第百三十五話ー愛してる
それはまるで――広大な宇宙で輝く恒星。大気に散乱していた魔力は消え去り、真空ならぬ真魔の空間で、強く輝く三つの星々。
烈火の紅、時雨の蒼、常夜の闇。
【龍醒】を発動させた……三人の死人。
「貴様が空間に撒き散らした魔力の残滓……使わせて貰うたぞ」
「……なるほど。初めに僕と一騎討ちで戦ったのは、不意打ちのタイミングを見計らっていただけじゃなく、僕の魔法を誘発し、【龍醒】に必要な魔力を空間に充満させるためだったのか」
強引に止血した刺し傷に目をやり、シュウは自らの失態を反省する。
そして、眼前に並び立つ三人に対して感嘆の吐息を零す。
全身を覆う魔力の鎧。それぞれが司る属性を体現した鎧の意匠は一つの芸術作品に等しい。
噴き上がる火炎、氾濫する激流、混沌たる闇……それらを鎧という形に落とし込んだのが、三人の【龍醒】だ。
流麗で壮麗で荘厳。芸術への機微に乏しいシュウでさえも、彼らの鎧は美しいと感じた。
「肉体は魂に引きずられて形を為す。確かに、魂を入れるなら龍の死体が一番だろうね。けど、本当に驚くのは完全な【龍醒】を発動していることだよ」
「時は十全に存在しておった。如何なる凡人であっても十一年もの歳月があれば……【能力】一つ使いこなす程度、容易いことよ」
「ゲンスイさんはどうなるんだい?」
「生前からトイフェル殿と渡り合う強者じゃ。凡人が必要とする時間など必要とせぬわ」
「なるほどね」
ジャンヌとの対話を打ち切って、シュウは武器を構える。銀縁の眼鏡の奥から覗かせる――純白の眼光。蘇った死者たちとは正反対の淀みない聖の色が、油断なく三人を見つめた。
「――五月雨一角」
殺意ある魔力の気配。ワザとらしいそれを感じ取ったシュウは、即座に横っ跳びに回避。彼の居た場所を、空間を起点とする水の槍が貫いていた。
「――危ないなぁ」
カチリ、とシュウは右手につがえたリボルバーの弾倉を変化させ、胸が地面に擦るほどの超々低空飛行でゲンスイたちに迫る。
視界の隅で、光を放つ黒と蒼。自らを狙い撃たんとする魔法を察知したシュウは、頭上に浮かぶ遊撃ピットを四機ずつ防御に割り当てる。
「獣剣・虎砲」
「シュウッ!!」
水の脇差し、黒のレーザー。シュウ目掛けて飛んでくる二つの攻撃に対し、遊撃ピットは四機で四角の陣を為し、風の防壁を展開。
膨大なシュウの魔力供給を受けた風壁は、盤石の守りで主たる天使を守ってみせた。
「【龍醒】……か。そうそう、父さん。【龍醒】と言えばね、僕の愛する弟のリュウセイも【龍醒】を扱えるんだよ。
母さんが【創造】した特別製で、父さんたちとは違う真っ白の鎧なんだ」
二人の援護射撃を受けて突貫してきたロウルの槍を、シュウは剣の腹を使って受け、少しばかり後退して押し留めた。
ギリギリと胸のあたりで力と力を衝突させながら、シュウの口だけが戦闘から切り離されて言葉を綴る。
「とっても強くなった。聞いてるかも知れないけれど、後ろのゲンスイさんに剣術を教わってね。今ならきっと父さんよりも強いよ。
それでも、僕の愛するリュウセイの本質は変わってない。
やんちゃで、生意気で、口が悪くて……でも優しい。僕の愛するリュウセイの心根はあの頃のまま、真っ直ぐ健やかに育ったんだ」
「シュウ……何を……?」
「最初に言ったでしょう? 父さん。
話したいことが――たくさんあるんだ、って!」
ドシュン! 死角から近づいてきたゲンスイに向かって、シュウは目もくれずにリボルバーの引き金を引いた。
放たれたのは……散弾。
六つの風の弾丸が同時に銃身を走り、外気に触れた瞬間に拡散!
放射状に分散した風の弾丸のほとんどがゲンスイの鎧に直撃し、金属音にも似た音を立てて彼を吹き飛ばした。
そして、そのまま流れるように、シュウは受け止めていた槍を流し、今度は上から抑え込んでロウルの動きを封じる。
「家族のこと。今までのこと。これからのこと。……僕のこと。
色んな――色んな話がしたいんだ。これが、僕の最初で最後のワガママ。聞いてくれる?
……父さん。それから――」
剣と槍の接点を支点に、くるりとシュウはロウルの背後に回り込む。眼前に見えるは、ロウルごとシュウを貫かんとしていた闇の光線。風を纏った義翼で己を包み、シュウは膨大な魔力に任せてその攻撃を耐え忍んだ。
翼を広げて戦塵を払い、シュウは闇を放った人物にも純白の瞳を向ける。
「――母さんにも、ね」
言って、シュウは母へと肉薄する。
シュウの目に写る母は、【龍醒】というドレスアーマーを纏っている。その鎧の下には……母の全身を拘束する魔具。
魔力を使えない母の魔力を引き出すため、ジャンヌが母に【創造】させたと思われる魔具。産まれる子にしか使えない【創造】を、魂を歪めることで使わせた――忌まわしき魔具。
その魔具を――シュウは、
「【遮断の盾】」
「っ!」
砕こうとして、防がれた。
シュウの剣を止めたのは、闇の壁。何度剣を振るっても、散弾を打ち込んでも。決して動かず、決して壊れず、固定化された空間の盾。
その盾は――ハクシャクの【固定化】による絶対防御の盾と全くの同一。
ただ一つ異なるのは、彼女の盾はハクシャクの盾と違い、消すことが可能だと言うことだ――!
彼女は盾を消し去り、連続して闇の光線を放つ。至近距離から放たれる魔法に対し、シュウは大きく後退しながら対処。
頬の擦り傷一つに損害を留め、体勢を立て直した。
これが、【創造】の【チカラ】。
あらゆる【能力】、あらゆる物質、新たな定義を世界に生み出す【チカラ】!
「――いいわ、シュウ。話して聞かせて頂戴? まずはどんなお話を聞かせてくれるのかしら」
苛烈な攻撃を仕掛けながら、顔だけは柔和にルオーラは笑った。続いて、シュウも笑う。超常の戦闘など存在していないかのように、二人の放つ空気だけは穏やか。この状況に、これまで意表を突かれてばかりのロウルも苦笑い。槍を構えてシュウの背後を狙う。
「聞かせてくれ、シュウ。俺もお前の話を聞きたい」
鋼の義翼がロウルの槍を防ぎ、飛行する遊撃ピットがロウルに銃口を向ける。すると――側面から近付く影が一つ。
「ほっほ。これは、ワシが居ては邪魔になるかのう」
「――初めは、うん、そうだね。僕の愛する弟のリュウセイの話が出たし、僕の弟の愛するリュウセイの好きなスミレちゃんっていう女の子の話でも……」
「なぁんじゃとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「うわっ!」
生温い……ジャンヌが否定し、憎む茶番。常人が一生懸けても到達できない次元の戦闘の最中で、彼らはそれを行う。
平凡で、牧歌的で、緩慢とした伸びやかな談笑。極限まで張り詰めた戦闘で、たわみ切った感情。
交わされる末期の会話。
闇に腰掛ける憎悪の化身――黒衣の魔女ジャンヌ・ド・サンスは……そんな彼らを、漆黒の瞳で無感情に視界に入れていた。
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「――この魔具はね、あの御伽噺の悪夢を倒した英雄ヴィルヘルムの……彼の魔具を手掛けた人が作ったものなんだ」
「まぁ、そうなの」
「む、そやつはもしやドンドンのことか? 懐かしいのう。まだ生きておったとは」
「……そいつ、一体何歳なんだよ…………」
――たくさん、話をした。
「――それで、カイルったら相変わらず無茶ばっかりするんだ。でも……今はユナちゃんっていう子がしっかり見てくれてるから少しは安心できるかな」
「おっ、その子はもしかして……」
「一度会ってみたいわね、素敵だわ」
「きっと会えるよ。ユナちゃんとも、スミレちゃんとも」
「認めんぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
リュウセイを連れてくるのじゃ!! 叩き切ってくれるわ!!!!」
――戦争中だっていうことを忘れるくらい。夢中になって。
「――マリンとフィーナは変わらないよ。悪戯好きでやんちゃで……面倒見の良いお姉さんになった」
「悪戯……か、はは。悪戯ねぇ……」
「……? どうしたの、父さん?」
「元気があるのはいいことよ、ねぇあなた?」
――失ってしまった十一年分の話をした。
これからの時間全てを満たす話をした。
僕の愛する家族。
僕の全て。
僕の世界。
十分だ。
僕は……満たされた。
「父さん、母さん」
だから……
「そこの彼女――マリアについて、話すよ」
最期の話をしよう。
あの石碑に刻んだ僕の想いは変わらない。
僕は家族の幸せのためなら――――
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「っ!」
「なっ!?」
「これは……っ」
シュウがマリアの名を口にした瞬間、空気が重くなった。それは比喩でもなんでもなく、文字通りの意味で、だ。まるで泥の中にいるかのように、空気が身体に纏わりついて離れない。濃く、重い泥濘の空気。
大気中に満たされたシュウの魔力。膨大な魔力に任せた完全なる大気の支配。この場の空気の全てが、ロウルたちを絡めとり、動かさない。
シュウは義翼以外の全ての魔具を球体に戻し、修道服の内側にしまい込んでマリアの傍まで赴く。
白く、穢れの無い髪と瞳を持つ二人が並び立つ。小さい方の白――マリアは、今にも泣きだしそうな不安げな面持ちでシュウを見上げた。
「もう、良いのか……?」
普段の天真爛漫で、不遜なマリアからは想像もつかない力無い言葉。悲痛と言い表すに相応しい表情をしたマリアに……シュウはルオーラにそっくりな柔和な表情を浮かべ、彼女の頭を撫でた。
「“大丈夫″だよ、マリア。待っていてくれてありがとう」
言葉は少なくとも、交わされる覚悟。彼の母の口癖を聞いたことで、マリアも最後の躊躇を捨て去った。
マリアは一度、瞠目する。瞳を覆う、新雪のように透き通った瞼が彼女と世界を切り離す。
そして大きく息を吸って、天使の支配下にある空気を肺に送り込む。静かに、大きく吸って、吐く。取り込んだ空気を体中に循環させる。数度、マリアが呼吸を繰り返すと――
「っ、まさか……っ!」
マリアの身体が淡く、白色の光を放ち始める。その輝きは魔力光。神聖なる光の魔力。
マリアの魔力を見て、今の今まで傍観していたジャンヌの驚愕の声を上げる。しかし、ジャンヌが次なる言葉を発する前に、シュウが真空の壁を作って彼女の声を遮断した。
「それ以上は黙っててもらおうか、ジャンヌ。その先は……僕から母さんと父さんに――」
「控えるのじゃ、シュウ。……儂から話す。それが…………筋というものじゃ」
華奢な右手でシュウの左手を握り、マリアはシュウの言葉を遮る。空いた左手を胸の前に置き――閉じ続けていた瞳を、開く。
「紹介が遅くなって申し訳ない、シュウの御母堂、御尊父よ。儂の名前はマリアと申す」
……白。渦巻き、螺旋を為す瞳。
大きく丸みを帯びたマリアの瞳には、純白以外の色が存在していない。混じり気のない純然たる清白。
だが、無垢なる顔にある瞳には底知れない巨大なナニかが渦巻いていた。
今のマリアの瞳を覗き込めば、どこまでも続くその渦に飲み込まれてしまうような。
世界を繋ぐ連環の螺旋。人間の理解の及ばない領域にあるマリアの瞳に、ロウルとルオーラが写る。
「儂は――――とても身勝手じゃ。憤り、憎んだ果てにこの命を絶とうとした」
紡がれる鈴の音の如き言葉は細密に鼓膜を震わせ、聞く者の頭の中を吹き抜ける。
誰も、何も、無機物さえも音を発しない。マリアの喉から溢れる音を阻害しないように、懸命する。
重く神聖なる空気の中で、純白に輝くマリアだけが……動くことを許される。
「そこを、シュウに救われた。命だけではない。もっともっと――深く深淵たるモノ、儂そのものが救われたのじゃ。儂の抱えていた闇を――共に背負うと言うてくれたのじゃ。
その言葉が何を示すのか。その選択がどれほどの絶望を己にもたらすのか。全てを理解して、尚」
言いながら……暗く、冷たい懐かしき感覚がマリアを包み始める。
薄く、目に見えないガラスの箱から見える鮮やかな世界。
延々と巡る時。 変わっていく世界。 変わらない自分。
与えられた感情。 与えられた人格。 与えられない――。
「“大丈夫”だよ、マリア。僕がいる。ここに。これからも」
いつの間にか震えていた右手が、シュウによって握りしめられる。ただ一つの接点を通して、マリアの世界が息を吹き返す。動き始めた世界に安堵し、マリアは話を続ける。
彼女にとって……贖罪にも似た話を。
「御母堂、御尊父」
マリアは連環の世界を閉じ込めた白い瞳で、ルオーラとロウルの姿をなぞる。
「儂は身勝手じゃ。ほんの少し前まで――否、ずっと、自分のためにしか行動してこなかった。
己の憤り故に己を殺さんとし、救われた故に己を生かさんとする――あさましい性分をしておる。
矛盾を抱え、それでも儂は……シュウと共に在ることを望んだ」
「その願望は間違っておる。儂と共に在ることは不幸にしかならぬ。絶望しか待っておらぬ。
いつか……儂と共に歩んだことをシュウは必ず後悔するじゃろう。悔やむじゃろう。儂のことを憎むじゃろう」
「じゃが……儂は知ってしもうたのじゃ」
「儂のことを理解してくれる存在を。誰かと共に居る喜びを。生きることの楽しみを」
「破綻が目に見えていたとしても……儂は手放したくない。儂の中に在った感情の器が、満たされたままで在りたい。温かく愛おしいこの感覚だけ感じていたい」
「――――――儂は身勝手じゃ」
「今度の身勝手は……今までで一番残酷なものじゃ」
「破滅の未来に……死だけが救いの絶望に……儂の大切な人間を……そなたら家族に愛されるシュウを巻き込もうとしておる」
「……じゃが、じゃがのう……御母堂、御尊父」
「不義を自覚し、誤りを認識しても、儂は己が選択を覆すことができぬのじゃ」
「反対されても、止められても、そなたらに憎まれようとも、儂はシュウと共に生きていく」
「ただ……叶うのなら」
「身勝手で愚かで、頼み事一つまともに出来ぬ粗末な儂ではあるのじゃが――」
「シュウを不幸にすることを……赦して欲しい」
涙は……流れない。
けれど……螺旋を描く渦巻いた瞳の奥で……マリアは確かに泣いていた。
赦しを求めた白き少女は右手を離し、生涯の伴侶となる青年に会話の終わりを告げる。
音の無い静寂の世界。
俗世から切り離されたような、異質な空気の中で、神父服の天使は騎士が主君にするように膝をつく。騎士のそれと違うのは、頭は垂れず、まっすぐに主を見つめているところだ。
視線がぶつかる。揺らぐことのない覚悟を讃えた聖なる視線と、世界を映した白き螺旋の視線が。
互いの瞳に在る自分。己が相手の中にいる。瞳を通して……二人はそれを知覚した。
少女は両手を青年の頬に伸ばす。華奢な手から放たれる淡い白色の光が、頬を伝って青年に伝播する。
少女が取り込んだ青年の魔力が、戻る。在るべき場所に。新たな形となって。
青年から放たれる光、少女から放たれる光。お互いの魔力が溶け合い、輝きを増しながら変質していく。
お互いの一部を譲り渡し、己のものとする。――――魂を削り、譲渡し、強く、深く、密接に……繋がる。
「シュウ」
少女は……その瞳にシュウだけを写し、
「シュウ=マリア」
肘を曲げて、顔を近づけ、
「主を……儂の守護天使とする」
そっと、唇を重ねた。
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「……マリンさんにフィーナさん…………大丈夫かなぁ……」
「もぅ、ミーちゃんったら、ずっとそればっかり」
「そういうフーの方こそ、心配でずっと垂れ耳じゃない。隠してたって私にはお見通しなんだからね」
「ふ、ふぇ……」
カラクムルの街のエアーズスクエア。その天辺に、かつてカイルたちが救った少女たち――ミシェルとフランが腰掛けていた。反乱の開始の知らせは街中に知れ渡っている。自分たちの運命の懸かった戦いの開始に、どうにも心が落ち着かない二人は、ワールドエンドの方角を眺めながら終わりの時を待っていた。
「「……あ」」
不意に、一陣の風が目の前から二人の身体を吹き抜ける。肌寒い風。長く、長く、数分にも思われる時間、風はミシェルの金髪を空に泳がせた。
「今の風……」
「うん、何か……凄い風だったね」
「ずっとずっと遠くから……運ばれてきたみたい。ひょっとすると、ワールドエンドからかも」
「……一体どこまで、あの風は行くのかな」
「そんなこと知らないわよ……って、いつもの私なら言うんだろうけど」
「けど?」
「……どこまでも、吹いていきそうね」
あの風は、きっとフィーナさんたちが起こしたものだよ、と冗談を交わしながら、二人は地平線に思いを馳せた。
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「やりやがったか……」
浮遊島の発着場でカルミアに回収されたドワリオンの残骸を踏みつける神影。全身を撫でた風から、この白衣の男は何が起こったのかを悟っていた。
「――なぁ、神様。神様はアイツらのことを不幸だと思うか?」
ポケットに両手を突っ込み、神影は何もない中空に向かって語り掛ける。
「地の文――いや、万象の神様。それか、これを読んでるなんかの神様。誰か見てんだろ? どう思うんだよ?
あの二人の歩む未来は不幸になると思うか? 死ぬことでしか救われないクソったれだと思うか?」
「答えねぇ……か。分かってたけどよ」
はぁ、とため息を吐いて、神影は天を睨みつける。
「俺はそうは思わないぜ。アイツらは絶対に不幸になんかならない」
「バッドエンドなんて認めねぇ。俺は全員が笑って迎えるハッピーな“結”末しか許容できねぇタチなモンでな。
ぜってーアイツらのこと幸せにしてやんぜ。不幸になんてしてやんねー」
「それが……俺の望む“結”末だからな」
「ただ、あぁ…………クソ」
「風が……冷てぇなぁ」
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……気が付けば、戦いは終わっていた。それはもはや、戦いにすらなっていなかった。
ルオーラ、ロウル、ゲンスイ――変異の領域に足を踏み入れた三人であっても……役者不足だった。
彼らは……シュウと戦える資格さえ有していなかった。
「ほっほっほ。聞いてはおったが……いやはや、桁違いもいいところじゃのう……」
動きを止めた三人は……魔具を失っていた。
風によって吹き飛ばされるでもなく、腕ごと切り落とされるでもなく……彼らの魔具はシュウの魔力によって圧し潰されたのだ。
もちろん、ゲンスイたちも魔具が破壊されるのを手をこまねいて見ていたワケではない。全力で魔力を放出し、シュウの魔力を押し返そうとした。ルオーラも【創造】を使い、魔力を遮断しようとした。――しかし、叶わなかった。
魔力を完全に遮断する【絶縁の刃】でも、白色のシュウの魔力にとっては無意味だった。
両掌で紙をぐしゃぐしゃに丸める……魔具の破壊など、今のシュウにとってはその程度の労力だった。
「………………」
静かに佇む――シュウ=マリアという名を与えられた天使。
頭上に浮かぶ、白色の輝きを放つ天使の輪。先ほどよりも光量を増し、神々しい輝きとなった天上人の証。玉座の間を照らす神聖なる光は、この場所を遍く照らす。胸に提げた十字のロザリオも……彼の信仰の証も、光を反射し……輝く。
マリアの魂を取り込んだせいで、彼の髪はマリアと同じように腰のあたりまで伸び、瞳も同様に……渦巻く世界を宿す。
シュウは眼鏡を中指で押し上げ、三対六枚となった……巨大な翼を広げた。うち五枚は見惚れるほどに清く輝く純白であり、シュウから見て左上の一枚だけが……鈍い鋼鉄の色を放つ。
「ゲンスイさん…………遺す言葉が、あるなら聞きます」
穏やかに、シュウはそう告げる。彼の言葉が何を意味するのか、察せないほどゲンスイは鈍くはない。時にして三百もの年月を生きた超人族の男。数多の軌跡と、証をこの世に残した伝説の剣豪は……、
「愛しておる。……相手が誰なのかは、言うまでもないじゃろう?」
「……そうだね。とっても、貴方らしいよ」
ぱちん、とシュウが指を鳴らす。
刹那、濃密な風の魔力の残滓を残して……ゲンスイが消えた。
神隠し。
無数の鎌鼬がゲンスイを切り刻み、一片の肉片も残さずに消失させたのだ。
呆気ない、拍子抜けするような幕切れ。戦闘ですらない、マジックを見せられているかのような奇劇。
伝説の剣聖――斬影と恐れられた男は……最期にたったの一言だけを遺して、舞台から去った。いとも容易く、一矢報いることさえ叶わずに。ゲンスイの上辺だけを知るものからすれば、幻滅するほどの情けない去り方。けれど、彼をよく知る者がゲンスイの最期を、辞世の言葉を聞いたならば……シュウのような感想を抱くだろう。そんな風な、『剣聖』や『ゲンスイ』ではなく、どこにでもいる一人の好々爺の去り際。
それが――ゲンスイが望んだ魂の果てだった。
「――父さん、母さん」
シュウはゲンスイを消した後、一呼吸の間を空けて父と母を呼ぶ。その呼び声が何を意味するのか……この会話の果てに何が待ち受けているのか。この場にいる全員が理解していた。故に、シュウの次なる言葉と行動を待ち構えていたのだが…………彼は一度ロウルとルオーラを呼んだきり、動かなくなってしまった。
伝えるべきことは話した。もう何も思い残すことはないはずなのに……なぜか、後ろ髪が引かれる。
最愛の家族。シュウの最も敬愛する人たち。たとえその命はとうの昔に果てていたとしても、魂は間違いなく当人たちにもの。殺す、のではない。ただ、あるべき場所に還すだけだ。分かっている。分かっていても……彼の魔力は動かない。
覚悟は決めたはずなのに。この展開は『結末』に含まれることは理解していたはずなのに。
いざ、時が来てみれば……シュウの身体は、意思に反して還すことを拒否する。
「おいっ! シュウ!」
そんな、時。
「お前! その子と結ばれることに、後悔は無いんだな!?」
父であるロウルが、声を上げた。
「え……?」
「父さんもなぁ! そうだった! 魔力の無い――無かったと思ってた母さんと結婚するとき! 母さんは凄く申しワケなさそうにしててなぁ!」
普段、このような場面ではあまり目立った発言をすることのない父。戦闘方面に特化して優れた父。
少し照れくさそうにしながら声を張り上るその姿が――なぜか、カイルとだぶる。
「『私と結ばれることは、不幸にしかならない』だなんて言うから……父さん言ってやったのよ!
“大丈夫”だ、ってなぁ!!」
「っ!」
その言葉は――ルオーラの、母の口癖。予想外の言葉に、シュウの瞳が見開かれる。
「お前はどうだ! シュウ! お前はその子に! ちゃんと言ってやれんのか!!?」
唐突な父の問い。その問いに、シュウは半ば反射的に答える。
「勿論……言えるさ。マリアと生きることは、僕が望んだことだ。僕がマリアに……言ったことだ」
言葉を切り、シュウはマリアに振り返る。
父が望むなら、今ここで。あの時を繰り返そう。己の判断に迷いなどない。シュウの中では考えることすらしなくなったような些末なこと。マリアと共に在ることは、シュウの中では必ず訪れる未来なのだ。
しかし、そんな些末なことがマリアを悩ませているのなら。負い目と罪悪感を感じているのなら。
リュウセイがスミレに言ったように。カイルがユナに言ったように。父が母に言ったように。
言葉を以て、彼女の後悔を取り払おう。
視界に写った彼女は頬に少し赤みが差していて――
「“大丈夫”だよ、マリア。……僕は君と生きる選択を後悔したことなんてない。
不幸になんてなるつもりもない。君と共に歩む先にある未来が……幸福な僕の未来だ。
だから、僕を……君の傍に置いてくれないか」
シュウのその言葉を聞いて、大粒の涙と鼻水を溢れさせた。
「シュ、シュウぅぅううううううっっ!!」
「うわっ、ちょっ、マリア!?」
胸の内から止めどなくこみあげてくる感情のまま、マリアはシュウの腰のあたりに飛びついた。シュウの修道服に顔を埋めるマリアとそれをあやすシュウ、ロウルとルオーラはそんな二人を目を細めて見つめて、
「俺から言うことは、それだけだ。ルオーラ、お前は何か言うことはあるか?」
「いいえ。全部あなたが言ってしまいました。流石、お父さんですね」
「……じゃあ、終わりにするか」
「はい。あなた」
小さな声で囁く。耳聡く二人の会話を聞いていたシュウは、はっとした顔で両親の方を向いた。
「シュウ!!! 俺の愛する息子!!!!」
「シュウ! 私の愛するシュウ!!」
父は笑っていた。母も笑っていた。彼らの表情に憂いはない。
「「愛してる!!!!!」」
空のように広い心で自分を認めてくれた人たち。
海のように深い愛情を注いでくれた人たち。
大地のように強く支えてくれた人たち。
彼らは、彼らなりの別れを……シュウに告げた。
だから、シュウは――――、
「僕も……愛してる。僕の愛する父さん。僕の愛する母さん。
……………………………………………………………………………さよなら」
シュウは……最期の最期まで二人から目を離さずに………………指を鳴らした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「これで……終幕だ。ジャンヌ・ド・サンス」
鋼鉄の剣の切っ先をジャンヌに向け、シュウは戦いの終わりを宣言する。
守護天使へと為ったシュウ。操れる死体を失ったジャンヌ。勝敗は明白であり、完全なる“詰み”の状況だ。だというのに、ジャンヌは闇の椅子に座したまま、薄ら笑みを崩さない。ここまで追い詰められてなお、彼女の瞳に宿る憎悪の闇は消えていない。
「守護天使――シュウ=マリアよ。貴様はなぜ、初めから母様と契約を結ばなかったのじゃ? その力があれば、此度の戦いも開幕の合図すら為される間もなく終わっていたであろうに」
「……聞いていたはずだよ。僕は最後に僕の愛する父さんと母さんと話がしたかったんだ。だから、話が終わるまで戦いを終わらせるつもりなんてなかった。僕の迷いを清算してから、君を終わらせるつもりだったんだよ。
それを言うなら君の方こそだよ、ジャンヌ。
僕たちの会話の最中……妨害できるチャンスはいくらでもあったはずだ。何故、邪魔してこなかった?」
シュウはジャンヌの真意を探りつつも、内心では勝利を確信していた。今の自分なら、例えどれほどの強者を連れてこられても負けることはない。どれほどの数の敵を連れてこられても指を鳴らすだけで全て葬り去ることができる。……そのように考えているからだ。
彼の考えは正しい。もはや守護天使と化したシュウに敵う者はこの大陸で――【破壊】の【能力】を持つ帝王くらいのものだろう。
その傲慢を……ジャンヌは嗤った。
「フ……ハハハハ!! 何故、じゃと? それは簡単なことじゃ」
ジャンヌの背後。カイルが帝城に開けた風穴から、人影が見える。
「妾が最初に貴様と戦ったのも! 彼奴等に意思を残しておいたのも! くだらぬ会話を邪魔しなかったのも! 全てはこの者をここに連れてくるための時間稼ぎに過ぎぬ!!!」
シュウの瞳が、動揺によって見開かれる。そこにいたのは、そこに居てはいけない人物だったから。
「これが妾の最後の手駒。これが! 貴様を必ず殺すために作り上げた……妾の駒よ!!」
ジャンヌの哄笑が玉座の間に残響する。憎悪を纏い、闇を着こなす黒衣の魔女の横に立ったのは……
シュウの最愛の妹、マリンだった。
美しい海色の髪は血で汚れ、柔肌にはいくつもの傷が刻まれている。虚ろな目に光は感じられず、彼女の意識はどこにも感じられない。
そして、何より目を惹くのは……マリンの肢体を覆う闇。彼女の身体を侵食するように纏わりつく闇は、獣のようにマリンの四肢に食いついていた。
「さぁ、終幕じゃ守護天使! くだらぬ愛に囚われたまま死ぬがよい!!!」
マリンが動く。魔力の尽きた体で、傷だらけの身体を無理やり動かしてシュウに襲い掛かる。
拍動する心臓。自分のものではなく、目の前の彼女から聞こえる音。
その音を聞きながら、愛しい妹の手が己の首にかかるのを……シュウは今更ながらに知覚した。