第百四十九話-創世記
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世界の誕生とは、そもそも何なのか。
神影たちの住む世界においては一般的に、ビッグバンが誕生なのだとされている。
遥かな太古に起こった宇宙規模の大爆発により、全てが創世されたのだと認識されている。
それが現在現時点現時空における一般の事実である。
だがしかし、それは過去における一般事実ではない。現代より少しばかり遡った時代にあって世界とは、神が創りたもうたモノであった。
一日目。
神は光と闇を創られた。
二日目。
神は天を創られた。水は天と地に別たれた。
三日目。
神は大地を創られ、海が生まれた。地に植物を生えさせられた。
四日目。
神は太陽と月と星を創られた。
五日目。
神は魚と鳥を創られた。
六日目。
神は獣と家畜をつくり、神に似せた人を創られた。
七日目。
神は世界の誕生を宣言され、休まれた。
世に言う創世神話。世界誕生の--過去時点における多くの人間にとっての、紛れも無い事実である。
少なくとも過去においては、世界とは紛れもなく七日間で創られたものであった。神という存在により創られ、主は常に世界の外側から創造物である人間を見ておられた。
そうでなくなったのは、科学が発達し、人間が遍く事象を理論立てて説明し始めたからだ。
地球は水平ではなく球体であると認識され、天動説ではなく地動説が正当であると認識され、神話ではなくビッグバンこそが創世であると認識されたからだ。
つまるところ。何が言いたいかというと。
世界は認識によって構成されているのだということだ。
信じることが即ち真実。
事実と認められることが存在条件。
認識された事象こそが世界を構築する。
世界とは認識する人間によって形を変える。現代においても、世界は神によって創られたと認識する者にとって世界とはそう在るものであり、イザナミイザナギやティアマト神によって世界は創られたという認識による創世もまた存在する。
では、カイルたちがいるこの世界は?
この世界における創世記とは、何なのか。
この世界は、誰の認識によって構築されている?
それは……神影の居た世界の人間だ。
一人二人ではない。もっと多くの漫然とした集団認識。
『異世界はあると思う』
フィクションと称される作品たちにより示唆された異世界という概念を下積みにした認識。
『剣と魔法の世界でー、世界観はやっぱり中世ヨーロッパ!』
現実逃避、妄想……期待。動機や想いの程度は異なれど、集積した認識は新たな世界を生み出すに至った。こうして、カイルたちの世界ではない人間の認識により、世界は創りだされ、
『転生して、初めに出会う神様は女神様でしょ』
名も無き女神もまた……創り出された。
『神様って、異世界転生する主人公を白い空間で待ち構えてるよな』
女神が目を覚ました時、そこは何もない白い空間だった。
『そんで、神様なのに感情豊か! 神様もヒロインの一人になるのが最近の流行りだよな!』
こうして。
豊かな感情を持った女神が誕生した。
白い部屋でたった一柱。世界を管理する名も無き女神。
世界を愛し、世界を慈しみ、世界を尊ぶ女神。
彼女は自分の誕生の経緯を正しく認識していた。地球なる星が存在する世界の、ある極小地域の集団認識によって生み出された存在であることを承知していた。
だから、彼女は集団意識の訪れを待った。
世界を生み出すほどの強い認識だ。いずれ誰かがこの世界を訪れるだろう。そうなった時に失望されないように、女神は世界を丹念に管理した。
期待されるがままに、望まれるがままに、認識されたままに、女神は世界を育んだ。
だが、誰一人として、この"異世界"を訪れることは無かった。
彼女を、世界を産み出したのは集団認識であり、誰か特定の個人では無い。『在る』と認識されても、『行く手段』という強固な認識は為されず。
世界は創られたが、道は創られず。
女神は……世界に一人で在ることを強いられた。
そのことに女神が気付いたのは千と少しの年月が流れてからだった。
世界は個々に独立している。世界にとって時間の流れなど意味を成さないし、本来は干渉さえできない類のものだ。
けれど、この世界は違うハズなのだ。
だってこの世界は、あの世界によって産み出されたのだから。下位世界とも呼ぶべき世界なのだから。
だからあちらのどの時間軸においても、この世界に行ける『認識』が存在すれば人が訪れるハズなのだ。
世界誕生の直後からでも、異世界人が来なければおかしいのだ。
千年、人が来ないということは--。
女神は異世界人が永遠に訪れないことを明確に自覚し、残念がった。
きっと楽しんでもらえる。喜んでもらえると思っていたのに。
されど女神は、それほど悲観していなかった。
千年をかけて、女神は世界を完成させた。異世界人の望むような。夢見た世界を作り上げた。それは同時に、女神の理想とした世界でもある。
例え異世界人が来なくとも、自分にはこの世界があるのだ。
世界を愛そう。
世界を慈しもう。
世界を育もう。
女神は世界に目を向ける。声を掛ける。我が子に母がそうするように。
『私は今日も貴方達を見ています』
だが。
『私は今日も貴方達を抱擁しています』
しかし。
『私は今日も貴方達を--』
けれども。
『愛しています』
女神の声は誰の耳にも届かなかった。女神の存在は誰の目にも留まらなかった。誰一人、女神の愛情を認識しなかった。
誰一人。誰一人として。
神という存在の認識を有していなかった。
女神はこの世界を完璧に作り上げた。ベースを神影たちの世界とした上で、魔力という概念、魔法という概念を付加した。
それが問題だったのだ。神という概念の起源は、多くの地域に於いて自然を起源に発生する。
原始、ヒトは天から落ちる雷を畏れた。ヒトならざる超常の存在が落とす怒りを畏怖した。
原始、ヒトは太陽を敬った。ヒトならざる超常の存在が齎す光に感謝した。
原始、ヒトは思う。自分たちの手が及ばぬあの天には、カミサマが住んでいると。
ヒトは神という超常の存在を認識すると、自分たちの理解の及ばぬ事象の多くを神の御技として位置付けた。狩の成功を神に祈り、豊穣を神に祈るようになった。そうして自然信仰が発達し、のちに多くの神格を産み出す雛形となった。
だが、この世界ではそうならなかった。
ヒトは、雷も太陽も雨も、地形変化や噴火、地震でさえも自然界の魔力に由来する事象であると理解したのだ。
火の魔力が多いと晴れになり、水の魔力が多いと雨が降り、雷が多いとイカヅチが落ちる。
女神は世界を完璧に作りすぎたのだ。
遍く事象が魔力に起因するのだと説明出来てしまった。
だから--この世界に神はいない。
女神がどれほど世界に尽くせど、世界はそのことを認識しない。省みない。--存在しない。
だからといって、女神は管理することを辞めなかった。感謝されずとも、畏敬されずとも、認識されずとも、この世界は女神の世界。女神にとっての"籠"なのだ。
たとえ"籠"の中に触れることが出来ずとも、管理を辞めれば"籠"は壊れてしまう。
女神は涙を呑みながら、孤独を秘めながら、世界の管理を続けた。その傍ら、双子の二連山を作ったり、モンスターの蔓延る大樹海を一夜にして作り上げたり、"神の御業"とも呼べることをやってみたりもした。
……それら全てが、徒労になった。ヒトは変わらず、神のいない世界を謳歌した。
健気な献身だけが蓄積していく。残酷な愛情だけが体を蝕んでいく。
そうして--万を超える時が流れた頃。
『……死にたい』
永劫の孤独に耐えられなくなった女神は『死』を願った。
こうして、"終焉"は始まったのだ。