第百三十二話ー吸血鬼族の王
剣戟。甲高い、金属のぶつかり合う音。
闘争の音は、目まぐるしく場所を変えて鳴り響く。
大地を蹴り、空を打ち付け、空間を跳び。
不可侵の黒壁と吸魂の赤剣が絶え間なく打ち合わされる。
吸魂の赤剣ーー王剣ダーインスレイヴを扱うユナは右掌を相手に向け、照準を定める。
王剣を持つ左手を引き絞り、その剣尖を定めた照準に合わせて、
「護身王拳・堕落剣!」
放つ! 血を煮しめたような形状の王剣はユナの手を離れ、気味の悪い薄ら笑みを浮かべた敵の喉元へと向かう。
「絶対不可侵の王域」
剣尖の対象となっている敵ーーハクシャクは頭部後方の空気を固定。
彼の万物を固定する【チカラ】、【固定化】により空気を固定すれば、それはすなわち、全ての攻撃を遮断する最硬の防護壁だ。
キィン!
甲高い金属音。ユナの投げた王剣が、転移させた後の軌道まで読み切ったハクシャクの黒壁に弾かれた。
剣を手放したユナは、素手でハクシャクに突撃。
両手に嵌められた赤い腕輪と黒いブレスレットから、闇と火を混成させた黒炎を放つ!
「護身剛拳・餓婁!」
一撃一撃が容易く地を割る剛の拳。
規格外の拳が、嵐の如き乱打でハクシャクに襲いかかる。
「クハッ! この程度、柔拳を使うまでもない」
が、数多の経験を纏めて有するハクシャクに、その拳は当たらない。
全ての拳が読まれ、ひらりひらりと体捌きのみで躱される。
しかし、躱されることなどユナは百も承知。
ユナの狙いは、別にある。
「過信、慢心……貴方の弱点ですよ、ハクシャク!」
「っ!?」
ハクシャクの脛に、王剣が突き刺さった。
ユナは弾かれた王剣を足元に転移させ、柄を蹴り飛ばしたのだ。
拳打に気を取られていたハクシャクは、飛来する王剣を避けられない。
王剣はハクシャクの血を吸い、魔力をその真紅の刀身に溜め込み始めた。
「小癪な……小娘がァ!」
怒気、怒声。胸中渦巻く怒りと共に、ハクシャクの全身を覆う黒茨の刺青から闇が噴出。
噴き出た闇はねっとりとした粘性を有し、ユナの足首を絡め取った。
「っ、気持ち悪ぃ……っ!」
「この私を見下すな! 私は吸血鬼族の王だ!
公爵家の血も! 王族の血さえも私の中にある……この世で最も高貴なる存在なのだ!!」
触れられた闇は悍ましくて、悪寒がユナの背中を走り抜けた。
まるで、ハクシャクの有する醜悪そのものに肌を撫でられているような感覚。
その気持ちの悪さから抜け出すために、ユナは自身の身体を転移させる。
「ーー貴様の方が、格下だ」
「っ、ぐぅっ!?」
ハクシャクの足に刺さった王剣を奪取しようと、あえて至近距離にーーハクシャクの足元に転移したユナ。
ダーインスレイヴは……掴んだ。
だが、その動きを予測していたハクシャクがユナの頭を蹴撃。
額を強打し、ユナの口から漏れる苦悶の声。
ハクシャクはドラゴンの革でできた靴で、自分の優位を示すかのように陰湿に、ユナの後頭部を踏み躙った。
「私の方が……王に相応しい。貴様は黙って私に血を差し出していれば良いのだっ!」
「くっ、ぅ!」
ユナは手首に嵌められた一対のブレスレットの片方を自分を取り囲むように拡張して地面に、もう片方を数メートル先に跳ばし、即座に繋ぐ。
空間と空間が闇で繋がれ、ユナはその黒面に落ち、転移。ハクシャクの追撃から逃れた。
ユナの額は切れていて、血が滴る。
が、そんなことなどお構い無しと言わんばかりに、ユナは護身王拳の構えを取る。
「ハクシャク……貴方に王位は渡しません。
貴方程度の人物に……王の地位は重すぎます」
「黙れ! 純血と強さこそが王の条件!
最強であり続けることが! 吸血鬼族として生まれ落ちた者の責務!
純血を捨てて劣等種の血を取り込み、下等な人族に身をやつしていた貴様は!
王と為るには不適格だ!!
私が王だ! 我々は……全ての種族の頂点に君臨する種族だぞ!」
ハクシャクの……ドス黒い瞳。
闇一色に塗りつぶされた、全てを見下す瞳が……狂気に輝いた。自らの優位を疑わない、自らが最上位でないと気が収まらない化け物。剥き出しになった“アザロ”の本心が、闇となって茨の刺青から吹き出す。
「ーーだから、死ね。私の治める国に……貴様のような存在は要らない」
それは地表を這いずり、侵食していく。大地が闇に犯され、ユナはたまらず空中に飛んで回避。ハクシャクを中心に、同心円状の平面に広がる闇。地を埋める闇は全てを引きずり込む地獄の入り口の如く、不気味に波打っていた。
「閻魔の空間」
「っ!」
地上から、空中にいるユナに向けて闇が襲いかかる。
時には槍のように地面から闇が伸び、時には弾丸や剣が飛ばされる。
回避しても回避しても、闇が地上から降り注ぐ。
どこに飛んでも逃げられない。どこまでも追ってくる闇。
攻撃範囲は……闇が覆った大地の上空全て!
大地を支配下においたハクシャクは蝙蝠のような翼で空を打ち、ユナと同じ空中に飛び上がる。
「覇上の空間」
そうして、ハクシャクは闇の球体を空中に撒き散らし始めた。
全身に刻まれた黒茨の刺青から、バスケットボール大の球体を百、二百、三百と。
地上からの闇の猛攻は未だユナを襲い続けている中、浮遊し散乱する闇の球。
それらは回避するユナの行動を制限するが、ハクシャクの放つ攻撃が……ただの行動阻害で終わるはずもない。
「あぅっ!?」
爆発。
地上から伸びる闇槍を避けたユナの背中に闇の球が軽く触れた瞬間……爆ぜた。
空に浮かぶ闇球は、魔法によって生み出された一種の空雷だ。
背中を爆発の衝撃が襲い、一瞬鈍ったユナの腹を地上から飛び出した闇の弾丸が貫く。
漏れる呻き声、溢れる血液。
歯を噛み締めながら、さらなる追撃をユナは躱す。
だが、ハクシャクの攻撃はまだ止まらない。
「王の空間」
ハクシャクの身体から闇の魔力が噴出する。
濃密な魔力は空気を押し出し、魔力無き弱者を死に至らしめる暗黒の空間。
それほどの凶悪な効果を秘めた技だが……ハクシャクの真の狙いは呼吸を奪うことでは無い。
黒。暗黒。
ハクシャクを中心に球状に広がる黒の魔力は……今までハクシャクが放った全ての攻撃の姿を完全に覆い隠した。
どこに空雷があるか分からない。
どこから攻撃が飛んでくるか分からない。
そしてこれこそが、ハクシャクの真の目論見。
三つの技により生み出されたこの空間こそ……ハクシャクが用意した城!
「悪夢の王城」
ユナの視界を埋め尽くす一面の黒。闇。
視界を埋めるだけでなく、魔力探知さえも塗り潰すハクシャクの闇の魔力。
圧倒的。いっそ理不尽とまで言える膨大な魔力量に任せ、作り上げたハクシャクの牙城。
見えない攻撃が眼下から飛来し。
空間には無数の空雷。
加えて迫る……ハクシャク自身!
「この空間は……もう私の支配下だ。
貴様は無様に踊るがいい!」
「か、っぁ!」
周囲の全てがハクシャクの魔力で満たされているため、魔力探知が困難になり、視界までも失われた暗黒の世界。
地上からの攻撃と空中の空雷を慎重に回避しているユナに、ハクシャクの拳が突き刺さる。
吹き飛んだその先には、空雷。そして爆発。
連鎖爆発を防ぐため、爆風によって飛んでいきそうになった自身の肉体をユナは無理やり押さえ込んだ。
ーー空間の制圧。膨大な魔力量に任せた攻撃。
……厄介ですが、わたしならばどーんと問題ありません!
ユナは王剣を持っている左手の拳を……自らの口元に持っていく。
そうして近づいてきた王剣の柄に……尖った犬歯を差し込んだ。
紅い王剣から、血液で出来た王剣から、ユナは吸血する。
王剣ダーインスレイヴとは、ユナの遠い先祖の吸血鬼族・ヴィルヘルムの血を煮しめて作られた剣であり、吸血特性を有する剣である。
王剣の中には……過去の怪物、悪夢の魂ーー魔力がそのまま封印、貯蔵されており、ユナは王剣に対して吸血することでいつでも彼の魔力を引き出すことを可能としている。
「ぷはっ。ーーいきますよ」
魔力が全身に漲る。ユナは両手に嵌められた闇の魔具ーー漆黒のブレスレットに強く魔力を注ぎ込む。
目も眩むほど、黒色の輝きを放つブレスレット。
ここがハクシャクの生み出した闇の空間でなければ、その黒い光でユナ自身も目を細めていたかもしれない。
超大な魔力が込められ、魔法が具現化する。
「忘色空間」
ブレスレットから噴き出す闇。
夜の色をした闇はハクシャクの空間を上書きするように広がっていき、
「見つけましーーっ!?」
ハクシャクの魔力の……“色”を消した。
ユナの闇属性の司る権能は……【空間】。
彼女の魔力が尽きぬ限り、如何様にでも空間を操ることのできる【チカラ】!
空間を操ることに掛けては……ユナに軍配が上がる!
今回、ユナは生み出した闇で塗り潰した空間のルールを書き換えた。
『闇の魔力の色は透明になる』
ユナの闇が通った空間の闇の魔力は色彩を失い、空雷の位置も、拳を振りかぶったハクシャクの位置も、ユナは視覚で把握することが可能になった。
だが、同時に把握できたことは……ユナの周囲がハクシャクの闇の魔法で包囲されているということだ。
ユナの周囲を埋めるのは闇の針。
それは実在したかも疑わしい伝説上の拷問具の如く、ユナに向かって一斉に向かう!
「鉄の処女!」
鉄の処女、アイアンメイデンとも呼ばれる拷問具のように、闇がユナに迫る。
凶暴に口角を吊り上げたハクシャク。
その拳にはドス黒い闇を纏わせている。
ーー転移……っ、いえ、ダメです!
今、ブレスレット無しの転移するのは……っ!
通常のブレスレットを利用した転移では間に合わず、きっとユナは串刺しになる。
この攻撃から逃れるにはブレスレットを介さずに瞬時に転移する他ない。
だがそれは、通常よりも過分に魔力を必要とする。
世界のルールを書き換えるほどの空間操作を行った直後に、また大量に魔力を使えば、あっという間にユナの魔力は枯渇するだろう。
二度目の魔力を補給する隙を、ハクシャクが与えてくれるハズも無い。
ここで引くことは負けに繋がる。
だからユナは、判断した。
「護身王拳……んぅっ!!」
それら全ての針を身に受けて、前に出ることを。
ユナの陶磁器のような白い、滑らかな肌に深々と突き刺さる黒の針。
真紅の血液がユナの肌を伝っていき、抑えきれない呻き声が口から漏れ出す。
それでもユナは俯かず、目を開けて前を見る。
赤と黒のオッドアイをギラつかせ、迫る拳を見極める。
惚れ惚れするような美しい軌道のハクシャクの正拳突き。
なればこそ、見切るのは容易い。
顔面の横を貫いていく闇を纏った拳。
驚愕に歪んだハクシャクの顔を見て、胸がすく。
レイピアの如く構えた王剣ダーインスレイヴ。
ユナはそれを、ハクシャクに向かって突き出す!
「堕落……剣!!」
「がっ……あ……?」
深々と腹に突き刺さり、貫通する王剣。
流水のように流れ出んとする血を一滴残らず吸い、ハクシャクの魂を削り取る吸血の剣。
大量の魂を吸い、王剣が躍動する。
五百年前、ヴィルヘルムが悪夢を封印したように。
ユナは王剣内にハクシャクをーー!
「…………な、ぁ、めるなぁあぁあアああぁあぁあぁアァあぁあああああぁああぁあぁあぁ亞ああアああ阿ァあ!!!!!!!」
「なっ、ぐぅう!!!」
護身剛拳・滅獄墜。
両手を組み、鉄槌に見立てた凶器がユナの後頭部に振り下ろされた。
ユナは王剣をハクシャクの腹に残し、真っ逆さまに地面に向かって堕ちて、激突。
咄嗟に体勢を変え、頭を打つことだけは防いだが……、
「ユナちゃん! 大丈ーー!?」
「お姉……左腕が……っ」
その代償に、ぐにゃりと折れ曲がってしまった左腕。
ズキズキと苛む苦痛に耐えながら、ユナは右手を突き、立ち上がる。
どうやら、ユナは地上の戦場にまで落とされてしまったらしい。
ユナの後ろで心配そうな瞳を向けるゴンさんとクルミーー周囲を見守る、ユナの守るべき国民たち。
不安気な彼らに向けて、ユナは右手の親指を立てて応えた。
大丈夫だと。心配することはないと。
気丈に胸を張り、仲間たちの不安を拭い去って。
彼女は彼女の戦場に立つ。
そして、一瞬後。
より深くなった真なる絶望が舞い降りてきた。
「……っ!」
「ククク……クハハハ……く、ハハ、ハハハハハハハハハハハハハ ハ ハ ハハハハハ ハ ハ ハ!!!」
ユナの目の前に落ちてきた気味の悪い魔力。
……いや、目の前のソレはもはや気持ちが悪いとか、気味が悪いなどという次元を超えていた。
吐き気がするほどドス黒い、目の前に立たれるだけで気が狂う醜悪。
禍々しくて、悍ましい。悪辣にして害悪。
この世の全ての事物の頂点に君臨する邪悪。
かつて人は……その存在を指して悪夢と呼んだ。
だが、目の前の男は明らかにその災厄を超える--邪悪な悪しき圧力を放っている。
全身に鳥肌が立ち、冷や汗が止まらない。
逃れられない恐怖、抑えきれない嫌悪。
夢であったら、どれほど良かったか。
そう人々が諦め、畏怖したバケモノを容易く超える怪物。
瞳を混沌の闇色に染め……王剣内に居た、かつて悪夢が吸い尽くした人々をも完全吸血したハクシャクが、そこにいた。
「これほどの高揚を覚えたのは私の中のどの記憶にもない……アァ、最高の気分だ」
ハクシャクの過大な魔力、累乗することの…….悪夢の膨大な魔力!
世界の全てを闇で埋め尽くすことさえ可能な大魔力。
この世界の隅々まで広がるハクシャクの邪悪な魔力。
数多の生命を取り込んだ悪夢が、ユナのーーかつての英雄の子孫の前に顕現した。
「聞くがいい……私に牙を剥いた者共よ。
王剣ダーインスレイヴは私が吸い尽くしたことにより失われた。
この見窄らしい王女が懸命に生み出した傷も、潤沢な魔力により塞いである。
もはやこの王女に砂粒ほどの勝機も存在しない」
口角を吊り上げて。闇色の瞳を歪ませて。
醜悪な声を周囲に響かせるハクシャク。
彼はユナを無視してぐるりと周囲を見渡し、視線を動かす。
まるで……もはやユナなど恐るるに足らないと言うように。
その視線の矢先に向けられた幾人かが……絶叫し、身体を掻き毟り始めた。
彼らはハクシャクの瞳の中に自らが写った瞬間、その瞳に写った全ての皮を剥いでしまいたくなったのだ。
その瞳に写り込んだ痕跡を全て消し去ってしまいたい衝動に駆られたのだ。
それほどまでの醜悪さ。それほどまでの、嫌悪感。
ハクシャクはその狂気的な状況を無視して、雄弁に言葉を紡ぐ。
「……どうやら私の部下は全員やられてしまったようだな。
あぁ、別に君ら純血の吸血鬼族を責めやしないさ。弱い者が悪いのだ。
むしろ褒め称えたいくらいだ。完全吸血も無しに、よくぞ私の部下を倒して見せた、とな」
自らが圧倒的優位に立ったことで饒舌になるハクシャクの舌。
自らが最上位に立ったことで満たされる歪んだ自尊心。
ユナはそんなハクシャクを苦々しげに睨みつつ、胸元のネックレスを折れた左手で握りしめた。
「私は強い者を好む。強い者しか好まない。
弱者は私の国にーー吸血鬼族に要らないのだよ。
だから、つまり君らには…….私の国に居る資格があるということだ。
この際、一度私に歯向かったことは不問にしよう」
ハクシャクは吊り上がった口角を更に広げる。
耳まで裂けるように広がった口は根源的な恐怖を煽り、それを見てしまった者の心臓を冷たく握りしめる。
「ーーーー来い。私の国に」
にぃぃっ、と笑ったその笑顔は人々の心を狂わせるに十分だった。
囁き声ほどの不快なその声はするりと耳から侵入し、彼らの脳を揺さぶる。
「下等な伴侶を棄て……穢らわしい混ざりモノを殺し……私の元に来るのだ。
今ここで無様に命を散らすより……吸血鬼族として誇らしい生を得る方が、よっぽど素晴らしいだろう?」
ハクシャクの言葉は全てまやかしだ。
そんなことは分かっている。その選択をしてしまえば、自分は死ぬよりも辛い生き地獄を味わうことも理解できる。
だが、その理解を上回る……ハクシャクの悪夢。
正常な判断を狂わせるハクシャクの醜悪な存在感。
肌で感じる、リアルな死の未来。
それらを前にした人々は思考を放棄して、全てを投げ出して、そこに頭を垂れてしまいたくなる。
否、実際にそうなっていただろう。
彼らの前に、彼女が立っていなければ。
「誰が……貴方みたいな独りよがりに着いていくものですか」
全身から血を流しつつも、確かな二本足で立つ少女。
黒と白の翼を掲げ、国民の前に顕然と立つ王女。
その背中は小さくて、とてもとても国を支えられる大きさではない。
若く、経験が浅く、時に思慮が足りない。
ーーそれでも“王”である彼女がそこにいるから。
彼女の背中にいる国民たちは知っている。
彼女が国のために捧げた八年間を。
石を投げられ、追い立てられて、ぬかるんだ地面に身を投げて、裏切られ、血を流し、力を失い、森で寝て、逃げて、冷たい地面に慣れ親しんで、砂を齧り、雨露を飲み、野草を食み、モンスターに襲われ、裸足で、血反吐を吐いて、武器もなく、鼻水を垂らして、非力で、病気に犯され、盗賊から隠れて、雹を浴びて、帝国に見つからないように、砂漠を歩いて、栄養不足で、走って、汗を流し、泥水に倒れ、孤独で、膝を抱えて、歯を食いしばって、踏ん張って、涙を流して、独りぼっちで。
ずっと。
ずっと!
ずっと。ずっと。ずっと!!
国を想い続けた八年間を!!!
たった独りで、味方もおらず。
帝国に抗い、ハクシャクに抗い、国を取り戻そうと戦い続けた八年間を。
国民たちは……知っているのだ。
だから国民たちは彼女に着いていく。惑わされずに、従う。
ハクシャクではなく、ユナ・フェルナンデスという吸血鬼族の“王”に。
「貴方は……誰かの上に立ちたいだけ。
吸血鬼族以外を見下して……自分以外を下に見て……自分が一番凄い人間なんだって思いたいだけ。
そんな人間に……王の地位は重すぎます」
ルミナスの赤目。ユリシアの黒目。
二人分の魂を宿したユナの瞳が、眼光を放つ。
両手に嵌められた腕輪とブレスレット。
赤と黒の光が溶け合い、顕現する黒炎。炎の形をした闇。
全てを抱擁するような夜の色。
国民たちは、煌々と燃え盛るユナの闇を見て……平静を取り戻した。
「クハッ。もはや貴様が何を言おうと戯言に過ぎぬ。
結局は……この戦いの勝者が王者となるのだ。
ここで殺される貴様に吸血鬼族の王たる資格はーー」
「それは違いますよ、ハクシャク」
外野から、声が差し込まれる。
不快を極めたハクシャクの視線の先にいたのは、
「ジュリアス……」
ユナの父親。最強の監察官であるジュリアスだ。
壮健とした出で立ちで、ハクシャクの醜悪さに怯むことなく、彼はその視線を真っ向から受け止める。
「吸血鬼族の王を決めるのは強さでも、純血でも、ましてや初代様の血統でもありません。
それらは歴代の王たちが持つ資質ではありました。
ですが、彼らが我々吸血鬼族の王たり得た理由はそこにはない。
王を決めるのはーー我々、国民ですよ」
ジュリアスは自分の娘であるユナの方を向く。
「我々が選んだから、我々が望んだから、彼らは王であれた。
王であることを認められたものだけが、王になれるのです。
我々が認めたのはユナです。
我々のーー吸血鬼族の王として定めたのはユナ・フェルナンデスただ一人です。
ハクシャク、貴方では無い。
貴方がユナを討ち負かしたとしても、貴方が吸血鬼族の王になることは……絶対にあり得ない!」
王は、民が認めて初めて王と為る。
誰かに認められ、慕われ、望まれて初めて人は他者の上に立てる。
十人、百人、千人……認める人々の数が増え、それが国という単位になった時、国民に見初められた一人が王と為るのだ。
自称の王に、何の意味もあるはずがない。
ジュリアスの言葉に吸血鬼族たちは……ユナを慕う者たちはハクシャクを強く睨みつけた。
「そうよハクシャク! ウチらはアンタなんか絶対に王とは認めへん!
何が純血の誇りや! 尊い存在や! そんなけったいな考えに、ウチらは絶対に従わん!」
ジュリアスに続いて、人々の輪から飛び出したクルミも声をあげる。
「ウチはハーフや! 混血や!
アンタが否定するそれがーーウチの誇りや!!
獣人族のおとんと、吸血鬼族のおかん。
ウチの大っ好きな二人が混ざったコン血ぃが!!
誇り以外の! 素敵以外のなんやて言うの!」
狐の耳に、狐の尻尾。コウモリの翼に、赤い瞳。
獣人族と吸血鬼族。
二つの種族の入り混じった姿をした混血の少女はハクシャクの邪悪に臆することなく、さらに一歩、前に出た。
「ウチの中のコン血ぃを否定するアンタを!
ウチの大好きなおとんの血を否定するアンタを!
ウチらは絶対に認めへんよ!!
これはウチらの総意や! フィルムーア王国の国民の意志や!!
例えお姉が負けても! アンタがウチらを皆殺しにしても! この意見は絶対に変われへん!!
お姉が王様や! ウチらが大好きなんはお姉なんや!!
吸血鬼族の王様は!
フィルムーア王国の王様は!!!
ユナ・フェルナンデスや!!!!」
ぽつり、ぽつり。
クルミの啖呵を皮切りに、声が上がる。
それはハクシャクを否定する声であり。ユナを認める声であり。
ユナを支える……国民の声だった。
その声援は段々と大きくなりーーハクシャクの醜悪を振り払って。
その想いは段々と大きくなりーーハクシャクの恐怖をかなぐり捨てて。
ハクシャクの邪悪をかき消す、地を揺らす轟音となった。
「……よかろう。あくまで王である私に刃向かうと言うのだな。
ならば、この私自ら……この私に逆らい、劣等種族と馴れ合う反逆者どもを断罪してくれよう」
ハクシャクは、闇を具現化させる。
悪夢を完全吸血してから、初めて使う魔法。
過大に過大を累乗した理不尽な魔力が黒茨の刺青を通して、闇へと変換される。
そうしてハクシャクの手の内に顕現した闇は……もはや闇という次元に留まっていなかった。
醜悪で、胸焼けがして……混沌とした邪悪。
闇と定義するにはあまりにも異質で、悪しき魔法。
闇よりも、さらに黒々としたハクシャクの魔法を見た人々は一様に思った。
ーー悪。
ハクシャクの存在そのものを形にしたようなそれは“悪”だ。
森羅万象を黒く塗り潰し、人間の認識できる悪感情を集約した魔法。
見た人間全てに裁かれるべき“悪”だと判じられるハクシャクの魔法はーー『悪魔法』と、そう定義されるのが相応しい。
「ーーさせませんよ。皆さんはわたしがどーんと守ります。
八年前とは違うんです……今度こそ。絶対に!」
ユナも拳を握りしめ、【空間】を司る黒炎をさらに激しく燃やす。
それは、ハクシャクの悪魔法に比べればロウソクの炎にも等しい小さな炎であったがーー同時に、国民を導く確かな灯火だった。
右手に灯ったその道標を。ユナは眼前に掲げる。
「塵芥すら残さず、消しとばしてくれる。
何も残らない荒野の上で、貴様の血を杯に。
新たなる王の誕生を祝おうではないか!」
邪悪で醜悪で惨憺たる……喜悦の笑み。
顔面にそれを貼り付けたハクシャクは手の内の悪魔法をユナの方へと向けて、構える。
「真王の支配!!!!!!」
放たれる暗黒の悪。ユナの眼前に広がる一面の黒。
それはカイルのクリスタルバレットのように直線上に伸びる光線のような魔法、だった。
しかし、ハクシャクのコレは規模が違う。
ユナの視界を覆い尽くすほどの魔法。
余波である悪の波動は太陽の光さえも遮り、視界の全てを闇に落とし込む。
何も見えないーー世界の全てが黒色だ。
何も聞こえないーー悪魔法の轟音にかき消されて。
何も感じないーー数瞬後に訪れる、『死』以外は。
大逆の悪は……全てを、飲み込んだ。
-----------------------
「ク……ククク、クハ。クハハハハハハハハハハハハハハハ ハハハハハ ハハハハハハハハハハハハハハハハハ ハハハ ハハ ハハ ハハ ハ ハ ハ ハ ハ!!!!!」
ハクシャクの眼前には、その周囲には、何も残っていなかった。
遠来からは未だに戦争の音が鳴り響くが、彼の周囲には……もはや何も存在しない。
全てを飲み込んだ悪魔法の残滓が--焼夷弾を放たれた後に、地表に残る炎の如く--大地を黒く装飾しているだけ。
「素晴らしい……ッ! 素晴らしい!!
まさかこれほどまでの威力とは!
前面に放った魔法の余波で! 攻撃の対象では無かった者共までも塵と化した!!」
その凄惨たる地で、一人。ハクシャクは両手を広げて高笑う。
濃密な魔法を放った影響で、ハクシャクの魔力が濃く大気に漂う自らの空間の中で、ハクシャクは勝利に酔いしれていた。
「この力があれば! もはやヴィルヘルムの血統など必要ない!!
私自身が新たな吸血鬼族の始祖となり! 帝王さえも排除して!! 私が万物の王と」
ドスッ。
何かが、何かを貫いた鈍い音。
小さな葉擦れ程度のその音が、ハクシャクの高説を中断させる。
勝利に酔い、身に余る力を手に入れたハクシャクは一瞬--何が起こったのか分からなかった。
ちらり、と瞳を下に向ける。
赤い剣。血を煮しめたような、赤い……短剣。
なんだ、これは? これは、まるで……先ほど吸い尽くした王剣のような--。
ハクシャクの思考は、ここまで。
美しく、鈴のように凛と響く声が大気を鳴らした。
「護身柔拳・奈落頸」
白く、細い右腕。手首には黒のブレスレットと、赤の腕輪が嵌められている。
その腕が、その手が、その掌が。
浅く突き刺さっていた赤き短剣を体内に押し込み……
ハクシャクの心臓を、貫いた。
「!?!? ガッ、アァ!?!?!?」
驚愕と、苦悶に歪むハクシャクの顔。
二、三歩後退し、この所業を犯した犯人を視界に入れたハクシャクの顔が……再び驚愕と、続いて怒りに染まる。
「っ!? 貴様……ッ!! 貴、様ァ!!!」
目の前にいた人物は……当然、ユナ。
それだけなら……ハクシャクがこれほど驚愕することも、怒りに顔を歪ませることもなかった。
「この姿なら……貴方の魔力に紛れて、接近することも簡単です。
魔力量は極々僅かしかありませんし、魔法の残滓のお陰で、闇で体を包めば視界にも写らない。
何より……貴方はこんな下等な種族のことなんて、歯牙にもかけないですもんね?」
烏の濡羽のように、美しく艶やかな黒髪。
線の細い体に……翼は無く、漆黒の二つの瞳が、ハクシャクを真っ直ぐ見つめていた。
「そのような人族の姿で……私を……ッ!! この高貴なる私をォッ!!!」
その姿は……カイルたちと旅をするときの……ユナの姿。
吸血鬼族としてのユナを排した、四分の一の人族としてのユナ。
力も無く。魔力も少なく。特筆すべき特性も無い。
--この世で最も、弱いとされる種族だ。
「認めん……ッ! 認めんぞ!!!
この私が!! 最弱の種族に敗れるなど!!
最強の種族である吸血鬼族が!!
最強の吸血鬼族である私が!!!
最弱の種族に敗れるなど!!」
ハクシャクは黒茨の刺青に魔力を流す。
黒く輝く黒茨から溢れ出した闇を両の手で乱暴に掴み、胸元に空いた穴に押し込む。
そして……自らの肉体に【固定化】をかけた。
「ハァ……ハァ……クッハハハハハ!!
残念だったなァ! できることなら使いたく無かったが、この状況では仕方ない!!
短剣ごと傷口に【固定化】をかけた!
これで短剣によって心臓の傷は塞がれ、この傷は致命傷足り得ない!!
貴様が無様に醜く人族になってまで生み出したこの傷も!!
私の命には届かない!!!!!」
口元から涎を撒き散らし、喚くハクシャク。
彼の処置は、心臓という自らの臓器に空いた穴に、その傷という概念に短剣を固定化するというもの。
これにより、ハクシャクの体内には永遠に短剣が残ることになるだろうが……それでも、この傷で死ぬことは無くなった。
まだ、負けていない。
まだ、自らの優位は揺らいでいない。
まだ……自分の方が格上である。
そう自分に言い聞かせ、歪んだ笑みを浮かべるハクシャクを、ユナは冷めた目で見下す。
「……馬鹿なことを。自分が何をされたか……分かってないのですか?」
「クハハ! ほざけ!! 負け惜しみも程々に--!?」
唐突にハクシャクの膝が崩れ、地面に落ちる。
瞳が開かれ、驚きを露わにしたハクシャク。
彼はこの段階に至ってやっと……己の身に何が起こっているのかを知覚した。
「ば、馬鹿な!? 何故だ!?
有り得ん!! 有り得るわけが無い!!」
己の魔力が……急速に減っている。
初めは膨大な魔力のほんの一握りであったため、気が付かなかったが……今のハクシャクの魔力残量は……悪夢吸血前ほどにまで落ちていた。
急激に減った魔力の変化に身体が不調を訴え、膝を着かせたのだ。
ハクシャクの魔力が減っている原因は、
「王剣ダーインスレイヴは!!
私が吸い尽くして失われたはずだ!!!
何故!!! 何故心臓に刺さったこの短剣が!!!
私の魔力を奪っている!? 私を吸血しているのだ!?!?」
ハクシャクの心臓に刺さった--赤き短剣。
ユナが突き刺した短剣が……ハクシャクを吸血しているのだ。
「逆に問いましょうか、ハクシャク。
何故……二振り目の王剣を作れないと思っていたんですか?」
この時代には……かつて王剣ダーインスレイヴそのものを作ったドンドンという魔具職人が存命している。
そのドンドンが認めたジャックという稀代の魔具職人も存在している。
吸血鬼族であるユナがいて、王剣が作れないはずもない!
戦争前にドンドンに呼び出されたユナは彼らに血を与え、生み出していたのだ。第二のダーインスレイヴを!
「わたしの血を使って作られたダーインスレイヴ。
それが今、貴方の心臓に刺さっている短剣です」
ユナの首に掛かっていた真紅のネックレス。
少し前まで、そのネックレスこそが王剣ダーインスレイヴだった。
だが、今回ユナの首に掛かっていたネックレスは違う。
王剣は開戦前に剣に戻し……その首に、ネックレスにした二振り目のダーインスレイヴを掛けていたのだ!
「ぐ、ゥガ……アァアォア!!!!!」
ハクシャクは、己の失策にようやく気が付く。
固定化してしまった。己の傷口に、ダーインスレイヴを。
この固定化を取り除くことは使い手であるハクシャクにすらできない。
血の短剣は心臓に刺さったまま、ハクシャクの血を--魂を吸血する。
「ッグ!! いいのか!? 私の中には、貴様の両親がいるのだぞ!!」
苦し紛れ以外の何ものでもないセリフ。
ユナの中のルミナス。彼女の親子の情に訴える--見苦しい悪あがき。
もうユナは……そんなことに惑わされたりしない。
「わたしのお父様とお母様は八年前のあの夜に命を落とされました。
そのような戯言を、二度と口にしないでください!」
毅然とハクシャクに言い放つユナ。
その厳然とした態度に、もうどうしようもなく詰んでいるこの状況に。
ハクシャクは初めて、敗北を意識した。
「ッ、が! 認められるか……この私が!!
こんな下等な種族に敗れるなど!!
私が王だ! 私が頂点なのだ!!!!
私は最強の吸血鬼族の王だぞ!!
敗北など許されない……ッ!!
殺してやる……殺してやるぞ下等種族がァ!!!!」
魔力を失えど、その肉体はまだ残っている。
敗北を許さない傲慢なハクシャクの魂は、肉体に指令を下し、非力な人族となったユナの首をへし折ろうと手を伸ばして--!
「我々の王に何をするつもりですか、下郎」
「き、さまッ。貴様ら! 何故、生きている!?」
横から割り込んできたジュリアスにその手を振り払われ、仰向けに倒れ込む。
倒れ、写った視野に写る多くの人影。
ハクシャクは……フィルムーア王国の国民たちに囲まれていた。
「ユナが生きていて、我々だけが死ぬ訳がないでしょう。
彼女も、我々も。余波も届かないほどの遠くの安全地帯に転移しただけですよ。
そんなことにも気が付かず、自らの力に溺れるから……そうやって刺されたのですよ」
ハクシャクは仰向けに転がったまま起き上がろうとして起き上がれないでいる。
もはや身体に力も入らないのだろう。
「王が……高貴な私が……ッ!!!
こんな、こんな……ッ!!!!!!!」
「違いますよ、ハクシャク。貴方は王ではありません。
わたしが……ユナ・フェルナンデスが、吸血鬼族の--いいえ、フィルムーア王国の王です!」
ユナはジュリアスの前に出て、ハクシャクに向かい、宣言する。
もはや何もできなくなったハクシャク。
魔力を吸い尽くされ、魂を削られているハクシャクに向かって--ユナは右手を向けて、沙汰を言い渡す。
「反逆者ハクシャク--旧名アザロ・カニバル・デリドット。
前王、前王妃の殺害、反逆、禁忌の侵犯--犯した罪は数知れず、到底許されうるものではありません。
過去、これに比肩する罪を犯したのは悪夢ただ一人。
よって、わたしの父祖ヴィルヘルムの例に倣い、貴方をダーインスレイヴに封印します。
犯したその罪を……魂が擦り切れるまで悔い続けなさい」
--視線を感じる。この私を、王たる私を見下す数多の視線を。
罪だと? 悔い続けろだと? 巫山戯るな!
私に命令するんじゃない! 私の上に立つんじゃない! 私が王だぞ! 私が頂点だぞ!
止めろ! 見下すな! 私を下に見るんじゃない!!!
誰よりも強く、誰よりも高貴で、誰よりも上に立つ私を、下に--!!!!
傲慢な想いを巡らせているハクシャクの胸元が、陥没する。
心臓部分に、ダーインスレイヴに肉体が吸い込まれていく。
……始まってからは、一瞬だった。
見る見るうちにハクシャクの体が飲み込まれ、消える。
カラン。と小さな音と共に、固定先を失った血の短剣--二振り目のダーインスレイヴとハクシャクの衣服だけが地面に落ちた。
静寂が占める空間の中、ユナは……ゆっくりとそれに向かって歩みを進める。
一歩地面を踏むたびに、言葉では言い表せない感情がユナの身体の中を巡る。
父と、母の姿。国民を守るために命を落とした二人の姿が脳裏に浮かぶ。
全てが狂い始めた八年前のあの夜も。
裏切られ、全てを投げ出したくなった日も。
何よりも心地良い居場所となった仲間たちの顔も。
死を望み、処刑台から眺めたあの景色も。
国民たちと再会したあの時も。
一歩進むごとにそれらの記憶、付随する感情が浮かび、駆け巡っていく。
そして、最後の一歩。
最後の、記憶は--
「--終わりましたよ、ユリシア。
貴女がずっとわたしを支えてくれたから、わたしは約束を果たすことができました」
親友、ユリシア。彼女の記憶だった。
ユナはこれから先、彼女の献身を忘れることはない。
ユナが折れそうになるたび、彼女との約束がユナを立ち上がらせた。
ユナの旅を……彼女の闇属性の魔法が手伝った。
どんな時も、片時も離れずにいたユリシアの魂。
泉のように湧き上がってくる記憶。感情。
幾星霜積み重なった想いを全身に漲らせて、ユナは地面の短剣に手を伸ばす。
赤い--血のような剣。
悪夢……ハクシャク……彼らが吸い尽くした多くの人の魂が内包された短剣。
熱く躍動し、生きているかのような感覚をユナは感じていた。
その短剣を、ハクシャクを倒したという確かな証をユナはしかと握りしめ、頭上に掲げた。
晴天とは言えない闇色の空に、赤き短剣。
掲げているのは人族の姿をした吸血鬼族の少女。
彼女を静かに見守る多くの種族。
ピシリ、罅割れる空。差し込む光が少女を照らす。
僅かな光を全身で浴び、万感の思いを込め、希望の宣誓を……少女は高らかに謳う。
「悪夢はどーーーーーーっんと!!
終わりました!!!!!」
彼女らしいその口癖と共に、爆発する歓声。
ユナの八年にも及ぶ長い、本当に長かった戦いは……こうして終わりを迎えた。
悪夢は終わり、長い夜が明ける。
朝焼けのように輝く陽光が……フィルムーア王国の国民たちに分け隔てなく、降り注いでいた。