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CAIL~英雄の歩んだ軌跡~  作者: こしあん
第五章〜ノゾムセカイ〜
135/157

第百三十一話ー母であるために

 




 

 シャーラに意識を向けすぎて、背後から忍び寄る吸血鬼に気が付かなかった。

ジュリアスらしからぬ散漫さが致命的な結果を招いてしまった。

いや……らしからぬことはないのかもしれない。

シャーラが口にした通り、失敗をしない……完璧なジュリアスだからこそ、油断をしなかった。

目の前にいるのが自らの弟子クルミの母親であり、かつての同僚だった存在であったため、必要以上に油断せず、周囲への注意が疎かになってしまうほど過剰に警戒してしまっただけだ。


 シャーラであって、シャーラでない存在。

時折見せるシャーラは……紡ぐ言葉、滲み出る雰囲気、どれをとっても彼女そのもの。

しかし、見た目は普通の吸血鬼の男であり、その魂はすでに純粋なものではない。


 かつてシャーラと呼ばれた存在はもういない。

だけれど、濃厚に感じる彼女の気配。

完全吸血の邪悪な部分を知るジュリアスならば、いつであっても、彼女を確実に終わらせるために全力を尽くし、このような状況に陥ってしまっただろう。


 ジュリアスの腹を貫いている貫手。


 それはまさにジュリアスがシャーラに放とうとしていた技。

護身剛拳・堕落頸(フェアデルフ)

手刀で相手の体を貫く、護身剛拳の技の中でも随一の殺傷力を持つ技だ。


 感情を排し、戦闘だけに向けていた思考が白光に包まれる。

思考の全てが一瞬断絶され、ホワイトアウトが起きる。


 そうして思考が戻ってきたとき知覚したのは……自分の心臓に向けて放たれる……避けることも叶わないシャーラの堕落頸(フェアデルフ)ーー。


 死を覚悟したジュリアスの頬を、見知った風が撫で吹いた。









(コン)暁風(ごうふう)!!」



 まだ少々幼さを残しながらも、凛と空間を揺らす声。

ジュリアスの視界を塞ぐ小麦色の豊かな尾。

その尾が大きくたなびくと同時に……ジュリアスの肩口の上をシャーラの貫手が通り抜け、背後の吸血鬼の顔面に貫手が突き刺さる。



「なっ!?」



 シャーラを吸い尽くした吸血鬼の貫手は味方の吸血鬼の脳漿を貫き、即死させる。

自らの貫手を逸らされ、利用されたことによる動揺。

それは、本来のシャーラであれば見せないであろう隙。

混ざり物の吸血鬼の隙を突いて、乱入してきた人物ーー狐の獣人族(ビースト)吸血鬼族(ヴァンパイア)のハーフーークルミは風を手に纏わせ、掌底を繰り出した。



狐葬(コンそう)!」



 クルミの掌底は敵に触れると同時に暴風を巻き起こし、相手を遠くへ吹き飛ばす。

蝙蝠のごとき翼を羽ばたかせ、全身の体毛を逆立たせるクルミ。

周囲への警戒を怠らず、彼女はジュリアスに声を掛ける。



「何しとんのジュリアスはん! コンなところでジュリアスはんがやられたら、ウチらも皆お終いなんよ!?」



 彼女は大部分がふわふわの体毛で構成されている尻尾に手を突っ込み、そこから取り出した血の小瓶をジュリアスの方へチラリとも見ずに放り投げた。



「カイル君の血ぃやから。ソレ飲んで早く復帰してな! それまでの時間稼ぎはウチがやっとくから!」


「ま、待つのですクルミ! 貴方はゴンさんたちの支援をーー」



 ジュリアスの制止も聞かず、クルミは空を駆けていく。

彼女の進む先には……彼女の母親であるシャーラだった存在。

クルミには……こんな残酷な事実を知らせてはならない。

彼女の中で母親はーーシャーラは既に死んでいるのだ。

今更、その傷を蒸し返して混乱させるワケにはいかない。



「全く、困った弟子ですよ……っ」



 ジュリアスはクルミから与えられた血を、フタを開ける時間がもったいないとばかりに容器の小瓶ごと噛み砕き、血を嚥下する。

口内がガラス片でズタズタになるが、得た【能力】からすればそのような怪我は些事に過ぎない。 

口内に残り、溜まったガラス片を吐き出すと、ジュリアスの身体が白炎に包まれる。

刺され、ぽっかりと穴の開いた腹が、何事もなかったかのように塞がる。

口内の傷が癒える。

不死鳥の【チカラ】。【再生】の白炎。

カイルの【チカラ】は、ジュリアスの傷を回帰させた。


 急いでクルミを追いかけようとすると、彼女とジュリアスの間に立ちはだかる数人の吸血鬼たち。

魔力量から勘案するに、彼らは監察官(ヴェルター)を吸っていないただの雑兵。


 その程度なら、今のジュリアスの敵ではない。



「どいてもらいますよ。私の弟子がーーその先で待っていますので」

 


 紳士的な笑みの裏に獰猛な殺気を隠したジュリアスの拳が、障害物をなぎ払っていく。

闘争の音は止まない。ずっとずっと昔から、止まらない。

ハクシャクがアダム王に弓を引いた八年前から……切られた火蓋。

まだ、その戦いの幕は降ろされていない。


 吸血鬼族(ヴァンパイア)の戦いは……延々と、続いている。





------------ー----------





ーーコン状況……ヤバいかもしれんなぁ……。



 クルミは襲いかかってくる吸血鬼たちの攻撃を回避し続けながら、自分の考えを否定した。



ーーかも、やない。ウチは今、絶賛大ピンチやよ……っ!



 クルミは……戦闘方面は有り体に言って凡人である。

それは弱いという意味ではない。むしろ、常人と比べれば、彼女は遥か高みにいると言える。

だが、それは彼女自身に何か特別の才能があったワケではない。

彼女の強さは、八年間ジュリアスの指導を耐えきれば、誰しもが得られる強さだ。


 その程度で得られる強さなど、完全吸血によって容易く覆される。



「“混ざり物”の半吸血鬼(ダンピール)め。

貴様のような下劣な存在は、我ら公爵家の血を有する高貴な吸血鬼の前に立つことも許されぬ」


「穢らわしい半獣! 貴様のような悪しき存在、視界に写すのも悍ましい……っ!」



ーーやったら見んかったらいいやないのっ。

いちいちカンに触る言い方して……高貴下劣ってうるさいねんっ。



 クルミは内心で文句を言いつつ、矢継ぎ早に放たれるーーそれぞれが一撃必殺の威力を秘めた拳を避ける。


 蔑みの視線。不躾な視線。忌む視線。

空中で繰り広げられるこの戦場で、クルミに対してそれらの害意が降り注ぐ。



ーー鬱陶しいけど、正直助かるわ。

コン視線が無かったら、ウチはあっちゅうまにお陀仏やったよ。



 それらの悪意はクルミに敵の居場所を教え、攻撃を回避させることを可能にし、彼女に辛うじて生き残ることを許していた。

このままジュリアスが来るまで何とか耐え凌げば……と、額に汗を浮かばせて軽く一息吐いた瞬間。


 全身を強烈な悪寒が駆け抜けた。



「護身剛拳・煉脚(ヴェルツ)!」

 

「っ、ぅゎ……っ!」



 悪寒が全身を走った、いや、悪寒が発生したその瞬間からクルミは頭を後方に逸らし始めていた。

獣の生存本能とでもいうのか、今すぐにそう行動しなければ死ぬ、という確信が彼女にはあった。


 そんな彼女の喉元を、熱風が撫でる。

蹴り。炎を纏った蹴りが、クルミの喉から薄皮一枚の距離を通り抜けていったのだ。

喉元から、声にならない声が鳴った。

行動がほんの刹那の時間でも遅れていたら、間違いなく首を刈られていただろう。


 冷や汗を滝のようにかきつつ、クルミは大きく後ろに後退。

喉に手を当て、自分がまだ生きていることを確かめた。


 

「……ッチ。外したか」



 目の前で陰険な舌打ちをする吸血鬼の男。

その出で立ちは典型的な悪徳吸血鬼。

青白くて生気のない肌に、気持ちの悪い魔力。

しかし、空中にあってその佇まいは一分の隙も見受けられない。

どこから攻撃したとしても返り討ちにされる未来しか見えない。他の吸血鬼たちとは違う……完成された武術の気配を濃密に感じる。



「公爵家の人らに加えて、監察官(ヴェルター)の人らも完全吸血した連中。ジュリアスはんが言ってた、絶対に戦ったらアカンって敵…… 」



 クルミは息を呑み、全神経を目の前の吸血鬼に合わせようとして……



「っ!!!」



 再び全身を駆け抜けた悪寒に従って思いっきり翼で空を打ち、側方に飛んだ。

クルミが居た場所には誰も見えない。

けれど、気味の悪い魔力は全身の体毛を逆立たせる。

姿は見えないが、確かにそこに誰かが居る。



「【擬態】っ! っちゅうことは……っ!」



 体を捻り、斜め側方に向かって再び回避。

どれほど目を凝らして見ても、その場所には誰も見えない。

けれど、クルミの中に半分流れる獣人族(ビースト)の感覚が告げる。


 そこには敵がいて、クルミを攻撃していたのだと。



「やっば……!」



 全ての攻撃を回避しきったクルミは周囲を見渡し、滝汗の如き冷や汗を流す。

ーー囲まれていた。三人の監察官(ヴェルター)に。

迷彩を纏って姿を消す【擬態】を解除した、先ほどクルミを攻撃した二人。

その二人が、最初の一人と合わせてクルミを中心にした正三角形を形作っていた。

ただの一人でも勝ち目の無い監察官(ヴェルター)が、三人。

純粋で、研ぎ澄まされた殺気がクルミの全身を突き刺す。

銃口を額に押し付けられているような気分。

心臓を握り締められているような不快感がクルミを襲っていた。



「終わりだな、半獣」



 囁くようなその声が、頭の中で残響する。

クルミは足を震わせながら両手を空中に着け、四足歩行の体勢に移行。

翼を広げ、尻尾を立て、全神経を総動員し、最速で攻撃を回避できるように構える。



「クハハッ! まるで本物の獣だな!

穢らわしい血が混ざったことで、二足で歩くことも忘れたか……畜生にまで堕ちた半吸血鬼(ダンピール) !」



 悪し様に罵る吸血鬼の声は今のクルミに届かない。

そんな些事に割く分の意識などありはしない。

まさに今、クルミは生命の瀬戸際なのだ。

このまま誰の助けもなければ、間違いなく殺される。

心臓が激しく拍動する。呼吸が身体の中に響く。


 恐怖が……心の中に湧き上がってくる。



「負けへんよ……負けへんのよ、ウチは……っ!

生きるんや。おとんも待ってるんやから……っ!」



 クルミはぎりりと歯噛みし、その恐怖に抗う。

負けないこととは生き残ること。

ジュリアスに教えられた全ての技術を身体に巡らせ、クルミは震えながら前と牙をむいた。

敵の吸血鬼たちも、いつまでも待ってくれる道理はない。

彼らも既に臨戦体勢に入っており、その拳に凶悪な魔法を纏わせていた。

三方向から発生する醜悪な殺気と、クルミの矮小な闘気がせめぎ合う。

その場が生み出す気配は決して闘争ではない。


 強者による、一方的な獲物の蹂躙だ。



「死ね」



 端的に発せられた死刑宣告。

気味の悪い声は誰が発したのか分からないが、その声と同時に状況は動いた。


 三人の吸血鬼が……吸血鬼族(ヴァンパイア)の最高戦力である監察官(ヴェルター)が一斉にクルミに向かって空を滑る。

三人の殺気に押し潰されそうになりながら、クルミは足元に展開した魔力板を消した。


 クルミの身体が頭を下にして落ちる。

そして、新たに足元に展開した魔力板を蹴りつけ、吸血鬼たちを背後にして急降下。



ーーまずは三人を一緒に視界に入れへんと…….っ!

このままじゃあ嬲り殺しにされて終わりやよっ!



 クルリと縦方向に百八十度回転し、壁に張り付くように四足で停止。

追ってくる吸血鬼たちと正対し、その全てを視界にーー



「っ!」



 クルミの視界に写ったのは、一人だけ。

読まれていたのだ。クルミが取る行動を。

彼らは、曲がりなりにも歴戦の監察官(ヴェルター)の経験を有している。

産まれて高々十数年の子供の浅知恵を予測することなど、呼吸と同じようにやってのける。


 状況は変わらないまま動き続けている。

先手を取られたクルミは、迎撃の準備も不十分なまま三方向から同時にやってくる攻撃をどうにかしなければならないーー!



「護身剛拳・邪失園(ヴァイシャ)



 正面ーー上空から迫る吸血鬼による拳打。

自身の腕を鞭のようにしならせ、独楽(こま)のように回転。

拳の雷魔法が空中に軌跡を残し、円環の雷がクルミに迫る。



(コン)暁風(ごうふう)!」



 対近接迎撃技、(コン)暁風(ごうふう)

クルミは瞳の視細胞に全ての精力を傾け、攻撃を見極める。

拳打の方向……力のベクトル……相手の体勢。

それら全てを詳らかにし、邪失園(ヴァイシャ)の回転の中に身を投じる。


 そしてクルミは……姿を消した。


 否、そうではない。敵の吸血鬼と背中合わせになり、自分も同じように回転することで敵と一体化しているのだ。

周囲から見れば、まるでクルミが唐突に消えたように映ったことだろう。

クルミは左掌の側方を相手の右手首に添えて、相手と呼吸を合わせる。

完全に相手の動きに同調したクルミは左手で相手の動きを誘導し、任意の方向に攻撃を放たせることができるのだ。

気味の悪い魔力が近くに二つ。

自分に向かってくるそれらの内の片方に向かって、クルミは敵の吸血鬼の攻撃を誘導し、投げた。


 一人は飛ばし、一人は巻き添え。

向かってくる吸血鬼は……あと一人。



「護身剛拳・餓婁(ジェイク)!」



 その一人の吸血鬼が選んだのは、風の魔法を纏わせた拳による乱打。

対近接技に特化した回避術である(コン)暁風(ごうふう)とは言え、それは相手の呼吸に合わせることが前提の技だ。

自分と相手が一体であると錯覚させるほど相手と同調しなければ、効果はない。



ーーもう対応されとる……!



 クルミは歯噛みしつつ、拳を構える。

乱打は、不規則な拳の嵐。荒れ狂う風を読むのが困難なように、乱打を読み切るのは難しい。

まして、その動きに同調するなど。

まして、相手が歴戦の監察官(ヴェルター)であるのなら。

(コン)暁風(ごうふう)では対処できない。

今の一瞬の攻防で、そのことが見切られてしまった。



「コン……のっ!」



 クルミは来る拳を反射的に弾く。

自らに直撃する拳を察知し、手の甲を使って相手の拳打を逸らす。

けれど、そのような付け焼き刃の回避で全ての拳に対応できるわけもなく、



「う……ぐ、う……っ!」



 脇腹を抉るように……一発。吸血鬼の拳を受ける。

嗚咽を漏らし、腰を折るクルミ。

ーーそれは、吸血鬼にとって絶好の隙にしかなり得ない。

ラッシュの続きが、クルミを襲う。



「っう、ぐぅううう!」



 第二の拳がクルミの腹を穿った途端、弾かれたようにクルミは跳んだ。

殴られた衝撃を利用し、後方に跳ぶことでダメージを減らし、距離も稼ぐ。

そうして回避してもなお、消えない鈍痛がクルミを苛むが、今はとにかく逃げることが最優先だ。



「ジュリアスはんが、帰ってくるまで……時間、稼がな……っ!」



 自らが生き残る手段はただ一つ、ジュリアスの助けを待つこと。

無様であろうと、情けなくても、命があればそれで勝ち。

実体験から得た経験と師匠の教えを遵守し、クルミは吹き飛ばされながら敵に背を向け、体勢を整えてそのまま高速で空を駆けようとーー



「な……っ!」



 眼前に、吸血鬼が二人。

先ほど攻撃を逸らした相手と、巻き添えになった相手。

その二人が、体勢を立て直してクルミが吹き飛ばされてくるのを待ち構えていたのだ。

何らの合図があったようには思えない。

それでも、謀ったように彼らはそこにいた。


 これが吸血鬼族(ヴァンパイア)の最高戦力、監察官(ヴェルター)

味方の行動すら予測し、即座に阿吽の呼吸に繋げる絶技でさえ、彼らにとっては日常なのだ。


 クルミの直進の勢いはもう止まらない。止めることができない。

両手を貫手の形にした彼らの下に……待ち構えている“死”に向かって飛び込む選択肢しか、彼女には残されていない。



ーーゴメン、おとん……。これはアカンわ……。

ジュリアスはん、ホンマ……頼むで。



 自らが救ったジュリアスが、吸血鬼族(ヴァンパイア)に勝利をもたらしてくれることを祈って、クルミは瞳を閉じる。


 肉を貫く鈍い音。

赤赤しい鮮血が、雨となって地上に降り注いだ。




-----------------------







 クルミー。ほぉら、こっちにおいで。


ーーここ、どこ……? ウチは一体……。



 誰かに呼ばれる声で、視界が開く。

クルミは、家にいた。

その家には机があって、椅子があって、本棚があって……平凡で、懐かしい家だった。



ーー……ウチん家? 



 ここは、自分の家だ。八年前に失った家だ。

そのことに気が付いたクルミはその懐かしい光景に胸を打たれ、涙がこぼれそうになる。

そして、自分を呼んだ人影の存在に気が付いた。

内股に座り、手を叩いて自分を呼ぶ、凛とした顔立ちを限界にまで緩めた女性。

彼女に気が付いた瞬間、クルミの喉から思わず声が漏れる。



ーーおかんっ!


 おかんーっ♪


 

 自分の声と重なって、幼児特有の甘い声が聞こえる。

誰の声かと思った途端、自らの手足が勝手に動き、拙い四足歩行で目の前にいる女性ーー母に向かっていく。

そして、クルミはこのタイミングでようやく気付いた。

自らがーー幼くなっていることに。



ーーあぁ、コレ、走馬灯か……。



 冷静に結論に思い至ったクルミ。

幼少期の自分に乗り移ったような形となって、死ぬ間際に過去を思い出しているのだと、彼女は理解する。



 よしよし、よくできました。いいこ、いいこ。



 意識は大人のまま、幼児となってしまっているクルミは母に抱きとめられる。

その抱擁は、感触は、暖かさは、どれもこれも懐かしく、きゃっきゃっと喜ぶ幼い自分の中でクルミは瞳を潤ませた。



 おかんーっ♪ 



 抱かれているクルミの方も母の身体に抱き着く。

母のお腹に顔を埋めて頬擦りする様子は、まるで母が自分のものだとマーキングしているようだ。



 クルミは本当に甘えん坊だねぇ。全く。誰に似たんだか。



 そういいつつ、クルミと同じように、彼女は座った状態から腰を折り、彼女の背中に頬擦りをする。

その幸せそうな表情は、クルミととてもよく似ていた。



 うん……よし。これで今日も一日頑張れそうだ。



 慈愛の顔を保ちつつ、少し表情を引き締めて、彼女は顔を上げた。



 もういっちゃうの?



 幼いクルミは不満気に顔を上げる。

朝早くから監察官(ヴェルター)の仕事に向かってしまう母に対し、寂しさを訴えた。

上目遣いでそんなことをされて、彼女も我慢ができなかったのか。

彼女は一際強く、クルミを抱き締めた。



 帰ってきたら、またこうしてあげるから。

だから、いい子にして待ってるんだよ。



 彼女はクルミを離し、仕事に向かう。

そしてこの日、ハクシャクによる反乱が発生し……彼女は二度と帰ってくることはなかった。

 


ーー……おかん。ウチ、ええ子にしてたよ。

もうすぐ、そっちに行くから。やから……



 クルミは、肌に残る懐かしい暖かさを抱き締めながら……瞳を開けた。


 暖かさに包まれたクルミの視界に写ったのは……



「……え?」



 青白い肌に赤い目。

自分を抱きとめ、味方の吸血鬼の心臓を貫いた……一人の吸血鬼(はは)の姿だった。




-----------------ーーーーーー





 クルミは困惑の極みにいた。

敵であるはずの吸血鬼に片腕で抱き締められ、自分を抱き締めている吸血鬼が残った片腕で味方の吸血鬼の心臓を貫き、殺している。



ーー仲間割れ? コンな時に?



 敵に抱き締められているという危機的状況の最中であっても、クルミの頭は存外まともに機能していた。

それは、無意識の内に安心しているからだ。

無意識の内に……この吸血鬼の正体を悟っているからだ。



「ーークルミを、離して貰えますか」

 


 絶大絶命だった状況から数刻遅れで、ジュリアスが到着する。

【擬態】で姿を消し、意識の間隙を縫った不意打ちの拳が吸血鬼の顔面に突き刺さった。



「ジュリアスはーー」


「貴女は下で皆さんを援護していなさい」


「ってええええええ!?」



 ジュリアスはクルミを救出した後、流れるような動作でクルミの首根っこを掴み、地上に向かって放り投げる。

そこそこ全力で投げられたクルミはまるで隕石のように地上に落下。

ギリギリのところで軟着陸に成功した。

クルミが無事に着陸し、自分に対する悪態を吐くところまで確認したジュリアスは、目の前の吸血鬼に険しい瞳を向ける。


 その吸血鬼は……彼女(・・)とは似ても似つかぬその男は……彼女(・・)の笑みで、微笑んだ。



「助かったよジュリアス。

今の私が、あの子と言葉を交わすワケにはいかないからね」


「本当に……シャーラなのですか?」



 声は間違いなく身体の持ち主の男のもの。

だがしかし、それ以外は全てシャーラのもの。

嫌悪感をぬぐい去ることはできないが、不快感は和らいでいる。

それは恐らく、意思が伴っているから。

シャーラ自身が……シャーラの言葉を発しているからだ。



「ああ、そうだよ。正真正銘、私だ。この身体の持ち主のクソッタレから、主導権を奪い取ってやったのさ」


「そんなことが……」


「正直なところ、今の今まで不可能だったさ。

私はコイツの中でぐちゃぐちゃになった魂の一部分に過ぎず、ただ力を搾取されるだけのミソッカスだった。

意思もなく、自我も失い、コイツに力を与え、意識を削る……そんな存在になっていた。

……けどね」



 吸血鬼はーーシャーラは地上に目を向けた。

その視線の先には、地上の戦場で縦横無尽に駆け回るクルミの姿。



「娘を殺すような親は……たとえミソッカスだろうといないんだよ」



 シャーラの魂は、クルミを殺害しようとする行為に猛烈に反発した。

彼女の魂は、たとえ肉体を失っていようと娘を殺す行為を許容しなかったのだ。



「私はクルミの母親で、ゴンの妻、シャーラだ。

私はもう厳密には私でなくなってしまったけれど、それだけは譲れない。

私は……あの子の母親なんだ」



 シャーラは大きく両手を広げる。

そして達観したような顔で……彼女は口を開いた。



「さぁ、ジュリアス……私を殺してくれ」



 全てを迎え入れるように微笑んで。

シャーラはジュリアスに対してそう告げた。

空気がしん、と張り詰めて、冷たい風がジュリアスの体を吹き抜ける。



「……いいのですね」


「ああ、構わない。シャーラっていう女は死んだんだよ、八年前のあの夜に。

今、ここにいるのは私だけど私じゃない。

シャーラであってシャーラじゃない……そんな存在だ」



 ジュリアスは瞠目し……静かにため息を吐く。



「あの子は……クルミは立派に成長していた。

私のような訳の分からない存在が関わるべきじゃないのさ。

遺す言葉なんてありゃしない。

触れ合うことなど許されない。

そのどれもが……あの子を傷つけてしまうから。

今更なんだよ、何もかもね」



 シャーラはクルミに会うことを望まない。

自分の魂の残滓のようなものがこの世に留まっていることを知られることすら望まない。

クルミは立派に、正しく成長していた。

そこに割って入って、かき乱すようなことはしたくない。



「……それでも。こんな状態であってなお、あの子の母であり続けたいのなら」



 シャーラの瞳がジュリアスを射抜く。

その燃ゆる瞳に一切の揺らぎは無い。

残酷なまでに、彼女の覚悟は一徹している。



「私は、あの晩で死んだことになっておくべきなんだ」



 思い出の中の、母として。

シャーラはそうなることを望む。

性別も容姿も……魂さえも変わってしまったこんな肉体で、クルミの思い出になど残りたくない。

思い出の中で完結するのが、母であるためにできる唯一だ。



四職魔法(マギ・クアトロン)・晶拳」



 ジュリアスは瞠目したまま、血を飲み、魔法を編む。

火炎、風刃、水流、輝晶。

四つの属性の魔法を右掌に集中させる。



「私を殺せば、監察官(ヴェルター)を吸い尽くした吸血鬼はクルミを殴ったあと一人ーーバリトンだけだよ。

そいつさえ始末すれば……あとの有象無象はアンタが居ればどうとでもなるだろ」


「護身剛拳・堕落頸(フェアデルフ)



 シャーラの言葉を頭に入れながら、ジュリアスは右手の親指をたたみ、それ以外の四指を伸ばし、貫手の形に。

瞳を開き、突撃の構えを取りーー



「あり………がと、う……ジュリ……アス。

あと、……頼……だよ……」



 その右手で、彼女の心臓を貫いた。

広げていた腕が下がり、翼の動きも止まる。

血塗れになった腕を引き抜くと、揚力を失った彼女は地上に落ちる。



「はい、任されました。シャーラ……どうか、安らかに」



 ジュリアスはその死体に見向きもしない。

アレはシャーラではない。シャーラは八年前に死んだ。

ジュリアスが殺したのは……誰とも知れない吸血鬼だ。





 ジュリアスは四職魔法(マギ・クアトロン)を解き、強く拳を握る。

自分が殺したのは敵だ。倒すべき吸血鬼だ。

そう思っていても、割り切れない思いはある。



「隙を見せたな!! ジュリアス!!!

感傷に浸ったその瞬間が……貴様の敗因ーーガッ!?」



 【擬態】を使い、機を伺っていた最後の監察官(ヴェルター)

ジュリアスが感傷に浸るその隙を突き、現れた彼は……一瞬にして喉を突かれた。


 握り締めた右ではなく、貫手にした左手。

奇襲を読み切ったジュリアスによるカウンター。

ジュリアスは、監察官(ヴェルター)が三人掛かりでやっと互角の勝負になる傑物だ。

一対一で、ジュリアスが負けるハズもない。



「割り切れなくても、約束は守りますよ、シャーラ。

この戦場の始末は……私が着けます」



 ジュリアスは空を蹴り、吸血鬼の群れに向かっていく。

もはやただの吸血鬼如きにジュリアスは止められない。


 禁忌を犯した吸血鬼は……ただ、蹂躙されるだけ。

この戦局は、吸血鬼族(ヴァンパイア)に大きく傾いた。


 兵の勝敗はもはや決した。

この場で残る戦いは……王を決める、ユナとハクシャクのそれのみだ。

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