第百三十九話ー白龍と悪魔
場所は移って要塞都市南、上空――。
空中を自在にかつ高速に移動し、切り結ぶ二人の人間がいた。剣戟の甲高い音を打ち消す雷撃の轟音。刀に纏わせた双雷が、空に稲妻の軌跡を残す。何も無い闇の空が、音で光で装飾されていく。
「ふふン♪ そろソロ準備は整ったヨネ、リュウセイ?」
白髪赤目で身長は小人族ほど。自身の背丈よりも大きな長刀を自在に操り、マントと腕甲だけを身に着けるという奇抜な服装で、斬影ゲンスイに刻まれた十字傷を自慢気に晒す……少年。ボンタンに似たズボンで足捌きを隠し、眼前に迫る剣を避け、同時に反撃を行う彼は口角を吊り上げ、目の前の相手に問いかけた。
まるで古くからの知り合いであるかのように、親しげに。
「ハッ! 何言ってんだトイフェル。俺ァ、一合目から……とっくに身体は仕上がってるぜ!!」
返す刀の横腹を切って落とし、後方へ飛んだ藍色の剣道着の男――リュウセイ。緑の鋭い瞳は目の前の少年――トイフェルから視線を逸らさず、背中から生えた龍の翼でゆっくりと空を押し、滞空。
そして右手に刀を構えたまま……全身に魔力を流し始めた。己の肉体をクリスタルに見立てて魔力を流すことで発動する……亜人族のみに許された【能力】。有翼族の【形態変化】。
その有翼族の異端児――リュウセイたち兄弟は翼のみならず、全身の変化を可能にする。全身を髪の色と同じ黄金の魔力が覆い隠し、身体の細胞が一つ一つ変化していく。
ヒトのソレから……龍のソレに。
咆哮と共に吹き飛ぶ魔力……現れた彼は既に変化を終えていた。
臀部から生える強靭な尾。
腕先から頬、胸筋あたりまで覆う黄金の鱗。
縦に切れた翡翠の瞳。
巨大な龍の翼。
これがリュウセイに与えられし変異――龍への【形態変化】。
「ボクが言ってるノハ魔力の方ダヨ!」
「ハッ! そいつもお陰様で準備万端だぜ!!」
続いて、リュウセイの身体を白色の雷が包む。それは大気中に散乱した魔力と混ざり合い、更に莫大な魔力となり……鎧となる。雷と刀をそのまま鎧という形に押し込めたような鋭い形状の鎧。膨れ上がるリュウセイの魔力と、膂力。
龍族固有の……最強の戦闘【能力】、【龍醒】。
己の実力を十全以上にまで覚醒させたリュウセイが、トイフェルに向かって吼える。長く、長く、雷を帯びた咆哮が大気を揺らす。
「全身を包ム【龍醒】。うン……いい感じダ」
常人ならば、この圧倒的な威を直に受けて何も感じないはずがない。竦む。逃げる。震える。それらの生理的かつ本能的な反応が現れるはずだ。
しかし、トイフェルは……この悪魔は違う。
己の在るステージまで駆け上がってきた好敵手を……歓迎した。
口角を吊り上げ、納刀。――リュウセイ同様、魔力を身体に巡らせる。
「帝王様……天使……斬影……こノ姿の――悪魔王のボクを相手に、マトモに戦えタのは彼ら三人だケダ」
大きく膨れあがったトイフェルの肢体。先端が三角の尻尾を揺らし、捻れた螺旋を描く二対の角が後方へ伸びる。背部からは大きく広がる翼……瞳も髪も、全てが黒で統一された。
……かつてリュウセイは、この姿のトイフェルに為す術もなく敗北した。完膚なきまでの大敗。リュウセイのプライドは木っ端微塵に破壊された。たった一振りの斬撃さえ受けきれず、羽虫の如くあしらわれた。
その一振りが今、再びリュウセイに降り掛かろうとしている。
超超高速の居合。剣の軌跡すら残さず、誰の目にも止まらず、『切った』という結果のみを生み出す必殺の抜刀術――ゼノ。
リュウセイは縦に切れた瞳を細め、感覚を最大限まで研ぎ澄ませる。高揚も、屈辱も、憎しみも対抗心も全て棄て去り、剣の世界に没入する。
見えるのは、トイフェルのみ。己に向かい、天を踏みつけながら行軍する悪魔の姿のみ。
感じるのは……手のひらに感じる刀の感触のみ。剥き出しの刃から全身に共鳴する闘志のみ。
間合いを測る。――トイフェルの長刀はまだ届かない。
間合いを測る。――トイフェルの斬撃は見えない。
間合いを測る。――だから……こそっ!!
「七星流・壱の型・一ツ星・落星!!!!」
「ゼノ!!!!!」
トイフェルの長刀――ソロモン。
リュウセイの刀――大龍影光。
二振りの刀は……静寂の中、全くの無音でぶつかり合った。
衝突点は……双方の剣先およそ数センチ。刀の威力が最も乗る間合い。
それを見て、リュウセイとトイフェルが笑みを浮かべた瞬間――!
轟音と衝撃が、暗天を襲った。
遅れてやってきた……切り裂かれた空気の、悲鳴のような破裂音。同時に吹き荒れる衝撃の嵐。闇の空に浮かぶ雲は全て吹き飛び、空には一対の白と黒のみが残された。
「ハッ! だったらコレで俺が……四人目だな」
「最ッ高ダヨ、リュウセイ! こんなにワクワクするノハ初めテダ!!」
続けてトイフェルは刀を振るい、リュウセイは確とそれを受け止める。幾度も振るわれる刀は、どれもこれもリュウセイの剣戟に阻まれる。
全力の斬撃が……届かない。
己の力を存分に振るうことができる。
歓喜に震える悪魔に対し、白龍は咆哮と共に攻勢に躍り出る――!
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「七星流・参の型・明星!」
「サンクトゥス! ハスタァ!」
「七星流・護りの型・其の肆・天海星!
続けて伍の型! 戈星!」
変異とは、言うなれば突然変異である。
闇属性然り、【能力】然り、膨大な魔力然り……生まれながらに何がしかのパラメーターが常人では持ち得ないモノになっている者のことを――変異と呼ぶのだ。
「ハハッ、ソノ技貰うヨ……ホコボシ!」
「っ、テメェッ!」
トイフェルの変異は……理解力。
悪魔王に形態変化することも変異と呼べるには呼べるのだが……所詮それは副産物に過ぎない。
生まれ落ちた瞬間、言語を理解した。
魔力を感じた瞬間、使い方を理解した。
刀を手に取った瞬間、彼の腕前は達人の域に達した。
冗談でも何でもない……トイフェルが実際に理解してきたこと。この常軌を逸した理解力こそ、トイフェルの変異。
もはや彼の理解力は反射に近い。
見て、思考し、理解し、考え、行動するという人間の行動ルーチンを……トイフェルは覆す。
見て、次の瞬間にはもう動く。
最適解を、最短で。深すぎる理解力を以って思考時間を消し去る。
これが戦闘においてどれだけの脅威か。分かるだろうか。
反射ではないが、限りなく反射に近い速度で常に行動し続けられるトイフェルは……出だしが速い。動き出すタイミングがワンテンポ速いのだ。それはコンマ一秒単位の僅かな差かもしれない。
が、その僅かな差が戦闘でどれだけ有利に働くのか……言うまでもあるまい。加えてトイフェル自身、速さに偏った戦いを好むのだ。彼と相対した者は、数人の例外を除いて反撃する間も無く切り刻まれてしまう。
理解という概念が介在する分野において……他の全ての追随を許さず、頂点に立つトイフェル。
理解力の化物。天才という言葉では留まらない悪魔。
埒外の麒麟児――“神童”トイフェル。
「人の技……奪ってんじゃねぇよ!」
「アハー☆ ゴメンネー。打チやすかったカラ、ツイ☆」
「ハッ! ……だったらこれはどうだよ!
七星流・弐の型・双星・巴!」
白雷でできた刀が二本。片方は手に。片方は空に。大龍影光と合わせて計三本の刀を自在に操り、リュウセイは一気呵成に攻め立てんとするが、
「そうダネー。ボクなら……こうするカナ♪」
無邪気な残虐性を剥き出しにした巨漢の悪魔の周囲に雷の刀が浮かんだ。長刀ソロモンと全く同じ形状の刀。刃先をリュウセイに向け、泰然と漂う刀――その数、八百本!
「ソウセイ・トモエ……いや、ソウセイ・ヤォ、っテところカナ☆」
八百もの刀が全て別軌道を描き、リュウセイに襲いかかる。一本一本がまるで意思を有しているかのように巧みに。リュウセイからすれば、姿の見えないトイフェル八百人を相手取るような気分である。
「ハッ! 上等ォ……ッ!」
リュウセイの鎧が純白の燐光を放つ。眼前に迫る八百の太刀を前に、たった三本の刀しか持たないリュウセイは--
「双星・巴に重ねることの――七星流・護りの型・其の漆・雲心月星!」
――その全てを、切り伏せた。
「ゥ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ! やっぱりキミは最高ダヨ!」
手数には手数とばかりに、リュウセイは雲心月星で応戦した。攻撃は最大の防御――その言葉を体現した漆の型は、斬撃による防壁。迫る八百の太刀に、千を超える斬撃を浴びせたのだ。
「そしてナルほど……キミの変異は――【龍醒】はソンナ風に働くんだね! フェルム!」
「あぁ? 何の話だッ、よ!!」
「キミの話ダヨ、リュウセイ!」
長刀と小太刀。足すことの太刀が空に一本。リュウセイの双星・巴と酷似した状態となったトイフェルは、回転ゴマのように動きながら攻め立てる。
「ボクのコノ形態の【能力】、【魔眼・イヴリス】は理解力のオマケといウカ……本来の悪魔に与えられた、言うなれば種族固有のモノだ。デモ、キミは違ウ。有翼族という種とは……明らかに別種。
だからコソの……白の魔力なんダ!」
「……白の魔力、だぁ!?」
「ソ☆ ソノ魔力を手にするには過度に魔力を混ぜルカ……変異の【能力】しかナイ。
普通の【龍醒】じゃナイ……キミという固体だけに許された【龍醒】だからコソ、魔力が白ク染まっタんダヨ!」
「話が見えねぇな! 魔力なんざ白かろうが黒かろうがどうでもいいだろ!!」
「ハハハッ! 確か二そうダネ! 重要なのハ、キミの【龍醒】は通常の【龍醒】トハ一線を隠すモノだということサ!」
甲高い金属音。刀と刀の打ちあう音が鳴る。激しく、苛烈に、轟き響く。切れ間ない音の連撃を切り裂いて、トイフェルの言葉がリュウセイに届く。
「キミの【龍醒】は――!」
「――速さに特化してる、だろッ!
んなこたぁ……言われなくても分かってるっての!!!」
長く響く金属音。リュウセイが上段から振り下ろした刀をトイフェルが真っ向から受け止めた。
鍔迫り合い。
刀の表面を走る雷がスパークを起こし、リュウセイはトイフェルと一体となって、地面に向かって急降下していく。
「なんダ、気付いてタノカイ?」
「俺のことだ。俺が理解してねぇワケねーだろ!」
「厳密には特化デハ無いけレド……マ、その通りダヨ。【龍醒】を発動させたコトで上がるキミの身体能力の伸びの中デ、速さダケが著シイ。
何てっタッテ、このボクの反射行動に追いつイテいるんだカラ!」
トイフェルの埒外の理解力によって成される反射行動に等しい行動スピード。
リュウセイはそのスピードに追いつき、切り結んでいるのだ。
尋常ではない。何故なら、行動起点はトイフェルより遅いのだ。リュウセイはトイフェルの行動を見てから、後出しで行動している。
それで、間に合っている。
後出しからでも、思考してからでも、リュウセイの刀は届く。届くだけの……速さを得た。
これがリュウセイの変異--彼だけに与えられた【龍醒】!
「デモ……膂力はボクの方ガ上ダ!」
「クッ、ソが!」
トイフェルは魔力の刀を捨て、両手で握ったソロモンでリュウセイを吹き飛ばす。そして瞬時に空を蹴り、追撃に向かう。
「――キミはボクのゼノを防いダ。間合いを測リ、ゼノの間合いに入っタと同時に刀を振るうコトによっテ。
キミはボクの理解力にヨル反射行動に追イついてクル。キミ自身の変異によっテ。
ナラーー!」
襲いかかってくる悪魔に、リュウセイは咆哮で応える。雷を撒き散らしながら、目にも留まらぬ音速の斬り合いを演じ始める。
唐竹、横薙、袈裟、捌き、躱し、反撃、連撃、蹴りをもらい、頭突きを脳天に、
「オラァ!」
「――まだマダッ!」
乱撃、乱撃、乱撃、乱撃乱撃乱撃、肆の型・極星、空を蹴りつけ踏ん張り、漆の型・臥龍天星、
「クィントゥス!」
「……っんの、馬鹿力がッ!」
弾かれ、防御、首を傾け、刀身を打ち、雷撃、半月軌道で背後へ、切り上げ、防がれ、横一文字に大龍影光を構えて――、
その瞬間、リュウセイの龍の瞳は異変を捉える。
斜め上段に構えられた長刀ソロモンの刀身が黄色の魔力光を放っていることに。雷の具現化ではない。雷なら、柄まで光が覆うはず。ならばこれは、【能力】の発現。
極小の塵、大気に散乱している芥がソロモンに集い、一気に収束――!
「――ゼノ」
気がつけば、ソロモンは振り抜かれていた。
上段に構えられたソロモンは下段に存在し、リュウセイは大龍影光を上段に構えたまま、固まっている。
ばきん。
破砕音。リュウセイの【龍醒】の鎧の右頭部が砕ける。露わになったリュウセイの額。剥き出しとなった彼の額には……赤い切れ込みが入っていた。
が、リュウセイは刹那の時間も怯まない。
「うらァアッ!!!」
痺れる腕を無理矢理動かし、一歩踏み込んでトイフェルの頭部を狙い打つ。その軌道は先ほどのゼノと同じで、トイフェルの頭部を目掛けて進む。
トイフェルは半瞬、反応が遅れた。
彼らしからぬ遅れ。否、常時の彼ではありえない遅れ。リュウセイの放つ斬撃が視界にはいっていないかのような呆然とした態様。
が、トイフェルは神懸かった反応速度で遅れを取り戻し、ソロモンを振り上げて刀を弾く。
トイフェルはそのまま追撃――するかと思われたが、大きく後退。油断ならぬ瞳でリュウセイを見つめた。
「ハッ! どうしたトイフェル。その程度の擦り傷で、まさかビビッた訳じゃねぇよな?」
「それコソ、まさかダヨ。こンナ傷じゃア、ボクは怯まナイし、止まらナイ」
ぷつり。
トイフェルの額に赤い切れ込みが刻まれ、血が滴る。くしくも、その傷跡はリュウセイの額のものと対称になっていた。
笑みの消えた顔で額の傷跡を手でなぞったトイフェルに、ハッ! という耳に馴染みつつある口癖が浴びせられる。
「初見でノーモーションのゼノを防がれたことが、そんなに不思議か?」
トイフェルとは逆に、不敵な笑みを浮かべたリュウセイが挑発するようにトイフェルに問いかけた。
ノーモーションのゼノ。
ソロモンの【バキューム】により、大気中の塵芥を収縮させ、鞘を形作り、斬り合いの最中からでも神速の居合――ゼノを放つ、トイフェルとソロモンのみに許された絶技。相手がゼノを知覚した時にはもう遅い。既に刀は敵の体を素通りした後だ。ゲンスイでさえ、このゼノは防げなかった。真正面で斬り刻む中での、不意打ちの居合。どのような体勢からも放てるこのゼノを見切るのは至難の技だ。
まだリュウセイには見せていない技。この技を初見で見切ることは、トイフェルを半瞬でも自失させるに十分な――
「……イヤ、違ウ。ソコじゃナイ」
リュウセイはゼノという神速の居合を防いだのだ。
ゼノを放った……その後から!!
弾くだけだったかもしれない。防ぎきれていなかったかもしれない。だが、既に発生した神速のゼノに、その結果をもたらすには……。
トイフェルは理解する。理解力の化け物は理解する。尋常を超えた感覚を持ってしても見えなかった一瞬の交錯を理解する。同じ結果をたどった己の額と、ソロモンから伝わった感触で、理解する。
――速イ。ゼノと同速か、それヨリも。
「ふ、フフ、フフフフフ、アは、アハハ、アハハハはハハハハハハハハハハハハハハはハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
悪魔は再び歓喜に包まれる。知覚できなかった斬撃に。己と対等に戦うことができる存在に。死力を振り絞り、知恵を絞って、勝利を願うことができる相手の存在に!
「やっぱりキミは最高ダ! もっとモット!
ボクを『人間』ダト思わせテヨ!!!」
トイフェルの体なら魔力が迸る。黒く昏く泰然する巨躯にして、狂気に歪む口元。口から出る言葉とは裏腹に、トイフェルは怪物じみた異様を漲らせる。
「ハッ!」
変異である悪魔王の威を正面から受け、リュウセイは淡々と、壊された【龍醒】の鎧を修復する。
目の前にいるのは、師匠であるゲンスイを殺した仇敵。
同時に、救いを求め続ける哀れな子供。
憎しみと救心の折り合いは既につけてある。今のリュウセイに迷いは無く、大気に散らばる魔力がその想いに呼応するように弾けて輝く。
「上等だ。かかってこい悪魔。
――全力のテメェを……切り捨ててやっからよォ!!」
要塞都市の南、上空。
雲は全て切り飛ばされ、闇に染まった空に白龍と悪魔が二人。
剣戟と同時に空を走る雷。
条理を外れたその雷光は、際限なく空を迸った。