第百十六話ー戦塵舞う戦場に
百万文字突破!
薄闇の帳が下りる逢魔ヶ時。草一つ伺えない岩石一色の高原地帯で、くぐもった断末魔の叫びが響く。
その叫びの主は一匹の巨大なモンスターだった。
大きな甲羅、甲羅から伸びる象のように太い四本の脚。キラキラと砂金のような粒を放ちながら、そのモンスターは地面へと倒れこむ。
鈍い地鳴りが高原を伝わり、そのモンスターは息の根を止めた。
「ハッ! 他愛ねぇな。次ぁなんだ?」
「僕の愛する弟のリュウセイの【龍醒】を使って、なお苦戦するようなモンスターがいるならそれはそれで見てみたいものだけどね」
道着に刀ーー小竜景光。
いつものスタイルのリュウセイは断末魔の主――巨大な亀を足蹴にして、ふわぁ、と大きな欠伸をする。
いつもと違うところを挙げるとするなら、それは形態だろう。
翼のみならず全身が龍の姿を模した形態。
そして、身体を包む白色の鎧。
雷と刀を鎧の形状に押し込めたような形状のそれは、龍種のみが使えるという【龍醒】という【能力】だ。
ヴァルーダスの時は翼までしか覆えなかった鎧は、シュウが魔力を提供するお陰で全身を包めるようになっていた。
リュウセイの足元にいる亀はクロウブと呼ばれる種の亀で【晶化】を使う亀だ。
その【能力】はリュウセイの刀と同じ。
つまりこの亀はリュウセイの刀の素材となるために狩られたのだ。
この二人、シュウとリュウセイは修行のついでに魔具の素材となるモンスターを狩ることを神影より仰せつかっているのであった。
「次は精霊シリーズだけど、もうこんな時間だ。先にご飯にしよう」
銀縁のメガネをくいっと上げ、リュウセイに応えるシュウの装いも、肩からポーチをかけている以外は普段と全く変わりない。
上下一体の神父服。胸には十字架のロザリオ。
どこかの宗教に属しているのだろうが、彼はまだ明言したことはない。
シュウは裾から服の中に手を突っ込み、愛用の魔具を取り出す。
鉛色の、砲丸のような球体の魔具。
ドンドンが豪遊金の対価として作った魔具である。
正気を失っていた酒飲み女好きのクズだったとしても、彼の腕に染み付いた魔具を作る技術はいついかなる時でも健在。
性能は盤石を誇っている。
その鉛の塊のような魔具を、シュウは地面に叩きつける。
岩石の地面に魔具は半分ほど沈み込み、上半分が地上に顔を出している状態だ。
片膝を突き、シュウは魔具に触れる。
風属性を示す緑色の光が魔具から放たれ、【能力】が発動される。
【形状変化】。
元はスライムというモンスターが持っている【能力】だ。
体形を好きなように変化させることのできるスライムの【能力】。
魔具に当てはめれば、この鉄の塊は剣にも槍にも鎌にもなる……万能の武器と化す。
だが、今回シュウが変化させたのは武器ではない。
地面にめり込んだ鉄球は……その半分を地中に埋めたまま、鍋となった。
八本の支柱が地面の球体の外延から鍋へ伸び、コンロのような形をとって鍋を支え、中心には火をくべられるようになっている。
シュウはそこに火属性の魔具を置き、準備を終えた。
「よし、いいね」
「ハッ! 相変わらず万能だな、その魔具は」
「まぁね、だけど使いこなすには時間がかかったよ」
リュウセイは【形態変化】と【龍醒】を解き、クロウブから飛び降りてどっかりと胡座をかく。
料理はシュウの担当で、リュウセイはその間、戦闘で疲れた身体を癒す。
そんな決まりが二人の間で自然と生まれていた。
シュウは料理に取り掛かるより先にリュウセイが倒したクロウブの元へ行く。
そして、ポーチを肩から外し、その口を亀へと向けた。
そのポーチの中は……完全なる黒。
どこまでも果てしない闇。
シュウがポーチに魔力を流すと、ポーチの口が拡張する。
無限とも思われるシュウの魔力を存分に注がれたポーチの口はどこまでも拡張し、クロウブの身体の大きさを超える。
そして、シュウはポーチをクロウブに向かって投げ、ポーチはクロウブを飲み込んだ。
シュウのポーチは、巨大な亀のモンスタークロウブを丸々飲み込んだのだ。
だがしかし、飲み込んだポーチの大きさが明らかにおかしい。
薄く、円状に広ったポーチは、クロウブを飲み込んでもその薄さを保っていた。
奥行きに変化がないのだ。
表現としてはクロウブを飲み込んだと言うより通過した、の方が正しいように思う。
そして、シュウが魔力供給を止めると、クロウブの体積など全く無かったようにポーチは元の大きさまで戻ってしまう。
地面に落ちたポーチを拾い、シュウは叩いて付着した砂を払った。
「僕は、僕の魔具よりこっちの方が便利だと思うけどね」
「そりゃあまた別だろ。なんつったか……アイテムボックスだっけか?」
「そうそう。ユナちゃんの【空間】の闇属性を応用した、ね」
ジャックの技術と、ユナの闇属性、神影の知識を合わせて作られたこのアイテムボックスと呼ばれる魔具。
ポーチの口を開けるとユナが作った広大な空間につながっていて、リュウセイが狩ったモンスターは毎晩ユナがシュードラの街で新しく入り口を作り、回収している。
本来ポーチの口に入るものしか回収できないという難点は、ジャックの作った【伸縮】のポーチで万事解決した。
これらの事情があり、シュウの持つなんの変哲もないポーチは、どんなものでも場所をとらずに収納でき、かつポーチに入れたものはユナのいる場所にいつでも送ることができるというチート性能のついたポーチとなったのだ。
「さぁ、素材の回収も終わった。
ちょっと待っててね、リュウセイ。
すぐに作るから」
アイテムボックスから加工された野菜、肉、調味料、出し汁を取り出し、シュウは料理に取り掛かった。
まず出し汁を鍋に入れ、火を付ける。
沸騰が始まったので、野菜を入れシュウはおたまで鍋を攪拌。
あとは野菜がちゃんと煮えるのを待ち、調味料でリュウセイ好みの味付けにして肉を入れるだけである。
コトコト、コトコト。
二人の間に降りる沈黙の音。
兄弟であることを自覚したものの……二人とも、距離を測りかねているようだ。
マリンとフィーナの時は、違った。
あの二人は記憶が戻った途端、十一年の空白の時をなかったかのようにリュウセイとカイルを弄り始めたのだ。
リュウセイも、からかいに反抗する形で二人のことを受け入れることができた。
だが、シュウは違う。
記憶を封印したことや、父や母を救えなかったことで罪悪感を感じているのか。
あまり積極的に話しかけてはこない。
特に会話らしい会話が行われることもなく、料理が出来ていく音だけが空間を満たす。
「そういや……兄貴たちは、ジジイのことを知ってるんだよな」
その空気を変えようと声を発したのはリュウセイだった。
シュウからは話しかけてこないと悟ったのだろう。
先日の決起集会で神影が口にしたゲンスイという言葉。
なぜ、シュウたちが自分の師匠のことを知っているのか。
あの時感じた疑問を今、沈黙を打破するキッカケにして、シュウに向かって投げかける。
「うん、そうだよ。僕たちはゲンスイさんのことを知ってる。
そうだね。煮えるまでの時間で、その辺の話をしようか」
シュウは鍋近くの岩に腰掛け、夢想するように空を見上げる。
手を交差させて組み、腕の中の空間で胸から下げた十字のロザリオが揺れた。
「僕たち三人の中で、一番初めにゲンスイさんに会ったのは……僕だった。
僕は、僕の愛する弟のリュウセイに刀術を教えられる人物を探していた。
僕の愛する弟のリュウセイの記憶を消した十一年前からね。
だけどね、半端な技術の人になんて僕は教わって欲しくなかった。
最低でも、僕よりは刀に精通した人が良かった。
生意気な僕の愛する弟のリュウセイを、諌めてくれる人が良かった。
……条件に当てはまる人が中々いなくて、九年も経っちゃったワケだけど」
「おい」
リュウセイは……ちゃんとした刀術を習っていない幼少の頃であっても、十分に強かった。
その強さは変異に依拠した不全なものであったが、それに驕ってしまい技術を学ばないなどということになってしまえば意味がない。
幼いリュウセイを抑え、諌めることができる人物。
それだけで、この大陸の人口のほとんどがシュウの査定から外れてしまうこととなった。
そして、シュウよりも刀の技術に精通している、という条件。
シュウ自身、剣を交えた戦いをするため、刀の扱いに少々(・・)心得がある。
実際は少々どころか、その技術はそこらの街道場で師範をやっているような人物よりも高い。
つまり、並大抵の実力、技術ではシュウのお眼鏡に叶うどころか選考対象にさえならなかったのだ。
以上二つの理由により、リュウセイは九年間、ちゃんとした刀術を学ぶ機会を与えられずに放置されていたのである。
「もう僕自身が教えるしかないとも、思った。
計画に差し障りがあるから止めろって、マリアや神影に物凄く止められたよ。
けど……そんな時、見つけたんだ。
リュウセイの師匠にピッタリな人をね」
「それが……ジジイってワケか」
シュウは、再度鍋をおたまで撹拌する。
おたまで触れた野菜はまだ硬く、もうすこし煮込む必要がありそうだった。
「そう。僕はゲンスイさんと何度も接触を持とうとしたんだけど……足取りが掴めなくてね。
中々会うことができなかったんだ」
「……スミレ、か」
「多分ね」
シュウがゲンスイに接触を持てなかったのは、【未来予知】を使えるスミレがかつての反乱軍にいたからである。
誰にも見つかることのないように、ゲンスイたちは移動しながら帝国と戦っていた。
仮に見つかることがあったとしても、スミレの【未来予知】によりその未来を回避。
結果、誰にも……シュウたちでさえ、ゲンスイの所在を掴むことができなかったのだ。
「そんな中、やっとゲンスイさんに会えたのは反乱軍撤退戦。
あの避けられない戦いの場でしか、僕はゲンスイさんに会えなかった。
空を飛び、戦場に到着した時。
僕の視界に入ってきたのは……たった一人で万を超える帝国を相手にするゲンスイさんの姿だった――」
――――――――――――――――――――
地獄とは、まさしくこの場所のことを指すのだろう。
シュウはそんなことを思った。
豊かな大平原は血に染まり、屍が所狭しと敷き詰められている。
どこを見渡しても、屍が視界に潜り込む。
そんな状況であっても尚止まない怒声。
失せることのない戦場の空気。
人々のあげる声は大気を揺らし、大地全体が大きく呼吸を繰り返しているかのよう。
シュウは翼を動かし、移動する。
一つの巨大生物のようにうねる人々の――より正確に言えば帝国兵の、流れが集約する場所に。
その人間たちの群れの中に、反乱軍の人間の姿は見えない。
少なくとも、動いている人間の中には。
「全滅……か。まぁ、予想はしていたけど、ね」
物量が違いすぎる。帝国はこの戦いで反乱軍を根絶やすつもりで戦力を投入した、という情報をシュウは神影から得ていた。
反乱軍五万に対し、この場の帝国軍はおよそ……五十万。
いくら個々人の技量が高い反乱軍とは言え、この差は簡単には埋まらない。
しかし、シュウがざっと見ただけでも帝国兵は半数近くにまで減っている。
よく健闘したと、シュウの口からは素直に賞賛が出てきた。
どれほどの猛者であっても、いずれ物量に押されてしまう。
だが、者ではない、化け物なら。
人外と呼べる……変異なら。
「――――――――――――――――――ッ!!」
その絶対のルールにも、抗うことができる。
そしてシュウは見つけた。その男を。
もう魔力も枯れ果てた超人族の老人。
黒を基調とした道着は血で赤く染まっており、今も染まり続けている。
白髪にも長い長い髭にも血がこびりついており、凄惨な戦闘の痕が伺える。
ゲンスイの戦闘の様子は鬼気迫るものがあった。
魔力などなくとも刀一本、己の体一つ。
それで充分だと言わんばかりの奮戦。
一太刀で四人も五人も同時に斬り伏せ、飛んできた魔法は避けるかいなすかして対処。
壁のように密集する帝国兵の間隙を縫うように移動し、通り抜けざまに何人もの帝国兵の命を狩る。
孤軍奮闘、一騎当千。
この状況ではこのような言葉を当てはめるのが妥当なのだろう。
このまま戦い続ければ、彼一人で残りの帝国兵全てを斬り殺してしまいそうだ。
だがしかし、シュウの頭に浮かんだのは……
「噂以上……っ! 彼なら、ピッタリだっ!
うん! やっと見つけた……っ!!」
リュウセイの師となりうる人物の発見。
そこからくる喜びだけだった。
エメラルドの色をした瞳をキラキラと輝かせ、シュウは神父服の内側に手を入れ、魔具を取り出す。
鉛色の球体の魔具。
武器には到底見えないその魔具にシュウが魔力を流すと、緑色の光と共に変化が始まった。
【形状変化】を備えたシュウの魔具は、どんな形状にも変化することが可能だ。
鎌だろうが斧だろうが槍だろうが……シュウの意のままに、変化を起こす。
シュウの欠けた片翼もこの魔具によって補われている。
そして、シュウが戦闘で好んで使うのは近距離用の剣、中距離用の銃、遠距離用の飛行ビット。
この三種だ。
そして今回シュウが選んだのは――、
「ちょっと邪魔だよ、君たち」
剣だった。
ゲンスイの間合いの一歩外に着地し、横薙ぎに一振り。
一太刀で巻き起こる暴風。
突風などと比べるのもおこがましい風の暴力。
荒れ狂う風はシュウとゲンスイを中心に竜巻のように吹き荒れ、戦場に空白地帯を生み出した。
その空白地帯には……ゲンスイとシュウの二人きり。
唖然とするゲンスイをよそに、シュウはにこやかにゲンスイに笑いかけた。
「やぁ、ゲンスイさん。やっと会えたね」
「……何者じゃ? 残念じゃが、今のワシはちぃーとばかり余裕がないのでの。
お主がおかしな素振りを見せた瞬間、斬りかかると思うのじゃな」
細い切れ目の隙間から、ゲンスイは殺気を孕んだ瞳でシュウを見る。
切っ先をシュウに突きつけ、姿勢を低くし、いつでも切りかかれるようにゲンスイは構えていた。
唐突に現れた未知の男。
帝国兵を吹き飛ばしたとは言っても、味方である保証はどこにもない。
ましてやここは戦場であり、魔力の切れたゲンスイは一瞬たりとも気を抜けない状態にある。
味方が周囲に誰一人としていないこの状況では、その警戒も当然と言える。
「それは困った。僕は今からおかしな素振りをしなきゃいけないのに。
ちょっとだけ見逃してくれないかな?」
しかし、シュウは困った困ったと言いながら片目を瞑り、苦笑いを浮かべるに留まった。
のんびりとした、気の抜けるような話し方。
この戦場において、一切の気負いがない。
数十万もの人間が、ゲンスイの側に突如として現れたシュウに向かって敵対の目を向けているというのに、まるで動揺した様子がない。いたって平常心。
帝国兵など、敵と認識するまでもない。そんな様子だった。
「普通の状態でもできないことはないけど……ちょっと厳しいんだよね。
だから……」
シュウは剣を下げ、目を閉じる。……すると、空気が変わる。
張り詰めた戦闘の狂気の空気が変化する。
シュウを中心にして、清涼な……清々しい空気が戦場の空気を侵食していく。
聖域の空気とでもいうのだろうか。
清らかな風が戦場を吹き抜ける。
帝国兵は、自分たちの周囲の急激な変化に当惑し、次の一手を打てないでいた。
目を閉じ、瞑想しているように見えるシュウ。
そのシュウの翼が――魔具ではない方の純白の翼が白色の光を放ち、栗色の髪も白色に変化していく。
シュウの頭上が輝いたかと思うと、顕現する天使の輪。
目を開いたシュウの瞳も……また白い。
何物にも染まらない純白。
悠然としたシュウの姿は美しく、身体から放たれる白色の光によって神々しくさえ写る。
誰もが唾の嚥下し、その姿に見惚れる。
神父服の天使が、戦場に降臨した。
「っ、カァッ!」
変化の満了と同時にゲンスイがシュウに切り込んだ。
変身の隙を狙って、シュウの首元にゲンスイの刃が迫る。
ゲンスイは感じ取ったのだ。
天使と化したシュウの危険度を。
膨れ上がった魔力のほどを。
敵かどうかなど分からない。
しかし、シュウ一人を相手にするくらいなら、ここの帝国兵を全滅させる方がまだマシだと思える程には、ゲンスイは危機感を感じていた。
長年の経験と危機察知能力が、今、この隙にシュウを仕留めろと叫んだのだ。
「うん――いい剣線だ」
魔法も何も纏わせていない、ただ鋭すぎる斬撃。
常人の魔具で、常人の魔法なら、その刃は抵抗すら感じることなく対象物を切り裂いただろう。
しかし、シュウの魔具は伝説と呼ばれた魔具職人ドンドンの作品。
シュウ自身は変異。
たとえゲンスイであっても、斬ることは叶わない。
濃密な風を纏った義翼が、ゲンスイの斬撃を防いだ。
「大丈夫。ゲンスイさんに危害を加えるつもりはこれっぽっちもないから」
シュウはゲンスイの斬撃を翼で受け止めたまま、周りを睥睨する。
シン、と静まり返る戦争の中心地。
誰もシュウとゲンスイに襲いかかろうとしない。
神聖な儀式の最中であるかのように誰も一言も発しない。
異常に神聖な空気に圧され、動くことが――。
「っ、な!?!?」
ゲンスイの驚きの声。
一斉に、帝国兵が沈黙した。
バタバタと足が折れ、地面にのめり込んだ。
二十万人はいた帝国兵が一瞬、まさに瞬きをするほどの時間で――!
「ふう……おしまいっと」
その犯人であるシュウは泰然とした佇まいで、軽くため息を吐く。
まるで軽い運動でもしてきたような気怠さで。
帝国兵二十万を無力化して、その程度だった。
シュウにとって常人など……その程度なのだ。
血の匂いが立ち込める戦場を静寂が包む。
残された人間は……驚愕に包まれた剣聖と、笑顔を浮かべる隻翼の天使だけだった。