第百二十八話ー龍人アジハド
「エリュアの野郎は、生き返るための肉体に生前と同じ蛇眼族を選んだ」
要塞都市前、中央。カルミアの友軍の誰もいない、帝国軍の陣地の中。邪魔のされないサシの戦闘をするために、アジハドが設けた無人の空白地帯で。帝国軍第七部隊長であるアジハドの声が静かに響く。
「まぁ、使い慣れた自分の【能力】か、慣れない新しい【能力】なら……使い慣れた自分の【能力】を選ぶのは当然だろうな。だがよぉ……」
その視線の先には、反乱軍カルミア戦闘部隊隊長ディアスの姿。仰向けに倒れ、身体の随所から血が流れ出ている。
「俺ぁ獣人族だ。元々【能力】があるワケじゃあねぇ。
肉体は魂に引き摺られて変化するから、俺ぁ素体となる肉体は好きに選ぶことができた」
息は荒く、胸の鎧が呼吸に合わせて上下している。
そんな満身創痍のディアスとは対照に、アジハドは無傷。
鉄塊の如き巨大で無骨な大剣を片手で担ぎ、飄々と。
腰に掛けてある瓢箪の一つを手に取り、中の酒を煽る余裕さえある。
「ングッ……ングッ……ぷはっ。種明かしだぜぇ……ディアス。ここまで俺とお前に差がある理由のよぉ」
アジハドは中身が半分ほど残った瓢箪を腰に戻し、酒気を帯びた息を吐き出す。
どれほど飲んでも今の彼は酔うことなどできはしないのだが、酒飲みの性なのだろうか。
アジハドは酒を煽らずにはいられないようだ。
期待していた戦闘がつまらないものであったなら、尚更。
「俺の魂を入れる器になったのは……龍だ。
お前ら竜モドキの竜人族の竜じゃねぇぞ?
全てのモンスターの頂点に君臨する……龍種。
雷属性の天龍が、俺の肉体だ」
アジハドは卓越した身体能力を武器にして戦う武人だ。
虎とライオンの獣人族の混血、ライガーの獣人族であるアジハドの素の身体能力はどこを取っても抜きん出ている。
そのアジハドは生前、属性魔法を使わずに魔具である大剣の【能力】、【身体強化】に魔力を注いで戦う戦闘スタイルを取っていた。
元々秀でていた身体能力が、さらに強化され、その常軌を逸した膂力は何者をも寄せ付けない。
結果として、アジハドは第一〜第三部隊長という規格外の変異を除いて部隊長最強と呼ばれるまでの強さを手に入れていた。
そのアジハドが手に入れた新たな【能力】。
肉体の強度はそのままに、彼の手にした【能力】は……【龍醒】。
自身の魔力と待機中に存在する魔力を混ぜることで魔力合成を起こし、莫大な魔力を発生させ、己の身体能力までも強化する……肉弾戦では間違いなく、最強の【能力】。
「まぁ、もっとも……俺ぁそこまで【龍醒】を扱えるわけじゃねぇ」
アジハドは空いている左手を見せつけるようにディアスに向ける。
仰向けに倒れるディアスがそれを見ていないことは承知の上で。
満たされなかった戦闘欲を誤魔化すように。
アジハドの左腕が黄色に輝く。
手先から発現する【龍醒】の鎧。
龍種やリュウセイが発現させる流麗な【龍醒】の鎧とは違って……歪んだ意匠をしているアジハドの【龍醒】。
けれども、それは確かに鎧の形をとって……アジハドの肘の辺りまでを覆った。
「片手一本。それが俺の【龍醒】の範囲で……俺とお前の差ってワケだ」
アジハドは大きくため息を吐く。
それは正しく、心の底からの『興醒め』。
「ッチ。あのディアスがここまで歯応えのねぇコトになっちまうのか。
しゃーぁねぇ。ディアスを殺して次行くか。
カイルとリュウセイ……俺を殺したアイツらなら、もっと楽しませてくれるよなぁ?」
アジハドは緩慢とした足取りでディアスの元に向かう。
その目にもはやディアスの姿はなく、十把一からげのただのヒトしか写っていない。
アジハドの欲を満たすに値しない、そこらの雑兵。
少々手強いが、だからと言ってどうということは無い……アジハドにとって今のディアスとは、そのような相手だった。
アジハドの歩みが止まる。
目の前には、青色に血を塗した竜モドキ。
普段はピーンと張っているネコ科の獣人族のアジハドのヒゲは垂れ、尻尾はゆったりと左右に揺れていた。
完全にディアスから意識を外し、アジハドは担いだ大剣を振り上げて、
「あばよ」
もはや名前も呼ぶことの無くなったどこかの武人に……振り下ろした。
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ーー俺は一体何をしているのだろうか。
こんな戦場の真ん中で空を見上げて。
立ち上がろうともせずに。
部下たちに負けるなと言っておいて、この体たらくは何だ?
この無様は一体どういうワケだ?
俺たちは死ぬことはおろか負けることも許されてはいない。
許されては……いないのに。
だが、足りない。
俺の実力では目の前のこの男には勝てない。
しかし、負けることはできない。
死ぬこともできない。
ならば逃げるか? 尻尾を巻いて、地面を這って。
撤退などと嘯いて、無様極まりない醜態を晒すか?
……我ながら、馬鹿なことを考えるものだ。
こんな時、あの人ならどうするのだろうか。
そう言えば、前に一度、聞いたことがあったな……。
絶対に負けられない戦いで、目の前の相手がどうしようもなく強い時、どうやって戦えばいいのか、と。
あの人は……ゲンスイさんは何と言ったのだったか。
………………………………………………………………………しまった、思い出せない。
こんな場面で、まさに死が目前にまで迫っているというのに、何ということだ。
まず、敵の力の分析をするのだったか?
それとも、武器を壊す?
陽動……フェイント……一点突破……ゲンスイさんは、一体どのように戦うと言ったのだったか。
いや、今は思い出せないアドバイスに縋っている場合ではない。
考えるのだ。頭を回せ。自力で見出すのだ。
アジハドに、龍の力を宿した奴に勝つにはどうすればいい?
あの尋常ならざる身体能力に対抗するには、どうすればいい?
考えろ、バスコ=ルーズ=ディアス。
そうしなければ、お前は……!
『考え過ぎぬことじゃろ、お主は』
……っ!
『お主はちぃーっとばかし、肝っ玉が小さいところがあるからのう。そんなナリで実に笑えるわい』
……あぁ、そうだ。そうだった。
あの質問の後、ゲンスイさんは俺に……
『断言してやろう。お主がもし、そんな状況に陥ったならば……どうすれば勝てるだとか、どうやって戦おうかだとか……。勝つフリをした現実逃避以外の何物でもない思考を二転三転させることじゃろう。
じゃがの、そんなものは言うまでもなく無駄じゃ。
思い悩めば身体は萎縮し、十全な動きが出来なくなり、勝ちの目はさらに無くなる。
何も考えず、後先も立場も全てを忘れ……まずは全力をーー死力を尽くすことじゃ。
目の前の相手に絶対勝てないなどと決めつけるのは……そうじゃのう、負けたときにで、十分じゃて』
……まるで、カイルのような思考をしろと言われているようだ。
だが確かに……俺には少々、一度の戦いに全てを懸けるような大胆さや剛毅さというモノが欠けているのかもしれない。
実験場で無茶な雷属性の強化を己に施したリュウセイ。
自爆覚悟のビックバンで第八部隊長ダンゾウを倒したカイル。
全ての魔力、全ての力、持てる全てを一戦に注ぎ込む彼らのような。
戦闘後に一歩も動けなくなるほど死力を振り絞るような。
後遺症を負うことを一切考慮しない……そんな身体を燃やし尽くすような熱い意志が……俺には少し足りなかった。
反乱軍に入って部下を持ち、責任を負うようになったのが……災いしたのだろう。
背中に背負った重みが……俺を縛っていたのだ。
背中の誰かを守らんとして……次の戦いに後遺症を残すまいと、無意識に堅実な戦いをしようとしていた。
普段なら、それで良かった。
今までの集団戦なら……それで問題はなかったのだ。
だが、今は違う。
背後に守る部下はおらず、相手はアジハドたった一人。その堅実さは…….今は邪魔なのだ。
思い返せば長らくの間、自分だけの戦いをしたことがなかったな。戦闘部隊隊長として常に周囲に気を配りながら戦うことはあっても。
一人の戦士として、『ディアス』として戦ったことは久しく無い。
……いや、違うな。そう言えば最近ーー
「あばよ」
全てを棄てて、戦いに狂ったことがあったな--。
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鋼鉄の大剣が空気を裂き、ディアスの首元に吸い込まれていく。
その軌道は間違いなくディアスを捉えていたが……
「っ!?」
アジハドが勢いよく後退したことで、その軌道は変えられ、ディアスは難を逃れた。
「っんっっだコレァ!?」
その原因はアジハドの眼前に広がっていた。
いや、アジハドのみならず、この戦場にいる全ての人間がその“現象”を認知した。
それは一筋の光の線。純白に輝き、揺らぐことのない直線は高速で戦場を突き抜けていった。
その周囲……少なくとも、アジハドの視界全てを凍てつかせながら、だ。
戦場の中央を縦断する冷気の光線は要塞都市の壁に阻まれ、その表面を氷で覆い尽くして、やっと動きを止めた。
恐るべきは、その飛距離と威力。
魔法の発生源が目視できないほどの距離から放たれ……それほどの距離を置きながら、余波だけで氷の世界を現出させるこの威力。
人を凍らせるにこそ至ってはいないものの、大地は白銀に染まり、近くにいた者の纏う防具や武器に氷が張り付いていた。
その圧倒的すぎる魔法の接近を探知し、アジハドはディアスへの攻撃を中断させたのだ。
この魔法は……五漿魔法・鏡花水月。
マリンがヴァジュラを仕留めた……まさにその技。
要塞都市から二十三キロのその戦場から。
その距離、その近辺の全てを氷で埋め尽くし、マリンの魔法は要塞都市にまで届いたのだ!
「なんっだこのデタラメな魔法はよぉ……っ!」
龍のチカラの一端を持つアジハドでさえも戦慄する威力の魔法。
戦場の熱気は一気に下がり、靴が地面と一体となって凍りついている。
パキパキと音を立てて靴を地面から剥がすアジハド。
大剣を一振りし、その表面に付いた氷を払う。
そして、殺し損ねたディアスの方へと、再度目を向ける。
「なんだぁ……? おい、まだ戦るってのか?」
面倒臭そうにヒゲを垂らすアジハドの視線の先には……二本の足で、しっかりと立つディアスの姿。
仰向けに転がっていたため、全身が薄い氷に覆われた竜人族の戦士。
「……俺たちは、この戦いで負けることを許されていない」
身体の要所を守る鎧は強引に大剣で叩きつけられて凹み、鎧の無い箇所からは切り傷が垣間見える。
いくつかの骨も折れ、ランスで攻撃を受け続けたことでディアスの掌は血豆ができては潰れて、血塗れ。
それでも、ディアスは……
「目の前の相手には……何があろうと負けないと、誓った。
勝ち続けることが、誰かを守ることに繋がると理解した。
なれば、お前をーー部下たちでは止めることのできないお前を倒すことが、俺が戦闘部隊隊長としてできる最大の仕事だ」
その牙を折らせてはいない。今まで以上に意思を燃え上がらせ、自らに勝利を言い聞かせる。
ディアスは両手に持ったランスを地面に突き刺し、固定した。
「おいおいおいおい……何だその口振りはよぉ。
まるで、お前なら俺に勝てるみてぇな言い方じゃねぇか。
さっきまで俺に殺されそうになってたクセに……ずいぶんな物言いじゃねぇか」
大剣を肩に担いで、余裕を隠そうともしないアジハドの言葉は無視。
ディアスはランスを手放して空になった両腕を前方に伸ばし……
「グ……ォッ……オ……」
自らの喉に向けて突き刺した。
「……あ?」
アジハドの怪訝も、この状況では宜なるかなと言える。
ディアスの喉からは鮮血が吹き出しており、指の第二関節までが喉に埋まってしまっている。
先ほどの発言から考えて、自殺というワケではない。
かと言って、油断させるための演技では断じてない。
アジハドの嗅覚を叩く濃密な血の香りがそれを証明している。
では、その行動の真意は一体何なのか。
自殺としか思えない行為に、一体何の意味があるのか。
アジハドは興醒めの状態から少しだけ興味を引かれ、ディアスを注視する。
「グ……ルォ……ッッ!!!」
喉から大量の血液を流すディアス。
溢れる血液で呼吸器官が詰まり、腰を曲げて呻き声に似た嗚咽を漏らす。
どばどばと塊となって溢れ出る血液ーーそれに混じって、黄色の液体が地面に落ちる。
その液体はディアスの喉から落ち、地面に触れて衝撃が加えられた瞬間……爆ぜた。
たった一滴、その一滴の爆発は地面を抉り、バレーボールほどのクレーターを刻む。
「っ! ありゃあ、火炎液か……?」
竜人族には、他種族にはない特殊器官ーー火炎袋が存在する。
喉のあたりに存在するそれは、爆炎性とも呼べる異常な可燃性を有する液体を貯蔵する器官。
ディアスは自らの喉を刺し、その火炎袋に裂け目を入れたのだ。
「ガッ……ルァ……ォオ!」
溢れ出した火炎液はディアスの血液に混じり、体内を巡る。
火炎液は空気に触れていないと爆発を起こさないため、ディアスの体内でむやみやたらと爆発を起こすことはない……が。
爆発は起こさないだけで、火炎液の温度そのものは上昇する。
血流に乗った火炎液は高熱を孕み、ディアスの全身を熱する。
それは人間が発熱できる限界を超え、ディアスの体温は火炎ほどにまで達し、文字通りの意味で体内の血液が沸騰していく。
沸騰気化した血液はディアスの全身に張り付いた蒼色の鱗の隙間から体外へ排出されて、水蒸気と化した血液が周囲の冷気に当てられて凝固。
ディアスの全身から、赤色の蒸気が吹き上がる。
「ぁんだ……?」
その奇奇怪怪な光景に、アジハドは首を傾げて凝視する。
自ら喉に手を突っ込み、致死量とも言える血液を流して苦しみ、全身から赤色の蒸気を吹きだすディアス。
一体何をしようとしているのか、何が目的なのか。
それは警戒心からくるものではなく、純粋な興味から。
追い詰められたディアスが何をしようとしているのかという興味。
そんな風に戦闘から意識を除外したアジハドの瞳が瞬きをした次の瞬間……血煙を吹きだす蒼拳が目の前にあった。
「グゥルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「ッが、ハァッ!?!?」
突然のその拳に、油断しきっていたアジハドは対応できない。
錐もみ上に吹き飛ばされ、手の内の大剣もあまりの衝撃で手放してしまう。
地平線と平行に飛んでいくアジハドは要塞都市の凍りついた壁面に打ち付けられ、停止した。
「ぁ……に、が……っ!!」
「グゥルオァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
追撃。ディアスは混乱するアジハドに向けて二度目の拳を放つ。
ほとんど反射で【龍醒】を左手に発現させたアジハドはすぐさま壁を蹴りつけ、その拳を回避。
標的を見失った拳は壁を穿ち、要塞都市の壁面に大きな傷跡を刻む。
アジハドは近くにいた帝国兵を全て退避させ、再び自分たちの戦場を用意する。
ディアスは……随分とそのナリを変えていた。もはや別人と言ってもいい。
見た目の話ではない。いや、見た目も血霧を吹きだしている以上変化はしている。
違うのは……ディアスの纏う雰囲気。
剥きだしのーー隠すこともない闘気、アジハド一人にだけ向けられたその強烈な波動がディアスを別人に見せているのだ。
野生の獣のように獰猛に唸り。
垣間見せる牙から血と火炎液を垂れ流し。
全身から血霧を吹き出して。
全ての重荷を手放して、ディアスの縦に切れた瞳はアジハドのみを捉えている。
「っは、はは。はははははは。
ハァッハッハッハッハッハッハァ!!!!
いいぜぇいいぜぇやればできるじゃねぇかよディアスゥ!!」
アジハドは武器を失った。その上で盛大に笑う。
魔具による【身体強化】の手段を失ったというのに。
呵呵大笑と、吹き抜ける木枯らしのような清々しさで。
「さぁここから本当の闘争だ!!
命と命を削り合い!! 血湧き肉躍る本物のよぉ!!」
魔具に扱っていた魔力操作のリソースを右手に回し、アジハドは左手にしか発現しなかった【龍醒】の鎧を……右手にも発現させる。
歪ながらも、その力は本物。
アジハドの魔力と身体能力を大きく底上げさせる。
「さぁ……殺り合おうぜ!! ディアス!!!!」
龍人と、竜人。
異なる種の二人の武人は同時に大地を蹴りつける。
地を砕く音。
血霧を吹き出す蒼き拳と、黄色の鎧を纏った獣の拳が真っ正面から……
激突した。