第百四十二話ー帝城へ向かう者ども。
「クレア、負傷者の状態はどうなってる?」
『重傷者はそれなりにいるけれど、死ぬほどの傷を負っている人はいないわ。一番死に掛けてたディアスも峠は越えた。大丈夫よ。全員生きてる。
……だから火急的速やかにジャックくんかエルちゃんという私のフェイヴァリット愛玩動物を届け--』
ブツッ。とスミレは通信魔具の電源を落とす。別にクレアの長々しい性癖の羅列を聞きたく無かったから、というワケではない。そんなものは聞き慣れているし、今更不快感も覚えない。むしろ治療部隊であるクレアがそんな風になれる余裕があるという事実で安堵のため息すら出た。
通話を切断したのは単に、彼女よりも優先すべきことがあったからだ。
「--本当にやりきったのだな、スミレ殿」
「ええ。正直私としても驚きよ。帝国を打倒する--この十一年誰も成し得なかった偉業を--死者ゼロでだなんて」
スミレの左右から挙がる感嘆の声。壮健な翁と銀髪の妖精。ヴァレインとサテラ。彼らの声を端緒にザフラやジャック、エルなどの反乱軍カルミア幹部が喜色ばんで騒めく。
「--まだ帝王を打倒していない以上、帝国を打倒したとは言えない。けれど、そうね……」
それらの声を受けたスミレは紫紺の髪を耳にかけ、飛空挺艦隊全艦に伝わる通信魔具を手に取った。
彼女は電源を入れ、ほんの少し吐息を漏らす。小さな、声とも取れないような音。しかし、その音色だけで十分。彼女の放った振動が鼓膜を揺らした瞬間、カルミアの人員は傾聴の姿勢を取る。提示されるだろう文言を聞き逃すまいとスピーカーを凝視する。
『--こちら、反乱軍総大将スミレ。これより戦況を報告するわ』
全艦から人の音が消える。不自然な静寂が上空におりたち、飛空挺が航行するための動力だけがゴウンゴウンと音を発する中……凛とした鈴の音のような声が響く。
『帝都ワールドエンド前、カルミアと帝国軍の主戦場。この戦いにおいて我々は……死者を一人も出すこと無く、勝利を手に掴んだ』
驚くほど簡潔に述べられた勝利報告。直後、空が揺れるほどの轟音--歓声が沸き立つ。暫くの間は歓声が鳴るに任せていたスミレは、『だけど』と言ってそれを鎮めた。
『帝国部隊長--トイフェル、ジャンヌ、ヴァジュラの討伐の成否は不明。
そして何より--我々は帝王と相対していない』
スミレよりもたらされた報告と指摘に勝利の感覚が一気に胸の奥に引っ込む。艦内に蔓延する重い沈黙に、スミレはカルミアの仲間の苦い表情を瞼の裏に浮かべていた。
『総員分かっているとは思うけど、十一年前存在していた国々の全兵力を傾けても、帝王一人、滅ぼせなかった。彼を倒さなければ……帝国を打倒したとは言えない。自由を手に入れたとは言えない』
そもそもの始まりは、彼なのだ。彼一人だったのだ。魔族と呼ばれた絶対強者--帝王。彼一人による破壊劇が、帝国という悲劇の興り。これまでの戦闘は、状況を十一年前と同じようにしただけ。
『それでも、ここにいる私たちは十一年前とは違う。私たちは無知じゃない。帝王の無敗の所以--【破壊】の闇属性を知り得ている。それと対を為す--唯一対抗できる【再生】の【能力】を持つカイルがいる』
だとしても、状況は同じだとしても……それでも、違う。敗北した十一年前とは違う。魔法も人も大地も武器も兵器も士気も希望も何もかも破壊された十一年前とは違う。
破壊されて立ち上がった--現在は、違う。
『帝国の始まりが帝王なら……私たちの、反乱軍カルミアの始まりはカイルよ。
彼がヨークタウンで、帝王に対して宣戦布告したこと--それが始まり。……帝王に対抗したあの意思が、カルミアを生み出した。
私たちの多くは知っているわ。彼の起こした奇跡を。あの終わりの見えない灰色の空を吹き飛ばしたカイルを--カイルたちの奇跡を!』
スミレの言葉に熱が篭る。人によっては十年近くも感じていた絶望。二度と見ることの無いと思っていた空を再び与えてくれた人物たち。彼らの存在を知っている。
不可能を実現した、絶望を消しとばした、暗愚とした未来を吹き飛ばした彼らを知っている。
同時に蘇る感覚。彼らなら--という淡く、燻る火種。
『カイルは勝つわ。全員、勝つわ。部隊長を倒して、帝王も倒す。きっと……いいえ、絶対!
彼で勝てなければこの大陸は終わり。帝国の目論見通り、このグラエキアは“終焉”を迎えるでしょう。逆にカイルが勝てば、私たちは帝国の呪縛から完全に解放されるのよ! その奇跡は……必ず起こる。彼らは何度も、それを起こしてきたもの。
そして、これまで戦ってきた私たちには奇跡の瞬間を目撃する権利がある--違わない?
さぁ、私たちの“希望”と--“自由”を、迎えに行きましょう。
舵を北に! 全艦、帝城ワールドエンドへ航行開始!!』
反乱軍の旗印--その花言葉を口にして、スミレは通信を切る。もはや自分たちにできることは無い。あるとするのなら、カイルが窮地に陥った時に肉盾になれるくらいだろう。
……この大陸の命運を、たった一人の肩に乗せるのは心苦しい。
けれど、同時に思うのだ。放送での言葉は兵士を鼓舞するために誇張した物言いをしたけど、吐いた言葉は偽らざるスミレの本心でもある。
カイルなら--と、そう思うのだ。
スミレはこの場にいる幹部たちに視線を向ける。
ヴァレイン、サテラ、エル、ジャック、ザフラ、パック。
一人はカイルを戦いを見たことが無い。ただ、逆説的に。勝てなければこの大陸の未来が無い故に、信ずる。
四人は知っている。帝国実験場を終わらせたカイルのことを。絶望を吹き飛ばしたカイルという男を。故に、信ずる。
一人はずっと見てきた。旅路を共にしてきた。数々の無茶を通し、奇跡とも呼べる勝利を掴み、生き残ったことを知っている。疑う余地は無い。この場で誰よりも厚い信頼をカイルに送っている。故に、信ずる。
信ずるのだ。帝国の支配が終わる可能性があるとするのなら、今この刻だと。
次にスミレは、この場に居ない幹部に思いを寄せる。
ディアス、クレア。
一人は重傷を負い、治療室の寝台にいる。一度も会いに行っていないけれど、気高い武人はきっと安心した表情を浮かべているのだとスミレは思う。
一人は治療室で現在戦い続けている。戦えない彼女だけの戦場で。最も尊い戦いをしている。少し余裕が生まれた今なら、勝利という言葉で怪我人を励ましているのかもしれない。
そして最後--、スミレの最も尊敬する人物たちのことを脳裏に浮かべる。
マリン、フィーナ、ユナ、リュウセイ、カイル。彼らこそ、反乱の中核。彼らがいなければここまで来れなかった。反乱の火種は炎になる前に消え失せていた。
命を賭して希望を繋いだフィーナ。
義俠の心で救いを与えていたマリン。
孤独の闇を優しく振り払ってくれたユナ。
絶望を切り、未来を見せてくれたリュウセイ。
帝王を倒せるという希望--カイル。
この場にいるジャックも含めた六人。数にすればちっぽけで。吹けば飛ぶような矮小な集まり。そんな彼らこそがこの反乱を為したのだと、スミレは掛け値なしの本音で思う。誰もが自由を諦めた時代に立ち上がり、起こす行動は破天荒、無茶苦茶で痛快……諦観を、楽観に変えた。
もしかしたら--、と。人々に、スミレに希望を抱かせた。
生きることを諦めていた。仲間を生かすことだけを考えていた。自分が死ぬ未来は確定したことで。瞳に写る現在に価値は無くて。死んだ世界ばかりが景色としてスミレに与えられていて--だから。
『死』が消え去った時に見えたあの朝焼けを、抱いた高揚を、スミレはきっと忘れない。
「ワタシたちも、忘れないわよぅスミレちゃん。一生……焼きついたたまま消えちゃわないに違いないわ」
「胸が熱くなってさ。お日さんの光を浴びたら、反乱なんて案外簡単に成功するじゃないかってオレっちは思ったね」
「僕はただ……嬉しかったのです。解放された喜びと、また皆さんと反乱することができるって思うと、とってもとっても嬉しかったのです」
「エルちゃん意外と好戦的なことを思ってたのね。ま、私もだけど。うっし見てなさいよ帝国軍! これからアンタらギッタンギッタンにして森の肥やしにしてやる! って想いが燃え盛ってたわ」
「そ、そういう意味じゃないのです! また皆さんと一緒に戦えることが……あの、一緒にいられることが嬉しかったというか……な、なんで皆さん『分かってる分かってる』みたいな顔で頷いているのですかぁ!」
「……声に、出てたかしら」
赤ら顔を隠すエルを無視して、スミレは疑問を投げかける。今の自分は所謂『総大将モード』であり、感情を極力抑えている。無意識のうちに声が出ることなどないハズなのだが、
「出てへんけど分かったわ。スミレちゃんのことは今より小っちゃい頃から知ってんねん。そんなワイら相手に、腹芸とか通じるワケあらへんがな」
「--実験場の時は騙されたクセに」
「ぬぁっ!?」
ジャックが渋い顔をするのに、スミレは少々の罪悪感を覚える。実験場の時のスミレは完璧だった。完全に自己を殺し、冷徹に帝国の人間になりきっていた。殺気を以ってリュウセイに切り掛かったし、ザフラに対しても取り返しのつかない残酷な行為を働いた。
……それらはスミレのことを苛み続け、幼き少女は贖罪として痛みを享受し続けるのだろう。是非についてはともかくとして……彼女は自己罰を与え続ける。
話は戻る。あの頃のスミレの演技は、一人を除いて誰も見抜けなかった。あの分厚い--裏切りの『仮面』を被ったスミレは敵味方を見事に欺いた。
しかし、今は。
完璧に演じきっているハズの『仮面』越しに心情が見透かされた。思い浮かべていた感慨を当てられた。実験場の時の完璧なスミレからすれば、あり得ない欠陥。軍を率いる者として、思考を読まれることは致命的な弱点となり得る。
だけど、スミレはそんな変化をどこか愛おしく思ってもいたりして。僅かに、頬を緩めた。
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「“ワールドエンド”は完全にワタシたちにとって未知の領域よねぇ。先遣隊を放った方が……って、そう言えば、ミカゲちゃんはどこに行ったのかしら? 彼なら【変異】で情報を調べられると思うのだけれど」
言われてみれば、確かにあの白衣の中年の姿が見られない。彼の【変異】は『地の文を読む』と言う不可解なモノだが、特殊な情報収集能力を有している。これから未知なる場所に赴く以上、彼の協力が欲しいところであるが……。
スミレは記憶を思い返す。確かミカゲは、ジャックと一緒にエレナと戦っていた。そして辛くも勝利を収めて、意識を失ったジャックと共に飛空挺に【転移】してきた。そこからは……? ジャックに視線を向けるも、彼は首を横に振るのみ。他の幹部も彼の行方は知らないようだ。ならば、まだ治療室にいるのではないか。スミレは通信魔具を起動し、再度クレアに通話を求める。
『あらスミレちゃんどうしたの? エルちゃんを私にくれるならできるだけ早くして欲しいというかもう一分一秒も辛抱たまらんという心境にあるのだけど--』
「ねぇクレア、そっちにミカゲはいるかしら?」
『ミカゲ? いいえ、いないわよ。治療が終わったら『風を浴びてぇ。多分、そろそろだからな』って言って屋上に行ったっきりよ? そんな質問をするってことは、彼、まだそっちに行っていないの?』
「ええ、そうなの。力を借りたいんだけど……何か分かったら連絡を頂戴」
『了解』
理性的に通話を終えられたものの、ミカゲの居所については何も分からなかった。この重大な局面に際してこちらに一言も声を掛けずに姿をくらませるなんて……などと文句を頭に浮かべつつ、カイルたちの知り合いなら仕方がないという諦めで結論をつける。
「全く……これだからカイルさんたちは。少しはこちらの都合を考えて欲しいものね」
「ちょっ、スミレちゃん何でこっち見んの! ワイは何も関係あらへんて! それに何も考えてへんのはカイルだけや! --まぁ、ほんの少し? あのアホの影響を受けて突拍子も無いことはしてるかもしれへんけど? ワイらは確かにそう見られても仕方ないコトやったけど? それでもあのバカイルと一括りにされるんは風評被害やっ!
それに、ミカゲたちもワイみたいなんと纏められて、いい迷惑やって思うてるわ」
「……違うの?」
違うの、とはつまり神影たちがジャックたちと同じグループではないのか、という意味の問いだ。スミレたちがカイルたちと合流した時、既に神影たちは共に居た。シュウがカイルたちの兄だと言われていたから、一括りにしてしまっていたのかもしれない。だけど……別? カイルたち六人と、ミカゲ、マリア、シュウの三人は……別なのか。言われてみれば、先ほどの自分の思考でも、カイルたちとミカゲたちを区別していた。つまりは自分も無意識下で神影たちを別グループだと見なしていたということだ。スミレの抱いた答えを裏付けるように、ジャックは両手を上に向けて首を振る。
「ちゃう。アイツらは何ちゅーか……行きずり? ヴァジュラとの戦いん時に助太刀しに来て……以降はなんかしれっと一緒におるみたいな? シュウがカイルたちの兄貴って言うから敵ではないんやと思うねんけど--」
ミカゲたちと、カイルたちは別口。それが単に仲間になるのが遅れたが故なのか、はたまた目的さえも別であるのか。
スミレたちはカイルの目的に--帝国の打倒という目的に同調し、これまで行動してきた。カルミアの人員は全員が全員その想いでここにいるし、戦っている。
しかし、話を聞く限り、神影たちはそうではない気がする。確証は無いが……彼らは自分たちと足並みを揃えているが、違う場所を見ている、そんな違和感。消えたミカゲと相まって……言いようのない不安が、スミレの胸中に降りかかっていた。
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「永かったなぁ……この世界に来て、本当」
「すっかりおっさんになっちまったし。はぁーぁ、ったく」
「皆……元気してっかなぁ。突然いなくなっちまったもんなぁ……」
「会いてぇなぁ」
「……なぁ--縁」
「この先に--お前は居るのか?」
「この世界に、お前は----」