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CAIL~英雄の歩んだ軌跡~  作者: こしあん
第五章〜ノゾムセカイ〜
140/157

第百三十六話ー死を超えて

 





 シュウの身体は動くことを放棄していた。マリアと契約を交わし、彼女の守護天使となって隔絶した強さを得たシュウ。

この世界に生きる人間の保有魔力の総和を超える程の魔力量。どんな生物よりも優れた知覚。数多の戦闘を経て、人類最高峰の戦闘術を身につけた経験。

それら全てが現在自らが置かれている状況を正しく認識しているのに、肉体だけが金縛りにあって……動かない。


 首に掛かった白く細い手。


 宙吊りにされ、万力のように締め上げられ、気管が完全に閉塞しても……シュウの身体はピクリとも動こうとしない。


 最愛の妹の手を……振り払えない。


 妹は――マリンは、明らかに瀕死で満身創痍。魔力など一雫たりとも残っておらず、彼女の命の灯火は一吹きするだけであっさりと消えるだろう。

だが、一吹きで消えようとも命の炎は確かに灯っている。

ジャンヌに操られている、けれど、死体ではない。疑念が頭の中で渦巻き、幻術か何かではないのかと思う。

それでも、シュウの並外れた知覚はこれを現実だとし、マリンの命の拍動を確かに伝える。

動揺し、シュウは動けない。守護天使は緩やかに死に包み込まれて――、



「とぁーーーーーーっ!!!!!」



 ――死が、蹴り払われた。

未熟な両足を束ね、幼き裂帛の声と共に……マリアがシュウの脇腹を蹴り飛ばしたのだ。力無いマリアでも全体重を乗せた攻撃なら、宙吊りになったシュウを押し倒すことくらいはできる。

マリアの勢いを支えられなくなったマリンの拘束が緩み、シュウは背面から地面に激突した。



「ぃっ、つ」


「痛くない! その程度の衝撃で主の身体に傷が付くワケなかろう! 寧ろ儂の方が痛いわ! 主を蹴った足が痛むし! 着地に失敗して踝を捻った! 儂を助けよ! 妹御から距離を取れ!」



 ゆらり。光彩の消えた闇の瞳がシュウとマリアを捉える。ゾンビのように足を引き摺らせ、マリンは再びシュウを目指す。

だが、二度目は無い。

シュウは反射的にマリアの言葉に従い、彼女を抱えて部屋の端にまで移動した。



「よし、下ろすが良いぞ、シュウ」


「足は大丈夫なの?」


「嘘に決まっておろうが戯け。そうでも言わんと、主が動きそうに無かったから言ったまで――じゃ!?」



 礫片に足を取られて転け、マリアは額を打ち付ける。両手をついて立ち上がり、忌々しき礫片を蹴飛ばして、マリアは腰に手を当て胸を張る。



「儂があの程度で負傷するワケ無かろう!」


「――そうだね」



 シュウは少量の血が流れたマリアの額をハンカチでそっと拭ってやり、彼女の言を肯定した。



「くくくくくっ! 必死じゃのう!! 守護天使シュウ=マリア!!!」



 ひとまずの危機を脱した二人の耳に魔女の哄笑が届く。漆黒のドレスを翻し、暗黒の扇を優雅に扇ぐ黒衣の魔女は、その口を三日月の形に歪めていた。



「どうした守護天使? 殺せばいいではないか。醜くこの世にしがみつく命を蹴落とす。たったそれだけの簡単な作業じゃ。


 たったそれだけで、駒を失った妾は瞬く間に殺され、決着が着くじゃろう。じゃと言うのに何故、躊躇う必要があるのじゃ?」


「ジャンヌ・ド・サンス――!!!」



 絶対にマリンを殺せないことを理解(わか)っているジャンヌが、シュウを嗤う。

この世の何よりも優先される大切な家族を弄ばれたシュウは光の速度で激昂。マリンを飛び越え、ジャンヌの首に剣を――、



「妾が死ねば、駒も死ぬぞ」


「っ!」



 当てずに、無理やり軌道を捻じ曲げた。つけ過ぎた勢いは殺すこと叶わず、シュウは玉座の間の壁に着地、粉砕。何とかその場に留まったが……視界に映ったのは、マリアに迫る――ジャンヌの闇。



「舐めるなぁっ!!」



 シュウの魔力は世界中の大気を支配下に置く。例えどれほど距離が有ったとして、ジャンヌの攻撃程度防ぐことは容易い。視えているのなら尚更。

吹き荒ぶ風がジャンヌの闇を消し飛ばし、シュウはマリアの傍に舞い戻る。


 ジャンヌは、そんなシュウの姿を嘲嗤う。



「くくくくくくくっ! 無様、焦燥、動揺……。貴様のそのような姿を見れただけでも、母様にちょっかいを掛けた価値があるというものじゃ」



 ジャンヌはマリアを殺す気などなかった。殺そうとしたところで、シュウが必ずマリアを守る。先の攻撃の目的は……必死になって動き回る天使を嗤うこと。



「母様を殺すのは……貴様を殺してからじゃ。守護天使シュウ=マリア」



 冷たく、凍てついた瞳でシュウを見つめ、ジャンヌは閉じた扇を天使へと向ける。シュウは唇を固く結んで、白色の瞳で彼女を睨み返していた。



「――貴様の疑問に一つ、答えてやろう守護天使。【魂】の闇属性の使い手である妾が何故、貴様の妹を生きたまま操れているのか。その疑問にのう」



 シュウはマリンの方へと視線を移す。背中から生えるのは片翼の樹木の翼。火傷跡や生傷が痛々しい妹の姿を、見る。



「妾はのう、考えたのじゃ。貴様を殺すにはどうすれば良いか。

貴様は母様と行動を共にしておる。その気になれば上位天使へと位階を上げることも可能じゃ――実際はもっと笑えぬ存在になったが。とにかく、戦闘力ではどう足掻いても貴様には勝てぬ。


 じゃから、貴様の家族を使う(・・)ことを考えた」



 ピクリ。ジャンヌの言葉にシュウの眦が反応する。その様を薄ら笑みで受け止めたジャンヌは話を続けた。



「親はどうか。あやつの親の魂は十一年前に回収してある。生き返った親を相手にすれば……あの天使は動揺するのではないか。親を殺すことができぬのではないか。


 答は否。


 円環の理――輪廻を解する天使なら動揺はあれども終には殺すじゃろう。親どもは役に立たぬ、との考えに妾は至った」



 ジャンヌの放つ言葉の端々がシュウの怒りの琴線を揺さぶる。その度にマリアが手を引き、シュウを留めていた。



「じゃから、妾は生きておる貴様の家族を使う・・ことに思い至った。

そのための道具は……帝国軍第三部隊長ヴァジュラ・ル・ドゥーガ」


「っ」


「まさか……っ」



 ジャンヌの言葉に、シュウとマリアが同時に息を呑む。ジャンヌの執った作戦に、気が付いたからだ。彼女の作戦の悍ましさ、非道さに脳天まで瞬時に沸騰したマリアが、吠える。



「ジャンヌ貴様! 己が仲間の魂を……!」


「ああ、壊した・・・とも。あのようなモノ、元々無いも同じじゃ。所詮、神の断片が流れ込み、偶発的に発生しただけの存在じゃ。ならば、妾が利用するのに何の問題がある?」



 【魂】の闇属性ジャンヌ・ド・サンス。彼女の闇が司るのは魂。ジャンヌのできることは多岐に渡る。生命の魂を死体に入れて蘇生する、己の魂を別の器に移して生き永らえる、魂合成を行ってより強力な存在を生み出す、そして……



「ヴァジュラの魂を壊し、改造。妾の魂を混ぜ込み、魂を遠隔で操れるようにした。断片とは言え、アレは変異パンドラ。ならば、相手をするのもまた変異パンドラ――つまり、貴様の大事な家族となるのは明白。


 容易かったぞ。戦闘で魔力を使い果たし……剥き出しになった魂魄を乗っ取るのはな!」



 

 本来、ジャンヌは生きた人間の魂を操ることはできない。なぜなら、魂の内奥――記憶や人格などが集積する魂魄と呼ばれる部分は本人の魔力に覆われているからだ。ジャンヌと対象にどれほどの魔力差があろうと関係がない。水と油のように、ジャンヌの闇魔法は弾かれる。

だから、待った。


 ヴァジュラと戦うマリンの魔力が空になるのを。彼女の魂魄が剥き出しになるのを。

 マリンを支配する……その時を。


 これまでの戦闘は――ジャンヌ自身の戦闘も含めて、全て時間稼ぎ。マリンを乗っ取り、この場に引きずり出すための。



「そして……妾の幽体離脱と同時に、この娘の魂が対消滅するよう術式を組むためのな」



 ジャンヌが死ねば、マリンも死ぬ。否、死ぬどころではない。消滅するのだ。魂の消滅……存在のデリート。ジャンヌの闇をもってしても復活することのない――完全なる抹消。たとえマリアがジャンヌの変異パンドラを操ったとしても、消滅した魂の再生は叶わない。



「何をそれほどまでに憤るのじゃ母様。妾が魂を弄ぶのが気に食わぬか? 卑劣な手段を取ったことが不愉快か?」


 

 マリアはその幼い顔を憤怒に歪めていた。今にも感情のままに飛び出していきそうなシュウを手で制しつつも、マリアは怒りの感情を抑えることができない。


 だが、



「違う……これは、これはただの、自己嫌悪じゃ」



 ジャンヌに問われたマリアは一瞬にして表情を戻し、視線を脇に逸らす。白色の長髪がマリアの横顔を覆い、隙間から覗く超常の瞳が、微かに揺れていた。



「…………ふん、くだらぬ。正論過ぎて嗤う気も失せたわ。他者に全ての原因を押し付けた、あの頃の母様はどこへ行ったのやら」



 興醒め。無様に踊る純白の二人を愉しんでいたジャンヌの表情は、その感情に塗り潰された。



「もうこの辺りで良いじゃろう。長々と引き伸ばした終幕(フィナーレ)を……終わらせようではないか」



 ジャンヌは手の内の閉じた扇に魔力を注ぐ。クリスタルも魔力鉱石も無い、不気味な闇の魔具。黒一辺倒、暗黒に染まる扇がジャンヌの魔力に応え、闇を放つ。


 滲み出す闇。亡霊のように揺らめく闇は生者を――マリンを求めて空を泳ぐ。マリンの肩を抱くように、闇が彼女を包み……取り憑く。


 シュウはその様子を、ただ見ていることしかできない。マリンを傷つけることはできない。ほんの少しの攻撃が、命を消し去ってしまうかもしれないのだ。かといって、ジャンヌを殺すこともできない。そんなことをすれば、マリンは死ぬよりも酷い目に遭ってしまう。

力を得たのに。この世で誰よりも強くなったのに……妹一人救えない。

自分がもっと早く両親との別れを済ませていれば。ジャンヌの動向に気を配っていれば。あの時ヴァジュラを殺しておけば。

己を殺してしまわんほどの殺意。今やドラゴンの鱗よりも硬いシュウの皮膚。その皮膚を易々と貫通して……握り締めた拳から血が滴り落ちる。



「命令はたった一つ……この命令で全て終わりじゃ。貴様も、母様も」



 闇が、マリンの皮膚から体内に浸透していく。マリンの身体に刻まれた闇の刻印が光を放ち、浸食領域を広げた。四肢の先に食らいついていた闇が……心臓を目掛け、蠢めく。血に濡れた海色の髪からも……毛先から闇が這いずる。


 彼女の魂が、闇に染まる。


 その色は……ジャンヌの瞳と同じ色。黒く(くら)く、絶望と憎しみを讃えた暗黒の色。見ているだけで、見られているだけで神経を刺激する揺るぎない憎悪。

ジャンヌは、その憎悪の視線をシュウに定める。

美しく、気高い、純然たる憎しみ。魅入られてしまうほどの強い想念。



 その想念を、憎悪を口に含んで。


 彼女の言霊が……世界に響く。









「〝コ ロ セ〟」



 マリンの身体を犯す闇が光を放つ。ジャンヌの命令に呼応し、魂を蝕み、肉体を動かす。そうしてマリンは……緩慢とした動作で動き始めた。





 一歩。マリンはシュウに近づく。


 一歩。終わりの足音が不気味に残響した。


 一歩。身体が揺れ、闇色の髪が揺れる。


 一歩。歩幅が小さくなり、足元の礫片を蹴る。


 一歩。大きくなった歩幅。軸が傾き、身体が傾く。



「マリン……ッ」



 シュウは悲痛な声を上げる。マリンは満身創痍で、まともに歩くこともできないでいる。それが意味するのは、マリンの身体の限界。一歩一歩壊れていく妹の姿を直視させられ、シュウの拳から流れる血が量を増した。



 一歩。マリンは右手を前に突き出す。シュウとの距離は、まだ遠い。



「……? 何を」



 するつもりなのじゃ、魔力も無い身体で。首を絞める以外に殺す手段を持たないそんな身体で。とマリアが声を出すその前に。



「――んの身体に……手ぇ、出してんじゃないわよ」



 勝気で姉御肌な妹の声が、怒りを伴って世界に戻る。

右手から大地の魔力を放つ彼女はそのまま、周囲の驚愕を無視して自らの胸に魔力を押し込んだ。




-----------------------




 ――ずっと、眠りについているような気分だった。


 心地の良いこの眠りが醒めることは無くて、気が付けばあたしは消えて、あの子と一緒になるんだと思っていた。……でも、あの子はあたしを残した。

それはあたしを、悲しいような嬉しいような変な気持ちにさせた。一緒になれない悲しさと、前を向いて立ち上がってくれた嬉しさ。こんな感情持ったことなくて、あの子と共有できない感情なんだと悟った。


 あたしとあの子は一心同体。


 それは正しくて疑いようもないことだったけれど。今となっては正しくない。


 いつも一緒にいて、同じ考え、同じ感覚を持っていたのに……今は違う。違う感情を持っている。


 だから……今あたしが持ってる怒りも……あの子はきっと、持つことはない。あたしの相棒の身体を乗っ取られた怒りは……魂の全てが怒り狂うこの感覚は、あの子にも理解はできない--理解できないからこそ、できることもある。

魂以外の全部を失ってしまったあたしだけれど。待ってて。



マリン(・・・)の身体に……手ぇ出してんじゃないわよ」



 あたしたちを縛る因縁に、ケジメをつけるから――!




-----------------------






 彼女の魔力が身体に染み入っていくにつれ、相貌が変化していく。全身に這いずる闇が押し戻され、黒一色だった髪と瞳が色彩を取り戻す。髪の毛は頭頂部から毛先にかけて亜麻栗のような自然味ある色になり、瞳は翡翠のような澄んだ緑に。


 シュウの最愛の妹の姿になっていく。



「――フィーナ?」



 シュウが口にしたのは、二人いる妹の茶髪の片割れの名。優しい亜麻栗のような髪が美しい、マリンと瓜二つ……否、髪の色以外は同一の妹の名前だ。


 だがしかし、彼女はヴァジュラとの戦いで命を落とした。いくらフィーナの髪の色をしているとは言え、そんなものは【不完全な万能(シェアオール)】でどうにでもなる。この現状は、マリンが地属性の魔力を使っていると見るのが自然な考えである。


 だからシュウも、言い淀んだ。


 彼の感覚は、間違いなく目の前のマリンがフィーナだと叫んでいるのに。



「馬鹿な――!! 一度魂を支配された者が自力で妾の闇を振り払うなど!! あり得ぬ!! 魂の支配は絶対じゃ!!! 貴様の魂魄は!! 完全に支配したはずじゃ!!!」



 冷静さの仮面を脱ぎ捨て、ジャンヌが大きく動揺して声を荒げる。この場の誰もが困惑に包まれる中、闇を身体から追い払っている彼女がチラリとシュウを見て、ほんの少し口元を緩めた。



「呆れた……。十一年も経ったのにシスコンは健在なのね。見た目はなんか凄いことになってる癖に。どうせだったらシスコンとブラコンも変えておきなさいよね、全く」


「っ、やっぱり……君は……っ!」


「ええ、そうよ。あたしは……マリンじゃない。

マリンの魂の中にいた――あの子の半身。正真正銘本物のあんたの妹、フィーナよ」



 彼女は――フィーナは死んだ。ヴァジュラとの戦いでカイルを庇い、腹を貫かれて。

だが、その魂はマリンに吸収された。【不完全な万能シェアオール】という、マリンとフィーナによって二分されていた変異パンドラが、片割れを呑み込む形で。本来ならば、フィーナの魂はマリンの魂に吸収されて同化するはずだった。



「そうならなかったのは……あの子の我儘。あたしとマリンは一心同体だけれど、一人でいいってことじゃない。二人で一人・・・・・なの。二人合わせて……〝睡蓮〟だったのよ。だからマリンは……あたしと同化することを拒んだ」



 マリンはフィーナと一つになってしまうことを拒んだ。欠けたままの、不完全を望んだのだ。

一つの魂に二つの魂魄。歪ながらも、その関係は成立した。彼女たちだからこそ、成立した。

同じ魂を持ち、同じ思考を持ち、血と魂をも超えた絆を持つ、彼女たちだからこそ。



「だからあたしは、闇の支配を拒めた。あたしの魔力で、内側から……あんたの魂の傀儡を、ヴァジュラを! 追い払うことができたのよっ!」



 フィーナの叫びと共に一際大きく体が魔力光を放ち、マリンの身体を蝕んでいた闇が全て追い出される。空中に投げ出された闇は蠢き、一つの形を為した。



「ヴ……グァ…………ぉ……………………」



 足の無い人型。漆黒の闇という不定形な構成物ゆえに顔の判別は難しいが、巨人族ジャイアントが如き体躯と老獪な声はヴァジュラそのもの。なにより、己を殺した相手を、フィーナが間違うはずもない。

ジャンヌによって魂を破壊され、操られるだけの傀儡と化したヴァジュラが、そこにいた。

自我を失い、無為の存在となったヴァジュラにフィーナは止めを刺そうとするも……彼女はよろけて膝を着いてしまう。

彼女の魔力は既に雀の涙ほどしかない。本体であるマリンの魔力はもう無いのだ。フィーナは自身の魂魄にこびりついた僅かの魔力を使って、マリンの魂からヴァジュラを引き離すだけで精一杯だった。


 眩暈と動悸。身体の異常が魔力不足を訴える。



「僕の風を貸そう、僕の愛する妹のフィーナ。君は君のやりたいことをすればいい」



 悔し気に歯を食いしばるフィーナを見て、シュウは己の魔力を大気に解き放つ。淀みない白。澄み切ったその色は五大属性のどの色にも当てはまらない。ジャンヌの憎悪の闇と対極の位置にある――愛情に溢れた白い魔力は風となり、フィーナの身体を包んだ。



「その風は、君の意思に反応して動く。君の思考を読み取って、望むままに動く風だ」


「……シスコンな上に、過保護も治ってないのね。寧ろ悪化してるじゃない。でも……助かるわ。


 ――――――ありがと」



 照れた顔を急いで戻し、フィーナはヴァジュラに向き直る。背後で吐血する音が聞こえたが無視。

みっともなくこの世界に居座る亡霊に、手を向けた。



「それはあたしも一緒か……。消えなさい」



 フィーナの一声と共に、ヴァジュラは消滅する。フィーナの思考を汲み取った白風が……闇でできた亡霊を消し去ったのだ。


 レニングによって生み出された人造人間。

神によって意思を与えられた怪物は……マリンとフィーナ、二人の手によって完全なる消滅を迎えた。

静かな風が玉座の間に空いた穴から流れ込んできて、戦闘の余韻を吹き流す。


 風に髪をなびかせ、役目を終えたフィーナは……



「っ、フィーナ!」



 ゆっくりと後ろに倒れた。地面に叩きつけられる前にシュウは素早く背後に潜り込み、衝撃を吸収して彼女を横抱きに抱える。愛しの妹の顔を不安気に覗き込むシュウ。フィーナの表情は疲労の色が強く、瞳がいつもの半分も開いていなかった。

気怠げで、今にも眠ってしまいそうなフィーナは……それでも力無く、声を上げた。



「……魂の支配は解けた。多分、もうすぐマリンが起きるわ。あたしも……二度とでてくることはない」


「っ」



 終わりを迎える少女の末期の言葉。己の最期を的確に認識している彼女の達観した表情に、シュウは言葉を詰まらせた。



「僕の愛する妹のフィーナ。ごめん。僕は君を――」


「いいの。もう、いいの。別にあんたを恨んじゃいないわ」



 フィーナは静かに首を振る。その言葉は、先ほどの両親の会話を思い起こさせて、シュウの胸を締め付けた。


 フィーナの髪の色が、深い海色に変わり--否、戻り始める。瞳も……徐々に閉じられていく。



「でも……そうね。一つ、お願いがあるの……」


「……なんだい」


「皆のこと、お願いね。……あたしの、大好き……な、お兄………………ちゃん」



 フィーナの瞳が完全に閉じられる。シュウの目には、ぷっくりとしたマリンの瞼しか映らない。シュウは言葉を失ったマリンの身体をそっと抱き寄せる。深い海の色をした髪に顔を埋め、眠ってしまった妹の耳元で静かに……囁く。



「――うん。任された」



 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「これで手詰まりだよ、ジャンヌ」



 シュウはマリンを静かに降ろし、ジャンヌに鋭い眼光を向ける。その視線の先にいる――自らの持つ全ての駒を失ったジャンヌは闇の椅子に座したまま、漆黒の扇を広げて口元を隠す。



「……そうじゃのう。妾は全ての駒を失った。操れる死体も、乗り移るための死体もない。妾は貴様に殺され、先の者どもと同様に粉微塵にされるのじゃろう」



 確定的に訪れる未来を口にするジャンヌは、あくまで冷静だった。扇のせいで表情が読み難いが、シュウが目にしたジャンヌの中で、一番穏やかな表情をしているようにも見える。



「じゃが、戦争は止まぬ。死者たちは何一つ変わることなく蠢き、帝王様は止まらぬ。今更妾が死んだところで……“終焉”という結末が変わるワケでもない。貴様を始末できなんだのは心残りではあるが……たとえ守護天使の貴様であろうと、帝王様には勝てん。【破壊】の化身である帝王様は貴様をも破壊し、世界を壊す。


 貴様らの抗いは……全てが徒労に終わるのじゃ」



 勝ち誇るように、扇の奥でジャンヌは笑う。自らの君主の勝利を、疑わない。



「確かに、僕では帝王に負けもしないけれど勝てもしないだろう。【破壊】の鎧のせいで攻撃することができないからね。

でも、僕たちには僕の愛する弟のカイルがいる。彼がきっと、この世界を救ってくれるよ」


「カイル……あぁ、不死鳥の小僧か。無駄じゃ。【破壊】を貫く【再生】を有していようと、あの小僧では帝王さまには勝てぬ。理由は……貴様も知っておろう?」


「……君がそう言い張る根拠も分かる。けれど、カイルは負けないよ」



 シュウが強気なことを言っていると、マリアがシュウの横を抜け、一歩彼の前に出た。

これ以上、お互いの味方自慢を続けても意味がないことを察したシュウは、相棒のために口を噤む。

足音を反響させ、滑らかな白髪を揺らして……マリアはジャンヌと向き合う。



「……母様」


「ジャンヌ……貴様は、死が怖いか?」



 円環の螺旋を閉じ込めた不可思議な瞳にジャンヌが映る。マリアから見たジャンヌは、扇により顔の半分以上が隠れてしまっている。が、それでも黒衣の魔女の瞳が微動だにすることが無かったのは、悟った。



「あの地獄に比べれば、死のなんと甘美なることか。何も感じず、苦しみの無い闇に堕ちることができるのじゃ。

何を恐れることがある? それは母様が一番良く分かっているはずじゃが?」



 胡乱気な視線がジャンヌからマリアへと向けられる。何故、そのような分かりきった質問をするのか、というような視線。

マリアはジャンヌの答えを聞いて……やはり、と小さくため息を零す。



「そうじゃの。(ぬし)の心情は儂が一番理解しておる。一度は感じた感情じゃ。今更、語るまでもない。今の質問はただの確認……ジャンヌ、(ぬし)らが今でもあの時の儂の想いを持っているのか、というな。

結果、(ぬし)らは持っておった。寸分違わず……産まれた瞬間のままじゃった。


 じゃからこそ、儂は(ぬし)らに謝らねばならぬ」



 要領を得ないマリアの言葉に、ジャンヌが困惑したような顔をする。一体何が言いたいのか、何に対しての謝罪なのか……揺らぎながらも此方を見続ける瞳に、ジャンヌは視線を合わせる。



「すまぬ。こんな儂に、尽くしてくれて」



 尽くす? 尽くすとは一体どういうことだ? 数秒の間、ジャンヌは思考を巡らせる。答えを出し、消しては出してを繰り返す逡巡の中……



「くっ、くくく!! はははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」



 ジャンヌは、声を出して笑った。扇を口から外し、呵々大笑と大口を開けて。



「あぁ、そうか。そういうことか……そうじゃな。そうじゃ! 妾たちは貴様という産みの親に尽くした! そういうことになるのか!」



 ジャンヌは扇を一振りし、闇を生み出す。彼女の闇はカイルと帝王が玉座の間に開けた風穴を抜け、隣の部屋に進んでいく。



「妾たちは己が意思で、この理不尽な世界の破滅を願い、何もかもが虚構のこの世界を嫌い、破滅を実行してきたが……妾たちの意思も! 願いも! 何一つとして妾たちのものでは無かったのか!


 妾たちはただ、母様の願いを叶えんとしていただけであったのか!!」



 狂気的な笑い声が反響する。ジャンヌの言葉は全くマリアを責める類のものではないというのに……マリアは強く、己の胸を握り締めた。



「これは傑作じゃ。【魂】の闇属性であり、人間を傀儡として操る妾がその実、母様の傀儡でしか無かったとは。

植え付けられた憎しみに目が曇り、こんな単純な事実にも気がつかぬとは……全く、難儀な人生であることよ」



 ジャンヌは魅惑的な笑みを携え、闇の椅子に頬杖を着いた。と、同時に伸ばしていた闇が戻ってくる。


 腕の形をした二本の闇には……それぞれ手入れの行き届いた刀剣が握られていた。



「妾は母様の傀儡。ただ、母様の望むままに奉仕し続けた道化。このままでは……妾は何も無い。何も無いまま、傀儡として死ぬこととなる。


 それは……あぁ、恐ろしいのう。妾にも、虚構だとしてもプライドなるものがあったようじゃ」



 ジャンヌは殺気を漲らせ、刀剣を構える。それを敏感に察知したシュウがマリアの前に出て、剣を構えた。



「そういう無駄なこと……君はしないと思っていたよ」


「無駄かどうかは妾が決める。妾の命は妾のもの。妾の魂は妾のものじゃ。


 ここから、何物にも縛られない……妾の、妾だけの、ジャンヌ・ド・サンスの人生が始まるのじゃ。刹那であろうとも構わぬ。傀儡としての生は終わりじゃ。


 妾は母様の“敵”として始まり--」



 ジャンヌの闇が動く。その闇に、この場の誰もが動くことができなかった。シュウでさえも……ジャンヌの闇に反応することができなかった。


 

「--そして、終わるのじゃ」



 ジャンヌの刀剣が、ジャンヌの首に吸い込まれる。彼女は抵抗されることなく、ただ、笑みを浮かべてその刃を受け入れた。


 シュウは、その刃を防ぐことができなかった。ジャンヌの行動に呆気にとられ、動くことができなかった。


 ジャンヌの刃は肉を切り裂き、骨を断つ。


 ゴトリ、という重苦しい音の後……彼女の肉体は仰向けになって玉座の間に崩れ落ちた。



「な、なに……を」


「ジャンヌ……君は……」



 頭部を失った胴体から……血が止めどなく流れ出る。それは玉座の間の石畳を濡らし、赤く染め上げていく。

それと同時に、ジャンヌの胸のあたりから真っ黒の球体が浮かび上がってくる。それは一際強烈な黒の光を放ったかと思うと、光が帯を為し、球体を包んで圧縮した。丸薬ほどにまで圧縮されたそれは、ジャンヌの胸の上に落ちた。



「何故じゃ。何故、ジャンヌは……」


「……僕と戦うことは、つまり……かつてのマリアの願いを叶えることに繋がる。それは、傀儡だった頃と何も変わらない。ジャンヌは昔のマリアの敵として、ジャンヌという人間として存在したかったんだ。


 だからと言って、今のマリアに加担するのも、彼女の心情が許さない……だって彼女は世界を憎んでいるんだから」



 シュウはジャンヌの死体に近付いていき、不躾に流れ出る血を風で洗い流す。そして、胸の間に挟まった丸薬のような黒い物体を手に取った。



「だから死んで……自らの魂に干渉されないように封印した。これで僕らは【魂】の回収ができなくなった。なんとかならないことも無いけど……確実に行動は遅くなる。


 過去と現在。両方のマリアの邪魔をするため。

それだけのために……彼女は自ら命を絶ったんだ」



 ジャンヌは傀儡から抜け出した刹那の人生に、自らの矜持の全てを注ぎ込んだ。彼女の意思で……自らの願いを叶えるため、文字通り命を賭けたのだ。



「馬鹿な--いや、儂にそれを言う資格は無いのか。

儂はジャンヌ以上に馬鹿で、愚かな女じゃ。

それに比べれば、ジャンヌは己の信念を貫いて死んだ。よっぽど、儂よりできた人間じゃな」



 シュウはジャンヌの死体を風で運び、首を繋いで玉座の間にゆっくりと置く。



「そんな風に自分を責めるのは止めなよ、マリア。君は十分によくやっていたさ。君は十分……できた人間だよ」


「クカカカ、世辞じゃとしてもありがたく受け取っておこうかのう」



 シュウはジャンヌの死体に背を向け、マリンとマリアの元に向かう。三対六枚の翼を閉じ、武器と鉄の翼も球体に戻して懐にしまって。


 二人の元に辿り着いたシュウはゆっくりと腰を下ろした。



「後は……待つだけだね」


「そうじゃな。それまで暫し……この世界の感触を味わっておくかのう」



 マリアはシュウに背中を預け、愛おしむように石畳を撫でる。人の居なくなった城の中で……マリンが起きるまで、二人は静かに……終わりを待つのだった。

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