第百三十三話―足りなかったモノ
『おっらぁああああ!! 行っくでぇミカゲェ!!
強行突破のロケットボディや!!!』
『待て待て待て待て待て止めろ馬鹿早まるんじゃねぇよそれは俺が冗談で言ったロケットパンチのボディバージョンで確かに四方八方囲まれちまったこの状況じゃ使うのも仕方ねぇとは思うが俺らは二人ともボディ部分に搭乗していてここをロケットしちまうと俺らも一緒に銀河の果てまでランナウェイしちまうし俺ジェットコースターとかも祈りながら乗るタイプだから頼むお願いちょっと待ってぇえええええええええ!!!!!!』
ドワリオン・エクストラ初号機から戦場に轟く神影の絶望の叫び声。ジャックはその断末魔を無視し、目の前の真っ赤なボタンを保護用のガラス板ごと叩き割って、押す。状況が状況なのだ。神影の心情を考慮してやる時間はない。
という合理的な思考は建前で、ジャックの内心は備え付けた機能を試したいというドキワクの気持ちでいっぱいだった。「おいコラテメェふっざけんなぁああ!!!」
ドワリオンのボディから四肢が弾け飛び、近場にいた改造人間たちに直撃。頭部だけが虚しく、黒ヒゲの如く直上に飛ぶ。
『背部開口! エンジンフルバースト!!
レッツら、ごおおおおおおおおらっっっしゃあああぁぁぁぁぁあああああ!!!!』
『ぎいぃいぃいぃいぃいぃい!!!!』
背面のブースターから噴き出す火炎。
ドワリオンの胴体部分が高速移動を開始すると同時に、前部から襲いかかる強烈なG。
前方を囲んでいた敵兵たちをボーリングのピンのようになぎ倒しながら、神影とジャックは無事に包囲網を突破した。
地面に落下し、停止するドワリオンの胴部。
ハッチが開き、外に出てきた神影とジャック。
ジャックはすぐさま機体から飛び出し、ドワリオンの四肢があった部分に赴き、魔工具を奮う。
一方、顔面を真っ青に染め切った神影は自らの顔面をドワリオン胴部側面の地面に向け、
「お゛ぼろろろろろろろろろろろろ」
「ふーーっ! 最っ高やったな――って汚っ! おいアホミカゲ! ボディとワイにその汚ったないモンぶっかけたら承知しやんからな!」
「うぶっ……ぜ、善処したけど……おろっ。
再稼働の時は……気を付けろ。ヤツは、俺たちのすぐ側に……ぅっ、ぼろろろろろろろろ」
三半規管をやられ、憔悴しきっていた。だが、冗談を口にしていることを鑑みると、彼は案外大丈夫なのかもしれない。「強がってんだよ察しろよ地の文……う、っぷ」
戦争の真っ只中にいるとは思えない、“素”のままの彼ら。ふざけているとしか思えない彼らの態度に、業を煮やした人物が近づいてきた。
「おちょくっとんのかお前ら……馬鹿にしとんちゃうぞ!
絶対……全身の生皮全部引っぺがして、目ん玉くり抜いて、気ィ狂うくらいの苦痛を与えてからウチのモンスターの餌にしたるからな!!」
憤怒の形相に顔を歪めた……小人族の少女。
燃えるような赤髪を団子にしてまとめている、ジャックの実妹エレナ・ドンドンだ。
憎しみを称えた金の瞳が殺伐とした光を放ち、おちゃらけた兄の姿を捉える。
「ドンドンの恥晒しが……ッ! ウチの魔具のがよっぽど! よっぽど上等や! そのハズなんや! ウチの方が“遥かなる魔具の高み〟に近づいてるんや!!」
エレナを守るべく、数え切れないほどの改造人間が側に控える。
一個師団か、それ以上。
戦場に散らばる改造人間の数を考えればエレナが改造した人間の総和は、一つの軍と呼称しても差し支えない。
また、エレナが生み出した改造人間の数は実験場を後にしてからのエレナの努力の証左でもある。
百……いや、千。
それは、彼女がたった一人で生み出した“魔具”だ。
里の人間の手は借りていないし、そもそも里の小人族では人体やモンスターの生体に手を加えるだけの知識も、技術も無い。
それは、ジャックさえも至っていないーーエレナだけが手にした極地だ。
血が手に染み込むほどに改造を繰り返した果てに開花させたーーエレナだけが持つ才能なのだ!
「……うっし! 整備完了! オラ行くでミカゲ!」
なんらかの作業を終えたジャックは吐き気の収まった神影をコックピットに投げ込み、自らも搭乗する。
「うおおおお……気持ち悪りぃ……。
もうロケットボディは無しの方向で頼むぜ……」
「囲まれるような事態にならんかったらな。ほら、テンション上げてくでぇえええ!
ドワリオン・エクストラ初号機・バージョンγや!」
胴体だけだったドワリオンの首元と、四肢の付け根が光り輝く。
発動されるのは【伸縮】の【能力】。
小型化され、先ほどジャックが装着させていたユニットが体躯に見合ったサイズとなる。
天を突くドリル付きの頭、三俣に分かたれたドリルの両手に、駆動キャタピラ。
二足歩行の人型ニュートラルドワリオンに対し、今のドワリオンは攻城兵器を搭載した戦車のようだ。
モデルチェンジ完了。
神影とジャックは、体の中に漲る熱力に身体の支配権を委ね、獰猛な笑みを浮かべる。
『『っだらぁああああああああ!!!』』
酔いも、辛さも、感傷も。腹の底から溢れてくる高揚感で押し流して、二人を乗せたドワリオンは遮二無二、改造人間の群れに飛び込んだ。
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ーーエレナ。ワイは、お前を説得するんを諦めた。
それは、開戦前……ジャックの宣言した誓い。
幾人の改造人間どもを屠っても、どれだけの有象無象が迫っても、どれだけ高く熱い高揚感に身を任せようと、その誓いだけは揺るぎなく、ジャックの心の真ん中に存在した。
ーーもうお前はワイの言葉に耳を貸さんやろう。やから、勝負やエレナ。お前を負かして、ワイはお前を救ってみせる。
妹を、帝国の呪縛から解き放つ。
彼の誓いはーーただそれだけの単純なものだ。
ーー人間を改造するなんて間違っとる。それに気付かせるには……もう言葉なんかじゃ力不足なんや。
やから……、
『お前の作った改造人間と、ワイの作ったドワリオン!
お前の選んだ帝国とワイの選んだカルミアと!
どっちが強くてどっちが正しいか!!
魔具のガチンコ勝負で決着やぁぁああああああああああ!!!!!』
「上ォッ等ォじゃ絶対に叩き潰してぶち殺したるわ腐れ裏切り恥曝しゴミクズがぁああああああああ!!!」
小さな職人たちは、この戦場に轟くほどの咆哮をする。この二人の前では、もはや言葉は意味を為さない。
己が分身とも呼べる魔具のぶつかり合い。自らの体現である魔具の衝突が、対話となる。
それは言葉よりも雄弁に、直接に、己が感情を相手に伝えるのだ。
迫り来る改造人間と、彼らから雄弁に、直接に伝わってくる憎しみを捻り潰し、ジャックは昂ぶる感情を咆哮にして吐き出した。
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「クソッ!! なんでや! なんでやねん!!」
目の前の光景はエレナにとって悪夢だった。
己が丹精込めて作り上げた魔具が、自らの技術の証明が次々と屠られていくその光景は。
それもよりにもよって、よりにもよってな人物の手によって。
裏切り者の小人族。かつての族長であり実父でもあるグロックを殺し、離反した大罪人。
エレナの実の兄である、ジャック・ドンドン。
この世で一番憎んでいるその男の手によって、改造人間どもが壊されていく。
『ひっひっふー! っふぅぅうううう!!
出ます出します地平線までかぶっ飛ばぁす!!
パチンコ玉フィーバーアタァック!!!』
『おっほぅ! やるやないかミカゲ!
敵がまるでゴミみたいに一掃されよったで!
よっしゃワイもやったるでぇええええ!!
ロケットパンチボム!!!!』
『うっひょう! おいおいジャックゥ!
また腕がなくなっちまったぜオイ!!
これじゃあ大好きなあの子も抱きとめられやしねぇなぁ!』
『ハハハハハ! 大丈夫やでミカゲェ!
こうやって仕込んどいた【伸縮】を発動させたら……ほーら見てみぃ! 元通り!』
『ハハハハハ! こいつぁスゲェ! だけどよぅ! こいつぁ腕っつぅより武器って言うんじゃあねぇのかい!?』
『何を言うてるんやミカゲ! 例え腕が大砲になっちまっても、あの子のハートはこれまで通り撃ちぬけるんやでぇ!』
『おっとこりゃあ一本取られちまったなぁ!』
『『HAHAHAHAHAHAHAHA!!』』
ふざけているとしか思えない。
人のことをコケにしているとしか思えない連中。
だというのに魔具の性能は本物で、ワケの分からない生温い感情が流れ込んできて、エレナの渾身の魔具たちは次々に破壊されていく。
負ける。ジャックに、また。
自分に向かない瞳。向けられない言葉。背筋に冷水を叩き込まれたような感覚。
ドワリオンから伝わる暖かさとそれを、煮え滾る怒りと憎しみで塗り潰し、エレナは唇を強く噛みしめる。
「ウチは小人族族長なんや……っ!
ウチがあんのクソボケに……負けるはずが無いんや!!」
エレナは憤怒の形相で腰のポーチからある道具を取り出す。
それは普通の魔具職人が使うような鎚や鋏では無く、メスと縫合針といった代物。
それらを両手に構えたエレナは、麻酔も使わずに足元で気絶している改造人間にメスを入れ始めた。
流れるように絶え間なく。
感嘆の吐息すら漏れる鮮やかな作業。
神経が痛みを感じないほど薄い刃のメスが皮を裂き、その下に隠された神経系を露出させる。
神経が空気に触れたことで当然、痛みを感じ始めて目覚め、暴れようとする被験者たち。
だが、彼らが行動を始める前にエレナは運動神経を切断。
行動を封じた。
「殺す……っ! 絶対、殺す! ウチは小人族族長、エレナ・ドンドンやぞ!!」
執念を超えた狂気。憎しみと憤怒で構成された狂気に囚われたエレナは血みどろになってメスを振るう。
絶叫も悲鳴も、彼女の耳に入らない。
眼前の惨状さえ、瞳に映ることはない。
全ての音を遮断し、狂気の世界に没入。
瞳に映る部品を……正確に組み上げていく。
そしてエレナは、即席で完成させた。
蟷螂の鎌、穴熊の熊手、グリフォンの蹄、傀儡の義肢、幽鬼の霊装、竜の鉤爪を持ち。
鮫、人間、狼の顔を持つーー三面六臂の鬼人を。
ジャックへの憎しみを込めた魔具を。
「被験体千百五十三号! 個体名『阿修羅』!!
お前の痛覚系は既に取っ払ってある!!!
動くのになんの支障も無い!!
さぁ行け! 殺せ!! あんの裏切りモンの腐れボケカス畜生の魔具をぶっ壊せ!!!」
生まれた怪物ーー阿修羅。
瞳は白濁し、理性など見込めないその化け物は三つの顔面で咆哮。
モンスターとしての本能だけが阿修羅を動かし……その本能は、獰猛に牙を剥く。
「ジャオオォォォォオォオオォオオオオオオォォオオオォオオウ!!!!!」
人の血肉を貪り、鮮血を滴らせる鮫の遠吠え。神影とジャックの生存本能があらん限りの強さで警鐘をかき鳴らす。ヤバイ。アレは冗談抜きで死ねる。体の感覚が消え去り、自分と、阿修羅の存在しか知覚できない。
一瞬、刹那の時間さえも目を離すことができない。動きの機微、その前兆さえも見逃せない。汗が滝のように膝に落ちていくことも意に介さず、二人は阿修羅に対して全神経を向け続ける。
そして――
くるり。振り向き。腕を振りかぶって。
阿修羅はその六本の腕をエレナに叩き込んだ。
「-------!」
避けることも、反応することすらできなかった。
声も出ない叫び。小さなエレナの体躯を、殺人的な魔具が余すところなく蹂躙する。
その様を、ジャックと神影は切り取られた世界のように、スローモーションで眺めていた。
鎌が肩を切り裂き、熊手が喉を打ち、蹄が胸を蹴り付け、義肢が顔を殴り、霊装が精神を侵し、鉤爪が腹を貫く。
一気呵成の猛攻をその身に受けた小さなエレナの身体は、まるで鞠のように軽々と飛んで行った。
『っっっっっっ!!!!?!?
エレナァアアアアァアアアアァァアァアァァアアアアァァアァアァァアアアアァアアアアァァアァアァ!!!!!』
『馬っ鹿野郎オイ!!!!! 前見ろジャック!!!!!!』
敵対関係にあるとは言え、血の繋がった妹の惨劇。
悲痛な叫びを上げるジャックの耳に、神影の声は届かない。
次なる敵をジャックたちに見定め、瞬く間に近づいてきた阿修羅が六種の腕でドワリオンの右腕ーー右砲台を強打。
阿修羅の身長ほどもあったその右腕が容易く吹き飛ばされる。
圧倒的膂力。純然たるパワー。
九つもの魂を混ぜ合わされた凶悪な化け物は止まることなく、ドワリオンの胸のど真ん中に向け、右中腕である竜の鉤爪を構えてーー
『うおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!
【絶縁の刃】シィイィイィイィイルド!!!』
【息吹】を放つ!
神影は地の文を読むことで【息吹】の軌道を察知。
その軌道上に全ての魔法を遮断する盾を置き、暴虐の熱戦を防いだ。
『っぶねぇえぇえぇええ……。久しぶりに地の文に感謝だぜあんがとよ。つーかよぉ、あいつなんかヤバくね? マジで俺らピンチじゃね?
くそっ。俺にチート能力が宿ってりゃあ、あんなの一瞬で灰にしてやったのに……っ!』
軽口で恐怖を誤魔化して……神影は汗ばんだ手で操縦桿を握り直す。視野が狭まり、どうしようかと思索を巡らせていると、
『ーーミカゲ。自分……確か情報を調べる変異とか言われとったよな』
『ん? あ、いや、まぁ、あ、うん、そうだな。
俺のチカラは……まぁ、そういうのに向いてる系だな』
『アレの現状について、調べられへんか?』
コックピットに響くジャックの声。ジャックの頼みに、神影は眉を顰ませる。
『現状だぁ? ンなモン調べて何のーーあー。はいはい、なるほどね。そういうね。確かにそれは調べられるな、うん。俺なら……調べられる。
けっどよぉ、ジャック。お前その手段はーーあー、スマン、野暮だな。分ぁった、調べてやんよ』
一つの会話で二度自己完結し、納得。
恩にきるで、というジャックの言葉を耳に入れ、神影は大きなため息を吐いてガシガシと頭を掻いた。
「ったく。家族のことになるとどいつもこいつも無茶しやがるぜ、ったくよぉ。その無鉄砲さは世界が変わったって一緒ってことか」
特に妹ってところがピンポイントで笑えねぇよ。
自嘲する笑みを浮かべ、フケを白衣の肩に積らせる。阿修羅は【絶縁の刃】を警戒しているのか、こちらに近寄ってこない。
(それなら好都合だぜ。さっさと済ませちまおう)
彼に向けて、神影は淀んだ瞳を向けた。
「えー、と。確か改造人間って魂合成の一種だったっけか……? そうだよな。うん。うっし。ッゴホン!
常世に存する御神々。現世に存する御神々。
我、神影 神使。遍く神々に使える一族なり。
我の声を聞き給え。我の願いを聞き入れ給え。
此岸彼岸を司り、魂魄流転の権能を有する御柱よ。
我が故国なる世界の地獄を支配する閻魔よ。
仇の魂を壱にした混沌悪鬼のかの者の魂の罪禍を、損耗を我に示し給え。
その神なる瞳を我に貸し与え給え。
ーー解析」
祝詞を唱え終えた瞬間、神影の眼前に浮き上がる白色の薄板。
彼にしか見ることの叶わないそのフキダシに、一寸の狂いもない精密な黒文字が浮かび上がる。
〜〜〜阿修羅の魂について・閻魔帳より〜〜〜
デスソーサー。白鸚熊。スレイプニール。夢幻人形。幽姫ウラヌス。火竜ヴォイド。顎紅鮫。人族ガンカダ。グレイバック。
合計九つの魂を混合した咎、有り。
密接に混ざり合った魂は****を失った***では流転不可能。
世界を流るることさえ許されない。
魂の損耗は酷く、肉体を保っていることが奇跡と言える。
現魂魄/限界魂魄 3658952/3658953
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ギリッギリじゃねぇか……」
現魂魄、限界魂魄。
詳しい意味は神影も知らないが、唱えた祝詞の情報が現れているのなら……
『あの阿修羅ってーのは、今、ギリギリの瀬戸際で生きてるって感じだ。ーーもう一押しで、確実に終わる』
『おう』
『んで、どうすんだ?』
『ドワリオンのバサラモードで阿修羅を一瞬抑える。
その隙で、その一瞬で、アイツを終わらせる。操縦は任せたで、ミカゲ』
『あーいよ。っふー。俺の方もしくったら死ぬよなぁ、コレ。……お前の作った魔具、信じてるからな?』
『おうよ。世界一の魔具職人が作った最っ高の魔具や。
ーー魂も篭ってない、あんな魔具モドキなんかに負けへんよ』
己を愛してくれた彼女が命を賭して教えてくれた魂。
今度は……自分が。
伝えなくてはならない。導かなくてはならない。
彼女がジャックにーーそうしてくれたように!
決意の覚悟と共に、ジャックは座席両隣のレバーを同時に引き、叫ぶ。
『ドワリオン・バサラモード!!!!』
----------------------ー
激痛に歪み、流れる視界の中。
エレナの瞳は、ぼんやりと一部始終を捉えていた。
ーーなんや、アレ。機体の表面が……赤黒くなった……?
【自喰】? 体細胞を破壊した時に発生する魔力を使った……一時的なパワーアップ?
無駄や、無駄。
そんなモンでウチの阿修羅は止められへん。理性は失ったみたいやけど、ウチの仕事は完璧や。
阿修羅は最強の魔具に仕上がった。お前はもう終わりなんや。ざまぁみさらせジャック。
お前の魔具なんか……すぐに破壊して……
【自喰】を発動したドワリオンと阿修羅の激突。
技術の粋を極めた二つの魔具のぶつかり合い。
果たしてそれはーー、
ーー……っ。 止められた、やとっ!?
互角。
両者の力は拮抗し、その動きが止まる。
だがしかし、ドワリオンは【自喰】を発動しているため、戦闘が長引けば自ずと自壊するだろう。
自らの魔具の勝利を確認したエレナは笑みを浮かべるが……。
ーーなっ!?!? 阿修羅!?!?!?
瞬き一つ。その一瞬後に阿修羅が爆散し、その笑みはかき消える。
阿修羅がいた場所には……魔具槌と、釘を手にした憎き兄の姿。
ーーあんのクソ裏切りモンボケカス……ッ!!
ウチの魔具に手ェ出しよったな!!!
ジャックは阿修羅に対し、さらにモンスターを合成したのだ。
それによって発生するのは拒絶反応。合計十もの生物を合成された阿修羅は合成の許容量を超える。
あまりにも多くの生物を合成した影響か、拒絶反応は通常のものよりも激しく、阿修羅は爆散するという結果となった。
――クソっ。ボケ裏切りゴミ屑がァっ……。あんな奴に……ウチは…………また………………っ!
地面と水平に飛んでいた肉体が重力に引きずられ、エレナの身体は地面を転がる。
擦り傷を作り、砂まみれになったエレナの身体が止まった。流れる血。地面に染み込み、染み込み切らなくなった血が表出する。そうして地表に浮かんだ血に、自らの肉体が沈んでいく感覚。
手足の感覚も、無くなってきた。
――あぁ、ウチ、死ぬ。
数多の改造を行ったことにより積んだ経験が、端的な事実をエレナに告げていた。
だが……死への恐怖はエレナの中には無かった。そんな感情はエレナの中に存在してすらいない。
彼女の中には魔具しかない。彼女の人生は魔具のためにあり、そのためにしか使用されなかった。
〝遥かなる魔具の高み〟へ。
小人族の存在意義にして、エレナの人生の目標。
ドンドンという彼女の先祖が遺した言葉ーーエレナ・ドンドンは……その目的を達するためだけに“作られた″。
正確には……天才ジャック・ドンドンのスペアとして、代替品として、彼女は製作されたのだ。
ジャックと同様に魔具を作り続けさせられ、それ以外の教育を一切与えられなかった。
彼女の中には善悪も、道徳も、教養も何もない。あるのは『良い魔具を作ること』だけ。それ、だけだ。
だけれど、そのためだけに育てられ、そのためにだけ生きてきたエレナは所詮スペアに過ぎなかったのだ。
ジャック・ドンドンという傑作が壊れた時の、スペアに過ぎなかった。
そしてある日……劣等感の対象である兄が、父を殺して逃亡した。
ああ、これで自分が一番だ。スペアじゃない。
家族を二人失って、しかし気分は晴れやか、意気揚々と里に帰ってきたエレナ。
そのエレナを……里の小人族は洗脳した。
【能力】などではない。むしろそちらの手段を取った方が何倍も良かったと断言できる。
それほどまでに、最低の手段の洗脳だった。
里の小人族は、まだ幼かったエレナを拷問したのだ。
幼子が受けるには酷すぎる拷問。精神が崩壊するまで、エレナは里の人間に拷問された。
そうして摩耗しきったエレナに……里の人間は囁く。
『この痛みはジャックのせいだ』『兄を憎め』『お前は魔具を作る我々の魔具だ』
『そして……ドンドンの遺志を、お前が継ぐのだ』
こうして……劣等感を憎しみに、憎しみを原動力に変え、今のエレナは完成した。
族長という地位に据えられ、彼女は小人族の作り上げた魔具となったのだ。
――ウチは、あのクソボケ腐れクズに届かん……駄作やったんか。ウチじゃあ、ドンドンの遺志を継ぐことなんか、できへんかったんか。
エレナの胸中に浮かぶそれは、絶望だった。
ジャックに負けることは、自分が一番ではないことの証明だ。自分の存在意義が否定されることだ。
自分が……駄作だということだ。
作られた目的も達成できない、破棄されるべき駄作だということだ。
絶望に抱かれ、エレナは自らの命を終えようとしたとき。
「オイオイ、こんダァホが。なんでこないな戦場におどれみたなクソガキがおんねん」
慣れ親しんだ小人族訛りが、耳に届く。
この戦場には里の人間は来ていない。ならば、この言葉を話すのは一体……。
エレナは最後の力を振り絞って、その瞳を開けた。
長く、燃え上がるような赤髪を後ろに流し、黄金の如き金の双眸。小さな体躯。エレナも持つその特徴は――
「……っは。とうとう、ウチも死んだか。ドンドンが、お迎えに来よったで……」
自らの先祖であり、伝説であるドンドンの特徴。
エレナは自らが死んだことで、かつて存在した伝説の魔具職人ドンドンの姿を幻視していると思い込んでいた。
しかし現実は、ドンドンは自らの肉体を改造人間にすることで生きながらえており、彼女の目の前にいるのは伝説の先祖そのものである。
「んあ? なんで俺様の名前……ッあぁ、おどれも俺様の子孫か、こんダァホが。なぁんやッけか……アイツが言うてたんは……エレナやッけか?」
「っ! ウチの名前を知っとるんか!」
「落ち着け身体起こすなこんダァホ! 血ィ出とる血ィ! ……まぁ、お前は優秀やッて、お前の親族から聞いてるからな。特別に俺様も覚えといたッたんや」
――親族……親父か……? 親父が、ウチのことを優秀やって……っ! ウチのこと、スペアやなくて、ちゃんと見とって……!
伝説たるドンドンに自らの名前を知られていたことと、親族の存在を勘違いした褒め言葉で、エレナの顔が本来の彼女の顔で喜色ばむ。
だが、それもすぐに消えた。エレナは顔に暗い影を落とし、魔具のように冷たい瞳でドンドンを見る。
「ドンドン、最期や。教えて欲しい。ウチは……ウチの作った魔具は……〝遥かなる魔具の高み〟に――いや、ウチはボケゴミ屑に負けたんや。そんなウチが、最強の魔具とか、高みとか……おこがましいな」
エレナは力無く、血の海に体を横たえた。絶望しきっていた中で、ほんの少し、報われた。存在意義のない自分にはできすぎたくらいの報いだ。これ以上は、望めない。ドンドンは……目を閉じようとするエレナに向かい、ゆっくりとした足取りで近づく。
「はぁ……こんダァホが。どいッつもこいつも俺様の有難い言葉を間違えて伝えやがッてダァホが。
おい、エレナ。よぉ聞け、一回しか言わんぞ。
〝遥かなる魔具の高み〟は最強の魔具とかいうモンやない。そんなありもせん幻想はさッさ捨てろ。
〝高み〟は……ッあー、なんや。俺様のことや。俺様と同レベルの技術を身に着けやがれこんダァホ。
そう願って、俺様はこの言葉を残した」
「なん……やて……」
エレナの常識がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。ドンドンの言葉は、エレナの存在の根幹を揺るがすほどものだった。
だって、彼女はそれを目指すために作られ、そのために生きてきたのだから。
自失するエレナに構わず、ドンドンはエレナの傍に膝を着き、さらに言葉を続ける。
「ほんで、お前の魔具やけどな……〝遥かなる魔具の高み〟には、届いとらんわ」
続けて放たれたその言葉は、エレナを絶望のどん底に叩き落とすには十分すぎる言葉だった。
ドンドン本人から告げられた、エレナの魔具の否定。エレナのこれまでの人生の否定。ぐわんぐわんと、頭が揺れる。
『〝遥かなる魔具の高み〟には届いとらん』その言葉が何度も何度も頭の中で反響する。
届いていない……分かっていたことではあった。だが、確定ではなかった。ドンドンの言葉を聞いて、もしかしたら、という思いがあった。
だが、否定された。
これまでの人生、魔具のために生きた。それだけのために全てを捧げた。死に物狂いで努力した。
植えつけられたものであっても、それしかエレナには無かったのだ。
「あー、もうこんダァホ! 泣くな! やからガキは嫌いやねん!」
「な、泣いてなんて――っ! がふっ」
「喋んなダァホ! 血ィ出とるッて言うとるやろうがッ!!」
涙と血がエレナの顔を染めていく。気を抜けば一瞬で薄れて消えてしまいそうな意識で、エレナは震える唇で縋るように言葉を絞り出した。
「ウチの、魔具……何が、あかんかったん……。ウチは、どうすればよかったん……。
どうすれば、〝高み〟に……」
「喋んな言うたやろダァホ! んでなんや? おどれの魔具のアカンとこか?
んなもん魂込もッてないからに決まッとるやろうが。おどれ、魔具作るときに何考えとんねん。
兄貴ブッ殺すことしか考えとらんやろうがダァホ。そないな気持ちで魔具作んな。
それと、生きてるモン魔具にして魂込めるんは大概失敗するんや。魂持ってるやつ無理くり弄じ繰り回して、こっちの魂ブチ込んでも拒絶するに決まッてるやろが。
人体改造は、ちゃんと相手と己の魂合わせんかいダァホ。
ただ……技術は十分や。おどれの腕は、十分に〝高み〟に至れる資格がある。
やからあとはそのくッだらん執着さッさ捨てろダァホ。
そんだら……そこが〝高み〟や」
「技術は……十分……?」
――ウチは、とっくに〝高み〟に行けた? 〝高み〟に行けるだけの資質はあった?
あの腐れボケカス裏切りモン畜生への憎しみで魔具を作ってたから、魂籠った魔具になってなかっただけ?
あのボケーージャックの魔具から伝わってきた想いで魔具を作れば……それだけ?
……はは、アホらし。そんな、そんな単純なことやったん? それだけで、ウチは行けたん?
「……………たぃ」
「あ? なんや?」
「……作りたい。あと、一作だけでええから、魔具……作りたいよ……」
両目から流れる涙。エレナの本心からの叫びが零れる。
ジャックのことなど、里のことなど関係ない……憎しみに囚われないエレナの声。
〝高み〟に至れるというドンドンの言葉はエレナの頭の中から憎しみ、妄執、執着の何もかもを吹き飛ばした。
そうして残ったのは、狂おしいほどの純粋な欲求。
作りたい。魔具を、作りたい。
事ここに至って、命の消え失せる間際になって、ようやく。エレナは小人族の呪縛から解き放たれたのだ。
ジャックが命を張って伝えた己の思いを手繰り寄せ、エレナは本来の自分を、魔具になる前の自分に戻ることができた。
「安心せぇやダァホ。おどれの目の前におんのを誰やと思ッとんねん。至高の魔具職人ドンドン様やぞ。
おどれの魂が生きたいッて望むんなら、俺様の魂でそれを叶えたる。
生きろ。薄汚れ、堕落した小人族の寵児。お前らこそ、俺様の待ち焦がれた子孫やねんから――」
優しく、包み込むような彼の言葉。
彼が手にした魔工具が、彼の魂を照らすように輝きに包まれる。
その暖かな父祖の光に包まれ……エレナは意識を手放した。