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CAIL~英雄の歩んだ軌跡~  作者: こしあん
第四章〜飛翔する若鳥〜
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第九十八話ー【空間】の闇属性

 




「ユナ……なのか?」



 カイルは困惑していた。ユナの何も無かった背中からは白黒の翼が生え、犬歯は鋭く尖って牙となり、黒目の片方は赤色になっている。雰囲気もどことなく鋭さを帯び、攻撃的になっている気がする。今までのユナを知るカイルとしては、困惑する以外の反応ができないのだ。



「そうですよカイルさん。わたしはユナです」



 ユナは、笑顔でカイルの方に降り向いた。その笑顔の面影は間違いなくユナ。姿形は変わっても、カイルの中のユナそのものだった。そんなユナに……カイルが思うことは一つ。



「翼生やせるなら、自分の翼を触ればいいのに……」


「わたしの変化に対する一言目がそれなんですか!?」



 遠い目をして不貞腐れるカイルにユナは思わずツッコむ。カイルは以前からことあるごとに翼をユナにモフられているためにその感想が、いの一番に口をついて出てしまったのだ。



「まぁ……無事で良かった」


「はい、ご迷惑をおかけしまし……た」


「っ、ユナ!?」



 力尽きたように地面に倒れ込むユナを、カイルは間一髪で抱きとめる。抱きとめ、絶句した。遠目からはよく見えなかった、その傷のあまりの凄惨さに。



「……酷ぇ……」



 身体中に刻まれた鞭の跡。ハクシャクによって力任せに振るわれた鞭は肉を裂き、ユナの背中はぐずぐずに熟れた果実のようになってしまっている。手首足首は長時間拘束具を着けられていたせいで、青黒くなっていた。


 これでは、倒れて当然だ。むしろ今までよく立っていられたと言えるだろう。



「カイルさん……」


「っ、なんだ?」



 疲労困憊、今にも意識を失ってしまいそうな様子のユナは弱々しく声を出す。



「血を……貰ってもいいですか?」


「血? あ、そうか! 分かった!

いいぜユナ、いくらでも吸え!!」



 カイルは半裸の上半身の――肩口をユナの眼前に差し出す。ハクシャクとの戦闘を経たとは言え、【再生】によって傷一つない肌がユナの口の前に置かれる。


 ユナはゆっくりと頭をもたげようとして、その力さえもないことに気づく。首に力が入らない。ぴくりとしか、動いてくれない。


 するとカイルがユナの頭の下に手を差し込み、自分の首筋にユナを押し付けた。首筋に歯が当たるほど強く、カイルはユナを抱きしめる。


 少々強引とも言えるような行動だったが、今のユナにとってはありがたかった。いつものユナなら、こんな状況は赤面どころでは済まないだろう。カイルと抱き合うよりも強く密着し、カイルの匂いが鼻腔に香るこの状況に、ユナの乙女センサーが反応しない訳がないのだ。


 しかし、今は羞恥より、吸血欲求の方が(まさ)った。


 カイルの首筋に、ユナの牙が立てられる。



 ゴクリ……



――……美味しい、です。



 ゴクリ……



――シアの血とは……真逆の味。

暖かくて、優しくて……“愛”に満たされた家族の味。



 ゴクリ……



――あぁ、いけません……。自制しないと……これ以上飲んでしまうと……カイルさんが動けなくなってしまいます……



 ユナは、カイルの首筋から離れる。

そして……



「これが……【再生】……ですか」



 全身から、カイルと同じ【再生】の白炎を放つ。

その白炎は、ユナの傷を元の状態に回帰させる。

悲惨だった背中は傷一つなくなり、青黒くなってしまった関節は健康的な肌色に。

髪や翼まで、手入れをされたかのように艶を取り戻す。



「カイルさん、ありが――」


半吸血鬼(ダンピール)だと、私は思い込まされていたわけですか」



 這いずってくるかのようなおぞましさを秘めたハクシャクの声が差し挟まれる。生理的な悪寒を感じつつ、ユナとカイルは声のした方を向く。

そこには、【再生】によって傷を癒し――吸血鬼と化したユナを舐め回すように見つめるハクシャクの姿があった。



「しかし、考えたものですなぁ、ルミナス姫。

あの半吸血鬼(ダンピール)は、血が穢れていることにさえ目を瞑れば……確かに有用な素体でした。

思えば、我々が貴方を探す一番の目印は初代様譲りのその白い翼……。

どうやったかは知りかねますが、その翼を隠していた姫を、我々は八年も見逃してしまいました」



 ハクシャクはカイルたちの方へ、にじり寄ってくる。悍ましい気色の闇の魔力を携えて。



「そして、吸血鬼の二人組というのもまた、目立つ。あの半吸血鬼(ダンピール)を完全吸血により消してしまえば……万事解決。人族(ヒューマン)として活動しておけば、私に正体が露見することはない。現に私はそんな下劣な種族など歯牙にも掛けなかった。


 私が貴女をルミナス姫の手がかりだと睨んだのは、ヴァジュラ殿から聞いた【転移(テレポート)】の【能力】が切っ掛けだった訳ですから。

いやはや、これ以上ない半吸血鬼(ダンピール)の使い方で――」


「違います!!」



 ユナは怒りで肩を震わせながら、猛然とハクシャクを睨む。



「わたしは……そんなことのためにシアの血を吸い尽くしたんじゃありません!!


 あなたなんかが……わたしたちのことを語らないでください……っ!!」



『嫌、嫌よシア!!

そんなのって、ない……!!

そんなの、できるわけ―――』


『皆さんを、助けてください。

それがわたしの、最期のお願いです』



 頭の中で響く、親友との……末期の会話。

親友の献身を、自分が逃げるためだけのことのように言われ、ユナは心底頭にきていた。

しかし、頭に血を上らせては勝てるものも勝てないと思い返し、少しだけ深く呼吸をする。



「……わたしがどうやって翼を隠したのか、分からないと言いましたね」



 ユナは煮えたぎるマグマのような怒りに強引に蓋をして、意識をそれに向けないために、語り出す。



「……ええ、言いましたね。

もしや、教えて頂けるのですかな?」


「いいですよ。恐らく……そちらの第二部隊長ジャンヌは、その理由を知っていますので。

あの人が教えるか、わたしが教えるかの違いです」



 ユナは自分の両手に嵌った二対のブレスレットに魔力を流す。

黒々とした魔力がブレスレットから滲み出て、ユナの周囲で揺らめく。


 その姿は、まるで御伽噺の魔王。


 怒りを滲ませた冷たい赤と黒の瞳。

人間とは隔絶した上位存在であることを示すような神秘的な白と黒の翼。

そして、闇で出来たドレスを纏うように、ユナの周囲を闇が蠢く。



「わたしの【能力】は……【転移(テレポート)】。

貴方はそう思っているようですが……それは誤りです」


「……ほう」


「シアもそう思っていました……でも、それは誤り。

転移(テレポート)】とは、シアとわたしの闇の【能力】の一端に過ぎないんです」



 ユナの闇が一点に集まり始める。球体を抱えるように前に出した手。その手と手の間の空間に浮かんだ闇のブレスレットの輪の中に、闇が凝縮されていく。


 そしてユナは……






「わたしの闇は、【空間】を操る力です」




 自身の【能力】の核心を口にする。その言葉が出たと同時に、ユナの手の内のブレスレットの内側が、黒く染まる。


 それは、どこまでも黒かった。

全てを呑み込むような……漆黒だった。



「亜空間を精製して、物を保管することもできます」



 ユナはその闇の中に手を突っ込み、ある魔具を取り出す。

それは、かつてユナが―――ルミナスが使用していた炎の魔具だ。

この光景を、仮に神影が見ていたとするなら、ユナの魔法をこう表現するだろう。


 アイテムボックス、と。



「そして、魔力はそれなり使うものの、特定の条件を付加した空間を作り出すこともできます」



 ユナは、かつての自身の魔具を腕に嵌める。

大きさはこの八年の間で調整されたのか、腕輪型の魔具はすっぽりとユナの手首を覆った。

それから、ブレスレットの輪の内の闇―――アイテムボックスを霧散させ、別の空間を再び作り出す。



「この空間は、先ほどわたしが通過し、この姿となった空間と同じもの。

この空間は“わたしの中の吸血鬼族(ヴァンパイア)の部分を取り除く”という特性を付帯した空間です。


 わたしはこの空間を通ることで、自身の吸血鬼族(ヴァンパイア)としての全てを取り払いました。

そして、シアとわたし……二人から吸血鬼族(ヴァンパイア)を除いた後に残るのは……シアの中に流れていた人族(ヒューマン)の部分だけです」



 ユナは、自身から吸血鬼としての全てを捨て去った。力のほとんどを封印し、残ったのは四分の一の人族(ヒューマン)としてのユナ。ハクシャクのいう劣等の部分だけを、ユナは残した。

結果、腕力は並の人間ほどに。魔力に至っては一般人よりも低くなってしまうほど、ユナは弱体化した。

しかし、そうでもしなければユナは帝国から逃げることができなかったのだ。


 魔力探知にかかりづらい小さな魔力。


 ありふれている人族(ヒューマン)の姿。


 それらが、ユナを八年間逃げ延びさせたのだ。



「この空間を、入った時と逆の方向から入ることで、わたしは自身の吸血鬼族(ヴァンパイア)の部分を取り戻した、というわけです」



 ユナは空間を維持するのを止め、ブレスレットを腕輪の上から着け直す。



「そして、この吸血鬼族(ヴァンパイア)の姿に戻ったことで、できることがもう一つあります」



 ユナのブレスレットから、漆黒の光が放たれる。

そして同時に……腕輪からも、赤色の光が溢れ出る。

二つの光は糸のように細くなり、絡まり合い……一つの魔法を紡ぎ出していく。



「……っ、まさかっ!!?」


「その、まさかですよ」



 二つの魔具から、魔法が具現化される。

それは……闇。

どこまでも黒く……光さえも引き込む漆黒。

しかし、それはもうただ揺らめくだけの、ただ存在するだけの闇ではない。


 与えられた器に闇が満たされていくように、蠢く闇に形が与えられる。


 轟々と、荒々しく、闇が舞い上がる。


 パチパチと黒い火の粉を散らし、闇は熱を孕む。

カイル同様の……いや、これは逆だと言うべきだろうか。


 ユナの手から吹き上がるのは……カイルの白炎とは真逆の……黒い炎なのだから。



「闇と火の、合成魔法(マグヌスマジック)……っ!?」



 ハクシャクの驚愕の声を聞き流して、ユナはその闇の炎を両手に灯し、構えを取る。

両手を腰に当て、ステップを踏むように小刻みに跳躍。

いつでも突撃できる、攻めの構え。


 ユナの前身の――ルミナスが会得した護身剛拳の構え。



合成魔法(マグヌスマジック)黒炎(ヴァーラ・フライア)



 荒々しい闇を纏ったユナは戦闘の前に、チラリとカイルを見た。



「……カイルさん、向こうで戦っている皆さんを、一箇所にまとめておいて下さい。

処刑台にいるお母さんと、ジャンヌと戦っているわたしのお父さんも一緒に、お願いします」


「……向こうで戦っている……?

お、確かに向こうでも誰か戦ってるな」



 カイルは魔力探知でジュリアスとジャンヌの魔力がぶつかっているのを、クルミたちが帝国兵と戦っているのを、察知する。



「あの人たちは、カイルさんと同じように、わたしを助けに来てくださった人たちです。

一人たりとも、死なせたくありません。

ハクシャクはわたしが……。

どうか、皆さんを守って上げてください」


「……とりあえず、そいつらを一箇所にまとめときゃいいんだな?」



 カイルは立ち上がり、その戦闘の起こっている方角、ユナを背にした方角を向く。

ユナの言葉を鵜呑みにし、その指示に従うことをカイルは躊躇わない。

なぜなら、カイルはバカだから。

底抜けに仲間を、ユナを信じる。

その指示の正しさを疑わない。


 その姿勢に、ユナはカイルらしさを感じて笑みを浮かべた。



「あいつらは俺に任せろ。

さっさと終わらせて、皆のところに帰るぞ! ユナ!」


「はい! ハクシャクはわたしに、どーんと任せてください!」



 二人は背中合わせに飛び立つ。

片や、黒炎を腕に灯し、片や、白炎を体から放ちながら。

黒白(こくびゃく)の炎は、弾丸のように飛翔した。




――――――――――――――――――――





「護身剛拳・滅獄墜(シュトラーフェ)!」



 ハクシャクに向かって突貫したユナは要塞都市で帝国兵に繰り出した技を、ハクシャクに繰り出す。

吸血鬼族(ヴァンパイア)の力を取り戻したことで戻った……ユナ本来の魔力のありったけを、魔法に変える。

両手を組み、灯る黒炎。


 ユナはそれを、ハクシャクの脳天を目掛けて振り下ろした!



「ふん……」



 しかし、そこはハクシャク。

幾人もの人生そのものを吸収し、取り込んだ彼にとってそんな直線的な攻撃など、見切ることは造作もない。



「はぁぁぁああああああああああっっ!」


「なにっ--!?」



 が、そんなハクシャクの経験則を、ユナは軽々と越えていく。

元々それなりの量を誇っていたルミナスの魔力。

さらに累乗することの膨大なユリシアの魔力。

さらに……掛けることの火と闇の合成魔法(マグヌスマジック)


 そんな状態のユナが放つ技が、ハクシャクの知る既存の技と同一であるはずがない!


 黒炎は地を打つと、光が凹凸の鏡に反射するように四方八方に乱反射する。

黒々とした地面の上を、黒炎が舐めるように駆け抜けていく。

津波のように円状に広がる黒炎は、帝国兵を瞬く間に飲み込んでいく。

その厄災の中心で、ユナはハクシャクが逃げた方向を睨みつけていた。



「逃がしませんよ……っ!」



 余波を辛うじて回避していたハクシャクに狙いを定めて、ユナは闇の【チカラ】を発動させる。

ブレスレットが拡張し、一つはユナの目の前の地面に……もう片方は、



「なっ、に……っ!?」


「護身剛拳・餓鬼(ラスター)!!」



 ハクシャクの、進行方向に。

結果、地面に置かれ、拡張されたブレスレットからハクシャクが転移してくる。

重力という概念を無視したように、地面に対して平行にハクシャクが飛び出してきた。


 そしてユナは、地面に向かって拳を振り抜く!

黒炎を纏ったその右拳はハクシャクの顔面に直撃した。

地面から飛び出してきたハクシャクは押し戻され、通ってきたブレスレットを通り、再び転移する。


 次の転移先は……



「護身剛拳・裏刹(ヴァーミリオン)!」


「ぐ、がっ!!」



 ユナの背後。

計算された位置に転移させられたハクシャクは、返すユナの裏拳をモロに受けることとなる。

吹き飛ばされ、ハクシャクは黒い地面を転がっていく。


 圧倒的なまでのスペック。これが本来のユナの力。

吸血鬼族(ヴァンパイア)としての……ユナの力だ。

その実力は……変異(パンドラ)にも匹敵する!



「ハクシャク。あなたはもう、ここまでです」



 ユナは、大きさを普段のものにして手元にブレスレットを戻し、その内側に新たな空間を精製する。

円盤のようにユナの胸の前に浮かぶブレスレット。

ユナは……おもむろに身につけているネックレスを外した。


 それは、真紅のネックレス。

血のように赤い宝石のついた……ユナが肌身離さず身につけているネックレスだ。



「貴方は、他者の血を吸いすぎました。

属性すら闇に変化し……第二の悪夢(ナイトメア)になりかけてしまっています。

いえ、このま自我を失ってしまえば、間違いなくそうなるでしょう」



 ユナは、ブレスレットの真上に、そのネックレスを掲げる。

ネックレスの真下には、闇の空間がぽっかりと口を開いていた。



「だから貴方は、ここで仕留めます。

初代様がこの場所で悪夢(ナイトメア)を倒したのと、同じように」



 ユナは、そのネックレスを……闇の空間の中に落とした。


 そして、もう片方のブレスレットから……吸血鬼に変化したユナ同様、変化したネックレスが出てくる。


 それはもはやネックレスの形状を保っていなかった。

長く、棒状の突起がまずブレスレットから出てきて、ユナはそれを掴み、一息に引き抜く。


 ユナの手にあったのは……一振りの剣。

血を煮しめたような……真紅の剣。

父に託された……王家の剣。



「この王剣ダーインスレイヴで、わたしは貴方を……どーんと終わりにします!」


 

 ユナは王剣を握りしめ、地に転がったハクシャクに止めを刺すため、その黒白(こくびゃく)の翼で空を打った。




――――――――――――――――――――




『ここに人が来れたのは……始めてじゃ』



 何もない、何もない、何もない。

ただの空間。真っさらで、白紙で、何もない。

色も、匂いも、形も、何もない。


 一つだけ、あると認められるとすれば、それは二つの意識だろう。


 一つは、空間そのもの、世界そのものと一体化している大きな意識。

この空間の主とも呼べる意識だ。


 もう一つは、ゴマ粒ほどの小さな意識。

不安定で、揺れ動き、消えてしまいそうな意識。



『ヴ……ヴァ……グヴ…………』


『じゃが、もう話すこともできぬのか……』



 それは、酷い落胆の声だった。

小さな意識は、既に自我を失っていたのだ。

まるで、獣……力を求め、破壊願望が露出した獣の意識だ。



『それでも、(ぬし)はここに来た始めての人間じゃ。

その願い、叶えてやろう』



 空間の(あるじ)は、男の意識に直接干渉する。

黒点のようにちっぽけな意識に、己の権能を分け与える。



『【固定化(フリッカー)】。

それが(ぬし)に備わった、新たな【チカラ】。

不安定な(ぬし)のための【チカラ】じゃ。

さぁ、往け。


 誰も彼もが(ぬし)に恐怖し……皆が生き残ろうと、必死に自分ではない誰か―――人間ではないナニかに祈る。


 そんな世界を―――』



 意識が消える。帰って行く。元の居場所へ。

その意識のあるべき本来の現実に。


 後の悪夢(ナイトメア)と呼ばれる災厄は……帰還と同時に覚醒する。

この瞬間を以って、悪夢(ナイトメア)は誰にも止めることのできない、暴虐の化身となったのだ―――。





――――――――――――――――――――





「ぐ、ガァァァあッ、!!」



 ハクシャクは、キレていた。

【再生】の血のストックは切れ、精神を回復することができないでいた。

それはまさしく、五百年前この大陸を蹂躙した悪夢(ナイトメア)の姿だった。



「王剣を……オう剣を……よこ、せェ!!」



 欠片ほど残ったハクシャクの目的意識。

それは王剣ダーインスレイヴを奪うこと。

何のために使うのか、そんなことは今のハクシャクの頭にはない。

ただ、闇雲にハクシャクは王剣を求める。



「……どーんと、これでお仕舞いです!」



 その王剣を脇構えに構えたユナが、ハクシャクに向かって飛行してくる。

理性を失ったハクシャクは、それに呼応するようにユナに向かっていく。



「考えることを止めた獣なんて、何も恐ろしくありません!」



 ユナは、すれ違いざまにハクシャクを斬りつける。

襲いかかる攻撃を避け、太ももに鋭い一閃。


 しかし、ハクシャクの太ももからは、血が出てこなかった。



「ぐっ、う! はぁ……っ、はぁ……っ!」


「どうですか、ハクシャク。

これがあなたの欲した王剣のチカラですよ?」



 流れた血は、全てユナの手の内の王剣に吸い込まれていた。

刃の表面に付着した血液が、王剣の中に吸収されていく。

それはまるで……吸血。

剣による……吸血だ。



「く、はは……よいのですかな?

貴女が王剣を使うたびに、私の意識は安定する。

いくら魂を喰らう(・・・・・)王剣でも、私がこれまでに喰らった魂(・・・・・)はそう簡単に削り切れるものじゃない……!」



 意識を取り戻したハクシャクが荒い呼吸で立ち上がる。

その声は依然、気持ちが悪い。



「構いませんよ。いくら貴方が驚天動地の魔力を有していたとして、いくら貴方に何百人もの“経験”があったとして……


 わたしとシアの二人分の想いには、決して、届きませんから」



 精神論をともかくとして、ユナにはハクシャクに対する圧倒的なアドバンテージがあった。

それは、魔具の存在。


 闇属性の魔具は、特殊なものだ。

人工によって作ることはできず、産まれた時から闇属性の傍にある。

扇、チョーカー、ブレスレット……その形状も、人によって様々。


 その魔具を、ハクシャクは持っていない。

つまり、魔力を魔法に昇華できないのだ。


 魔具を持つ者と持たざる者には、明確な差がある。


 かつてユナが、クリスタルの原石だけで戦うカイルに対して言った言葉だ。

ハクシャクは、そのクリスタルさえ持っていない。


 例えるなら、42キロのマラソンを、ハクシャクは徒歩で、ユナはジェット機で競争するようなものだ。


 ハクシャクの元がどれほど高かろうと、いくらなんでも限界がある。



「ならば……試してみるといい……っ!」



 王の空間(エヒドヴァラーズ)


 ハクシャクを中心に濃密な黒の魔力が広がる。

その範囲は広範で、ユナはあっさり呑み込まれる。


 が、それで呼吸を奪われたのは……過去の話。


 今のユナは、ハクシャクの魔力を押し返すだけの地力がある。


 奪われたのは、視界だけだ。


 魔力探知を使えば、いや、使うまでもなく……ハクシャク自身の濃密な魔力が、ハクシャクの位置を教えてくれる。



「これで、どーんとおしまいです!」



 ユナは、背後から迫るハクシャクに向かって、王剣ダーインスレイヴを振り抜いた。











 肉を斬る、確かな手応え。


 しかし、その刃が……剣に阻まれたような甲高い音を立てて、止まる。


 闇が……晴れる。



「なっ……!?」



 確かに、王剣はハクシャクを斬っていた。

しかし、斬ったのはほんの僅か。

口をほんの少し、切っただけだ。

王剣は……止められていたのだ。

ハクシャクの……鋭く伸びた犬歯によって。



「っ……なにを……っ!?」


「アダム前王が、姫に伝えていなかった事実が一つ、あります」



 ハクシャクは、王剣に牙を突き立てる。



「王剣ダーインスレイヴは、当然のように初代様が倒した悪夢(ナイトメア)の魂も喰らっています。

そして……悪夢(ナイトメア)には、ある【能力】がありました……」



 そしてハクシャクは……王剣から吸血を始めた。

剣に牙を突きたて、血を吸う。

その剣に内包された……血を吸い上げる。



「っ、護身剛拳・悪鬼(ヴァルシューラ)!」



 ユナは、その行為に危険を感じ、咄嗟に正拳突きを繰り出すが……


 一歩、遅かった。


 ハクシャクはその正拳突きをひらりと避わし、ごくり、と口の中に溜まった残り血を咀嚼する。

ハクシャクはダーインスレイヴに内包されたある人物の魂を……完全吸血した。




「が、グァ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」



 ハクシャクの身体が、新たな魂を取り込んだことで軋む。

魂を作り替えることによる痛みが、ハクシャクを襲う。



「っ、今のうちに!」



 ユナは、その好機を逃さない。

王剣を、隙だらけの頭に向けて振り下ろ―――


 キィンッ!


 ――せなかった。弾かれたのだ。

ハクシャクが咄嗟に投げた……真っ黒に染まった服の切れ端(・・・・・)によって。



「そんな……っ!」



 ユナは動揺するが、すぐに切り替えて、切り返す。

今度は、剥き出しになった後ろ首。

首を落とすつもりで、ユナは王剣を振りかぶって……



「っ!」



 今度は自ら、それを止める。

ユナは大きく後退し、その紅黒の瞳でハクシャクを睨みつける。


 痛みに呻いていたハクシャクは、ゆらりと立ち上がった。


 その身に、魔力でない……闇を纏わせて。



「なんで……貴方が闇を……!

闇属性の魔具なんて……どこにも……」



 言って、ユナは気付く。

ハクシャクの容姿に起こった変化に。


 青白い病人のような肌に、鋭く伸びた犬歯、蝙蝠のような黒い翼は……変わらない。


 だが、純血の吸血鬼(ヴァンパイア)特有の血の色した赤い瞳は……黒々とした闇色に染まっていた。

それは、ジャンヌが生き返らせた人間と……同じだった。


 そして、何より目を引くのは……全身を這うように刻まれた……黒い、茨の刺青。

服の下まではどうか分からないが、これまでの戦闘で露わになった肌や、顔、翼には余すところなくその刺青が刻まれていた。



悪夢(ナイトメア)の闇の【能力】、それは万物を固定する【チカラ】……【固定化(フリッカー)】。

これこそが! 私が求めていた【チカラ】!!」



 ハクシャクの身体―――正確にはハクシャクの身体に刻まれた刺青から闇が吹き出す。



「姫は知る由もなかったでしょうが……闇属性の魔具とは、適格者の魂と共にあるものなのですよ。

過去の適格者である悪夢(ナイトメア)の魂を取り込んだことで、私は闇属性の魔具をも手に入れた!」



 先程、ユナのことを魔王と表現した。

では、今のハクシャクは一体何なのか。

ユナよりもドス黒い醜悪な闇を纏い、地のそこから這い出してくるような悍ましい声……



 まるで、夢枕しか出てこないような最悪。

現実には存在しないと、思い込みたくなるほどの災厄。





 かつての人は、その存在を指して、こう言った。



 悪夢(ナイトメア)、と。




「これで私という存在は完成された!!

これで私が……吸血鬼族(ヴァンパイア)の王だ!!!」



 現代に蘇った悪夢(ハクシャク)は、黒い大地の上で高々と笑う。

戦場の喧騒が、遠い。

ハクシャクの高笑いだけが、ユナの頭の中に響いていた。

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