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CAIL~英雄の歩んだ軌跡~  作者: こしあん
第四章〜飛翔する若鳥〜
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第百十八話ーバイバイ、あたしの最高の相棒

 





「シアったら、可愛いんですよ。吸血したら変な声を上げて……反応が一々可愛らしいというか。本当、弄りがいがありすぎる子でした」


「へぇ……じゃあユナちゃんはしっかりシアちゃん属性を引き継いでいるのね。こんなに弄りがいがあるんだもの」


「ひぅっ!? ど、どこ触ってるんですかマリンさん!」


「いいじゃない、女の子同士なんだし」


「よくないですよっ!」



 二人の少女がじゃれあいながら、荒涼とした草花の一つもない荒地を歩いていた。


 まったくもうっ、と膨れっ面をしている黒髪の少女の名はユナ・フェルナンデス。

民族的な刺繍の入った上下一体のワンピースを着て、平らな胸元には真紅のネックレス。

何も強調することなく組んだ腕にそれぞれ嵌められているのは、闇属性の魔具であるブレスレットと火属性の魔具の腕輪だ。



「ウチのバカの嫁候補の身体チェックをするのは、小姑として当たり前じゃない」



 そんな風に言って、カラカラと気持ち良さげに笑うのは……マリン。

セミロングの髪を風に揺蕩わせ、そのマリンブルーが空に映える。

動物のファーが至るところについた、動きやすさ重視の服。

要所要所に見える肌色はユナには決して出せない色気を放つ。

その胸の双丘も、ユナが決して持ち得ないものである。


 ユナはマリンのからかい文句に、顔を茹でダコのように真っ赤にして湯気を吹いていた。



「よ、嫁候補って……んな、何を言ってるんですかマリンさん!」


「ゴメンゴメン。候補なんて失礼だったわね。

ユナちゃんはあのバカのお嫁さんになるんだもんね」


「か、確定しろっていう意味じゃありませんからぁっ!」



 顔を真っ赤にして、目を渦巻きにして、視線が泳いで、必死になって。

こういうところがホント弄りがいがあるのよねぇ、とマリンは内心でほくそ笑む。


 ここは、旧キューケンホッフルの花園。

ヴァジュラとの戦闘により、その美しかった景観の一切は損なわれてしまっている。

荒れ狂う炎によって草花は燃え尽き、大地は焼けてヒビ割れ、生命の気配は何一つない。

そんな不毛な大地を、二人はゆっくりと踏みしめるようにして歩いていた。



「じゃあユナちゃんはあのバカのこと、どう思っているのかしら?」



 先ほどから笑みの絶えないマリンは、意地の悪いそれに変えてユナに向けた。

横を歩くユナは顔を赤くしたまま、マリンを直視せずに斜め下の地面を見てボソボソと呟くような声を発する。



「ど、どうって言われてもですね。カイルさんは仲間なワケでして。

まぁ、大切には思っていますけど、それはマリンさんやリュウセイさん、ジャックさんだって同じなワケですよ。

ですから、そんな、どうと言われましてもですね……」


「ふむ、なるほど。じゃあコレについてはどう思ってるのかしら?」



 ピラリ。

マリンは懐から一枚の写真を取り出して、ユナの前でチラつかせる。

それは、ヴェンティアで隠し撮りされたユナとバカのデートの写真の一枚。

ユナとバカが唇を重ねている一枚である。



「ひぃやぁああああああああああ!?

ち、違うんです、それは違うんですよぉっ!」



 ユナはマリンが目を剥く速度でキス写真を奪い取り、両手で胸の内に抱え込んでマリンから隠す。

そして顔を赤くしたまま、涙目でマリンを睨んだ。



「っていうかマリンさんどうしてコレを持ってるんですか!

わたしがこっそり! 闇属性の空間にまで入れて隠していたんですよっ!?」


「ユナちゃんがアルバムを処分するかと思って、店員さんから予備の写真を貰っておいたのよ。

それからアルバムに載せきれなかった写真とかもね。

例えば……ほら、こんなのとか」


「〜〜〜〜〜〜っ!」



 マリンは懐からもう一枚写真を取り出す。

それはユナが見たこともない写真で。

バカ――つまりはカイルがユナをお姫様抱っこしている写真で。

つまりは赤面必至なワケで。

慌ててユナはマリンから写真を奪い取った。



「あ、ちなみにユナちゃんが持ってるのは予備の予備の写真だから。

ミカゲの家に同じ写真が、まだまだストックしてあるわよ」


「――――――」



 唖然とするユナ。

だからその写真はユナちゃんにあげる、というマリンの言葉も耳に入ってこない。

人をからかう才能において、マリンの右に出るものはいない。

彼女にかかれば初心な少女一人、オーバーヒートさせることくらい容易いのだ。


 ……いや、右に出るものはいないと言ったが――かつてはいた。

マリンに対し、合わせ鏡のように彼女の横に並び立つ存在が。

いついかなる時でもマリンと同じ場所に立ち、同じものを見て、同じ思考をする存在が。

まさに一心同体。

言葉にせずともお互いの思考を伝え合える――そんな存在が、いたのだ。



「――――フィーナ、来たよ」



 マリンの姉妹、フィーナ。

彼女の命が果てた地に、マリンとユナは到着した。





――――――――――――――――――――






 そこには何もなかった。

どこまでも続く荒野のほんのちょっとの一部分。

強いて言うならカイルがビックバンを起こした場所ゆえ、他より陥没したクレーターのようになっている場所、とでも言えるだろう。

とはいえ、凡夫にとってはなんら特筆すべき特徴のない場所。

しかし、そこはマリンたちにとっては特別な場所だった。


 ヴァジュラの手によって、フィーナが殺された場所。


 フィーナが消えて、無くなった場所。


 墓標も何もないこの地に、マリンとユナの二人はやってきたのだ。

マリンはクレーターの中心地にーーフィーナが光の玉となって消えていった場所に歩を進める。

その場所で、消えていったフィーナの痕跡を探るかのように……マリンは神妙な顔で地面に触れた。

土の感触。小石の感触。砂の感触。

それ以外は何も感じないのだけれど、マリンは割れ物にでも触れるように優しく地面をなぞっていた。


 一通り撫でた後、マリンは人差し指の第一関節までを地面に差し込む。

そうして空いた小さな穴に、彼女は植物の種を入れた。



「それは何の種なんですか?」


「これはレイクリア。睡蓮の一種で……少し変わった特性があってね」



 マリンは腰のポーチから魔具を取り出す。

植物の指揮棒(ケヴェクスタクト)

かつてフィーナが使っていた魔具である。

【発育】と呼ばれる、植物の成長を促すことのできる【能力】を持った魔具。

地属性の魔具であるそれは、水属性のマリンには扱えないものだ。

そう……本来ならば。


 マリンは瞳を閉じ、己の身体の内側に意識を向ける。

己の内に眠る魔力に、働きかける。

自分の中にある魔力のパレットから、地属性を掬い取る。

自分のものでなかったその属性を、引っ張り出す。


 瞬間、マリンの髪の色が変化する。

美しいマリンブルーから、柔らかなミルクティブラウンに。

……フィーナの色に、変化する。


 変化したのは髪の色だけではなく、属性も同時に変化していた。

水属性から地属性へ。

これこそ、フィーナが死んだことでマリンが得た【能力】。

二分割されていたマリンとフィーナの力の、本来の姿。


 【不完全な万能(シェアオール)】。

五大属性の全てを操ることができる、マリンの変異(パンドラ)だ。


 マリンは地属性の魔力を使い、植物の指揮棒(ケヴェクスタクト)の【発育】を発動。

レイクリアを発芽させ、成長させた。



「えっ、ちょっ、なんですかコレっ」


「これがレイクリアの特徴よ。レイクリアは種から芽を出すとき、成長するために溜め込んでいたーーその小さな種からは考えられない程の量の水分を放出するの」


「こ、この花って、こんなに水を必要とするんですか?

一つの花が必要な水分量を、明らかに超えていると思うんですけどっ」

 


 発芽と共に溢れ出した水はすでに大地の保水量を上回り、地上に染み出していた。

その勢いは止まることを知らず、ユナの膝辺りにまで水位は上がり、それでいてなおレイクリアの種は水を吐き出している。

このまま水を出し続ければ、クレーター内に湖が出来てしまいそうな勢いである。

焦るユナに対して、マリンはコロッと平然とした様子で答えてみせた。



「この種は特別製。

あたしとフィーナが色々改造して水を詰め込んだのよ。

逃げるときの足止め用に使おうと思ってたから、ホント引くぐらい水を入れた思い出があるわ。

だから、そう。

どれだけ水が出てくるか分からないわね」


「何やってるんですかお二人は!」


「結局水の勢いが弱いってことが分かったから足止め用には使えなかったんだけどね。

炸裂する感じで出て欲しかったのよ。

それにしても……いやー、自分でも引くくらい水が出てるわね」



 早く退避するわよ、とマリンはユナの手を引いてクレーターの縁まで登っていく。

ユナは退避しながら、こんな無茶なことを平気でするマリンにカイルたち家族の特徴を感じていた。

そうやって、窪地のようになっている場所の外縁にまで到達した二人。

彼女立たちはその外縁に腰を下ろした。


 それからしばらく。

他愛のない話をして、穏やかに時間を過ごして、マリンが一本じゃ寂しいからと追加のレイクリアを投げて、すると水位が上がりすぎて慌てて、他の植物を生やして水位を調整して、そんな時間が過ぎ去ると……


 荒野だったこの場所は、元の緑を取り戻していた。


 まるで砂漠のオアシスのように、荒涼地帯に出現した緑と水の楽園。

クレーターには水が満ち満ちていて、レイクリアの花が何本も水面を漂っている。

揺蕩い、静寂の凪の中を緩慢と泳いでいる。


 クレーターの外縁、及びその周辺部もマリンが急遽植えた植物で敷き詰められていた。

赤や青や黄色、色彩豊かな花植物の絨毯。

目に飛び込んでくる鮮やかな光景。

幻想的とさえ言えるその光景は、かつてのキューケンホッフルの花園そのもの。

戦い、失われたものが一部分ではあるが蘇った。



「凄い……」



 ユナは思わず、感嘆の声を漏らす。

自分の【チカラ】ではこんなことはできない。

命を芽吹かせ、このような光景を創り出すチカラはない。

ユナはただ、眼前の景色に目を奪われる。


 一方のマリンは周囲をぐるりと見渡していた。

自分が作ったその景色を見て、同時に湧き上がってくる綺麗、という感想を心の中で噛みしめる。

フィーナとマリンは一心同体。

マリンが今感じている感情は、きっとフィーナも感じた感想だから。

マリンの思いはフィーナの思いで、フィーナの思いはマリンの思い。

そうやってずっとやってきたし、フィーナが死んだところでそれは変わらない。

この感情はフィーナのものだ。

今、嬉しいと思う感情も、フィーナが感じてくれていることだ。

フィーナの思いを胸の内に確かに感じて、マリンは水面に足を踏み出す。

が、マリンの足は水に沈むことなく、水面の数センチ上で止まって中空を踏みしめた。

高密度の魔力による足場。

マリンの足はそれを捉えたのだ。


 一歩。二歩。

マリンはゆっくりと湖と化したクレーターの中心地に向かって歩いていく。

水面に漂うレイクリアの花を踏まないように注意しつつ、されど真っ直ぐ。

マリンはフィーナが死んだその場所に赴く。


 そしてーー



「咲け、ヒュノプシアン」



 マリンはフィーナの死地に、一つの“樹”を生やした。

これは、この大陸のどこにも存在しない植物。

マリンとフィーナが元の樹に改良を加え生み出した……新たな種類の樹だ。

【成長】により目まぐるしく成長したその樹は、マングローブを形成する海漂林の一種のように見える。

タコ足上の根ーー支柱根と呼ばれるそれが太い幹から湖底に伸び、大樹を支えている。

太く、大きく成長したその大樹は形成されたクレーターに見劣りしない巨木。

しかし、その樹の一番の特徴は海漂林の一種だとか、巨大だとかそう言った部分ではない。


 樹を彩る花弁が……睡蓮の花なのだ。


 花びらの代わりに付いているのは睡蓮の花。

全ての種類の睡蓮の花を集め、樹に飾り付けたような意匠。

赤、薄紫、白……それから葉の緑。

色鮮やかな色彩、そして咲く睡蓮も単一種ではない。

花弁の先が尖っているのもあれば丸いものもある。

ありとあらゆる様々な睡蓮が、その樹で咲いていた。



「わぁ……凄く、綺麗です」


「でしょう? あたしとフィーナの自信作なんだから。

それより……それがユナちゃんの本来の姿ってやつ?」


「はい。人族ヒューマンのままだと魔力で足場を作るのもままならないので。

それに……フィーナさんにはまだ、伝えていませんでしたから」


 

 マリンの横の水面に立つユナは、普段の彼女の姿ではなかった。

黒い瞳は片方が血のような深紅となり、背中からはコウモリのような骨張った翼を生やしている。

片翼が黒でもう片翼が白の吸血鬼族ヴァンパイア

それがユナの本当の姿だ。

完全吸血という、相手の魂と自分の魂を合成させる吸血鬼族ヴァンパイアの禁忌の秘術。

ルミナスという吸血鬼族ヴァンパイアの王族の少女が、ユリシアという闇属性の吸血鬼と人族ヒューマンのハーフの少女を完全吸血した結果、生まれたのが今のユナである。


 【空間】を司るユリシアの闇属性と、ルミナスの火属性の魔力。

それに加え今のユナは、初代国王の先祖帰りゆえ他人に魔力譲渡を行うことができ、吸血鬼ゆえに血を吸うことで他者のチカラを扱うこともできる。


 吸血鬼の国、フィルムーアの再建。かつて救えなかった国民を見つけ、彼らの安住の地を作る。

ユナの旅の目的であり、マリンたちに隠していたユナの秘密だ。

何も伝えていなかった。

ユナがどんな境遇で旅をしていたのかだとか、何を目的としているかだとか、闇属性や王家のこととか、ハクシャクのこと。

その伝えていなかった諸々を、ユナは――



「フィーナさん……ごめんなさい。

わたし、皆さんの優しさに甘え過ぎていました。

もっと早く打ち明けていれば……フィーナさんが死ぬこともなかったのかもしれません。

悔やんでもどうしようもないことです。

でも、もうそんな後悔はしたくありません。だからフィーナさん、聞いてください。

わたしの話を」



 その巨木に……フィーナの墓となったヒュノプシアンの樹に打ち明ける。

自分の生い立ち。闇のチカラ。吸血鬼のチカラ。

ハクシャクとの因縁。ナイトメアの話。

話していなかった何もかもを、ゆっくりと、時間をかけてユナは言葉にする。



「ーー王国のことや、わたしを待っていてくれた皆さんのことは勿論大切です。

必ず、平和な国を取り戻します。

でも、それ以上に……わたしはもう誰も死なせたくありません」



 ユナは、ヒュノプシアンの幹に掌を押し付ける。

瞠目し、滑らかにある言葉たちを口にする。



「マリンさん、カイルさん、リュウセイさん、ジャックさん……」



 それは名前だった。

ユナと行動を共にしてきた、最も信頼し合える仲間たちの名前。



「ミカゲさん、マリアさん、シュウさん……」



 今、ユナたちが住んでいる家主と、その仲間たちの名前。



「スミレちゃん、ディアスさん、クレアさん、ザフラさん、エルちゃん、サテラさん、パックさん……」



 反乱軍カルミアの、その幹部たちの名前。



「お父さん、お母さん、ゴンさん、クルミちゃん……」



 吸血鬼としてのユナの、知り合いの名前。



「それから、わたしたちと一緒に戦ってくれるたくさんの人たち」



 それらは全て、ユナと関わった人たちだ。

これから一緒に戦うことになる、大切な仲間たち。

ユナが八年間渇望したーー望み続けた人たち。



「その誰も、死なせたくありません。

理想論だと言われても、今のわたしには力があります。

頼りになる仲間の皆さんがいます。


 ……もうこれ以上悲劇は要りません。

この世界にこれ以上悲しみは要らないんです。

次の戦いで全てが決まります。

誰も死なせません。悲劇はフィーナさんで最後にします。

だからフィーナさん……見守っていてください」



 それは、無謀な宣誓だった。

戦争を起こそうとしておいて、誰も死なせたくないなど……子供でも分かる無茶な願い。

しかし、ユナは本気だった。

その理想論を現実にしようとしている。

それが、フィーナに対する贖罪だと。

自分の引き起こしたことへのケジメとするつもりなのだ。


 ユナは木の幹から手を離す。

振り返る彼女の黒と赤の瞳には……マリンが今まで見たことのないユナの覚悟が写っていた。


 そんなユナに笑いかけて……彼女と入れ替わるように、マリンがヒュノプシアンへと近づいていく。


 巨大な睡蓮の樹に。フィーナの墓標に。


 水面を歩き、踏みしめて。マリンは髪の色を元に戻す。

ブラウンからブルーに。フィーナからマリンに。


 いつもの自分の色を得て、マリンは樹の前に立つ。



「……遅くなって、ごめんね」



 第一声は謝罪だった。フィーナが死んだあの日から、マリンはずっと逃げ続けてきた。

墓も作らず、塞ぎ込んで、カイルに依存して、周囲に八つ当たりして。そうして、彼女はフィーナが死んだことから逃げ続けてきた。

だから、謝罪。

マリンは瞳を閉じて、額を樹の幹に当てる。

その触感は樹木のそれである。

だが、マリンは確かに……フィーナの存在を感じていた。

自分と同じ顔で、自分と同じ表情をしている彼女の存在を……閉じた瞼のその向こうに。

自分と額を合わせているフィーナの気配を。

触れ合った額から、マリンの想いがフィーナに流れ込む。

伝えきれなかった想い、謝罪の想い。

触れ合うだけで、言葉にするよりも強く伝わる。

そして、




「それから……今までありがとう」



 感謝の想いがフィーナに流れ込む。

睡蓮というグループで、ずっと二人で盗賊をしてきた。

帝国、気にくわない権力者、不法な金持ちから根こそぎ財産を盗んで、不当な目にあっていた人々に還元した。

二人でありとあらゆる街をかき回し、無茶苦茶にして、悲惨な状況をリセットしてきた。

何をするにも二人は一緒。二人で一人。一心同体。

そんな己の半身に捧ぐ、感謝。


 今まで隣にいてくれて、どうもありがとう。


 マリンはフィーナの額から頭を離し、目を開ける。


 目の前には……フィーナがいた。

それは幻なのだろう。幻影なのだろう。

しかし、そうだと断ずるにはあまりにもリアル。

優しいミルクティブラウンの髪。

マリンと全く同じ服装に、同じ顔。

どこをどう凝らして見ても、差異など見受けられない。

髪の色以外、全くの同一。

目の前に鏡が置かれたかのように、精巧なマリンがーーフィーナがそこにいた。


 彼女は……笑っていた。

記憶の中のフィーナそのままの笑顔で、マリンに対して笑いかけていた。

そこにどんな想いが込められているのか、察せないほどマリンとフィーナは浅い付き合いではない。

その笑顔で、充分だった。

言葉など要らない、そんなものに頼らずとも二人はもっと深いところで繋がっている。

その安心した笑みに恥じないように、マリンはゆっくりと口角を上げーー



「バイバイ、あたしの最高の相棒」



 マリンはフィーナに背を向けた。

背後のフィーナの幻が消えた気がする。

しかし、マリンは断言できる。

あのフィーナは……笑って逝ったのだと。

安心して、自分に全てを託して、消えたのだと。


 家族のこと、帝国のこと、未だに不当な目にあっている弱い人々、日々生きていくのに必死な子供たち。

その全てを託されたマリン。

フィーナが死んだ直後の自分なら、重すぎると言って投げ出しただろう。

現実から逃げて、楽な逃避を選んだだろう。

だが、今は違う。

その全てを背負って、託された全てを受け取って、マリンは前に進む。

進むことができる。

自分はもう一人じゃない。フィーナがいないと何もできない弱い女じゃない。

仲間がいる。家族がいる。頼れる人がいる。

倒れそうになっていたら、支えてくれる人がいる。

もう……折れない。もうへこたれたりしない。

フィーナがゆっくりと眠れる世界を作ってみせる。








 とんっ。


 不意に、背中が押される。

驚いたマリンは振り返るも、背後には誰もいない。

フィーナの幻影もなく、あるのはヒュノプシアンの樹だけ。

だが、錯覚などではない。確かに自分は背中を押された。

ならば、



「うん……行ってくるよ。

全部、何もかもを救いにさ」



 きっとそれは最後の激励だったのだろう。

誰よりも自分の近くにいた相棒の、『頑張れ』だったのだろう。

上がる口角を隠そうともせずに、マリンはユナの元へ行く。



「さ、帰るわよユナちゃん。

早いとこ修行を完成させないとね」


「いいんですか? もう少し居ても……」


「いーのいーの。いつまでもウジウジしたってしょうがないでしょ?

それに、時間は一ヶ月しかないんだから。

ちょっとだって無駄にできないわよ」



 急かすようにユナの背中を押しながら、マリンはフィーナの墓から去っていく。

その顔には一片の憂いもなく、以前よりも強い覚悟に溢れていた。


 ヒュノプシアンの睡蓮は、眠ることなく枯れることなく咲き続ける。

マリンとユナを送るその大樹は、一陣の風に吹かれて葉擦れの音をかき鳴らした。

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