第百四十五話-超再生
(2/10)
迫る拳を大仰に避け、カイルは空中を転げ回る。その息は荒く、腹部の一部は青黒く染まり、打撲の程度を顕著に示す。さらに、身体の随所には火傷痕。純白の羽を撒き散らしながら、カイルは帝王の攻撃を、何とか触れずに凌いでいた。
額に浮かぶ汗は熱気のみが原因ではない。【再生】を使用することができなくなったことに対する焦燥。帝王に対する有効打を失った危機感。考えなしで本能の赴くままに戦うカイルであっても、現状の"詰み"は理解していた。
「くっそ--! 何しやがった! 帝王!」
苦し紛れに叫ぶカイルだが、帝王は当然答えない。
【再生】しないカイルなど、帝王にとってはもはや只人と何ら相違ない。十一年前の有象無象の人間のように、【破壊】してしまえば良い。
『崩壊』
「ぅ--ぉぉおおおおおおおお!!!?」
帝王を中心として球状に広がる【破壊】の闇。それは瞬く間に膨張--否、爆発し、キルウェア火山を併呑した。カイルは紙一重で闇から逃げ切り、安全域まで達して、背後を振り返る。
そこには、天災一過とでも言うべきか、もはや火山など残ってはいなかった。溶岩すらも【破壊】で消し飛ばされ、残ったのは人造のクレーター。その根底から溶岩がこんこんと湧き出て、じわりじわりと地上を侵食する。
カイルは自分の身体に魔力を流し、現状を確認する。……魔力は確かに流れている。白炎も身体から噴き出ている。だが、【再生】が発動する気配は無い。穴の空いた風船に空気を注ぐように魔力は空回り、揺らめく白炎が空に溶けていく。
--【形態変化】は発動してる。使えないのは【再生】だけ。ってことは……
「【再生】が……【破壊】された?」
信じられないことだが、言葉にすることでその事実はすとんとカイルの胸に落ちる。【再生】という【能力】の【破壊】。帝王の放った聻壊はカイルの【能力】を【破壊】した。
しかし、だとするなら--
「アイツ--どうやって倒せばいいんだ?」
【再生】は、帝王に届きうる現存する唯一の【能力】。
しかし、帝王はその【再生】すら【破壊】した。最強の矛であり最強の盾。矛盾無き【破壊】の【チカラ】に抗う術は無いのか。帝王は負けない故に魔王であり、勝てない故に絶望である。幾度となく噂され続けた言説が脳裏を掠め、カイルの中の勝利のビジョンすら破壊されそうになるが……頭を振って意思の再生を図る。
「考えねぇのが俺の長所だろ--! 負けることなんて考えるな! 勝つために俺は! ここにきたんだ!」
負けるなと、もう一人の姉に言われた。
眼前の敵に負けないと己に誓った。
負けるたびに、カイルの大切な人たちは命を落とした。力及ばず--そんな無様はあの花園を最後にすると決めたのだ。悲劇はここで終わりにする。帝国の支配を断ち切る。帝王を倒す! それだけが! 悲しみの連鎖を終わらせる唯一の方法なのだから!
『虚しい言葉だ。勝利だと? 【再生】を失い、逃げ回るだけのお前がどのようにしてそれを掴むというのか。知能も鳥に成り果てたな、不死鳥』
直接的にカイルの頭の悪さを指摘しつつ、帝王は眼前からカイルを強襲。右、左と叩き込まれる拳に対し、カイルは上下に躱し、挑発に応えた。
「うるせー! 頭が悪いのは知ってるよ! だけど勝つんだ! その為に--特訓したんだからな!! なぁ帝王!」
小規模のビッグバン・カノン。帝王を守る闇の前では全くもって無力だが--視界を塞ぐ程度の役割は果たした。カイルは帝王の背後に回り、にぃっと口角を吊り上げる。
「お前--超回復って知ってるか?」
それは、特訓前にカイルが神影に言われた問い。頭の悪いカイルらしくもなく、口で時間を稼ぐつもりなのだろうか。……それは、否である。この質問は単に、知能の低さを指摘された意趣返しに過ぎないのだろう。やられたからやり返そうと思考したに過ぎず、現に--
『魔力の向上に関する一理論。限界まで魔力を使用すると、回復する際に魔力の総量が増すという言説のことだ。が、その実態は魔力が増すのではなく、魂の強化。魔力の使用過多により、傷ついた魂が回復する際、より強靭な魂になろうとする作用のことに他ならない』
帝王の詳細な説明に対し、カイルは疑問符を浮かべて困惑することしかできていない。悔しさからか、歯ぎしりまでしているところが、カイルの思考の単純さを表していた。
「そ、そうだ! 魂とかはよく知らねーけど! 死にかけたら強くなるんだ! それが超回復! 俺のやった特訓だ!」
『死にかけたら? 特訓--だと?』
「ああ!」
カイルは目を閉じ、己の内にある--【破壊】された【再生】に意識を向け、胡散臭い白衣の男の言葉を思い返す。
『お前たちは戦いを超える度に強くなった。それは魂--あー、面倒なことは省くぞ。人間ってのは死にかけて回復する度に強くなるようにできてんだ』
『で、だ。このマリアは--』
『変異を操ることができるのじゃ。それは前にも話したじゃろう? その【チカラ】を使い、過剰再生で主の魂を肥大化させる。魂を球体に例えるなら、主の球体の魂をブドウのように増殖させると考えるのじゃ。主はそれを【再生】を使い、魂を球体に戻しつつ、元の球体よりも大きく【再生】させる。クカカカ! するとどうじゃ! 主の魔力はあっという間に二倍三倍と跳ね上がっていくのじゃ! まぁ過剰再生の反動で死にかけはするが、その程度の危険で強くなれるのじゃ! 構うことはないじゃろ!?』
『あー、マリア。説明にゃ感謝するが、このバカイル理解してねーぞ。頭から【再生】の白炎が噴き出してる』
『なんじゃと!?』
『とにかくだ! カイル! このマリアがお前を半殺し--いや! 全殺し直前までお前を痛めつける! お前はそれを【再生】して超回復--いや、【超再生】するんだ!』
『できねーなんて考えるな! できるんだよ! 元の自分より強くなるイメージで【再生】するんだ! お前の【変異】ならできる! フツーの【再生】じゃできない【超再生】で! 楽々お手軽超強化だぁあああああああああああああああああああああ!!』
【再生】ではない【超再生】。大声をあげて噎せたミカゲの言葉。半信半疑だったその特訓方法は--思っていた以上の成果をあげた。
身体に全く変化は無いのに、肉体が無際限に膨張していく感覚。異常を訴える自我が増え、いくつもの絶叫と感覚が津波となって意識を飲み込んでいく。そんな濁流から自己という唯一の枠を画定させ、切り取り、【再生】させる。一つ間違えば精神が歪み、廃人のようになってしまう危険を孕んだ特訓だったが……カイルは己という自己を保持し、結果として【天使化】する前のシュウの魔力量に並ぶほどの膨大な魔力量を手にしたのだ!
そして、その時の感覚を--【超再生】の煌炎を、カイルは呼び醒まそうとする!
「フツーの【再生】じゃ再生しないなら……! 【超再生】に賭けるしかねぇ!」
カイルの身体から白炎が噴出する。止めどない生命の奔流。その煌めきは星の如く。溢れる白炎は天を廻る。帝王の闇は全てを呑み込む渦だった。万物を否定し、塗り潰す黒であった。だが、カイルの炎は全くもってその逆だ。白炎は、カイルを中心に周囲に向かって拡散し、浸透する太陽の白光!
白炎の粒が星々のように煌めきキラウェア火山跡地の上空で第二の太陽が顕現する。その輝きは【再生】のものとは一線を画し--
「どーーーっだぁ!!!!」
翼を空に叩きつけ、太陽の残滓が空を舞う。眩い光が過ぎ去った後には--傷一つないカイルの姿が残っていた。
『【概念再生】……なるほど。よく使いこなしているな。己の【変異】を』
帝王は泰然とした態度を崩さない。カイルの【超再生】の隙も看過し、下方の大地に足をつけ、宿敵を睥睨する。
「おいおい、そんな余裕ぶっこいてていーのか? お前は片腕にダメージを残してんのに、俺はお前の攻撃を全部【再生】したんだぞ?」
カイルは帝王の鎧を貫くことに成功した。一瞬、僅かな差ではあれど、【破壊】を【再生】が上回ったのだ。帝王はダメージと疲労を蓄積するけれど、カイルはそれらを残さない。
このまま戦いが長引けば、自分が帝王をじわじわと損耗させ、勝利に至る--カイルはそう思考しているし、事実それは正しいのだろう。カイルが帝王の【破壊】を貫いた時点で、相性の天秤はカイルに傾いているのだ。
『無論だ。例えお前が【概念再生】を習得しているとしても。いくら【破壊】から【再生】し蘇るとしても。黒鎧を貫けるとしても。お前に勝利の美酒は煽れない』
だが。
『それは天命であり--世の理だ』
無機質な声。男とも女とも取れない--中性的な、無性的な声。
『お前が相手にしているのは"世界"そのもの。その枠内に収まる程度の存在が、敵うことは無いと知れ』
帝王の両手に顕現する黒渦。光すら飲み込み押し潰す暗黒の銀河。物理を超えた概念を破壊する聻壊。
「ガチンコか。望むところだこの野郎!」
対するカイルの両手に宿るは二重の極炎。闇を吹き飛ばす太陽の光輪。絶対の盾である【破壊】の鎧を貫くシリウス。
『これで--終いだ』
「お前がっ、なあああああああああああああ!!!」
再度に渡る激突。黒白の衝撃が大地を舐め、天に轟く。
闇に染まった漆黒の空。
ピシリ、と。
二人の意識の外で。
闇に皹が、入った。
--------------------------ー
『-------ーー-!』
何もない、何もない、何もない。
ただの空間。真っさらで、白紙で、何もない。
色も、匂いも、形も、何もない。
一つだけ、あると認められるとすれば、それは一つの意識だろう。
それは空間そのもの、世界そのものと一体化している大きな意識。
この空間の主とも呼べる意識だ。
『----------!』
叫んでいる。それは声を上げて叫んでいる。破れる喉など無く、開く口など存在しない。だとしても、それは声を振り絞り、確かに空間を震わせる。
『----------!』
それは。怨嗟のような。呪いのような。憎悪のような。嘆き。哀しみに心を落とした者の慟哭。
『……も……気……』
悲哀。たった一つの、多くが込められた感情が雫となって空間に落とされ、波紋を広げる。涙を流すことのできない者の涙は白色の世界の底面を塗り替えて、大陸の情景を現出させる。グラエキア大陸。人々の住まう現世の世界を、涙痕は映し出した。
『もう耐え切れん。もう限界じゃ。
儂はもう……ここで終わりじゃ。
【空間】を捨て、【時間】を捨てて……儂は――』
空間の主は最期にそう呟き、涙痕の世界に身を落とした。
---------------------------
膨大な魔力の激突。黒と白の破壊。収束と拡散が邂逅してはゼロに立ち戻る。
もはやキルウェア火山の面影はどこにも残っておらず、火山跡にはならされた平地に異様な凹面が刻まれるのみ。青空はおろか雲さえも闇に侵され、未来の破壊された世界で、爆撃音と共に大地が抉られていく。高熱が空気を焦がし、衝撃と雄叫びが大気を震わせる。
「っっっだぁああああああああああアア!!!!」
渾身の力を込めて、極炎を握り締めて、殴る。鎧に触れた途端、ビックバンは範囲を限定されて爆発……炎が消え去った後には、龍の顎が大地を食らったように抉られた痕跡だけが残る。
だが。
殴っても。殴っても。倒れない。
シリウスを使って拳を振るう。のに、届かない。先ほど届いた拳が届かない。より深くなった闇に阻まれてしまう。追いついたと思ったら突き放されて。優位に立ったと思ったら劣勢になっている。
底が見えない。
帝王という人物の実力の底が、どこまで進んでも見えない。
『聻壊』
【超再生】。返しの拳でシリウスを叩き込むが、より黒い闇を纏った黒鎧の前で全てが破壊された。もはや鎧の輪郭すら朧げで。揺らめく闇そのものが襲いかかってくるような錯覚を覚え、自分が戦っているのが人間かすら疑わしくなってくる。
きっとそれが、帝王を魔族・魔王と呼んだ者の心情なのだろう。
十一年前に突如として現れ、万物を破壊しつくした正体不明の敵に付けた符号なのだろう。
目の前で実際に対峙しても、思う。会話をしてみても、拳を交わしてみても、分からないのだ。心情も、目的も信念も、性別さえも不明瞭で曖昧。揺らめく闇が人という外形を象ったよう。
『聻壊』
【超再生】。だとしても、カイルの思うことは変わらない。一回目は不意を打ったが、二度目は正面から貫いた。ならば三度目が通らぬ道理は無く、諦める理由は無い。ここには勝利するためにやってきたのだ。その二文字以外のことを考慮する必要は無い。
いつも通りに愚直、猪突猛進、正面突破の力任せ。
それが己の為すべきことだ。
『聻壊』
【超再生】。迫る拳を顔面で受けつつ、クロスカウンターで顔面にシリウスを叩き込む。
『聻壊』
【超再生】。防御という概念を捨て去った二人。殴られようとも、それ以上の力で殴り返すという極まった力押しの戦法を取る両者にとって、余程のことが無い限り回避や防御といった手段を用いない。
『聻壊』
【超再生】。だから、
『聻壊』
【超再生】。この戦いの趨勢は、
『聻壊』
【超再生】。帝王が口にした通り、
『聻壊』
【超再生】。魔力の寡多によって決するのだ。
『聻壊』
【超再--】
「っ!?」
『随分と持ち堪えたな』
カイルは殴られた腹を抑え、よろめき、膝を折りそうになって踏み止まる。荒い息を吐き、震える左手を驚愕を以て見つめる。腹の痛みと呼応するかのように痛み出した頭を右手で抑える。
その痛みはいつまで経っても消せなくて。
空っぽになった魔力を、カイルは呆然と自覚した。
「な--なんで……?」
カイルにしか行えない過大な魔力増強トレーニング。それは確かに、絶大な効果を挙げた。シュウに匹敵するほどの魔力をカイルに齎した。
だが一方で、カイルから自身の魔力残量を把握する判断力を奪ってしまった。
底無しに思える魔力量は、カイルを無意識下で傲慢にさせた。どれだけ魔力を使おうと尽きることなどない、と。
--どうする。次は、どうする……!
『【概念再生】に消費する魔力量は、通常のソレとは桁が違う。概念に関する干渉は、世界の理を歪める超常の神技。本来なら変異であっても実現不可能な絶技だ。それを、己が肉体を【再生】するのと同じ気安さで行い、よくぞここまで粘ったものだと褒めてやろう』
依然、帝王は闇を揺蕩わせたまま。視線を向けるだけで呑み込まれるかのような濃密な闇を、対峙している時から褪せることなく纏っている。
--魔力が無い。でも、勝たなきゃいけねぇんだ……! どうする? どうすれば……!
『打開策を思案しているな? 不死身の化鳥よ。だが、無駄だ。魔力の尽きたお前に、一体何が出来るというのか』
考える。無い頭を振り絞って勝利の糸を探す。帝王の言葉など耳に届きはしない。ただ、可能性を模索する。か細くたって構やしない。何かないか。何かないか。何かないか!
魔力欠乏による倦怠は焦燥によって塗り潰され、真っ白になった思考が空回る。戦闘に関する思考を放棄してしまう。カイルの意思は折れていない。折れてはいないが……本能は全てを悟ってしまっていた。
『震えているぞ、不死鳥』
立ち上がる。前を向く。されど、歯の根が噛み合わない。恐ろしい。恐ろしい。怖くて怖くてたまらない。だって、だって--!
『お前のソレは、獣が天災に対して抱く本能と同義の反応だ』
姉の顔が思い浮かぶ。血に沈んだ--目の前で消えていった、救えなかった人の顔が。
『死に対して抱く絶望。上位存在に対する畏怖』
ついで、仲間たちの顔が浮かぶ。笑っている顔が浮かぶ。ジャックが、マリンが、リュウセイが、ユナが--。
『漸く……お前も正き畏敬を覚えたな』
打開策が思いつかないということは。
【破壊】を貫く手段を失ったということは。
負けるということは。
則ち--
『それが、恐怖だ』
「違うな。カイルが抱いた恐怖は--お前に対してなんかじゃない」
不意に。
カイルの眼前に白衣が踊った。