー。って縁! 縁か!?」
「うん。屋上から飛び降りて異世界に来ちゃった縁なのだ〜」
「その冗談は笑えねぇよ!?」
そのやり取りで、ユナは彼女の正体を察した。彼女こそ、神影をこの世界に呼んだ張本人。ただ一人、孤独だったマリアの呼び声に応えたもう一人の異世界人なのだと。
「ふむ、今のカイルに神の権能は無く、そこの幼女にこそ神の権能が宿っておる。なるほどのう。つまりは新たに生み出された神じゃ。安心せいユナ。これは不貞ではなく、カイルの単一生しょ--あいた!?」
「こらマリア。あまり情緒のないことを言ってはいけないよ。見てごらんあの顔貌を。カイルは明らかにユナちゃんを意識してあの神を作っている。これはもうあの二人の子供だよ」
「いや、顔貌で判断するお主の方が気色悪いわ! 普通に考えて、【再生】の魔力にユナの魔力が使われておるせいであろう!?」
ぎゃーぎゃーと騒ぐシュウとマリアのお陰で、ユナは何となく事情を察する。
要するにこの少女こそ、あの戦いの後--カイルによって【再生】された神なのだ。【再生】のために使われた魔力が自分とカイルであるが故に、その特徴が混ざり合った少女なのだ。少女の「ととさま」発言で少し思考が錯乱したが、よく見てみると確かに自分に似ている気がする。
それを自覚した瞬間、何故かその少女がとても愛らしく見えてきた。というか、もう経緯からしてこの子はもう自分とカイルの--
「かかさま?」
「はい、どうしました?」
「だっこ」
「はいはい。しょうがないですねぇ。ところでカイルさん、この子の名前は?」
胸の奥から湧き上がる母性に抗いきれず、ユナは少女を抱き抱え、カイルに尋ねる。
「アテナって名前にしたんだ。異世界の神様の名前なんだって」
「アテナ……アテナちゃんですか。カイルさんにしてはいい名前ですね」
「してはってどういう意味だよ」
「そのまんまの意味ですよ」
こんな何気ないやり取りも楽しくて。幸せで。
ユナは頬を緩ませる。
これから先はまた、この陽だまりのような幸せな中に居られるのだろう。
「カイルさん」
「おう」
「わたし、もう孤独じゃなくなったってことで、いいんですよね?」
「おう! 俺が帰ってきたからな!」
認識はいずれ擦り合わせるとして。
今はこの幸せに浸っていよう。
ユナはカイルに寄りかかり、二人分の体重を預けた。
シュウはやっと迎えた幸福の未来を前に、抱き抱えていた聖典を碑石の前に置く。
カイルを呼び戻すためにーーカイルという神の存在を周知する目的で書き上げた聖典だったが、もう役目は果たしたから。
カイルという英雄が歩む未来はこれからも続く。
されど、この物語はここでお終い。
最後の一ページがようやく埋まりーーこうして、聖典たる物語は完結を迎えたのだ。
『CAIL〜英雄の歩んだ軌跡〜』
FIN
これにて、カイルたちの物語は完結です。
もしまだこの物語をブックマークしてくれている方がいたら、長らく放置してすみません。
語りたいたい思いは短編として投げときました。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、まだどこかでお会いできたら。