第百四十話ー人間らしく
……不思議と、トイフェルの表情が良く見える。もちろん、剣線や動きの前兆もいつも以上によく見えている。一つ一つの挙動に伴う筋肉の収縮や魔力の流れ、魔法の予兆……それら全てが、普段よりも明瞭にかつ正確に見えていた。加えて体のキレもいい。体感ではあるが、切り返しが.0数秒速く繰り出せている。
この現象は先刻のゼノを防いでから発生……否、始まっていた。今もなお、少しずつではあるが感覚の鋭敏さ、動きや速度が向上している。自分に何が起こっているのかはリュウセイもよく理解していない。あの時あの瞬間、トイフェルのゼノをリュウセイは防げないハズだった。あの神速の居合に防御が間に合わず、切り裂かれているハズだった。
にも関わらず自分はこうしてほぼ無傷で刀を振るい、万全以上の状態で戦っている。
覚えているのは刀を振るった感触と、激突の衝撃。自分が起こしたことではあるがリュウセイ自身、信じがたい思いを抱いていた。あのゼノの速さに追いついた。あの刹那だけ、自分はゼノを凌駕したのだ。徐々に高まる感覚、動きから察するに……もうしばらく打ち合いを続ければ、再びあの領域にまで自分は至れるだろうことを確信していた。
そして強化されつつある龍の眼には……大きく、トイフェルの姿が写っていた。剣戟の隙間から、雷の通り抜けた後のわずかな空白から、間隙の瞬間に、トイフェルの表情が網膜に焼きつく。
狂気に堕ちる喜悦の笑み。
狂う笑みがリュウセイの瞳にしっかりと写り込み、彼の感情を……振るわれた刀から受け取る。鋭くなった感覚。戦闘に馴染み、余裕が生まれた今なら分かる。歪んだ……歪められた彼の感情が手に取るように理解できる。
心の底から嬉しい。楽しくて楽しくて仕方がない。一瞬一瞬が。一合一合が。刻まれる傷でさえも感情を昂ぶらせる。
楽しい。楽しい。楽しい――!
人間みたいで――楽しい。
「ハッ! 七星流・陸の型・天満星――」
馬鹿げた感情だ、とリュウセイは心の内で吐き棄てた感情を刀に乗せ、連突きを放つ。
リュウセイは知っている。こんな歪んだ笑みを浮かべる原因となったトイフェルの過去を。同情はする。可哀想だ、とも思う。口にはしないが、それは偽らざるリュウセイの想いだ。
そして一方で、この悪魔を憎む感情も……リュウセイは持っている。大切な師を殺した張本人。憎くないはずがない。
殺してしまいたいと、リュウセイは本気で思っている。
だからこそ、リュウセイは全力の殺意を以って刀を振るうのだ。
目の前の師の仇である悪魔に対して。親に捨てられた哀れな少年に対して。
今はただ――刀を以て、応える!
「ソノ技は知ってル。……一度見タ技はボクには効かナイヨ! サンクトゥス・ツヴァイ!」
「--蒼天!」
「ッ、サンクトゥス・ドライ!」
トイフェルの張った雷の防壁に数多の突きが刺さる。ゲンスイから教わった天満星は多連突きによる面制圧の攻撃。一方、天満星・蒼天は歪みを穿つ技だ。天に満ちる星の如く空間を占める連突きで相手の体勢や魔法の構築を歪ませ、生じた隙を射抜く。咄嗟に張ったトイフェルの雷の壁は三枚とも、幾百もの突きによって瞬く間に歪み、穿たれた。
穿った勢いはそのままに、トイフェルの肩にリュウセイの刀が突き刺さる。
「グ、ぅうううううウゥ!!」
続けて体内に注ぎ込まれた雷撃にトイフェルが呻く。この隙を逃すまいとリュウセイは刀を引き抜いて――、
「抜けね……ッ! テメェ!」
「ハハッ――! 暗殺剣・通魔!」
「ガッ、ァ!」
あろうことかトイフェルは刀身を右手で……素手で掴んでいた。手のひらが切られ、雷に焼かれるのも構わずに固定。動かないリュウセイに向かってすり抜けざまに胴薙ぎの一太刀を浴びせた。
彼の一撃は【龍醒】の鎧を砕き、リュウセイの身体に横一文字の傷を刻み込んだ。
「ジジイの技を使いやがって……ッ!」
「コノお腹の傷を付けタ技ト戦法だからネ。ちゃんト記憶したシ、使いこなセル。
……イイ傷ダネ、リュウセイ。コレでボクとお揃いダヨ!」
「ハッ! 嬉しくも何ともねぇな!」
流石は埒外の麒麟児と謳われる存在、ということだろうか。トイフェルの放った暗殺剣の技は、リュウセイにゲンスイの姿を幻視させるのに十分な完成度だった。憎らしいと歯を食いしばり、木の枝を踏み潰すような乾いた音を立てつつ、リュウセイは鎧を修復する。切り裂かれた箇所を他の部分が覆い、さらなる純白の輝きを放って【龍醒】はリュウセイに力を与えた。
だんっ。天を蹴り、空を泳いで。リュウセイはトイフェルの右上空に位置取る。
「俺の刀を素手で掴んだのは失策だったな! その手じゃ、もうマトモに刀を握れねぇだろ!」
トイフェルの右手は先ほどリュウセイの刀を握りしめたせいで酷い有様だ。生命線を横切るように切り傷が刻まれ、雷熱のせいで皮膚が焼け爛れている。腕に取り付けた腕甲は留め金が切断され、トイフェルはそれを指で挟むことで腕甲を固定していた。
「七星流・壱の型・一ツ星・雷綱!」
斜め一文字に飛ぶ稲妻。性質は雷でありながらも、それは触れたものを両断する斬撃でもある。右手が使えないのなら、ソロモンで防ぐか回避するしかない。どちらにしろ、そこには必ず隙が生まれる――! リュウセイは自らの斬撃に追従し、生まれるであろう隙に目を凝らす。
トイフェルは右手上方から迫りくる雷綱に対し、
「グラータ」
腕甲から雷を具現化。鎧のように雷が右腕を覆う。負傷した右手。動きが鈍るそれを内から外へ動かして雷綱を捌いた!
「なっ!?」
「“イタミ”は、生まレタ時カラずっとボクの傍にイタ。コノ程度の傷ハ……今更何トモ思わないヨ」
酷薄な笑みを浮かべる巨漢の悪魔。彼が身に着けていた腕甲は雷属性の魔具だった。右手の負傷はトイフェルにとって許容できる程度のものだった。反省点は多々ある。しかし今は、現状を打破することが先決だ。リュウセイはトイフェルが隙を晒す前提で突撃していた。
が、現状、トイフェルは左手を自由に遊ばせたまま反撃の構えを取っている。隙は無い。こちらも不覚をとっているものの、まだ立て直す余地は――
「ソノ思考……ボクにとっては隙も同じダヨ!」
反射に近似した思考速度。出だしの速さ。変異であるトイフェルの強み。リュウセイが思考している最中、トイフェルは既に刀を振るっていた――!
左袈裟懸け。完全に長刀ソロモンの間合い。大龍影光は届かない。
状況を即座に察するリュウセイ。このままでは危険だと、彼は脊髄で理解する。
だから……この行動は防衛本能に即した反射的なものだった。
「ッ! キミは――ッ!」
加速。【龍醒】の鎧が燐光を放ち、リュウセイの速度がさらに上昇する。
速い。その速度はトイフェルでさえも目で追うのがやっと。
リュウセイは翼を折りたたみ、頭頂からつま先を軸として回転しつつソロモンを回避。その回転の勢いを活かし、力として七星流・肆の型・極星を放つ!
が、
「ック、ゥううッ!」
「んっの、馬鹿力がぁ……ッ!」
間一髪。トイフェルは右手を身体の前に置き、腕甲でリュウセイの刀を受け止めた。回転と突進の威の乗った一撃を、右手一本で受け止めたのだ。
間合いは近接。刀は無意味。さりとて手を休めるほど、この二人は未熟ではない。
「双星・脇差!」
「ハァア!」
雷の脇差。突き蹴り。両者の攻撃は肩口と腹を的確に捉える。反射行動故に、次の行動に入る出だしはほぼ同じ。攻撃の明暗を分けたのは……単純な速さ。
「グ……」
喉の奥から悔し気な声を漏らしたのはトイフェル。攻撃を放ちつつ距離を取ったリュウセイが振り返ると、彼の足には雷の脇差が突き刺さっていた。
ますます実感する速さの向上。数分前なら、今の攻防は双方痛み分けになっただろう。そうならなかったのは、この戦闘中に自分の速さが増しているからに他ならない。奇妙な感覚に疑問を抱きつつも、腹を蹴られて乱れた呼吸を整える。
「ハッ! どぉしたトイフェル。身体の調子でも悪いのか?」
「……ソレはコッチの台詞カナ。キミ、身体の調子がおかしいんじゃナイ?」
「やっぱ気付くか……オラ、さっきみたいに得意気に解説してみろよ。答え合わせをしてやっからよ」
「自分に分からナイことを敵に聞くノハどうナノ? やっぱりキミの家系は馬鹿ばかりなんダネ」
「俺をあのバカイルと一緒にしてんじゃねぇよ!」
一瞬で脳天まで沸騰したリュウセイが激昂する。だが、こいつなら今の自分に起こっている現象を理解しているのではないか、あわよくばその現象をペラペラと喋るのではないか、という下心と浅慮故の言葉だったので、リュウセイはそれ以上を言えずに押し黙る。
いや、喋って貰わなくて構わない。自分のことは自分で理解する。断固として不出来な兄と同視されるのは御免だ。と決意を新たにしたリュウセイは強化されつつある感覚を内側に向け、原因を探ろうと意識を切り替えた。
「気にくわないナァ……モット、ボクのことを見てヨ」
「ッ」
眼前に存在した刃先。反射的に刀を振り上げ、防御する。
「ココからでも間に合ウのカ……ホント、厄介ダナァ!」
唇を歪ませたこの悪魔は不機嫌そうに笑いながら、思考の隙を与えまいとするように斬撃の嵐を浴びせる。リュウセイは謎の強化に思考を割きつつ、凄まじい速さを以ってその斬撃に対処するのだった。
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今、自分が抱いている感情は一体何なのだろうか。
産まれた時から化物だと、悪魔だと言われ蔑まれてきた自分は人間であることを望んだ。普通の人間になりたかった。
化物じゃない……人間に。
だから自分は帝国軍に入ったのだ。
己などでは及びもしない……本物の化物が居たから。自分が矮小だと、ちっぽけな存在なんだと。そう確認し、人間になれた気分になれるから。
その化物に立ち向かうために、考え、試行し、修練するという……人間らしいことを実践できるから。
月に一回、帝王と戦う度に自分はただの人間なんだと思えた。――安心した。世界に認められている気がした。
『帝王に足蹴にされるだけの人間』……そんなカテゴリーに入れている気がした。
そして変異の存在を――同類の存在を知った。特異な【能力】や闇属性……自分と同じ様に蔑まれ、疎まれてきた者が居る。
跳ね上がるほど嬉しかった。
原因に対する怨みは枚挙に暇無いが……それでも、その恨みつらみを忘れるほど嬉しかった。人間であることを確認することが喜び。自分と同類の存在がいることで感じる安心感。その存在が己と対等以上の戦闘力を持っていたら、さらに自分が人間なんだと思えた。心の底から楽しいし、嬉しい。
しかし、今の自分が抱いている感情は一体何なのだろうか。
相手はリュウセイ。自分と同じ変異……過去何度も相対し、あしらってきた少年。此度の戦争で自分と同等の戦闘能力を身につけてきた少年。
嬉しいハズだ。楽しいハズだ。これ以上の喜びは無いハズだ。
同類で、同等の強さを持っていて、同じ剣士。そんな存在と戦えて――むしろ押されていて嬉しくないワケが無い。楽しくないワケが無い。
「マキナ・マズル!」
「っく!」
四肢の関節を狙った突き技。リュウセイは高速で放たれたそれを全て防ぎきった。心ここにあらずといった様子で、自分の【能力】の考察をしながら……純粋な身体能力だけでトイフェルの攻撃を受けきったのだ。
その事実がトイフェルの心にしこりのような感覚を残し、表情を曇らせる。
容易くあしらわれていることに対して? 否、それだけならば歓迎すべきことだ。地力では手の届かない相手に試行錯誤を繰り返し、考えを巡らせて戦うことこそ人間らしいのだ。相手が強すぎることに何かしらの悪感情を抱くワケもない。シュウや帝王に関する感情が良い例だろう。
「メノウ! トリアータ! スヴェルラクト!」
「っ……く、とっ、らぁ!!」
雷球、貫手、円月斬り……意識の隙を狙い、確実に不意を突いた三連撃。それも全て、後出しで避けられる。鎧の放つ燐光が視界にチラつき、こちらに合わない焦点がトイフェルの胸をザワつかせる。
「反射的に反応するダケで対処でキル。だカラ、ボクに意識を向けなくテイイ。――気にくわないナァ」
そう、気にくわない。この胸の感情を言葉にするのなら、おそらくこれが適切なのだろう。無意識の内にでた言葉はすとんとトイフェルの中に落ちて、これまでの疑問が丸ごと氷解していく。
「……ソ、っか。なるホド。だカラなんダネ」
楽しいはずの戦い。嬉しいはずの強敵。喜悦に浸りきれないのは……リュウセイが自分を見ていないからだ。戦闘の最中にも関わらず、【能力】考察にいそしむ彼に苛立ちを覚えている。
自分を見てくれないから不機嫌になる――なんて子供染みた感覚なのだろうか。自分の感情がよく理解できない。自分は変異で、通常の子供の感性など生まれたときから抜け落ちている。そんな自分が年相応の感覚を覚える。
--気持ち悪い。
どうしようもない不快感がトイフェルを襲った。帳尻がかみ合わず、不協和を引き起こしているような――そう、整合性が取れない。この感覚は自分という存在に反している。
自分はマトモな人間じゃない。人間では在りたいけれども、“常軌”は逸している。一般的な人間という枠組みに居ないのだ。
だというのに、自分を見てくれなくてイライラするという普通の子供じみた駄々をこねる。
歯車が狂う。抱く心情が異物になって胸の中に巣食う。
故に、だから。
トイフェルは小さくため息を零した。
「馬鹿らシイネ。こんナノを抱えルくらいナラ――喋っタ方が良いヤ」
不快感を拒絶して、考えることを止めて……この感情の原因を取り去ってしまおう。自分にそぐわないものは要らない。その結果、たとえ相手が強化されようと構わない。胸に居座る不快を取りはらえるのなら。
それに強化されたとしても--困りはしない。
トイフェルはリュウセイから距離を取って刀を肩に担いだ。戦闘を放棄するようなトイフェルの姿にリュウセイも追撃するような真似はせず、訝し気に眉を顰める。
「あ? おいテメェ何の真似――」
「【龍醒】の重ね掛ケ。合成サレ肥大化しタ魔力を……さらに混ぜル。答え合わセは勝手にやってネ」
少し不機嫌で、一息に。己を縛るねっとりとした不快を切り捨てるような投げやりな言葉。一刻も早く正常な感覚を取り戻そうと、トイフェルはすぐさまリュウセイに肉薄し、刀を振るった。リュウセイは馬鹿ではない。これだけの情報が与えられれば、すぐに答えに辿り着く。きっともう――
「ハハ……ッ。速いネ……ッ!」
燐光どころではない……輝く、四方に迸る白光。【龍醒】の鎧が軋みながら胎動し、収縮する。リュウセイを覆う全身鎧はさらにタイトに主人を包み、圧縮されてより鋭い形状になる。刀と雷をそのまま鎧という概念に閉じ込めたような【龍醒】はさらに鋭く……速度を想起させるフォルムとなった。
トイフェルは嬉しげに笑い、纏わりついていた不快を全て打ち捨てて刀を振るう。もう何も考えなくていい。ただ、全力で戦う。
それが……人間らしくいられる唯一の手段だから!
【龍醒】の進化に合わせ、リュウセイの速度のギアが目に見えて向上する。速く、速く、速く――!
リュウセイはトイフェルの攻撃を全て捌ききる。
「……何の真似ダイ?」
「そりゃこっちの台詞だ。……テメェ、何のつもりだよ」
速くなったにも関わらず、リュウセイの刀はトイフェルを傷つけなかった。圧倒的な速度でトイフェルの攻撃に対処するだけだ。こちらを攻撃しようとする気概をまるで感じられない。戦闘中に手を抜かれるなど興醒めもいいところだ。トイフェルはリュウセイを咎めるが、返ってきたのは疑問の言葉だった。
けれども、彼の疑問も理解はできる。一度説明を断っておいて、何故。わざわざ自分に不利になるようなことを言う理由は。剣呑な目つきからリュウセイの心の声を察するトイフェル。ハァ、と一足一刀の間合いを取り、プラプラと空いた手を振った。
「何のつモリも何も……キミがヨソ見スルのが気にくわなかッタだけダヨ」
自分を見なかった、戦闘に集中していなかったリュウセイに対する苛立ち。己の愉しみを阻害する要因を取り払っただけ。トイフェルからすれば、それが全てだった。リュウセイは得心していない様子だが、トイフェルはこれ以上の答えを持っていない。
別に理解は求めていない。こんなの、自己満足以外の何物でもないのだから。
「全力で来てヨ。殺すつもりデネ。じゃナイと、楽しくナイ。キミが全力を出すカラ、ボクも必死になれル。必死に……人間らしク戦えルンダ」
トイフェルは鋭い目付きでリュウセイを睨みながら、ソロモンを正眼に構える。長く緩やかに湾曲したソロモンの刃の先は……純白の鎧を纏ったリュウセイの喉元へと向けられていた。
「考えなくテイイ。全力の戦イが欲シイんダ。心の底カラ楽しめるヨウナ……悦べるヨウナ……魂をぶつけ合わせるヨウナ。自分を証明出来る戦いが欲しイ。
だカラ、【龍醒】について教エタ。キミが戦イに集中していなかっタカラ、気に食わなッタ。理由なんて……それダケなんダヨ」
「……そうか、わぁったよ」
リュウセイは苦い顔をしながら、それでもトイフェルと同じように構えた。十分だ。教えたことへの返礼なら、それがいい。
白き龍と黒き悪魔が向かい合い、刀を構える。
暗天の空。闇に覆われた世界。
遠く遠く、彼方までを包む静寂。
呼吸音。
風の音。
刀が揺れ――
「だ、っらあぁああああぁああ!!!!!」
「ハァアアアアアアアァアァア!!!!!」
雷撃、轟音、咆哮、裂昂、斬撃、閃光――!
夥しいとさえ言える剣戟と魔法の応酬。揺蕩う時間が刹那に凝縮されたかのように濃く、積み重なる戦い。コンマ一秒の時間が数分に感じられる。五感、膂力、魔力……そのどれもがこの世界の最高峰を容易く飛び越し、君臨する者同士の戦闘。空気が嘶き、天が千々に刻まれる。
よく、極まった剣士同士の戦いは舞踊のようだと言われる。示し合わせたかのように刀と人が動き、予め決まった動きをなぞっているかのように見えるからだ。お互いに傷一つつかず、魅せつけるかのように戦うそれを称し、舞踊のようだと人は言う。
しかし、二人の戦いはそうではない。舞踊と呼ぶにはあまりにも荒々しい。
一撃一撃が間違いなく必殺。魅せつけるなどとんでもない。殺意の籠った一太刀に、決められた動きをなぞっているだなどと言えない。舞踊ではなく死合。命を懸けた死合。
それに舞踊と言うにはあまりにも--
「ぐ、ゥ……ッ!」
「七星流・伍の型・戈星・襲!」
――一方的過ぎた。リュウセイがトイフェルに対して。
地力が違う。もっと言うのなら速さが違いすぎる。トイフェルが気づかせたリュウセイの【龍醒】の真価。恐らく、世界で彼だけに許された【龍醒】の重ね掛け。
任意の量の己の魔力と、周囲の大気中に存在する魔力を1:1で混ぜ合わせ、合力するのが【龍醒】。合力させた魔力が多いほど、魔力や膂力が膨れ上がるのが……通常の【龍醒】だ。
しかし、リュウセイの【龍醒】は合力されて膨れ上がった魔力を己の魔力とし、それをさらに大気中の魔力と1:1で合力することができるのだ!
そうして新たに膨れ上がったまた魔力を己の魔力とし、大気中の魔力と――――――!
大気中の魔力が尽きぬ限り、リュウセイの強さに際限は無い。
そして、大気中の魔力は戦闘で放った魔法の還元で供給される。……戦えば戦うほど、【龍醒】に使う魔力は生み出され、リュウセイは強くなっていく。加えて、リュウセイの【龍醒】は速さの伸び率が高い。
トイフェルの悪魔王では……追いつけない。
その事実が確かに存在する中であっても、トイフェルは何とか加速を続けるリュウセイに食らいついていた。命を刈られるギリギリで立ち回っていた。変異として賜った『処理能力』――天賦の才を酷使し、攻撃を予想、先読み、防御を繰り返している。リュウセイの斬撃はその軌跡を捉えるのでやっと。まともに見えもしない。常にゼノを放たれているような心地だ。こちらの攻撃は当たらない。戦えば戦うほど相手は強化されていく。理不尽ここに極まれり。
――それでもトイフェルは、
「アハハハ! アハハハハハ!!!!!!!!」
これまでにない笑みを浮かべていた。
「最高ダ! 最高ダヨ! 本当ニ……人間みたいダ!!」
命を削るようなギリギリの戦い。強敵に相対し、巡らせる思考。そのどれもが人間らしくて、気分が高揚する。苦戦するとか押されているとか、化け物ではありえない体験が自分が人間であることを……強く実感させていた。
「そうかよ……だがな! お前はもう!! 手詰まりなんだよ!!!!」
笑みの絶えないトイフェルとは対象に、リュウセイは終始苦い表情を浮かべていた。そして手詰まりという宣言。ハンマー投げの如く大袈裟に横薙ぎの構えを取り、姿勢を低く、不自然な突撃の構え。
--肆の型・極星か漆の型・臥龍天星が来る。
トイフェルは即座にリュウセイの構えから次の技を見切る。七星流の中で今から来る技は比較的対処が簡単だ。常に相手の方を向き、刀を正中線に構えていればそれで致死攻撃は防げる。来るなら来い。全て受け止めてやる。不敵な笑みを浮かべて、トイフェルは刀を正中に構えた。
リュウセイを覆う鎧が一段と眩い光を放つ。加速。トイフェルの視界からリュウセイの姿が消える。
「七星流・漆の型・臥竜天星!」
叩き込まれる七の斬撃。初撃は防いだ。次は背後--と、トイフェルが振り返るより先に六の裂創が全身に刻まれた。見えない。追えない。分かっていても反応が出来ない。
傷口が刀を走る雷によって焼かれ、蒸発した血液が血霧となって噴き出す。
「ッ、ァア!!」
痛みは壮絶。だが、トイフェルにとって痛みとは付き合いの長い隣人程度の存在だ。苦悶の表情を浮かべても、戦闘を中断することはあり得ない。むしろ感覚は冴えわたり、この状況での最善手を理解する。今、背後には刀を振り切ってこちらに背を向けるリュウセイが居る。これは隙だ。この隙は逃さない。最速最強の一太刀を放ってやる。トイフェルはソロモンに魔力を注ぎ、大気中の塵をかき集め――
「ゼノ!!」
大技を放って背を向けるリュウセイに……神速の居合を放つ!
「……速い、ネ。もウ、ゼノでさえモ追い越したノカ」
「戦闘が長引けば長引くほど、俺は速くなる。今の俺を……お前は捉えられない」
「ハハハ……確かニ。ゼノを捉えられタラ……ボクにはもう為す術は無いネ」
「……これが、お前の望んだ最期かよ」
「悪クは無いカモ。全力で戦っテ人間とシテ死ねるナラ……ボクは幸せダヨ」
ゼノは、受け止められていた。隙があったハズのリュウセイによって真正面から防がれたのだ。純粋な速さ。それの前に、トイフェルは敗れた。以降、どんな抵抗を繰り返してもリュウセイの速さの前に全てが打ち砕かれるだろう。トイフェルはこうなる前に……リュウセイが手の付けられない速さに至る前に決着を着けなければならなかった。
雷熱が身体を蝕み、じわりと滲む汗。腕甲は辛うじて腕に固定されているが、防具としての機能は期待できそうにない。
淀んだ漆黒の瞳。諦観したような薄笑みをリュウセイに向ける。
忌み子として一族から迫害を受けてきた。
父親からは罵声と暴力だけを与えられた。
母親は自分が腹を裂いて産まれた故に死んだ。
自分は悪魔。悪魔族から産まれた本物の悪魔。化物と謗られ、彼らの望む化物になった健気な道化。
それでも……化物は人間に――
「――あぁ、そうかよ」
無感情を装ったリュウセイの声。声が揺れたのは悲哀か、それとも――。
トイフェルは自らに迫る白刃を察知した。刀から迸る殺気が心地いい。大振りの一太刀。瞳を閉じて開けば自分の身体を見下ろすことになるだろう。今の自分の速度ではリュウセイの斬撃を防げない。
あぁでも……やっと……やっと……
「やット隙が出来タネ。リュウセイ☆」
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光の射さない闇の空。頂上の剣士の死合。
迸る雷は止み、不気味な静寂が周囲に降りる。
上空に佇むのは漆黒の悪魔王。全身に裂傷と火傷を負いつつも、泰然とした居住まいを崩さない。左手に掴む長刀ソロモンからは血が滴り落ち、大地に赤い雫を落とす。
雫が地表で弾け、赤い飛沫が大地に背を向ける男に掛かる。眩い純白の鎧を纏ったその男は、腹部の抉られたような傷口から血液を垂れ流し、血溜まりを作っていた。まるで大地と一体化するように重く……横たわる身体。
流れ出る血を止めようともせず、男は大地に沈み込んだまま……虚な瞳で空を見上げていた。