第百四十一話―狂哭を流す星
腹を穿つ傷。全身を蝕む雷電。裂創。打撲。火傷。多くの痛みがリュウセイに襲い掛かっているが……無様を招いた傲慢が一番重く、鈍い痛みで心体の奥を苛んでいた。自分の力を――変異を――【形態変化】を――【龍醒】を――速さを過信し、トイフェルを見下した結果がこの体たらくだ。何故、もっと用心しなかったのか。考えることをしなかったのか。これではあの愚兄と何も変わりはしない。トイフェルが――埒外の麒麟児である悪魔が何の策も無く、相手を強化させるような真似をしでかすハズが無かったのだ。どうしてそのことに気付けなかったのか。……このような後悔は今更無意味なものだと自覚しながらも、リュウセイは思わずには言われなかった。
リュウセイは自分が大地に伏すことになった一連を思い返す。
勝利を確信し、刀を振り上げた。一刀のもとにトイフェルを切り捨て、戦いが終わる。その未来以外が訪れるなど思考の片隅にも無かった。隔絶した速さに驕り、勝利を誤認し……決定的な隙を晒した。
あの漆黒の悪魔は待っていたのだ。否、待ち構えていたのだ。ゼノの速さを上回る瞬間を。勝利を妄信する時を。必殺の隙の刹那を。虎視眈々と目を光らせて。
策謀に気付けなかった申し開きをするならば、トイフェルは確かに全力で戦い、押されていた。【龍醒】の速さに翻弄され、防戦一方。それでも食らいつかんと全力全開で、全身全霊で刀を振るっていたのだ。だからこそ、リュウセイはこうもあっさりと腹を貫かれた。
トリックの種は単純だ。至極ありふれていて、どこにでも存在する技術。笑ってしまうほどの明快な解答。
【身体強化】。――相手が速いのなら、こちらも速くなれば良い。暴論にも聞こえる正攻法な答えだ。
トイフェルはリュウセイが隙を晒した瞬間、腕甲の魔具の【能力】である【身体強化】を発動。元々のトイフェルの超常的な身体能力に【身体強化】が掛けられ……トイフェルはリュウセイの速さを上回った。迫る刀を事もなげに躱し、一分の乱れも無い動作でソロモンをリュウセイの腹に刺した。
これがリュウセイが腹から血を流し、天を仰ぐことになった顛末である。
「アレレ、仕留メルつもりだっタンだけド死んでナイヤ。……ヤァ、リュウセイ。気分はどうダイ?」
「ハッ! 一々癇に障るヤロウだな。知っての通り最悪だよ。情けなくて笑えてくるぜ」
「アハッ☆ ボクの方も冗談抜キに結構やられてるカラネ。精神的優位ダケは保っテおかないト」
鉛のような体を無理やり持ち上げて、リュウセイは地上に降り立った悪魔に正対する。腕甲が魔具であることは知っていたのに。どうして【能力】を警戒しなかったのか。自責の念に駆られた視線は自然とトイフェルの腕甲に向いていた。
「気になっちちャウ? 気になっちャウ? コレなら無条件でお喋りになっテ構わなイヨ?」
「ハッ! 別にどうだっていいさ。――これまで何度も、味わってきた力だ」
カラクムルの街での獣王アジハドとの戦い。
帝国実験場での改造人間ウィルとの戦い。
旅の中でリュウセイは都合二度、【身体強化】の使い手と相対している。別に【能力】そのものに対して説明は求めない。よく知った【能力】だ。
――どうして今まで身に着けていなかった【身体強化】の魔具を身に着けているのか。そんなもの……一度白色の【龍醒】を見たトイフェルが警戒したからに決まっている。白の魔力は特別だとトイフェルは言った。対策を講じるのは当然だ。
――魔法と【能力】の併用は困難を極める。魔法を具現化させつつ身体を動かす――これだけでも片手で刀を振るいながらもう片方で料理をするようなものだ。そこに追加して、本能に根付く亜人族のとは異なる魔具の【能力】発動を行うのが困難であることは言うまでもないだろう。事実、アジハドは魔法発動を捨てて【能力】発動のみに魔力の矛先を絞っていた。
現在、トイフェルはソロモンに金色の雷を纏わせつつ、腕甲の【身体強化】を発動している。魔法、【身体強化】、戦闘……おそらく、【バキューム】も戦闘中に使ってくるだろう。どうしてこれほどまでに多重発動ができるのか。
「……んなモン、分かりきってる」
相手は埒外の麒麟児。理解という側面が介在する分野において、なんの苦労も無く頂点に君臨する天才。トイフェルにかかれば、この程度のことはやってのけるだろう。だから、聞くことなどありはしない。
大きく深呼吸し、リュウセイは意識を大気中の魔力に巡らせる。これから先はトイフェルも【能力】全開で襲い掛かってくるだろう。【龍醒】が時間に比例して使い手を強化させる以上、戦闘は長引かない。
これが最後。龍の王は、静かに臣下に命令を下した。
「【龍醒】」
大気に残存する魔力が全てリュウセイに集結する。鎧はリュウセイの皮膚のほんの少し上を覆いつくすように収縮し、衣服のような形状をとった。豪華な着流し。龍、雷、刀、星……リュウセイを象る文様が顕現した侍を思わせる意匠。翼を覆う鎧は葉脈のような線が迸り、尻尾はまるで槍のようだ。身体に力が漲り、リュウセイは大龍影光を握りなおす。
「……そうこなくっチャ。アア最高だ。今、コノ瞬間。ボクは最高に『人間』ダ。胸が躍ルヨ。ワクワクすル。こンナ昂りは今まデ感じタことがナイ。叶うナラ――コノ瞬間が、刹那が、永遠に続けばいいノニ」
リュウセイはトイフェルの言葉にピクリ、と眉を動かした。が、すぐに表情を鋭く直す。違う。この苛立ちは要らない。そう、今は。心の中で頭を振って、握った大龍影光に魔力を流す。具現化されるは雷。と、もう一つ――
「七星流・纏の型・流星」
魔晶。砂金のような小さな光の粒――大龍影光の【晶化】によって作り出される魔力の結晶にして世界最硬の物質。その魔晶の間の空間に雷が浸透しきると、言葉通り光速で雷が動いた。雷は大龍影光の刃をぐるぐると回り……つられて、魔晶も回る。その様はある現代機械を想起させる。そう、チェーンソー。それも刃は世界最硬の物質である魔晶。切れぬものなどありはしない。空が裂かれる悲鳴が響き、光粒が舞い踊る。魔晶は生成されて数秒で気化して大気に溶け、ぶん、と刀を振れば、軌跡がまるで流れ星のように尾を引いた。
「アッハァ☆ キミもできるんダネ、多重発動」
「こちとらテメェみてぇな天才じゃねーんでな。使えるようになるまで苦労したぜ」
「分かってないナァ。使える時点で、キミは十分天才ダヨ」
「御託はもういい。さっさと始めようぜ。――――俺は、お前を斬るぞ……トイフェル」
「~~~~~~最ッ高ッッ!」
パリ……ッ!
二人の身体に同時に雷が走る。
パリパリバリ……ッ!
それは雷による身体強化。神経を流れる微弱な電流を強化し、肉体を破壊しないための枷を破壊し、限界を超えた力を引き出す技。
バリバリバリバリ……ッ!
後遺症がどうだとか。全身に針が刺されたような痛みだとか。そんな考えは二人の頭にはない。
バリバリバリバリバリッッ!!!
「うぅううぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
「ハァァァァァアアアァアアァァァァァアァァアァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
あるのは胸で燃え盛る熱情だけ。
最後の瞬間は、すぐそこに迫っていた。
―――――――――――――――――――――――
一足。たった一度の踏み込み。それだけで景色は吹っ飛び、両者は音速を超えて加速する。
「――――――――――」
「――」
僅かながらにでも見えるのは、同速で動く敵対者のみ。遅れて聞こえるのは、幾度も耳にした技の名前。
七星流・肆の型・極星
ゼノ
回転と速度の威を乗せて放つ肆の型・極星。【バキューム】を使った、鞘を必要としない神速の居合、ゼノ。果たしてそれは……激突した。リュウセイは幾度もゼノを見て、受けてきた。時には捌き、時には受け、身体でゼノのタイミングと間合いを覚えた。故に、極星を先行して放つことで刀をぶつけるという絶技を可能にしたのだ。大龍影光の表面を高速回転する魔晶がソロモンに触れ、火花が咲き乱れる。まるで炎の華が開花するような火の粉。それはそのまま魔晶の回転の速度を示していた。世界最硬の魔晶に削り切れぬ物質などありはしない。いくらゼノが神速の抜刀術でも、速度が刃先に乗っていても……
ソロモンは、流星を纏った大龍影光に真っ二つに切り裂かれた。
長刀ソロモンの刃はもはや普通の刀と変わらない長さになり、斬られた刃先が回転して飛んで――
「――ァアア!」
「――っ!」
トイフェルは回転する剥き出しの刃先を右手で掴み、【龍醒】の鎧を貫いてリュウセイの左腕に突き立て、回転しながら頭上を抜けていった。己の手が切られることに一切の躊躇は無く、この機を逃すまいと体内からリュウセイの身体を雷で焼く。
己の肉が焼ける生々しい感覚を感じてリュウセイは苦悶の叫びをあげるが、彼は微塵も戦意を衰えさせてはいなかった。身体の損害など知らない。刀のリーチが同等となった今、長さで不覚を取ることは無い。今までよりももっと大胆に攻勢に出ることができるっ!
「――」
そう思い、振り向いた瞬間リュウセイの身体は袈裟懸けに切り裂かれていた。【龍醒】の鎧のお蔭で致命傷は避けられているが、重傷には違いない。
――見えなかった。気が付いたら斬られていた。何故。自失し自問したリュウセイの耳に、解答の声が遅れて届いた。
ゼノ
二連撃のゼノ。あろうことかあの悪魔はこの局面で、折れた刀で、新たな境地に至ったのだ。ゼノを放ったソロモンに再び【バキューム】で鞘を纏わせ、居合。神速の居合に続く技で神速の居合を放つ。埒外で、どこまでも規格外な神童は神業とも呼べる技をこの土壇場で放ったのだ。そして、一度放った技を忘れるほど凡百の男ではないのがトイフェルという麒麟児。一度打てたなら、もはやその技術はトイフェルの血肉となったも同然。
「――」
三連撃目のゼノが、リュウセイの身体を逆袈裟に切り裂いた。トイフェルの勢いは止まらない。攻撃の手は緩まない。トイフェルが四連撃目を放たんとソロモンの【バキューム】を発動させているのを、リュウセイはゆっくりと知覚した。
殺される。
リュウセイは反射的に悟る。このまま突っ込めばゼノの餌食だ。数百もの連続した居合で身体が細切りにされてしまうだろう。そのようなことを、思考という形に落とすまでもなく肌で感じとる。かと言って引くことも許されない状況にあることも、リュウセイは十分に自覚していた。致命傷に近い傷を負っていて、【晶化】で急速に魔力が消耗されていく。何より、引いたところで連撃のゼノは攻略したことにならない。無数の斬撃を回避する術が無いのだ。
ここで引けば、勝ちの目は間違いなく無くなる。
何が最善かを思考するよりも先に、身体は動き始めていた。刀に手を置き、脚が大地を捉えて踏ん張る。
速く。速く。ゼノよりも速く。速く刀を振るえと脊髄が全身に指令を送る。でなければ死ぬ。速くなければ殺される。
速く。もっと。
もっと速い技を。速さだけを極めた技を。威力も魔力も置き去りにして、速く相手を切り伏せる技を――。
カイルたちと長い旅を続けてきた。山を出たあの頃より、強くなった。
数多の敵と戦い、幾多の強敵と刀を交えた。
戦闘の経験は身体が覚えている。これまでの戦いを思い出せ。この状況を切り抜けられる最速の技は何だ。
答えはリュウセイの脳裏で電撃のように走り抜けて--。
「――」
「――――――」
深紅の飛沫が……大地に降り注ぐ。
トイフェルの腹が、ゲンスイの負わせた傷をなぞるように横一文字に裂けた。
目を見開き、呆然とリュウセイを観察するトイフェル。ふり抜かれた大龍影光。美しく剥き出しの刀身を晒し、刃紋が余すところなく視界に入る。魔法を纏わせていない? などと思考しつつも攻撃の手を止めようとしない攻めの姿勢は流石、と言える。
リュウセイもまた、構えた。再び対面、ゼノとの一騎打ち。
「――」
「――――――」
斬られたのはリュウセイ。太股に深く一閃が刻まれる。
――俺は天才じゃねぇ。一度決まった技が二度目も盤石で放てるってワケじゃねぇ。
リュウセイは痛みを噛み潰し、刀を強く握りしめて魔力を込める。
――考えろ。思い起こせ。あの動きを模倣しろ。見取り稽古なら、ジジィん時にやってたろ!
瞬間の明滅の後、雷が迸り魔晶が生み出される。
――魔晶が鞘だ。雷が鞘だ。状況は同じだ! 速く……抜け!!
二人の剣士は……同時に振りかぶる。大地に足跡を刻み、咆哮で空気を揺らしながら……剣を抜く!
……“ゼノ”を、放つ!!!
「――」
「――――――」
此度は、相打ちだった。鏡対称に脇の下に裂創が刻まれる。ここに至り、トイフェルも理解を示す表情をした。見えないまでも、直前の動作でリュウセイが何をしたのか把握したのだろう。
ゼノ。
それが神速の斬撃であるゼノに対抗する手段としてリュウセイが導き出した答えだった。速さには速さ。居合には居合。ゼノにはゼノ。単純にして困難を極める解答。
それを可能にしたのは……一重にリュウセイの地力の高さと、執念。これまでの旅で記憶の有無を抜きにすれば都合三度、リュウセイはトイフェルと邂逅し、二度の惨敗を喫してきた。
だからこそ、仇敵の代名詞とも言える技はリュウセイの脳裏に焼き付き、実現を可能にした!
刀を握る。永く共にしてきた相棒はすっかり手に馴染み、己の肉体の延長と変わらない。
魔力を込める。純白の魔力光が炸裂し、光の過ぎ去った後には流星の鞘に納められた大龍影光。
風に揺れる【龍醒】の衣から、龍の力を存分に受ける。
全身を迸る雷。痛みと力が同時に身体の隅々にまで伝わる。
地面を蹴る。前に出る。左腰に刀を置き、柄頭を大地に、剣先を天に。逆袈裟に切る構え。
魔晶が大気に気化し、白色の尾が地面を走る。
その様は、流れ星そのもの。天を二分する斬撃そのもの。
歯を食いしばり、リュウセイは大龍影光を流星の鞘から解き放つ。
チェーンソーのように回転する魔晶の上を滑り、雷の表面を走り、刀が加速する。
猛る。吼える。魔力が渦巻く。
白色の尾を追い越して、雷を置き去りにして。
剣先が鯉口を抜けた瞬間――、
――――その速度は、流星を克えた。
「――ゼノ」
「――纏流星・星克」
トイフェルの肩口が逆袈裟に斬れる。ゼノは肩を斬られた衝撃で軌道がずれ、頭上を通り抜けていった。
リュウセイ版ゼノ……纏流星・星克。
纏の型・流星を鞘とすることで、全方向から居合を放つことを可能にした。【バキューム】による連続ゼノにも、魔力を使って鞘を生み出せる星克ならば対抗できる。
トイフェルという神童の放つ神速の居合。
リュウセイによる星を追い越す超克の居合。
居合というには不適な姿勢から、悪魔と龍人は刀を抜く!
「ゼノ!」
「纏流星・星克!」
肘を斬る。肩が斬られる。それがどうした。
「ゼノ!」
「纏流星・星克!」
「ゼノ!」
「纏流星・星克!」
腕を斬り、斬られる。脛を斬り、二の腕を斬られる。だからなんだ。
瞬き一つの間で傷が量産されていく。光に迫る居合がぶつかり、逸れた軌道が互いの身体を傷つける。致命傷には至らないが、決して浅いと呼べる類の傷では無い。まるで身体から華が芽吹くように、鮮血が剣圧で舞い散っていく。加速度的に命が削り取られていく。そんなことは……どうだっていい。
傷も痛みも眼中に無い。
この刹那の時間に思考は無い。
本能が、経験が、身体を突き動かす。
長く続いた剣戟の……終焉を迎えるために。
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「――お前はどう思うかの、リュウセイ」
背景が朧げな空間。輪郭が不明瞭で、どんな場所かも分からない。そんな場所で、白髪の好々爺が少年に尋ねる。問われた少年は訝しげに眉を潜めて鼻を鳴らした。
「ハッ! どう思うって言われてもよ。お伽話の“鬼”がテメェだったなんて話、急に言われてもどう思えばいんだよ。……テメェのことだ、この話が嘘ってワケじゃねぇんだろうし、この話はマジにあったことなんだろうけどよ」
少年は気づいたらそこに置かれていた机の上の絵本に目を向ける。付けられている表題は『鬼騎士物語』。
内容はこの大陸に住むものなら誰でも知っているようなもの。人を食べる悪い鬼が一人の女騎士に出会ったことをキッカケに改心し、多くの人々を救う騎士となった話だ。
「実際はあの女は騎士では無く流れの剣士じゃったし、ワシも騎士にはならんかった。傭われはしたがの。……まぁ、概ねこの絵本の内容と事実に差異は無い」
老人は少年に見せるように絵本の一ページ目を捲る。そこには、人々を鷲掴みにして食べる鬼の絵があった。子供向けのデザインになってはいるが、鬼の妙にリアルな禍々しさが少年の目を惹く。
「ワシは無垢なる多くの人を殺した。最初こそ、この絵のように食べる目的じゃったが……時が経つにつれ、ワシは殺しそのものに対して悦を覚えるようになった――お前はそれを、どう思う?」
「どうって……」
あからさまに困惑する少年。目の前の人物が殺人者であると告げられ、吐いた言葉通りどう言えばいいのか分からないのだ。
しかし、何も返さないというワケにもいかず、少しの間考えて……、
「別に、いーんじゃねぇの? 殺した以上に救ったんだろ? それこそ、殺した人数の数十倍はよ。だったら別にもういいだろ。俺の目の前のジジィは快楽殺人者じゃねぇんだし」
「……確かにワシは殺した以上に救った。じゃが、その救いさえもあの女が死んだ途端に投げ出した。ワシは、こんなに中途半端な人間なのじゃぞ?」
「知らねーよ。二度も言わせんな。俺の目の前のジジィは別に快楽殺人者じゃねぇし。過去に人を殺したからってどうも思わねえよ。殺した以上に救ったんだから、チャラだよチャラ。テメェが“鬼”だったとして、俺が抱く感想なんてそんなモンだ。これで質問の答えは満足か?」
これで会話は終わり、と少年は無理矢理に会話を打ち切る。途端、輪郭の曖昧な空間がさらに不明瞭になり始めた。
「それはお前が部外者じゃから言える言葉じゃ。当時の人間の、大多数のワシへの認識もそんなものじゃった。じゃが……遊びで肉親を奪われたものの憎しみは、赤の他人を救った程度で消えはせぬ。
………………のう、リュウセイ」
老人の輪郭も無くなっていく、人であることも分からなくなり、背景と一体化するように溶けていく。全ての境界がなくなった世界で、老人の声のみが響く――
「大切な者が意味も無く殺されたとしても……お前はワシを赦せるか?」
こんな会話が本当にあったのか、なかったのか。
それは当人たちのみが知る話だ。
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雷を纏う斬撃が剣撃に合わせて飛翔し、大地を砕く。踏み込むたびに砕ける地面はすでに元の影形も無い。平坦だった大地はミンチにされてしまったかのようにスクランブルされている。
二人の剣士は自身に注ぐ雷の量をさらに増やしていた。神経系を駆け巡る雷が血を媒介にして体表にまで漏れ出る。電熱により、両者の体は高温に包まれる。――切り傷から流れ出る血が、蒸発するほどに。流血は血霧となり、血霧を刀で切り裂いて、二人は神速の居合による剣戟を続ける。
全身をなます切りにされたように、至る所が傷だらけ。赤くない部分を見つけるのが困難なほどに血と傷に包まれ……それでも尚、攻撃の手を休めない。
瞳からは光が失せ、正常な思考をしていないことは明白。傷だけを鑑みても、どうして動けるのかが不思議なほどだ。動ける理由があるとするのなら、刀を振る理由があるとするのなら。
己に刻みつけた誓い、己に植え付けられた才能……これらを理由とする他無い。
肉体の限界など、とうに超越した。
既にリュウセイの【龍醒】の衣は随所が裂かれたまま放置してあるし、トイフェルも翼の変化ができなくなった。肉体能力は互いに低下し、それを雷による身体強化で誤魔化している。
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉおおおぉおおおおぉぉおおおぉおおおお!!!」
「ァアァアァアアアアァアァアァアアアアアアァァアアアアァァァアァアァアアアア!!!」
『斬る』。互いの思考は唯一それのみ。現状を省みることはせず、『斬る』。自身の惨状も知らない。相手の攻撃も知らない。敵よりも速く『斬る』。ひたすらに敵を見て『斬る』。『斬る』。斬られても『斬る』。
それだけを繰り返す。
『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』『斬る』斬られ『斬る』斬られ斬られ斬られ『斬る』『斬る』斬られ『斬る』『斬る』
『斬る』
『斬る』!
『斬る』!!
トイフェルの横を切り抜ける。強く斬り込んだ手応え。命の蝋燭を刀で切り飛ばしたような感覚。もう一手応えだ。振り返って『斬――
がくん。膝から崩れ落ち、刀を握ったままリュウセイは血の海に沈んだ。振り返ることすら叶わず、【形態変化】さえも解けて、トイフェルに背を向けたまま、だ。幸か不幸か、顔面から地面に叩きつけられた衝撃で意識が浮上し、思考が戻る。
倒れた原因は予期できていた致命的な事実――『魔力切れ』。【晶化】による加速度的な魔力消費が、遂にリュウセイの魔力を吸いつくした。
己の魔力が全く無い状態では【龍醒】は使えない。全身の力が抜けていく。過剰な肉体強化の影響で、神経系が鈍らの鋸でずっと引き斬られ続けているような痛みを感じる。
しかし、リュウセイの頭は戦闘を止めていない。一刻も速く立ち上がらなければ。あの悪魔に殺されてしまう。己の身体に鞭を打ち、刀を持たぬ手で地面を突き、震える足で大地を踏み、ゾンビのようにのそりとリュウセイは立ち上がった。足元は覚束ない。視界だって安定しない。手の感覚はないし、痛みの感覚がやたらと激しく自己主張してくる。冗談抜きに気を抜けば死んでしまいそうだ。ここで倒れたとしても、死んだとしても、自分は全力を出し尽くして戦ったと断言できるだろう。
だが、そんな自己満足になんの価値もありはしない。勝利以外に、価値は無い。
震える足を力いっぱい踏み出して、目に入った血を拭い、感覚の無い手で刀を握りしめ、声にならない叫びで痛みを吐き出す。
少しばかり明瞭になった視界に、自分と同じ行動をとっていた少年が写る。
小人族を思わせる成長しきっていない小さな体躯。血で汚れた白髪に、まさしく血色の瞳。腕甲は引きちぎれ、袴もズタズタ。栄養の足りていない細い手で、折れた長刀ソロモンを握りしめている。魔力切れを起こし、【形態変化】が解除されている。悪魔ではなくなったアルビノの少年。瀕死の状態にあってなお、笑みは彼の顔に刻みつけられたまま剥がれない。対等な相手と、紙一重の戦いを繰り広げる。どちらかの命の灯が消えるその瞬間まで、勝敗は分からない。あぁ、なんて人間らしいんだ……そんなトイフェルの思考が、リュウセイには手に取るように分かった。
無意識に大龍影光を握る力が強くなる。これまで努めて意識しなかった苛立ちが表面化したのだ。自分自身でさえそれに気づかないリュウセイ。斬るべき敵を見定め、満身創痍の身体で大地を蹴りつけた。
無様で、頼りなく、よろめく足取り。数秒前の隔絶した身体能力は見る影もなく、尽きた体力を気力でカバーしてリュウセイはトイフェルに向かっていく。今にも倒れそうな様子でこちらに駆けてくるトイフェルの姿が目に入る。この激突が何度目になるのかは分からない。
けれど、最後になることは互いにはっきりと自覚した。
だからなのか、二人の足取りが目に見えて変化する。踏み出す足に力が籠る。重心が真っ直ぐに地面に落ち、体軸が不動のものとなる。真っ直ぐ。前だけを見る。速度が乗る。小細工など要らない。今の状態で出せる最高の一太刀を繰り出す。構えは八相の変化型。上段に近い、袈裟懸けに斬撃を定めた構え。
刀が重い。こんなに重く感じたのは今までに無い。何故、今になって刀が重くなる?
この戦いに臨んだのは己の意思だ。この悪魔との決着を望んだのはリュウセイ自身だ。カルミアのため、スミレのため、反乱成功のため、大陸の未来のため。臨む理由は色々あった。期待された役割も理解している。
しかし、究極的にリュウセイがこの戦いに持ち込んだ想いは私怨であり私縁だったはずだ。
ゲンスイを殺された復讐心。哀れな少年を救ってやりたいと願った救済心。
相反する二つの感情にリュウセイは折り合いをつけている。心に迷いなど無い。どちらの想いも勝つことでしか達成できない。絶対に勝たなければならないという重圧。――そんなもの、戦場に立つ度に背負ってきた。今更重荷に思うことではない。ならばどうして……これほどまでに刀が重い? この切っ先に乗っているものは一体何だ?
思考を重ねるリュウセイの瞳に、トイフェルの酷薄な笑みが写りこむ。この一合で命を落とすかもしれないというのに、心の底から楽しそうな少年の姿が写る。
――あぁ、そういうことかよ。
リュウセイは刀に乗ったものを理解した。これまで乗せたことのないものを理解した。
――お前か、俺の刀に乗ってやがんのは。
トイフェル。孤独な少年。目の前にいる敵が、リュウセイの刀に乗っている。人間であろうとする健気な少年。リュウセイが救ってやりたいと思った少年。殺してやりたいと思っている敵。刃を向ける敵が、自分の想いの中に入り込んできて刀を重くしているのだ。幾度となく戦いを繰り広げてきたリュウセイも、敵の想いまで刀に乗せたことは未だかつて無い。自分の想いの強さは言わずもがな把握している。その重さを背負うことはできる。しかし、同時にこの狂い哭く少年の叫びの強さも理解しているのだ。記憶を失っていた時に見た……父親を切り捨てたと言ったトイフェルの顔を覚えている。化け物になってしまったトイフェルの想いを知っている。その想いを、切ってやりたいと思った。その想いを、背負ってしまった。だからこそ、こんなにも刀は重いのだ。
――ハッ! 上等だ。そのまま乗ってやがれ。そんで見てろ。悪魔が退治される瞬間をな!
振り下ろす際に力は要らない。これは全ての剣術、刀術共通の教えだ。余計な力は要らず、刀の重みに任せて振り下ろす。刀の重さで振りぬくのだ。腕はその方向を定める補助具に過ぎない。
一足一刀の間合い。あと一歩で刀が届く。
雑念を全て刀に乗せた。二人分の想いを刀に乗せた。身体に残ったのは闘争心のみ。
熱く燃えるような肉体。死に体の肉体。最後の一歩。思考が無くなった肉体で、残った闘争心が叫びとなって大気を打ち、
「トォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオイフェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエル!!!!」
「リュゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウセェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエイ!!!!」
……無心で刀は振りぬかれた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
赤色が視界の半分に広がる。生暖かい血が左眼から噴き出すのを感じる。膝を着き、鮮血が流れる瞳を掌で押さえる。右眼を閉じると、掌が写る――こともなく、単純な赤が視界を覆った。何も写りはしなかった。直感的にもう左眼は使い物にならないと悟る。
……リュウセイはそれを嘆くでもなく、左眼を閉じる――それは単に傷を晒さないようにするための行為であったが、潰れた左眼は刻みつけられた最期をフラッシュバックさせる。
ソロモンを握りしめたままトイフェルの左腕が肩口から宙を飛び、左眼が赤く染まる。
一瞬の交錯で何が起こったのかリュウセイが理解した瞬間、ソロモンが千切れた腕を伴ったまま眼前の地面に突き刺さり、背後で誰かが地面に落ちる音がした。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「ハ、ハハ。負け……タヨ。完敗ダ。凄いヤ、リュウセイ……」
リュウセイは空を見上げて力無く笑うトイフェルの傍らに立っていた。左腕は肩口から先が無くなっており、ドクドクと血液が滴り落ちている。左腕以外にも無数の傷が刻まれているトイフェルは本人の幼さや風体も相まって、まだ死んでいないが残酷に殺された孤児のようにも見える。
「サァ……ボクを、殺しナヨ。キミ、にはソノ資格がアル。なんてっタッテ……キミはボクを打ち負かシタんだカラネ。ボクも、殺されるナラ、キミがイイナ。むシロ……キミ以外はイヤ、ダ。ゲンスイさんを殺しタ仇討チで死ヌ……。アァ、何だカ気分がイイ。『人間』……っぽクテ、最、高ダ」
満足気に、心残りなど無いように、充実感で満ち満ちたようなことを言う。実際に手の内の刀で首を刎ねれば、コイツは何の未練も無く逝くだろう。その確信がリュウセイにはあった。だから、
「ハッ! 何を勘違いしていやがる。ジジイの仇討ちはもう終わってんだよ。俺にお前を殺す理由はねぇ」
小馬鹿にしたような態度で、リュウセイはトイフェルの申し出を拒絶する。予想外の返答に閉じられかけていた赤い瞳が驚愕で大きく見開かれる。戦闘が終わったことで余裕ができたリュウセイはそんなトイフェルの様子に少しだけ優越感を抱くことができた。
「ナ、にを……!? ボクはこうシテ生きてイル! ゲンスイさんを殺したボクはココに――」
「ジジイを殺した悪魔トイフェルは殺した。俺の目の前にいんのは、クソ生意気なクソ餓鬼“トイ”だ」
「――ッ! ソ、れは!」
「出会う度に挨拶みてぇに戦うライバルみてぇな間柄。だったっけか? お前が言ったことだぜ、なぁ“トイ”」
「そっ、んなモノッ! タダの嘘ダ! 気まぐレで口にシタ言葉に過ぎナイッッ!」
二度目の記憶喪失でリュウセイは一切の記憶を失って悪魔族の村に不時着した。右も左も、己の名すら忘却したリュウセイの前に現れたのが“トイ”と名乗ったトイフェル。親友と名乗り、ライバルと名乗り、リュウセイと親しい関係になろうとした。どうしてそんなことを口にしたのか。それは、
「ハッ! 何をそんなに焦ってる。 捨てたハズの願望を突き付けられて、ガキみてぇな感傷が恥ずかしいってのか?」
「――違ウッ! そんナコト、思ってナイ! ア、アンな設定、ソノ場で適当に考えタ出まかセダ! アレは……師の仇のコトを親友ダト信じ込むキミを……ッ! 嘲笑おウとシタだけダ! ソレ……だけダッ!!」
唾を飛ばしながらくだらない戯言とトイフェルは吐き捨てる。仰向けの身体を反転させ、リュウセイに掴みかかる――途上で力尽き、地面に落ちる。右腕の前腕を地面につけ、上体を押し上げる。喉に溜まった血がどば、と音を立てて落ちる。身軽になった顔を、リュウセイに向ける。
リュウセイを見上げるその瞳に……憤りの感情は存在しなかった。
「そンナ下らナイことを言っテ! キミは満足なのカイ!? ボクを怒らセテ楽シイのカイ!? 殺ス時間を無意味に引き延ばシテ、キミの復讐心は達成されルノカ!!?」
「……言ってるだろ、俺の復讐は終わった。ジジイを殺した悪魔トイフェルはもう――」
「ボクは!! ココに!!! 生きテル!!!!!!」
リュウセイの頬に血が飛んでくる。匍匐前進のように腕を動かしトイフェルはリュウセイににじり寄ってくる。
「イイ加減に、してヨ! さっサと! ボクを、殺してヨ……ッ!
ボクが、『人間』なんダと……実感シタまま。 ボクを『人間』なんダと信じさセタまま……殺してヨ!!」
脚にトイフェルが縋りついてくる。赤い瞳は揺れ、懇願は悲哀を孕む。戦闘中に感じた苛立ちは……もう隠す必要もない。リュウセイはトイフェルの胸倉を掴み、乱暴に持ち上げた。
トイフェルの身体は、リュウセイが予想していたよりも……軽かった。
「『人間』みたい、じゃねえだろ。違うだろ、お前。お前は最初っから……人間だろうがよ!!!」
「……!?!?」
「ワケが分からないみてぇな顔してんじゃねぇぞオイ。自分が『人間』なんだと再確認できるから帝王と月一で決闘してるっつったよなぁ。強いヤツとの戦いは、自分が『人間』らしく在れるから楽しいっつったよなぁ。『人間』みたい――『人間』染みていて――『人間』だと信じさせて――。
んな台詞はッ! 自分のことを化け物だって思ってねぇと出てこねぇだろ!!!」
「――ッ」
事あるごとに、トイフェルは『人間』と実感できることを求めた。それは、自分のことを人外の存在なんだと自覚しているが故の発言だ。『人間』みたい、この言葉の裏はつまり、自分は『人間』じゃないということだ。『人間』じゃないと思っているから、『人間』のような行動が楽しいと感じる。
トイフェルは……『人間』に憧れる化け物――悪魔だったのだ。少なくとも、トイフェルは心の奥で己をそう自己定義していた。
だからリュウセイは苛立ちを感じるのだ。普通の人間に憧れるクセに、根っこの部分でそれを諦めてしまっているトイフェルに、憤るのだ。
「ボ、クは……悪魔。ミンナ、そう望んダ。父サンも、村のミンナも。だカラ、ボクは……」
「違う。お前は人間だ」
「ボクは、異常ダ。お母サンを殺して産まレテ、理解力が人間のソレじゃナイ……」
「子供を産む時に母親が死ぬなんてのは有り触れた話だろ。お前のせいじゃねぇよ。理解力とか……人より頭がいいでいいじゃねぇか」
「ボク、ボクは……ソウ、悪魔王ダ。悪魔族じゃナイ突然変異……」
「奇遇だな……俺もだ」
「――ッ!」
ぽたり。血ではない透明な液体がリュウセイの手に落ちる。一雫。二雫。ゆっくりと間をおいて落ちてくるそれらは、リュウセイの手を流れていく。
「ボクは、村のミンナを殺しタ時に、本物の悪魔に、なっタんダ……。アノ時カラ、ボクは人間じゃナイ……悪魔になったんダヨ」
「お前はそう思い込んで、親を殺した辛さから逃げただけだ。親に拒絶された悲しみから目を背けただけだ。……当たり前のことだ。
俺がお前の立場でも多分、そうなってた。違うのはきっと、そこだ。俺とお前の違いは、環境だ。
俺は家族に愛された。
お前は家族に愛されなかった。
俺とお前で、同じ変異で、同じ許されざる種族で。同じなのに、こんなにも違うのは……それだけなんだよ」
トイフェルとリュウセイ。もし、産まれる場所が違っていたらどうなっていただろうか。
天使であるシュウはそれでもトイフェルを愛しただろう。『悪魔王というよりは小悪魔だね、僕の愛する弟、可愛いトイフェル』そんな風に言って、異常な力に悩むトイフェルを更に上から叩き伏せて強引に愛しただろう。
ロウルもルオーラも、悪魔なんて気にしなくて『大丈夫』と抱きしめてくれただろう。『自慢の息子』だと言ってくれただろう。
マリンやフィーナはトイフェルを恐れずに理不尽にからかってきて、悪戯気質なトイフェルはやり返そうとして……さらに酷い目に遭わされる。『『弟の分際で姉に逆らおうだなんて百億万年早いわよ』』だなんてステレオで言ってきて。けれど、トイフェルが泣いている時には隣に居てくれるのだ。
カイルは馬鹿だから、トイフェルの悩みも『知らねぇよ!』で切り捨てて『家族だから関係ねぇ!』と確信めいたことを言うのだ。『バカイルのくせに!』とトイフェルは涙を隠しながらカイルに切りかかって、シュウに怒られて。
そんな未来が、多分、あったのだ。
人を恨み、自分を化け物だと定義して悪逆を尽くしたリュウセイもいたはずなのだ。そう、環境が違ったのなら。こうして叱咤されるのはリュウセイだったかもしれないのだ。
「お前は悪くねぇ。悪かったのは環境だ。
……これから、お前を責めるヤツもいるだろうよ。死ねって、化け物って、悪魔っていうヤツもいるだろうよ。だがな……」
リュウセイはトイフェルを地面に下ろす。ぺたりと地面に座り込むトイフェルは茫然とした瞳でリュウセイを見ていた。
「俺は……お前を赦す」
真っ直ぐ、トイフェルの目を見て、リュウセイはトイフェルを赦した。確かな言葉で、押し付けるように免罪を叩きつけた。
「ジジイみてぇに生きろ。殺した以上に救え。疎まれて、嫌われて、憎まれても救え! 今は人間だって思えなくてもいい! 悪魔なんだと思っててもいい! 誰かを救っていくうちに、誰かがお前を認めていくうちに! お前が人間として笑える日がくるハズだ!
悪魔トイフェルは死んだ。俺が殺した! お前はもう化け物でも悪魔でもねぇ! こっから生きろ! 今日からだ! 今この瞬間からお前は……
人間“トイ”だ!」
リュウセイは何度も言い聞かせる。お前は人間だと。化け物じゃないと。必死になって孤独な少年に叫ぶ。ゲンスイの後追い星になって生きろという。己で定義した鎖で身動きが取れなくなっている少年の心に刃を以って切り込む。
「ボク、は……怖いヨ……まタ……憎まレルのハ……要らナイっテ、拒絶されルのは……」
「怖くなったら俺のトコに来い。俺とお前はライバルなんだろ? お前の癇癪くらい俺が受け止めてやる。こうして何度だって叩きのめしてやる。
お前を人間だって、言ってやる」
「コレで、改心しなかっタラ、どうするナサ……。ボクが本当に化け物だっタラ、ソノ生き方ヲ、選んダラ」
「安心しろ。そん時は今度こそ俺はお前を斬り殺す。悪魔のまま、キッチリ引導を渡してやるよ」
トイフェルは--トイは俯いて沈黙した。これだけ言えば充分だろう。後は勝手に答えを出す。それはリュウセイの提示した通りの生き方ではないかもしれない。それでも、彼の中の悪魔は切り捨てたのだ。ならば、もうこの少年が道を誤ることは無い。知らなかっただけなのだ。自分が人間だと思う手段を……認められる方法を。
誰かに認められるということを。
それは、今までトイを縛っていたものとは別種の鎖だ。認められる喜びを知ってしまった。充足の味を覚えてしまった。失望されたくない、拒絶されたくない。――もっと、認められたい。この甘やかな鎖がトイに絡みついている限り、トイの生き方は少なくとも悪魔のものにはならないだろう。
「少シ……整理させテ欲シイ」
「……ああ」
背を向け、刀を鞘に入れてリュウセイは重傷の身体を引きずる。残された右眼は、仲間たちの戦場を向いていた。
「……帝城ワールドエンド。ソコに全テの答エがアル。“終焉”を迎えるにシロ、挫クにシロ、キミは真っ先にワールドエンドに向かうベキダ。キミは……キミたちには知ル権利がアル」
リュウセイは歩みを止めない。振り返ることもしない。返答とばかりに軽く右手を挙げ、右眼の先――その先のワールドエンドに足先を向けた。
「――ありがとう」
憑き物が落ちたような感謝にも、リュウセイは振り返らない。暗黒の空が罅割れ、リュウセイの道先を照らす。
背中から感じる暖かい熱。落ちてきた光が照らし出した道筋を、確かな足取りで踏み出した。